受験曲で迷う
八重子先生との11月2回目のレッスンは、なかなか思うように進まなかった。
原因は、僕だ。
「今頃、スランプなのかな?今日は、ウキウキしてたわりに、レッスン
にはいると、何か悩み事でもあるような弾き方ね」
レッスンの最初、昨日のアンサンブル会での、ハプニングとデュオについて
話して笑ってたんだけ。で、レッスンが始まり、迷いだした。この音でいいのか?って
自分が勘違いしてるんじゃないかって。
僕は、ベートーヴェンピアノソナタ28番の演奏をやめ、先生に打ち明けた。
「悩みってほどでもないですけど、この間、自分の演奏した曲をまとめて聞いて
ちょっと、自信がなくなったのかもしれません。自分はちゃんと弾けているのかって」
今までも自分の演奏を聴きながら勉強してたのに、今頃になってなぜ・・
「ふmふm。まあ、自分の演奏が思ってた通りにいくなって事は、プロでも
多くはないと思うわね。大丈夫、安心して。それに裕一君は順調に力を付けてきてる。
だからなのよ。今まで気がつかなかった自分の演奏の、ほんの少しの祖語も、
聴き分けられるようになった。それって、成長のあかしね」
そうなんだろうか・・確かに高2の時の演奏より高3の時の演奏のほうが、
だいぶましだったし。
28番の3楽章は 堂々とした曲で、1楽章の甘い旋律が最初にでてきたけど、
いきなり何かつきぬけた曲想だ。
僕は、この3楽章を必死に弾いたけど、勉強不足はもろにでた。
八重子先生からは、注意の一つもない。
(手のつけようもないってとこか・・)
「すみません。21番と28番、両方はさすがにキツかったです。」
僕は弾き終えたあと、白状した。
「うん、さすがにね。エチュードと違って長い曲だしね。
実をいうとね、西師匠、28番は お試しの曲のようよ。
そろそろ、受験する曲を決めるのでしょ?
前期の曲、中期の曲は今やってる21番ね。で後期の最初の曲が28番。
やってきた曲の中で、どの曲が裕一君にあってるか、聴きたいのだろうと思う」
受験は原則、1曲だけど、1楽章だけだったり3楽章だけとか、その場で指定される。
途中で止められる事もあるらしい。
僕は、小学校と中学校の最初くらいまではコンクールに出たりしてたが、
成績は、せいぜい本選に出るくらいまでだ。
実績がないから、受験曲実力を見せるしかないんなんだけど。
「裕一君は、受験に希望する曲はある?」
「ショパンは、10-4かな。バッハは長調の曲がいいです。ベートーヴェンは
できれば、ワルトシュタイン 21番で・・」
ベートーヴェンのソナタは、有名な曲は、審査員の耳も厳しいから不利と
きいたことがある。実力しだい という話もある。
本当の所は僕にはわからない。
「そうねえ。エチュードならある程度の難易度の高い曲で勝負もありだし、
逆にそこそこの難しさで、音楽性で勝負ってのもあるわね。
今、やってる3曲の中から選ぶか、残り4曲のうち1曲を選ぶか。
残ってる曲はむずかしいわよ。あっと、10-12”革命”をやってなかたわね。
実は、この曲はエチュードでは、普通の難しさかな」
エチュードの残り4曲は気になって、何度もCDを聞いて試しに弾いてみたりもしたけど、
あと、2か月で出来るかといわれると、ソナタ次第なんだよな。
レッスンがおわり、先生のお宅を出る。
一階建てだけど、敷地が広く、楕円のピアノ室のある先生の家。
定期的にレッスンに来るのは後2回。最初こそ戸惑ったけど、先生も慣れなかった
ようだけど、波にのってからは楽しかった。
今日は風が冷たく強い。海鳴りが聞こえてくるぐらいだ。
あと1か月、お世話になります、と心で礼をして 家をあとにした。
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家では、雰囲気がヘンだった。
じいちゃんもばあちゃんも、疲れて考え込んでるし、山崎はふてくされた顔だ。
「どうしたん?なんかあった?」
山崎は、今で座り込んでいた所、顔だけ僕にむけて
「なに、”イヤ衛門”が、ひと暴れしたのさ」
「なに、そのイヤ衛門って」
ちょっと音楽室ではなそうぜの 合図。
そこで事情を聞いた。
「イヤ衛門は、最近の美里のこと。幼児のように、なんでも”イヤ”と反抗するんだ。
さっきは、夕食の手伝い、といっても箸を並べるだけだけど、おばさんが
美里に手伝いするように言ったら、イヤだ と反抗された。
おばさんも、”そうかい、じゃあ、食事はいらないんだね。ウチは病気でないかぎり
働かざる者、食うべからずが決まりなんだよ。これは、毎日いってるだろう”って、
そこで、美里が謝るかと思ったら、”じゃあいらない”ときた」
今までは、祖父母に反抗する事はなかったのに、どうしたんだ
「裕一が気がつかなかっただけで、最近は、小さい事でも我儘をとおす。
”この服は今日きたくない”とか ”まだ寝ない”とか。
今までは、おばさんが、軽く受け流してたんだけど、食事のルールだけは
厳しいだろ」
そう、もう一つルールがある。”野菜は残さず食べる事”だ。
僕も山崎も、実は野菜より肉 高校生男子だしね。
このぶんだと、もう一つのルールでもぶつかりそうだ。
「それだけじゃないんだ。実は昨日、あんまりせがむんで、母の所で美里だけ
泊まったんだ。そうしたら、オネショをしたそうで。その時の母の態度がショック
だったらしい」
オネショ?今までなかったきがするけど、たまたまなのかな。
「今までは、おばさんが気を付けて、夜に一回、起こしてたそうだ。
母も そういう感覚、忘れたみたいでな。
オネショした美里を、ビンタしたそうだ。まあ、俺はみた訳じゃないけど、
跡がついてたから、そこそこのビンタだろ」
僕は唖然としてしまった。
まあそりゃ確かに、キツい親ならオネショでビンタくらいは、昔ならあったかもしれない。
でもなあ。ひさびさに泊まる幼い娘にビンタとは、ちょっと度がすぎてるきもするが。
「山崎は、母親に怒ってるのかい?美里ちゃんにビンタした事で」
「いや、あの母親は本当はあんなもんなんだ。俺と美里が大嫌いなんだ。
別れた亭主に顔と性格が似てるからってな。思い出すんだろうな。
昔からかわいがるのは、自分似の長兄だけさ。」
ちょっと話が長くなりそうなんで、コーヒーを入れた。
コーヒーの味が、ない。そろそろ脳の考える力も限界か。砂糖を多めに入れた。
「ハッキリいって、俺でも手を余すくらい”イヤ衛門美里”は、手がつけられない。
俺が卒業したら、もう施設に入れるしかないかと 思ってる」




