偶発の同刻 その七
「言わんことではない。後は軽く押しやってやれば終了じゃ。ほっほっほっ……ほ?」
アトモスは異変に気づく。フレームの歯車がアトモスの体を透過している。それは胸倉をつかんでいた手の前にも現れ、同様に体内に半ば埋まるようになっている。
ハスバのイマガイズが今までにない音を立て始める。巨大な機械が末端からゆっくりと、しかしとてつもない大きな力を伝え始めた音。それはやがて巨人の歯ぎしりのようになる。
ゴリゴリ、グギギ。
腕の先の二つの歯車。それぞれ逆方向に回転を始めた。
アトモスの体は透明な歯車に固定されている。体を内側から捩られ、老人は野太い悲鳴を上げる。
「結合」
ガツン!
さらに、歯車がアトモスの体内で噛み合わせられた。通常では考えられないことだが、組み合った歯車はお互いの力を合わせたかのように、より力強く回転を生みだす。
ばりっ!
アトモスの胸が大きく裂ける。よろめき、
「ほ、ほ、ほ……」
とんと腰を落とす。ぽつりと言う。
「わしは、もう、だめじゃ……」
ちらりとウズを見る。彼女は路地から一歩を踏み出そうとしていた。アトモスはゆっくりと首を振ってみせる。
ハスバは歯車を地面に接すると、軽く回転させる。宙に浮いたからだが弧を描き、綺麗に着地する。
「まだ、くたばらないのか。イマジナルだからな。なら、話せることを話してもらおう」
「わしはな、気に入っておったんじゃ。この体をのう」
「何のことだ」
ハスバが聞き返す。
ウズは逡巡した後、路地の奥へと消えた。
「じゃから……まさか、首輪をわし自ら外すことになるとは、思わんかった」
アトモスの首からするりと首輪が落ちる。体がぶくぶくと膨張を始める。
「元の体に戻れるのか」
ハスバは踵に透明な歯車を出現させる。歯車は地面を透過し、がっちりと捉える。車輪のように回転させると、ハスバは後退して行く。
アトモスはすぐに人の形を失った。服が裂ける。体積が八倍、二十七倍と増加する。ビルの隙間いっぱいの風船のようになると、ようやく膨張は止まる。フジツボのような突起がまばらに生えている。そこから青白いガスを吹き出しながら、ふわふわと宙に浮かんでいる。一昔前の怪獣のきぐるみのように、ぽつぽつと穴が並んでいる箇所が四方にある。あれが目なのだろうか。
「それが本来の姿か。どこに首輪がはまっていたんだろうな、いったい」
ハスバが与えたダメージは小さな避け目となって残っている。そこからもガスが漏れ出していた。
アトモスが一回り小さくなった、かと思うと猛烈な勢いで突起から、圧縮された青白いガスを噴出する。まるで突風だ。
風はビルの間で反響し、壁面にしがみついていたコタツを襲う。脚がすくわれる。伸ばした手が窓の縁から離れる。その瞬間、岸戸がコタツの腕をつかむ。
「コタツ! 離すなよ!」
コタツは無言で岸戸の腕にしがみつく。体が旗のように煽られ、岸戸ごと引き剥がされそうだ。
ハスバは強風の中、平然としている。透明な歯車による足元の固定はかなり強力らしい。その後ろ、オウナの体からも重さが消え、ふわふわと浮き始めている。
「セ、センセイ! 僕も浮いてしまいます」
「やつに一発ぶちこめ。後のことは考えんな」
「わかりました!」
オウナがハンマーで地面を叩く。広範囲のアスファルトの質感が布のようになって浮き上がり、ハンマーに収納される。同時に、反動で彼女の体は浮き上がり、くるくると回転しながらアトモスへと向かう。
アトモスはじわじわと大きさを取り戻していく。元の大きさになれば、またあの突風が来る。
オウナは回転のままにハンマーを叩きつける。アトモスは柔らかい。その上、オウナとそのハンマーは質量を失っている。表面に傷一つつくことなく、弾き戻されてしまう。だが、突如アトモスの表面が黒く変化する。表面積の三分の一ほどがアスファルトに変化した。
「センセイ! やりました!」
