高体連陸上大会
高体連が始まった。三日間の日程で、予選から決勝まで終える。
釧路につくまでの間、僕は、バスの中で部員全員のデータと今日の体調を見てみる。
うん、故障者も具合の悪い人もいないようだ。このまま全員ベストの状態で競技ができますように。
大会は、まさに、外見には混沌としてみえる。いろんな競技がびっしり組まれているからだ。競技は、選手の集合時間が決められ、~分前に所定の位置にいないと、棄権となる。一人一競技ならともかく、何種か掛け持ちしてるのが普通で、青野と僕は、出来るだけ、大会の進行を把握し、選手に気をくばった。
選手の中には脇坂も入ってた。5000mの予選を軽々クリアした彼は、今は、テントの中で昼食中。(食事も休憩もそれぞれの予定にあわせるので、バラバラだ)。前の合宿と違い、救護の仕事も忙しかった。特に2日目。低血糖でフラフラになった選手には、ブドウ糖のかけらとドリンク、筋痙攣をおこした人には、暖かいタオルを当て、あと、携帯の酸素を吸わせたり。幸いな事に病院に行かなければいけない部員はいなかった。でも、残念ながら、3日目の決勝に残った部員はいなかった。
帰りは、僕は意気消沈し、部員はさまざまな様子だった。
予選通過した事を喜んでたり、自己のタイムにの伸びに喜んでいたり、伸び悩みで悩んでいたり。あいつにだけは負けたくなかったと悔しがってたり。
陸上は他の選手との戦いのほかに、自分のタイム・点数をのばすという自分との闘いがある。
で、これをピアノや他の楽器にあてはめると、”他の選手との戦い”は、コンクールだろうし、自分との闘いは、これは先が見えない。一生続くものなのだろうと思う。
僕の東京のピアノの師匠も、一人でシューベルトのソナタを格闘していたのを見た事がある。難易度は低くても、その曲想に何か感じたのだろう。同じところを何度も繰り返し練習していた。
もの思いにふけってた僕に、バスで後ろの席の青野が声をかけてきた。
「脇坂、ちょっとやばいかもしれない」
「青野、脇坂がなぜ?」僕は、準決勝までいった脇坂は、単純にすごいと思ってたから、何が”やばい”のか、見当つかない。
「アイツは中学時代、そんなに背は高くなかった。中3から今にかけて急に身長がのびたんだな。そういうヤツは、膝を痛める事が多いって兄貴が言っていたことを思い出してさ。それに準決勝の脇坂の走りは、アイツらしくなかった。意地になってるというか、無理してる感じだった。」
急に身長が伸びると、それに内臓や筋肉・腱などがついていかず、関節に故障をおこしやすいのだそうだ。で、二人で脇坂の振り返る。彼はいつもと同じで、飄々としてた。でも若干、顔色が悪いような。青野が「脇坂、お前、膝、痛いだろう」と直球で質問すると、脇坂は苦笑いしながら「青野君に見破られるとは。僕も修行が足りないです。確かに痛いですが、これくらい大丈夫です」青野はムっとして、「これくらい・・ってことは、もっと痛い時もあった、ということか?」と切り替えした。
僕は慌てて、痛み止めとボルタレン(塗る痛み止め)を救急箱から出して、脇坂にせまった。「ありがとう、痛み止めは入りません。ボルダレンを塗りますので貸してください」と脇坂が観念したように言った。青野は僕から薬をひったくって、脇坂の膝に塗った。脇坂は、痛みが楽になったせいか、それから、コテっと寝に入った。
曽我先生が、「脇坂、膝故障なら駅伝は無理かな」とボソっとつぶやく。
それぞれ、いろんな問題を抱えているのだな。。




