偶発の同刻 その八
――おそらく、この白い帯に巻きつかれると動けなくなるのだ。右足はどうやっても動かない。
千輪は脚のリングを解除し、今度は膝関節を挟むように出現させる。
三本の帯が向かってくる。これに四肢を巻かれたら、もう終わりだ。
千輪は右足を地面につける。右足は動かない。だが、私のイマジンなら何とかなる。
右膝に巻きついている帯をつかむと、大きく腕を伸ばし体を捻じりながら円を描くように強く引く。帯の塊は引っ張られ、正面かはわからないが、真正面に倒れる。右足が踏ん張る。帯をさらに引く。帯の塊は横に引きずられ、同時に向かってきていた帯が塊に釣られて逸れる。塊は塀に衝突し、ぐだぐだにほどける。
千輪はこの隙に繋がれた帯を手刀で断ち切ると、ぎくしゃくした動きで帯の山から距離をとった。
「あり得ない」
リネンが言った。
「確かに膝に巻きついている。体を支えたり、移動したりはできないはずなんだ」
「だが、動きがぎこちないぞ!」
帯の山を越え、カザマが迫る。膝の帯を外したい。その時間はない。
千輪は両腕を立て、頭を守る防御姿勢をとる。その隙間を白い影が横切る。
下校する生徒たちの向こう、皆瀬の視界に千輪の姿が映る。彼女はイマガイズを発現させている。
倒れた千輪を挟むようにして、他に二人のイマガイズも見える。〈ウィズダム〉のメンバーではない。脱走者だ。
「だが、なぜ戦闘になっているんだ!」
千輪には〈エデンの外〉と関係した記憶がある。だが〈リビジョン〉とは関わりないはずだ。
皆瀬の仮面がぱしっとひび割れていく。笑顔の形に歪められる。
千輪は立ち上がるが、動きがおかしい。どう見ても劣勢だった。
「クリーク、千輪さんを助けられないか」
その言葉を合図に、クリークが皆瀬の背後から突風を伴って飛び出す。肩に乗るほどの大きさの体から、想像もできないような馬力が生まれている。猫のような体のときとは比べ物にならないパワフルさだ。
千輪が何か白いものを壁に叩きつける。そこを狙って、緑の男が走る。クリークはそれにぐんぐんと追いついていく。背後から飛びかかる。
カザマの頭が下がり、クリークをかわす。同時に脚が持ち上がり倒立すると、地面をとんと叩いて飛び上がる。そのまま捻りを加え、顔を防御した千輪の頭上を越えて行く。
なんだあの動きは。不自然だ。それにクリークに気づいた様子もないのに攻撃を回避した。
そしてクリークだ。彼は空間を繋げる力を失ってしまったらしい。しかし、今度の体は想像以上に力強い。
クリークは千輪の背後、彼女と脱走者たちを隔てるように躍り出る。砂ぼこりが白く短い股の間に起こり、通り抜けるとすっと消えて行く。
「皆瀬くん!」
来てくれたのだ。千輪は皆瀬の誠実さに感謝する。
皆瀬は千輪に駆け寄った。
「よかった。間に合った。けれども、思っていたよりも深刻みたいだ」
情報の共有が先決だが、イマジンでそれをするわけにはいかない。また気絶する可能性があった。口頭で伝えていく。
「彼ら〈リビジョン〉ですって。私を攫うつもり」
やはりそうか、と皆瀬は思った。
「千輪さん自体が狙われているのか?」
「理由はわからない。見ての通り、どちらもイマガイズよ。緑の男は、なんだか知らないけれど、こちらの攻撃が全く当たらない。もう一人の金色の方は、そこに帯の山があるでしょう? あれがイマジンみたい。油断して巻きつかれると、その部分が動かせなくなるの」
千輪は防戦一方だったのではなく、戦いの中で多くの情報を得ていたようだ。
「走れるかい?」
千輪は膝に巻かれていた帯を引きちぎる。少し足を動かすと、
「ええ、いけるわ」
と言った。
「新たなイマガイズか。なぜ彼がここに来る?」
カザマが顎に手を当てる。
「やはり〈ウィズダム〉が先に接触していたのでしょう」
「あの白いの……。見かけにそぐわない敏捷性と膂力を備えている。だが、さほど問題はない。計画に変更もない」
「了解です。彼女を捕らえます」
「先ほどの女の動き。あれは明らかにリネン、お前を狙っていた。注意しろ」
