イジメと悪ふざけ
あの後、主任先生が自殺希望の家出少年・小林健吾君の家へ連絡。
母親が出られないとうので、青野父さんと祖父で送って行った。
”すいませんね。暗くなってから健吾君をみつけて、親切心で
送ってあげようと思ったんですけどね。山さんとこで、ちょっと
話がはずんじゃってね。遅くなって申し訳ない”
母親は、眠そうな健吾君を心配するふうでもなかったそうだ。
それにしても、青野の父さんは健吾君の自殺をとめたのに。
じいちゃんは、”もし、自殺を止めた。家を追い出されたと言ってる”と
本当の事を言って、暴力でもふるわれたら大変だから。と言っていた。
損な役回り。願わくば、健吾君の被害妄想と魔が差した の二つであってほしい
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2回目の八重子先生のレッスン。
いつも、ソナタが最後になり、途中半端になるので、今回はソナタから
レッスン。18番は、弾いていて明るい曲。
このソナタの作曲された年、ベートーヴェンは”ハイリゲンシュタットの遺書”を書き、
自殺しようとした。耳の病のひどくなったベートーヴェンは、
本当に絶望してたはずだ。でも、16番も18番も明るくユーモアに富んでる。
遺書を書いた事で、ベートーヴェンが心の整理ができて、開き直ったとか?
健吾君の自殺未遂騒ぎで、そんな事を思い出しながら、弾きだした。
1楽章は音符のやたら多いところで、止められた。
「ただ、拍子に合わせるんじゃなくて、若干、抑揚をつけてね」
「でも、、古典派の曲でいいんですか?」
「そこが、さじ加減。やりすぎると、ベートーヴェンじゃないし、
やらないと、練習曲の一節に聞こえるから」
うm、納得。
2楽章は、当然のように、左手が注意された。
「音が重いのよね。でも、軽い音で弾いて。なんてったって、スケルッツオ
だし。」
弾きなおすと、また、ストップがかかる。
「機械的すぎるかな。そうね。”中年オヤジの鼻歌”くらいの感覚で」
「ここはこう、ペダルでいいですか?盛り上がれみたいな。」
「できれば半拍でペダルはなして。そのほうが軽いでしょ、でここの
箇所で、ブワっと盛り上がる。どう?」
僕は2楽章を最初から弾きなおした。ついでに自分のやり方でも弾いて
比べてみた。盛り上がりは後ろのほうがいい。ペダルは、ノーペダルでも
出来ないだろうか・・検討だな
3楽章は、ふざけるなっていいたいくらい、速い。
ちょっとベートーヴェン、躁状態?遺書はどうしたんだ?ってツッコミいれたい。
これはもう、先生からは、「速く、軽く、ユーモアをもって」だけで、
ちょこっとリズムを工夫すれば、メリハリも出て来た。
エチュード25-5は、1度弾いて、もう一度繰り返し。
「この曲は、わかりづらいから、何度でも弾いて習熟してくださいね」
以上、レッスン終わり。
先生のお宅のある春採の高台から、湖畔にある河野君の家にいつもの
5人が集まった。
「横田君、全道大会は?いつ?」「1か月後だったかな・・」
「な~に、余裕なのね」
横田君、女子二人にいじられまくり。
僕は、河野君に”八重子先生のくじ引き曲キメ”の話をした。
同門の園崎さんは、なにそれ?私にはしてくれてないって不満顔。
「謝肉祭」の1曲目を引いてしまったよ。って僕が苦笑すると、
横田君が、その曲なら僕、弾けるかな。
と、バラバラっと弾きだした。
違う。僕と全然。僕は気持ちが先行して技術がついていってない。
この曲は、しっかりひけたうえで、余裕でテンポゆらせますって
感じでないと、曲の表情がでないんだ。
「多分、先生は裕一君の、表現の幅を広げたいのかもね。
裕一君、さっき弾いてたの、「イタリア協奏曲」でしょ?バッハの
もしかして、案外、ロマン派の曲、レパートリーが少ないとちゃう?」
湯川さんに言われてみればそうだ。
中学校までは師匠の課題中心で、ロマン派の曲は、中学校に入って
少しづつさらってただけ。
「僕は、ラヴェルでもピアノ協奏曲とか、ガーシュインとか、リズミックな
曲が好きだな。裕一君と河野君は?」
横田君の質問に、”私は断然、リスト”と湯川さんが答えた。
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家に戻り、練習中、今日の横田君の質問が頭をよぎった。
課題で苦労して練習した曲は好きだ。後、聞いた瞬間、ピっときたのは、
印象派の曲がおおかったかな~。でも、バッハもすてがたい。
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あくる日、学校から家に戻ると、山崎が美里ちゃんと健吾君が
遊んでるのを見てた。
「ほら、今日、小学校の終業式だったろ。それで、また、美里が
持ち物を隠されたりしないかどうか、見に行ったんだ」
「お前、それで学校を早退したんだ?過保護すぎだよ。
先生方も、気を付けてるだろうし。もう心配ないんじゃない」
山崎のいかつい顔に、過保護な性格。美里ちゃんがお嫁さんに行くときには
号泣する兄だな。カッコ悪いぞ
「それが、偶然、健吾君が鞄をとられ、持ち物をばらまかれてるのを見てな。
俺は、なんでやりかえさないんだ?って思ってたら、やり返そうにも
男子も女子も、健吾君が近づくと鼻をつまんで逃げてく」
「で、思わず、家に連れて来たと・・ついでに、鞄をぶちまけた男子に
怒鳴ってやったかい」
心優しい山崎は、健吾君以外には、”怖い顔で怒鳴る高校生”にしか
みえなかったろう。報われないな。
健吾君は遊んでるというより、美里ちゃんの話し相手になってるようだ。
前より、いい顔してた。で、服は前と同じ服装だった。
(洗濯したわりには、同じところに汚れがついてるし)
髪も汚れてた。土でもかけられたようだ。
祖母はおやつとお風呂の用意。祖父は健吾君のクラス担任に、出来事を報告。
どんなにネグレクトが疑われても証拠もない。両親も揃ってるなら、
祖父母も含めて、僕たちに出来ることは、このくらいしかない。
祖父は 帰り際に健吾君に、10円とうちの電話番号と名前の紙を
小さく折りたたんで、お守り袋に入れた。
「また、うちに遊びにおいで。美里もまってるから」
山崎の誘いに、健吾君はニッコリ笑うと。祖父の車で帰っていった。




