ショパンの心、ベートーヴェンの心
西師匠と話してるうちに、飛行機に乗り遅れてしまった。
あわてて、チケットのキャンセルと再手配をし、家と学校に連絡した。
あせった。
帰りの電車の中で、僕は師匠と話した事をいろいろ思い返してみた。
ー・-・-・-・-・--・-・--・-・-・-・-・-・--・
レッスンの最後に僕の弾いたショパン夜想曲20番は、自分ながら、よく出来た
と思った。師匠はちょっと含みのある笑い顔だったけど。
「この曲は、ショパンが姉のために、ピアノ協奏曲の練習用として、また、
ちょうど、ショパンが片思いで苦しい心情がこめられてる、っていう話だ。
真面目な裕一のことだ、調べてはいるんだろうけど。
片思いの苦しくてせつない、それでいて無気力な心が、よくでてる。
表現は、ほどよく抑制されてて、申し分ないんだけど、自分で”抑制”
してるのかな?
薄皮一枚、かぶってるようなもどかしさが、チラっとするんだ」
薄皮一枚か・・・ならば、僕は大分”努力の成果があった”ってことだ。
師匠の耳はあなどれない
「本当言うと、僕は恋愛どころか、片思いの経験すらないです。
で、何か自分で、ピっとくるものがなくて、友人に”失恋の描写がある小説”
を教えてもらって、読みました。
薄皮一枚、被ってるように聞こえるのなら、本で読んだだけの体験だから
かもしれません」
クラスで国語の得意な竹中さんに、短めの恋愛小説(失恋あり)を教えて
もらったんだ。ネットで公開されてた無料の小説だったけど。
竹中さんおすすめだけあって、感心して読んだけど、”読んで追体験”までは
いかなかった。
「なるほどね。曲を聞いてて裕一君、ひょっとして失恋経験あり?
とか思ったけど、今いち確信がもてなかったんだ。
曲のエピソードを体験しなくても弾けるものなんだ。
エピソード自体、あやしい時や、後世の人の後付ってのも多いからね。
強引にワクにはめないほうがいいよ。標題音楽じゃないんだし」
ショパンの曲には、作者が具体的に名前をつけた曲は多くない。
「別れの曲」だってエチュードop10-3だ。
「そうそう、ベートーヴェンのソナタだけど、どっちも中期の名作だから。
特に26番は、ベートーヴェン自身が題名を楽章ごとにつけた曲だ。
もちろん、”告別”って名前は、告別式の告別じゃないよ。
ベートーヴェンの弟子でパトロンのルドルフ大公が、一時、ベートーヴェンの
元をはなれたんだ。2楽章は、不在、3楽章は再開 って名前だ。
ベートーヴェン自身が名前をつけたソナタは、「悲愴」とこれだけなんだ」
家に帰って調べないと、それにしても”ワルトシュタイン”と”告別”か。
師匠は、ショパンの心もいいけど、ベートーヴェンの心も考えておいで
と言われたけど、ショパンの心もわからない。心というより、真髄って
ところかな。
どんな真髄ってどんな感じだったっけとか思ってるうちに、停車駅につき
僕は、あわてて電車を降りた。
家は無人だった。東京の家は警備会社に警備を頼んでる。
僕は都築さんに電話して事情を話し、家にはいった。
でないと、不審者扱いされるからね。
家では、さっそく練習と思ったけど、お腹の虫がなった。
暑くて食欲ないはずなんだけどな~。
コンビニ弁当で空腹をみたすと、さっそく練習にとりかかった。
(ネットで調べようとしたら、PCがなかった)
”告別”か~。3楽章で一つの物語の完成だけど、この曲は具体的なんだな。
楽章ごとに名前をつけるくらい、ベートーヴェンにとっては、ルドルフ大公って
大事な人だったんだ。パトロンだから、ってのも理由の一つではあるけど、
弟子だった。って事のほうが大きいかも。生涯、独身だったし。
寂しがり屋さん? 僕は、そう思いつくと、吹きだしてしまった。
ベートーヴェンの事を考えてたせいかな。その夜の僕の夢に、3頭身の
マスコットのような、ベンちゃんがでてきた。
ひさびさの登場だ。夢の中でピアノを練習してる僕のそばに、黙って
座ってた。僕は、ベートーヴェンじゃなく、この夢の中のベンちゃんの
弟子だったして。はは。




