楽興の時 2番
若菜ちゃんは、いなくなったけど、ピアノ室には俊一叔父さんがいる。
俊一叔父さんは、僕が心配なのだろうとの事、
でも、今はどうしようもないかも。
僕が、悩みの解決法の明快な答えがわからず、進路は迷ったままで、そういう問題を先送りしてるからだ。
僕は祖父に”顔も見たくない”と怒鳴らた。1度目のコンクールでは緊張で、曲の後半でミスを連発した。2度目のコンクールはもっとひどかった。
僕は予選の時から緊張し動悸がひどくなり、曲の途中で倒れてしまった。救急車を呼ぶ大騒ぎになった。病院での検査の結果は、異常なし。
いたって健康だった。
恥ずかしかった。いっそ1週間ぐらい入院してたほうがよかったかも。
僕の噂は、あっという間に学校内、ピアノの同門の弟子に広がった。
”あいつ緊張のあまり、倒れたんだってよ””緊張するのはわかるけど、そこまではね”
”家は金持ちだし、親は有名な音楽家だけど、自分の事はままならないもんだ”
そんな言葉を耳にし、僕は、いっそピアノを辞めるかと何度思った事か。
実際、音高には進まなかった。あのしくじりが忘れられなくて、東京から離れた。でも、僕はピアノを離れるなんて出来なかった。
今日は、1時間のテクニック練習の後、シューベルトの”楽興の時”を弾いた。
シューベルトは、31歳で早世した作曲家で、家出してからは、友人の家を泊まり歩く生活を、死ぬぎりぎりまで続けた。
”住所不定無職、自称作曲家”と言うと、見も蓋もなけど。
20代後半に作曲されたこの曲、僕は、有名な3番より、静かな曲調の2番が好きだ。主題の和音で動く部分は、スラーがついてるので、滑らかに弾かないといけないけど、ppの部分は難しい。調が短調に変わると、左手は3連符の伴奏。最初の音がスタッカートなので、次の音がとびだしやすい。ダイナミクスはあるけど、ずっと静かに弾いていく。なんというか、哀しい曲調なのだ。その哀しさ自分の中だけで諦め、秘めている。作曲した時のシューベルトは、この時、すでに自分の死を予感してたのだろうか。
俊一叔父は34歳で、サンフランシスコの学校で銃の乱射事件に巻き込まれて死んだ。叔父さんは、自分の死を予想だにしなかっただろう。
無念でしょうがないだろう。思いが残って霊が残るのもわかる。
それでも僕を心配してくれてる。
俊一叔父も、生前、悩んだ時があったから、同情してくれてるのだろうか。
現実逃避した僕に出来るのは、若菜ちゃんの時のように、ピアノだけ。
それにしても、弾いていて哀しくなってくる曲だ。この楽興の2番は・・・
なんとなく沈んだ気持ちで布団に入る。
明日は早起きしてジョギングの距離をのばそう。
気持ちを変えよう。僕は、今、普通高校に通っている。ピアノの定期的な指導は受けてない。陸上部は楽しいし、学校生活を満喫してる(はずだ)面倒をみてもらっている祖父母はやさしい(ひょっとして実の父母より。。)
悩みを忘れ、今の生活の幸せに少しに、もう少し浸っても許してもらえるんじゃないか。
僕は今日シューベルトの曲に引き込まれすぎたのだ。シューベルトが悪い。
そうこうしてるうちに湿原マラソンの日になった。
10kmと30kmがあり、高校生は30kmには出られない。肉体的に負担がかかりすぎるためだそうだ。まあ、30なんて無理だけど。
今日も顧問の曽我先生からは、”絶対に無理するな。湿原の自然を満喫しながらゆっくりいけ”という厳命が下っている。走ることは競技として競う楽しみもあるけど、純粋に、走る楽しさを感じることの大切さ を感じて欲しい ということだそうだ。
いつもの3人でいると、見知らぬ選手が脇坂に声をかけてきた。
「よう、脇坂。今日も楽しんで走ろうぜ。楽しんで」と通りざまに言ってきた。
”今日も”と 何か含みのあるような。。
脇坂は唇をかみしめて、そいつの背中を見ていた。




