橋田にあって僕にないもの
橋田が家に泊まっていった時、ピアノについて、いろいろ
教えあいながら、フっと思い出した。
「橋田って、邦立付属高校にいるなら、そのまま大学へ進学も、
そんなにあせらなくても、楽勝なんじゃないか?」
出席日数が足りないとか、とんてもなく成績が悪いとかじゃないようだし、
この間、聴いた限りでは、橋田のピアノはアクは強いけど、
僕なんかより、数段、上手い。
「ああ、僕は、東京芸大を受けようかと思って。
他に公立の音大も受けようかなと・・」
「東京芸大か・・それは、挑戦だな。橋田なら出来そうだけど。
橋田の先生は、なんて言ってるんだい?」
東京芸大、日本で一番、難しい大学と言われてる。
私立の邦立をけってまで、行きたいんだ。上昇志向が強いのかな。
「邦立ももちろんレベル高い。裕一も知ってると思うけど、高2の時、
スランプで、練習すら恐い時期があった。
それを取り戻すのに、ピアノの練習を頑張った。自分で思う以上に
レベルがあがったんだ。僕は大学へ行って、コンクールに出まくって、
演奏家を目指す。大学も少しでもレベルが上のほうが、刺激が多いだろうと」
ザルツブルグ音楽ツァーで一緒になった時は、コンクールどころか、学校内の
でさえ、緊張して、師匠と険悪になってたのに(もっとも、それは橋田の誤解だった)
どうやって、ひどい緊張症を直したんだ?
「まるで人が変わったようだ。いや、こっちが本来の橋田なのかな。
度胸があって、自信家で」
「いや、度胸はない。裕一が教えてくれたじゃん。自分を”自分は選ばれた演奏家だ”
って呪文をかければいいって。忘れた?」
そういえば、そんな事も言ったような。
あれは、僕じゃなく 母さんの”本番前のリラックス方”だ。
僕は、北海道へ行ってから、コンクールに出たのは1度だけ。
あの時は、八重子先生が、度胸試しにって、申し込んでくれたんだ。
「それに、もう母親から独立したいんだ。正直、ウザイんだ。
面倒を見てもらってるのは、感謝はしてるけど、独り立ちしたい。」
僕は母さんに ウザイとは思った事ない。一緒に暮らしてないせいだろう。
ただ、母さんの休暇で一緒にいると、正直、面倒なんだよな。
方向音痴だし世間知らずだし、猛練習で体を壊しかけた時もあった。
いちいち、気を配らないといけない。
そんな母の ドジ話で橋田ともりあがった。
あっというまに、夜も遅くなって、さすがの脇坂も寝てるような時間になって、
二人で、話疲れ、練習疲れで、その日は終わりにした
「そろそろ、父親の会社も経営が苦しくなってる。国立や公立なら
学費も安いから、少しは負担が軽くなるかなと、思ってる。
奨学金をもらうって手もあるけど、将来が見えない”音楽家”じゃ、ちょっとな。
借金背負うだけなのは、ツライものがあるしな」
夜の練習の終わりの終わりに聞いた、橋田の本音。
東京芸大受験は、本気なんだろう。最初に聞いたときは、
自分の力を試す、”記念受験”ってのかと思ったけど。
ー・-・-・-・--・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
冬のピアノ特訓の最終日。後、西師匠のレッスンは、師匠と僕の都合で、
不定期になりそうだ。できるなら、センター試験終わった後、受験まで
東京にいたいけど、それじゃ、出席日数が足りなくなりそうだ。
まあ、ぎりぎり計算して、こっちに滞在できるようにするけど。
今日は受験本番と同じように練習しましょう ということで。
僕は、受験曲、3曲(ソナタは1楽章だけ)を 通して弾いた。
ありがたい事に、”第九”の脳内BGMは、だいぶならなくなった。
「うん、なんとか間に合いそうだ。まったく。
受験前に生オケの演奏、しかも第九を聴くなんて。いや、僕も注意して
あげればよかったね。そこまで裕一君のレベルが上がってたんだ。ウッカリしてた」
僕は、師匠の言葉にホっとする反面、ショパンのエチュード10-4が
まだ、自分的に仕上がってないのが気になってる。
「先生、エチュードなんですけど、僕の中では、少し出来てない
気がするんですけど・・」
いまさら、”出来てない”って断言しにくい。
なんていったって、試験は2月下旬の18日からだ。
後一か月ちょっとだけど、その間にセンター試験があるし、他の音大の受験も1校あるので
一か月ないと、考えたほうがいい。
「この間の橋田君のショパンは、若干、ヤリスギだったかな。
好みの問題かもしれないけどね。それでも裕一君に 足りないものを、彼は持ってる。
橋田君が足りないものは、裕一君は身についてる。
上手くいかないもんだね」
やっぱそうですよね・・・この間、橋田と一緒に練習した時に、
言われたものな”何か足りない”ってさ。
ダイナミクスを極端につけたり、試行錯誤したけど、結局、そのままだった。
ー・-・-・-・-・--・-・-・-・-・-・--・-・-・-・-・-
10日に予定通り飛行機は飛び、僕はホっとした。
この前みたいな事があるのを、僕は注意しないといけない。
男子だけ3人合宿 も なんだかんだと終わり、空港で
天候を気にしながら、待っていた。
東京の家を出てくる時には、火の元を確認するのは当然として、
留守宅の警備を頼んでる会社にも、メールで確認した。
たいした荷物はなかったけれど、脇坂と山崎は、掃除にやっきになっていた。
”立つ鳥 あとをにごさず”です。脇坂は窓ふきを始めたので、あわてて止めた。
もちろん、窓ふき続行はかわらず。そういえば、大掃除って、去年してないな。
”俺は、外回りを見てくる。庭は専門の庭師に任せてあるようだけど、
それでも、外から窓の鍵やガラス、確認しておく”さすが山崎。
僕は警備は警備会社に任せればと思って、思いつかなかった
無事に北海道の摩周町の家に到着。
あらためて思うけど、寒い!!空気が、肺の中にはいると、体がひきしまるように、冷える。
ついたのが夜だったので、脇坂も夕食を一緒に。
「二人とも、裕一は面倒かけなかったかい?どうも、この子は、父親譲りなのか
無頓着な面もあるからね」
ばあちゃん、ひどい。父と一緒なんて。
「そうそう、男子3人でいると、食事がバランス悪くて、僕と山崎は
どっちかというと、太り気味だったんですけどね。裕一君はやせました。
”ばあちゃんのお握りが食べたい”といってましたよ。」
二人には、元旦ランニングで倒れた事は、内緒にしてもらってる。
でも僕がヤセたのは、一目瞭然だったので、さっそく、夕食後ドリンクを
飲まされた。うmm苦い
山崎も脇坂も一緒。平気な顔で飲む二人は、大人なのか。
「そうそう、この間の第九の演奏会、新聞に批評が乗ってたので、
とっておいたよ」とじいちゃんが、記事をくれた。
そこには、父の指揮した第九の批評がのっていた。




