スランプの横田君
"音大受験5人の会”は、今回は、湯川さんと横田君の演奏を聴く会&批評する
会になった。湯川さんは、シューベルトの即興曲3番、横田君はちょっと趣向を
変えて、バイオリンで音大を受けるという榎本さんという女子とデュオ。
曲は、ベートーヴェンのバイオリンソナタ 春。
湯川さんのシューベルトは、アップテンポで短調だけど軽快な感じがいい。
ただ中間部は、やりすぎかなと。。そういうと、
「中間部は、ネットリしすぎてたかな?わかってても、どうも
のっちゃうんだ。”嘆きの旋律”なんだろうけど、号泣しすぎると、
周りもしらけるっていうやつかも・・」
「っていうか、まだロマン派の最初のほうの作曲家だから、もっとあっさり弾いた
ほうがいいんじゃないかと・・」
シューベルトは古典派ロマン派の橋渡しのような存在だと、授業で聞いた覚えがある。
(そういえば、音楽史も復習しておかないとな・・)
湯川さんは、きっと、5人会のきままな雰囲気から、自由に弾いた結果なのだろう。
それとも、わざとかな・・どこまで自分の表現がこの曲で通用するか、
実験したのかもしれない。
横田君に紹介されたバイオリンの榎本さんは、受験のため札幌にレッスンに
通っているそうだ。今までの先生は、急病で去年お亡くなりになったとか。
高2のだけど、落ち着いた雰囲気の美人さんだ。
こんな美人さん連れてきて、さぞや鼻の下のばしてるかと思った横田君、
さっきから、うかない顔だ。何かあったのかな。
今日演奏するバイオリンソナタ「春」は、ピアノが伴奏以上の役割を果たしてる。
ピアノとバイオリンが同じ旋律を弾きあったりするからだ。
僕が母さんにダメダシをくらって何度も練習した曲だ。
今から思うと、それは当然の事で、ピアノ伴奏のイロハも知らない僕に、
母は”プロの伴奏者”にするような要求をしたが、最初から無理難題だったんだ。
途中、榎本さんが帰ったので、横田君に聞いてみた。
「もしかして、今日、デートの日だったとか?」
「いやいあ、榎本さんとは純粋に先輩後輩の間柄です。」
苦笑いしながらも、”そこは質問して欲しかった” て顔だったけどな・・
「まあ、私たちは新鮮で楽しかったけど、なぜ、この時期に”バイオリンの伴奏”
を弾いてみようと思ったの?今はもう11月。受験の曲の練習に入ってなきゃ
いけないんじゃない?」
湯川さんは、思った事をズバっと口にするほうだけど、他の3人も同じく
思ってるはずだ。いくら横田君だもって。
横田君のにこやかな顔が、ひきつって固まった。
地雷だったのかな。あまり感情を表に出さないタイプだけど、何かあった
いくらずば抜けて上手いといっても世間は広い。
芸大を目指すのなら、そう余裕はないはずなんだけどな。
横田君は、最初、口を一文字に結んでた。
「悩みがあるなら、口に出す方がいいよ。僕らは聴く事しか出来ないけど
話す事で、少しか気が晴れると思うよ」
河野君が、横田君のほうはむかないで言った。面と向かってはさすがに言いづらいだろうと。
横田君は、ピアノ椅子に座ったまま手を組み、ボソボソと話し出した。
「実は、僕の先生、最近、何も言ってくれないんだ。
そこはああしろ、とかこうしろとか・・9月くらいからかな。
最近じゃ、顔が怖い。怒ってるようだけど、練習はしてるし課題もこなしてる。
自分では上手く弾けたと思ってるんだけど。
でも、先生の苦虫をかみつぶしたような顔を見ると、本当は全然ダメだったんじゃないか
って、自信なくなってきて。」
僕を含めた4人は、黙ってしまった。
芸大合格間違いなしの横田君が、スランプ?今になって?
横田君の先生の、要求するレベルが急にあがったとか
「ピアノ練習してても、ぐるぐる悩むだけで、それで気晴らしに、アマチュアの
弦楽四重奏団の演奏会を聞きに行ったんだ。何かの足しになるかと思って。
まあ、そこで榎本さんと知り合ったのだけどね」
”榎本さん”っていった時の顔だけ、ちょっと笑顔だった。
(いいな、これが、恋の始まりってのかな)
「とりあえず提案なんだけど、今日は、横田正リサイタルにしないかい?
横田君は、弾ける曲を何曲か弾いてみる。そうして僕たちが聞いてみる。
解決策がわかるかどうかは別として、これも一つの気晴らしになると思うよ」
河野君の、”全国レベルの横田君のピアノを聞きたい”っていう本音も入った提案だ
「それはいいわ。弾いてる時は悩みを忘れてリサイタルのように弾くのね」
篠原さんの意見だ”悩みを忘れる”ってとこがミソだ。
そうして始まったリサイタルでは、バロック、古典派、ロマン派 といろいろな曲を
横田君のピアノで聞く事が出来た。
上手い、さすがだ。としか言えなかったけど、何曲が聞くうちに あれ?って
感じた事があった。”ここは今までの横田君らしくないな”みたいな。
念のため横田君のピアノ演奏を録音しておいた。
微力ながら、何かの役にたてばと。
さっそく、家で、横田君の弾いた曲を、PCで動画を調べたり、ウチにあるCDを聞いたり、
といろいろ聞き比べてみた。
少しわかったことがあった。
プロの曲は、言葉にならない言葉が聞こえる気がするんだ。それも一貫してる主張で。
もちろん、プロの演奏でも ”何考えてんだ?”てのもあったけど・・
横田君の演奏は、素晴らしいけど、それだけなんだ。
優等生っぽいっていうか、もちろん、心をこめて演奏してるんだけど、
何かが足りないんだ。きっと。
僕は、偉そうだけど、横田君に その事を控えめな表現でメールで伝え
念のための今日の録音した分も送った。
芸大を目指してるとはいえ、高校生とプロの演奏家を比べる事自体が、
意味ない気もするんだけど、何かの参考になればと・・・
横田君からの返信は、
”ありがとう。僕もいろいろ 聞き比べてみるよ” だった。
次の日の朝はやく、横田君からメールが来た。
{おはよう。いろいろとありがとう。少しわかった気がする。
僕は、本当に熱心に練習してたんだ・・先生の言う通りにね・・
でも、それだけじゃ、駄目だったんだ。そこに僕の音楽がないと、単に先生の
コピーでしかない事がわかった。やっぱり受験の事があったから、自分を
おさえてた所があるかもしれない。これでなんとかスランプからでたいよ。」
北海道で5本の指の1番目か2番目の横田君の演奏でこうなんだ。
僕の演奏なんて、今まで、西師匠は、ジレったく聞いていたのだろう。
さぞや退屈だったに違いない。
その夜は、今度は僕が夜通し、今までで録音した自分の曲を聴きなおす
事にした。恥ずかしすぎて途中で倒れるかも・・




