偶発の同刻 その三
――没落街、廃ビル群。そこで戦闘が行われているとは思えないほど、辺りはしんとしていた。
ビルの壁面に二つの人影が確認できる。エイラとコタツ、第二巡回班だ。
彼らは、はめこみ式の窓の窪みに手足をかけてつかまっている。その体勢を維持するだけでもやっとだと思えるが、意外にも二人は片手で体勢を維持し、体を斜めにして下方を窺っている。
エイラとコタツはイマガイズを発現していた。
エイラのイマガイズは黒い烏のようだ。目元から鼻先までを覆う。中央が高く、下に向けて尖っていくフォルムが彼女のシャープな印象を際立たせている。表面は滑らかなのに、まるで内部で光が乱反射しているような輝きを放っている。目の部分には、ほとんど黒に近い藍色の平行四辺形がはめこまれている。
目を引くのはエイラの影だ。彼女自身は何も持っていない。だが、その影の手には長い得物がある。その先端は丸く、柄は細く、華奢なつくりだ。スコップというよりスプーンに見える。
コタツのイマガイズは、複数のブロックで組まれた石像のような外観だ。丸く顔全体を覆うデザイン。右目の部分が緩やかに窪んでいき、ぽっかりと穴が空いて本人の目が見える。全体は石灰に泥を混ぜたような色合いで白っぽく、小さな欠けが所々に目立つ。端の部分、右目の同心円上寄りに瑞々しいまでに艶やかな赤色部分があり、岩石の部分と対照を成す。その境界は炎のようにギザギザで曖昧なグラデーションになっている。
コタツは被っているキャップのつばを真後ろに向けている。彼の戦闘態勢だ。
彼らの視線の先、二人の人物がいた。
一人は禿頭で恰幅のいい老人。首輪をした人型イマジナル、アトモス。
彼はエイラとコタツを見上げる。愉快そうな笑いが静寂を破った。
もう一人は路地の陰に隠れるようにして、アトモスから距離を置いている。マフラーをした少女、ウズだ。彼女はイマガイズすら発現せず、全く戦闘に関わっていない様子だ。
アトモスはそれを咎めない。彼はコタツとエイラに呼びかける。
「いつまでそうしておるんじゃ。壁にくっついていても、わしは倒せんぞい」
アトモスは、ほっほと笑った。
「あからさまな挑発よ。応援が来るまで」
エイラの言葉が終わる前にコタツが壁を蹴る。
「……待てるはずがないのよね」
呆れるエイラをよそに、アトモスへと直進する。彼の前に、イマガイズと同様の外観、炎のような模様のある石造りの球体が出現する。直径は一メートルほど。それはコタツを先行し、彼が通るであろうコースを中心にぐるぐると回転しながら前進する。同時にそれは軌道上に小さい球体を複製する。その分、先頭の石球は縮んでいく。球の螺旋が出来上がった。
その間をコタツが真っ直ぐに突きぬける。螺旋を進むにつれて、彼の体は錐揉みに回転を始める。球体はコタツが通り過ぎると中心からさらに離れるように間隔をとり、広がる。もはや回転の勢いは独楽のようだ。コタツは鋭く足を突きだす。
アトモスは防御姿勢をとらない。出っ張った腹に、コタツの蹴りが直撃した。
「元気がいいのう。なかなかいい攻撃じゃったぞ」
アトモスの腹に渦巻きが刻まれる。だが、微動だにしない。
「それでは、こちらの番じゃな。ほれ」
アトモスはすっと手の平を差し出す。コタツは腕を胸の前に構え、防ごうとする。アトモスの手がコタツの腕にとん、と触れた。
コタツの上体がのけぞる。そのままぐるりと縦に回転し、石球の螺旋を逆戻りしていく。回転は止まらない。コタツは腕を伸ばし、石球を操作する。一斉にコタツに向かいながら、まるで液体のように合体し、元の大きさになっていく。
本来なら、それが何らかの解決策になるはずだったのだろう。コタツは目を見開いた。
「勢いが、止まらない!」
コタツはぐるぐると回転しながら、放物線を描かずに真っ直ぐ吹き飛んでいく。石球へと手を伸ばす。指がかかりそうだ。突然、石球が遠くに離れた。ぐるぐると回転しながらの操作で平衡感覚を失い、ビルの壁面に衝突させてしまったのだ。吹き飛ぶ勢いはまるで衰える気配がない。
「だから言ったでしょうに」
エイラの足元から、黒い液体が零れ落ちる。いや、液体ではない。それは人の形をとるとすっくと壁面、エイラの足元から立ち上がった。これは影だ。エイラの陰が空間に直立している。
それは真っ黒で巨大なスプーンを持っている。陰から生まれたのに彼女と同じ姿勢をとっていない。影は独自に動き、飛来するコタツに向かってスプーンを差し伸べる。