そう言いながら、オウナがハスバの上を通過して行く。ハスバはハンマーをつかんで彼女を地面に下ろす。
ハスバの踵の歯車が回転し、今度は前進する。高速でアトモスへと接近して行く。右腕の前に身の丈ほどの巨大なフレーム歯車が出現する。ゆっくりと回転を始める。回転音は高く、激しく。
アトモスは膨張を続けるが、それ自体によってアスファルト部分が壊れることはないようだった。だが、そこに回転速度を上げた巨大歯車が触れると……。
ぱりん。
アトモスの体が歯車の直径に丸く切り取られる。歯車にアスファルトが取り込まれ、一緒になってぐるぐると回っている。
「やはり薄っぺらだ。オウナのイマジンで完全にアスファルトになってやがる」
空いた穴からゆっくりと、濃い青白色のガスが流れ漏れる。
ハスバは歯車を振り抜く。アスファルトがその分取りこまれる。同時にそれらアスファルト片が歯車の回転に乗りながら衝突し、アトモスの体を抉っていく。さらに歯車を振るう。歯車が通過するごとにアトモスの表面はごっそりとなくなり、ガスがどんどん漏れていく。
イマジナルの表面は張りを失い、ついにへにゃへにゃと地面にへたった。
歯車の回転が緩んでいく。それはもはや透明ではなく、アスファルトでできた黒い歯車だった。完全に回転が止まると、歯車に取りこまれていたアスファルトは、ばらばらと地面に散らばる。
周囲のガスが晴れる。
「おっ。重さが戻ってきたみたいだ」
と岸戸が言い終わらないうちに、コタツがビルの壁面から飛び降りる。彼は途中に設置した石球の側面を蹴り、難なく着地する。
「ユウ兄ちゃんもおいでよ」
「なんだか、難しそうだぞ」
「いいから、いいから」
意を決して岸戸は飛び降りる。瞬間、まずいと思った。この蹴り方では石球に届かない。思わず目をつぶる。
ぐいと身が引かれたように感じた。気づくと、岸戸は石球の真横に立っていた。
「おお?」
顔を横に向けると地面が見える。なんだか妙な気分だ。
「へへへ」
コタツが得意げに笑う。石球から飛ぶと、今度は地上に着地できた。
墜落した気球のようになったアトモスの周りに、皆で集合する。
第六巡回班岸戸、第二巡回班コタツ、第三巡回班ハスバとオウナ。全員無事である。
「第三巡回班のおかげで、どうにかなったな」
「岸戸さんには、以前助けてもらいましたから」
「和んでる場合か。人型イマジナル全員が、このレベルの能力を持っているとすると、こいつはかなり厄介だぜ」
その事実を受け止めたように、皆が沈黙した。
しばらくして、コタツが口を開く。
「センセイは?」
岸戸も慌てた。
「そうだ! ミズハと一緒に飛んで行っちまったんだ」
「大丈夫だろう。ついさっき、メッセージが来てたからな」
そうは言いながらも気になるらしい。ハスバが携帯を耳の歯車に当たらないように、少し遠ざけながら使った。
「でねえな」
ハスバが携帯電話をしまった。
「ミズハもでないぞ」
「何かあったんでしょうか」
「〈WIZ〉では商店街の傍に表示があるよ」
「行ってみるか。そういや、岸戸。皆瀬はどうした?」
岸戸ははっとした。皆瀬と別れてから、かなり時間が経っていた。ちょっとした用事であれば解決して、もうそろそろ連絡があってもいい頃だった。
「悪いけど、エイラさんとミズハの方にはハスバさんたちで行ってくれ。俺は用事を思い出した」
「用事だあ? おい、待て岸戸!」
ハスバの制止も聞かず、岸戸は学校へ向けて走り出した。
「あいつは仕方がねえ。こっちはこっちで、ちゃっちゃと確認するぞ」
ハスバの踵に歯車が現れ、高速で回転する。一度地面を捉えると、猛烈な勢いで前進する。コタツの正面には石球が現れ、彼はそれ足場に空中の最短距離を行く。オウナはと言うと、
「……ちょ、ちょっとセンセイ! 僕も乗せてくださいよ!」
完全に出遅れていた。ハスバが待ってくれる様子はない。オウナは必死に走った。




