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冬のザルツブルグで考える

結局、それぞれの悩みをかかえながらも、ザルツブルグで楽しみ、そして考えます

ひとしきり話し終わると、また、橋田は無言になった。

彼に、少し心の余裕がでてきたのか、ザルツブルグの旧市街を、

二人でブラブラ歩いた。


旧市街は、建物も昔のままという雰囲気。観光地ということで、

通りの両側には、アンティークや土産物屋が並んでいる。

でも、”日本の観光地のにぎやかさ”とは違う。

第一、縦看板がでてない。呼び込みの旗もない。


どこを見ても、日本語がないので(当たり前)別世界だ。

建物が石作りなせいか、何かの圧迫感のようなものがある。

こういう街を、モーツァルトは巡り歩いて演奏会をしたのか。

人種差別するわけじゃないけど、ヨーロッパの人が、モーツアルトを弾くと、

似合いすぎて(当たり前だ)、僕が弾いても、かなわない って敗北感すでにある。


丘の上にある、ホーエンザルツブルグ城に行ってみようということになり、

なんとかバスで行くことができたが。城の中は、予想に反して暗かった。

城からは、街の様子が一望できた。

田舎の中の街だ。郊外には農地・牧地が広がっている。


時計を見ると、もう昼だ。

僕らはあわてて旧市街に戻った。で、演奏会場のモーツアルトテウムってどこ??

二人で地図を広げ、会場に向かうが、道に迷ってしまった・・


「もう、面倒だな・・帰ろう、フケようぜ」

「だめだよ、皆待っていたとしたら、迷惑かけるし」

「上野は、あいかわらず真面目だな」


英語と地図と身振り手振りで、なんとか演奏会場前にたどり着いた。

おなかが空いたけど、しょうがない。


オペラではなく、「フィガロの結婚」の演奏会形式だった。

後、ベートーヴェンの交響曲1番

オペラ「ドン・ジョバンニ」の序曲。

ベートーヴェン1番は、聞いていて モーツァルトっぽいなって曲だった。

・・それにしても、お腹がすいた。橋田もそうだろう。


演奏会が終わり、ホテルザッハーに帰る途中、どこかで食べ物を調達

しようとしたが、店やは軒並みしまっていた。

ギリギリ6時前なんだけど・・・

レストランが開いていた。僕と橋田では、気をくれして、橋田母&友達と

一緒に入った。そこは、モーツァルトの曲の演奏を聴きながら食事の出来る所。

橋田母&友達は、とても喜んだ。もちろん、普通の食事の値段+α で高め。

それに、ホテルの食事をキャンセルすることになる。

橋田母は、添乗員さんに連絡をしたが、ホテルで渋い顔をしてる

添乗員さんが目に浮かぶ。


演奏つきの食事は、僕は大満足だった。

まあ、添乗員さんには、後で深々と謝っておかないとな。


ホテルに着くと、さすがに疲れが出て来た。

橋田も疲れたのか、ベッドでグタっとしてる。

橋田のいろんな悩みや愚痴は、今日は聞かずにすんだ。

さっき食べた食事の話や、街について話てるうち、疲れて、そのまま寝た。


三日目の演奏会は、昨日と同じ、”モーツアルテウム”で 午前11時から。

それまでは、自由ということで、僕と橋田は旧市街を歩き回る事にした。

ミラベル公園とかも綺麗なんだけど、今は冬だ。

でも、冬の旧市街は、雪が薄くつもり、絵のようだった。

モーツァルトの生家へ行ってみることになった。

そこは、家と家がすきまなく建ってるうちの一つで、今は、モーツァルト博物館

になってる。ちなみに、モーツァルトは、この家を一度出た切り、死ぬまで

帰ってこなかった。旅から旅の人生だったそうだ。


三日目の演奏会は、オペラ「魔笛」序曲。ピアノコンチェルト21番、交響曲40番。

どれも、モーツアルト作曲。僕は、コンチェルトを楽しみにしてる。


コンチェルトの演奏者は、レオニード・シュトルツという人。

演奏は、どちらかというと、ロマンチックな演奏をする人だなという印象だった。

特に2楽章は、甘いメロディに聞こえた。

僕には、このメロディは、静かな午後のひと時の曲にしか、思えなかったけど。

ホテルに帰り、橋田に感想を聞いてみると、僕とは違っていた。

ちょっとクセがあるけど、あのくらい情感がこもっていて、いいとベタ褒めだった。

僕は、ほめも批判もしなかったけど、感動もしなかった・・感性が鈍いのかも・・


最終日、4日目はザルツブルグ大学ホールでも、ピアノコンサート。

奏者は、昨日のレオニードさん。曲は、モーツアルトのソナタと幻想曲。

昨日の演奏会に比べると、少な目の人数(ホールの関係で)

演奏は、ソナタは、僕もやった事のある曲ばかりで、勉強になるか・・といえば、

僕は、参考程度だろう。僕なら、”あそこは、ああは弾かない”って箇所が

何か所か・・そう感じながらも、演奏の中に入り込んでしまった。

奏者がプログラム全体を通して、何か話しかけてくるような気がした。


橋田は、多いに感動しまくったようで、

”俺もあんなモーツアルトを弾きたい”と大絶賛だった。

橋田の”ピアノ恐怖症”は、これで少しよくなるだろう。

演奏後、観客の大絶賛でもなければ、ブーイングもなかった。

ブーイングがないということは、いい演奏だったのだろう。

きっと中には、橋田のような感想をもつ人もツァーの中でいるはずだ。

僕は、音大生のメンバーに聞いてみた。

意見は、分かれた。絶賛の人もいれば。あんな弾き方はちょっと という人。

もちろん、僕のように、ああいう弾き方もありなんだな と思う人も。


父、せっかく企画してくれたけど、僕の中ではモーツァルトは、保留だ。

きっともっと研鑽して 自分の中でモーツアルト像みたいなのが出来ないと、

話にならないのだろう。そこでやっと、出発点になるのかもしれない。


成田に戻ってきたのは、朝の11時。

僕は、橋田と(仲良くなった)昼ご飯を一緒に食べた。

和食が食べたかったので、蕎麦定食を食べた。

橋田は出発前より、幾分、明るい顔をしてた。


「上野、ありがとう。いろいろと世話になった」

「いや・・僕は何も。元気になったようでよかった」

「僕は、僕の演奏に自信をすっかりなくしてた。ピアノの先生は、

もう一度、正岡先生にアタックしてみるよ。それで、先生が僕に教える気がない

っていうなら、今度こそ先生を変える」


橋田に”がんばって”って激賞した。彼は基本、強い人間でいたいんだ。

僕なら、”失望した”なんて言われたら、すぐ先生を変えてもらう。

帰る前に東京の家によったけど、誰もいなかった。

僕は、羽田からウチへ祖父母のいる摩周町へと帰った。

父は柿沢さんのいう所の期限がきてるから、もうNYだろう。


帰ると、いないはずの父が、まだいた。もちろん元気でシャンシャンでだ


「おかえり。裕一、さっそくだけど、是非、スコアの清書、やってほしい」


ははは・・・笑うしかないよ、父。旅費の分くらいは、働くよ僕は。



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