「腕を真上に伸ばしてなさい」
コタツは指示に従う。手の平は背後に向けられ、指は何かをつかもうと彷徨う。
「ああ、何かをつかめるって意味じゃないから」
コタツの背中にスプーンが直撃した。それを軸に、回転の勢いですっぽ抜けそうだ。間髪いれず、影がもう一方の手でコタツの手をとった。
あの勢いと回転にしては、スプーンにぶつかった衝撃は小さくみえる。影が引き寄せる。コタツは壁にしがみつくと背中をさする。
「見事、見事。間一髪だったのう」
アトモスがぱちぱちと手を打ち鳴らす。
「センセイ、何か方法は」
「ないわ」
ほとんど遮るようにしてエイラは言う。
「待ちましょう。第六巡回班を」
路地の影、ウズが退屈そうに座りこむ。
「こいつは長引きそうだな」
長い溜息。
――通話を終えた私は、二人の男へと向き直り、数歩距離を縮めた。
「連絡はついたようだね」
ええ、と言うと、
「それで、話ってなんでしょうか」
二人の男に聞いた。
「場所はここでも?」
「構いません」
校門からは生徒が溢れ出していた。自分で言うと悲しくなってしまうが、私には友人があまりいない。皆、注目することなく三人の傍を通り過ぎていった。だが、この人混みでは、さすがのイマガイズといえども容易に手は出せないはずだ。
皆瀬が駆けつけてくれるまで、時間はどのぐらいだろう。三分、五分、もっとかかるだろうか。場所は伝えた。ここにいれば、皆瀬が見つけてくれる。ここで、その時間を稼ぐのだ。
年配の髪を後ろに流した男は、うなずくと話を始めた。
「まずは名乗らせてもらおう。私はカザマ。こっちはリネンだ。我々は〈リビジョン〉という組織のものだ。我々や君のような特別な力を全ての人が持つ世界。それを理想に掲げている。特別な力……我々はイマジンと呼んでいるが、これは素晴らしい力だ。隠したり、誰かが独占していいものではない」
「漠然とだけれど、素晴らしい思想のようですね」
言葉だけだ。表面上は同意しておいた。〈リビジョン〉の考え方は皆瀬たちの〈ウィズダム〉と相反すると、すぐに気づいた。
カザマは表情を緩めた。
「それならば、話は早い。〈リビジョン〉に協力してほしいんだ」
「協力と言うと?」
「それは、俺も知らないことだ。だが、君にしかできないのは間違いない」
「危ないことにはなりませんよ。大丈夫です」
カザマの言葉に、にっこりしながらリネンが補足した。
聞こえのいい言葉で包んではいるが、なるほど、彼らも多くは語られていないのだろう。説得は即興だ。つまり、彼らが与えられた指令は私の勧誘ではなく、もっと強引なものだと推察された。
だが、なぜ? 私のイマジンは贔屓目に見ても便利だ。だが、誘拐まがいをしてまで欲しがるものかと言われると首を傾げてしまう。〈リビジョン〉は私のイマジンで何をするつもりなのだろう。
「私にしかできない……。重要なことですか?」
「おそらくは。詳細については、我々のリーダーに聞くといい」
この流れはまずい。
「そうですね。コモンさんに一度会ってもらいましょう」
とリネン。
このままでは、彼らの要求を突っぱねるか、この場を離れてどこかに連れて行かれるか。この二択。前者では、彼らは強行手段に出るだろう。二対一。相手のイマジンもわからない。後者では、皆瀬が私を見つけられなくなる。もう電話をかける口実は作れそうにない。
どちらも避けたい。警戒していないと思わせつつ、もっと話を長引かせられないだろうか。
「あの……〈リビジョン〉でしたっけ、組織についてもっと知りたいのですけれど」
カザマは髪を後ろに撫でつけた。
「それなら、リーダーに会ってもらうのが手っ取り早い」
「僕たちも詳しくは知らないんです。あなたのイマジンもそうですし、それで何をするかも知らされていない。コモンさんに聞くのがいいですよ。なんなら、今からご案内します」
二人は私が組織に興味を持ったと勘違いし、妙に乗り気だ。完全にコモンというリーダーに引き合わせるつもりでいる。カザマは、触れないように私の背中側に手を回し、今にも歩きだしそうではないか。
だめだ。これ以上話を引き出せない。
「お断りします」
「は?」
カザマが素っ頓狂な声を出した。
「断ると言ってるんです。やる気なんでしょう?」
カザマとリネンは唖然としていた。私はイマガイズを発現させた。
「かかってきなさい」
避けられない選択って、あるのよね。




