俊一叔父のチェロのいくすえ
東京からもどり、さっそく僕は、レッスンの復習をした。
レッスンの録音を聞いてみると、やはりベートーヴェン ピアノソナタ21番。
1楽章だけだけど、まだまだ時間かかるのが予想できす。
弾いてるうちに、少しテンポが速くなってるのが、録音をきき、やっと自覚できた。
僕は最初の部分は、少し前のめりでもいいと思うけど、自分が思う以上に
速くなってる。これじゃやりすぎだ。弾いてる時は自覚できないのだから
困ったもんだ。
21番の2,3楽章の譜読みをしてると、珍しく祖父が、入って来た。
「裕一が練習中なのはわかってたけど、忘れないうちに言っておくよ。
明日、盛田さんが、俊一さんのチェロについて、お願いがあって
ウチにくる。盛田さん、明日、老人ホームのボランティア演奏を
するそうだ。音楽家ってのは、移動距離の長さは苦にならないようだね」
盛田さんというのは、プロの演奏活動を引退し、今はもっぱら、ボランティアで
いろんな施設での慰問演奏活動をしてる人だ。
最初に会ったとき、一見、気難しくみたけど、話すと気さくで飾らない人柄だった。
「盛田さんに会うのは2年ぶりぐらいだったかな?
60をとおに超えてるのに、自分で車を釧路から運転してくるのだから
すごい。それと、じいちゃん、プロの音楽家は移動しないと、基本、
仕事にならないよ。オーケストラでさえ、あの大所帯+楽器を移動して
演奏旅行するのだから。」
父はものぐさな性格も手伝ってか、あまり実家に連絡はしてこない。
祖父も気兼ねして電話連絡しないのもあるけど、父親と息子の距離って
独立してしまうと、こんなものなのかな。
”まったくアイツも風来坊だ”と祖父は言って出て行った。
じいちゃん、風来坊じゃないよ。本人、そうなりたくてもなれないよ。
父は。頼もしい事に、演奏会の予定でビッチリだ。さっき事務所のHPで確認した。
今頃、柿沢さんにビシバシ働かされてるよ。
さて、そろそろ12時だ。ピアノはこのくらいで、勉強にかかるか と
僕は背伸びをした。飛行機での移動も結構疲れる。東京は暑かったし
おっと、忘れるところだった。
メンデルスゾーンの「無言歌集」って、こっちに持ってきてるはず。
次の八重子先生の自由曲だ。はやく選んで練習しとかないと。
僕が、棚をガサガサ探してると、山崎が来た。
「練習中、悪い。うん?探し物か」
「だったけど見つかったよ。」
僕は「無言歌集」の楽譜を見せた。
「裕一、脇坂を勉強会に誘ってくれてありがとな。おかげで、だいぶ英語の
長文を読むコツみたいのが、わかったよ。
それと、さっきおじさん・おばさんには話したんだけど、母さん、
だいぶ調子がいいんだ。このぶんだと、来月中ごろには退院できるそうだ。」
「それはよかった。でも、退院してもあまり無理できないんじゃない?
入院期間が長かったし」
山崎の母さんは、肝臓が悪い。肝臓には、疲労とストレスが大敵なんだそうだ。
(脇坂が父さんに聞いてきたところによるとだ)
「うん、それで進路がどうなるにせよ、俺が高校を卒業するまでは、母さん、
一人暮らしで体をならしてって話になってる。
世話になってばかりで、申し訳ないが、後、半年、よろしく」
”就職の件、どうするの?”と聞きたいのを、僕は我慢した。へんな圧力をかけたくない。
「卒業まで半年か。長かったようで短かったか。僕は冬休みの間は
東京の家でびっちり受験勉強するつもりだから、
冬に雪かき要員がいて、安心だ」
”おう、まかせろ”と笑う山崎、僕は音楽室のライトを消して、2階の自室に
あがった。勉強は、疲れてたのか、少しだけでそのまま、机で寝てしまった
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あくる日、僕が学校から帰ると、盛田さんが居間で祖父母を話しをしていた。
「やあ、裕一君、ひさしぶりだね。元気にしてたかい?あ、受験で
大変な時期にはいってたかな。」
笑いうと皺の出来る顔で、盛田さんは 僕を見た。
”ピアノの練習、進んでるかい”って言いたそうな顔だ。
比較対象がないので、わからないけど、少なくても順調には進んでる。
っていうか、夏前くらいから、曲の進度がはやくなった。難しくなってるのに。
もう少ししたら、受験で弾く曲を 選び、集中的に練習しないと。
バッハの平均律集から1曲、ベートーヴェンのピアノソナタから1曲
ショパンのエチュードから1曲。
もちろん、簡単な曲や緩徐楽章は 試験曲からはずされるので気を付けないと。
「今日、やっとうこちらに伺う事が出来たよ。
君の叔父さんのチェロの事なのだけど、無償で貸与してくれないだろうか?」
無償で貸与・・つまり、ただで貸してくれってことだ。
「実はね、僕の教え子に優秀な子がいるんだ。その子に俊一君のチェロを弾かせて
あげたい。今まで彼は分数楽器だったからね。
いきなりのお願いで、びっくりさせてしまったかもしれない。
俊一君のチェロを見た時から、その事は、考えてはいたんだ。
でも、そのチェロを弾くには、体が小さかったというか・・」
盛田さんは、彼がいかに優秀でセンスがいいか僕に 語りだした。
「わかりました。これは叔父の予備楽器ですが、役にたつのなら、
どうぞ、持って行ってください。学校訪問で演奏会を熱心にひらいた叔父ですから
自分のチェロが、後進の役に立つのなら大歓迎だと思います」
本当は、ちょっと寂しい気持ちもある。
弾かない楽器をねかせておくのも、気が重い。
盛田さんは、後で本人を連れてくるからといって、叔父のチェロを持っていった。
チェロのない音楽室は、やっぱりちょっと寂しい。
僕の小さい時に死んでしまった叔父だが、今は幽霊?、魂だけの存在になって、僕の音楽室にいる。
霊感のあるばあちゃんには見えるのだけど、僕はピアノに集中しすぎてて、会えなくなってしまった、
ばあちゃんが言うには、庭の見える窓の傍に、立ってるらしい。
チェロが音楽室からなくなったその夜、夢の中に俊一叔父がでてきた