リネンはそれには答えずに叫ぶ。
「カザマさん! やつらが逃げる!」
皆瀬と千輪が背を向け、走り出した。他の生徒にまぎれていく。カザマが駆けだす。帯の山はしゅるしゅると縮小し、消滅する。リネンがカザマの後を追う。
攻撃が当たらないカザマ。じわじわと追い詰めるリネン。この二人を同時に相手にするのは危険だ。特にカザマのイマジン、あれはまるで未来が見えているように背後からの攻撃を避けた。しかし、その後のアクロバティックな動きは未来を予知するイマジンでは説明がつけられない。何度か攻撃を繰り返さないと、謎は解けないだろう。それをリネンが許すとは思えない。
だから逃げる。
皆瀬が駆けつけたとき、カザマは走って千輪へと向かっていたが、そのスピードは一般的な成人男性のそれだった。リネンのイマジンも素早くはなさそうだ。そして下校中の生徒が追手の視認性を大きく下げてくれる。生徒にまぎれてどこかの路地に飛びこめば、それだけで追跡は難しいはずだ。
クリークを抱え、千輪の手をとると皆瀬は生徒の波に割って入る。前へ、前へ。頃合いを見て路地に飛びこむ。さらに一回角を曲がる。
息が上がっている。千輪も呼吸が荒い。塀に背中をつけて呼吸を整える。
「少し時間が経ったら、移動を開始しよう」
「逃げ切ったの?」
「おそらく……」
皆瀬は角から覗きこむ。ぎょっとした。緑のコートが見えたからだ。すぐに頭を引っこめる。
やはりカザマには未来が見えているのか? いや、路地を一つひとつ改めているのかもしれない。すぐに立ち去る可能性だってある。
「ここだ」
カザマが呼ぶと、生徒の中からリネンが路地に現れる。
「この先の角を曲った」
ばれている。皆瀬は千輪に向かって首を振る。
「やるしかないのね……」
クリークが僕の腕から飛び降り、角を曲がる。それに二人も続いた。
「降参するつもりは……いや、無駄な説得か。目を見ればわかる」
「ええ。ちょっと無茶をさせてもらいます」
皆瀬の仮面にぼうっと光が灯る。千輪の前腕を乳白色のリングが覆う。クリークが両腕を前に構える。
「やれやれ。君も頭を冷やす必要があるようだな」
「本当は戦いたくなんてないのに」
リネンの正面に白い帯が渦巻きながら出現し、一つの人型の塊になる。カザマが走り出した。
皆瀬の眼光は鋭い。仮面のひびに青紫の光が流れる。
空中遊泳をしていたエイラと北城ミズハ。その高度が徐々に下がり始めた。
「ハスバたちは上手くやったみたいね」
「よかった。でも、私たちはどうするの?」
「そうね。こうするわ」
エイラは突然、北城を突き放した。エイラは地上に、北城は空中方向に飛んでいく。
「仕方がないのよ。他に方法がなかったのだから」
「エイラさん!」
北城は空中でもがくが、方向も変わらなければ何もつかめもしなかった。
エイラは自分の影を立体的にする。同時に影のスプーンを持っている。それを電柱の陰に突き刺した。掬い上げる。スプーンの中にはタールのような色合いのとろりとした液体が溜まっている。それをミズハの方へ向けて飛ばす。
液体は何もないはずの空中へぶつかる。重力で垂れるように広がっていく。形がだんだんと明らかになる。円柱の長い何か。
ズオッ!
突如、北城の眼前に斜めになった真っ黒な電柱が突き出した。シルエットではなく、確かな立体になっている。
「影はつかめる」
北城は慌てて影電柱のボルトをつかんだ。次の瞬間、体ががくんと下にさがる。体の重さが戻ったのだ。
「間に合ったわね」
電柱の根元にエイラが歩み寄った。北城は懸垂して電柱の上に乗ると、傾斜のついたそれを滑り下りた。
「びっくりしたわ。まったく、センセイってみんなむちゃくちゃなのかしら」
エイラの口角が上がった。
「ところで、ここはどこかしら。ずいぶん飛ばされてしまったようだけれど」
北城は辺りを見回した。
「飾有アーケードの近くのようね」
突然、辺りに甲高い悲鳴が響き渡った。
「トラブルは続くもの……か」
「近いわ!」
悲鳴はその角を曲った先から聞こえた。




