認知の溝 その一
今では、僕、ユウ、ミズハと、いつも三人一緒だ。
それでもユウが渋ったのには理由がある。ミズハとゲームセンターの組み合わせがまずい。行くことに決まれば、追々どうしても思い知るだろう。
挑発するミズハに対して、ユウが思わず奥歯を合わせた。
「ぐぬぬ、余裕あるじゃないの。今に見てろよ」
ユウが熱くなっているのを感じた僕は、話を変えようと試みた。
「今日はゲーセンの前に行くところがあるだろ」
「おっと、そうだった。ミズハ、今日のゲーセンはおまけなんだ」
「他に用事でもあるの?」
僕にあったことを話してもいいか、とユウが目で訴えた。ミズハになら問題ない。僕は、いいよと言った。
ユウは、僕に何があったのかを手短に話し始めた。それで足りない部分は僕が補足していった。彼女は手を揉んだり、驚いたり、多少のリアクションを交えながら聞いていた。中でも、謎の生物がいると聞いたとき、彼女の目は大きく見開かれ、きらきらと輝いた。
「というわけでだ、まずはヒロの問題を解決するのが先な」
「それなら、もちろんよ。最近のアキヒロ、元気なかったものね」
「ミズハもわかってたのか?」
「そりゃ、あれだけぐったりしてればね。気づかない方が変よ」
同意するようにユウが大きくうなずいている。
「死体みたいだったからな」
「それは言いすぎよ。でも、話してくれてよかったわ」
隠そうとしたのは思った以上の失敗だったようだ。
「ごめんな」
「いいのよ。私もユウも、なんだって協力するんだから」
「そうだな。遠慮は、なしだ」
ユウが僕の首に腕を巻きつけ、グイッと引き寄せた。
「おい、ユウ、よせって」
僕は笑いながら引き剥がそうとするが、ユウの力が強くて上手くいかない。ミズハは小さくため息をついた。
「男の子って、こういうの好きよねえ」
その場から離れようと誰からでもなく歩きだしたとき、ミズハは何気なく教室の中に目をやった。
「あれ。あんな子、あなた達のクラスにいた?」
ミズハが言うのは、授業が終わったのに帰り支度もせず、机に着いて本を読んでいる女の子のことだ。
「ああ、最近まで休んでたんだよ。知らないのも無理ないな。チワ、何さんだっけ」
「そっか。転校生が来たとは聞いてないから、不思議に思ったのよ。あんた、クラスメイトの名前ぐらい覚えなさいよね」
「いや、ほんと最近なんだ、来たの。ああ、名前出てこないな」
「千輪トウコさんだね」
僕は彼女の名前を伝えた。
「おっ、そうだそうだ。ヒロ、よく知ってるじゃん。もしかして狙ってんの?」
「狙ってるって何だよ」
「ふうん」
ミズハが意味ありげに唸る。
確かに千輪トウコは美人だ。だがミズハのように目を引く感じではなく、道端のシロツメクサのように、それと注目して初めてわかるような美しさだった。無口で大人しそうというか、僕は授業の発表以外で話しているのを聞いたことがない。いつも自分の席で本を読んでいて、どこか陰がある。そういった子だ。
本当にたまたま名前を覚えていただけなのだが、こういう話になると二人とも変に盛り上がってしまう。あまり刺激しないように軽く否定したが、彼らは納得がいかない様子だ。もう行くぞ、と僕が率先して歩きだすと、二人ともしぶしぶ教室を後にした。
「アキヒロって動物に懐かれる方だっけ」
「懐かれてるのかなあ」
半分疑問、半分否定で首をかしげた。
「案外、そうかも知れんぜ」
「僕はともかく、部屋は気に入ってるみたいだ」
「アキヒロには厄介でしょうけど、私は興味あるなあ。珍しい動物なんでしょ?」
「珍しいというか、あんなの見たことがない」
「話だけじゃ、ちょっと思い描けないよな。早く見たいぜ」
「そうねえ。ピンとこないわね」
「ワクワクするな」
「ワクワクするわね」
ユウとミズハが興奮していた。
「だんだん他人事になってきてないか?」
「そんなことないわよ。それに私とユウがいれば大丈夫」
「ヒロ……俺に任せろ!」
ユウは顎に軽く手のひらを当て、りりしい表情を作った。
「ユウがふざけているのはわかったよ」
僕がそう言うと、ミズハが思わずふき出した。
三人で他愛もない話をしながら歩いていると、いつの間にか僕のアパートに着いていた。
僕はもう心配していなかった。部屋は狭いし、三人がかりなら捕まえられる。根拠はないが、前向きにそう思えたのだ。
「狭いけど、どうぞ」
ドアを開けて二人を招き入れた。
「おじゃましまーす」
「ふーん、これがアキヒロの部屋か。なかなか片付いてるじゃない」
ユウはさっそく謎の生き物を探し始めたようだ。僕の部屋には何度も来ているので勝手は知ったものだ。ミズハは男部屋が珍しいのか、きょろきょろして落ち着かなかった。
そのとき、僕を違和感が襲った。はっきりとしないが、今までを滑らかだとしたら、微かにざらざらしたものが雰囲気に混ざった。明るく前向きな気持ちに一筋の影がかかったようだった。
肝心の生き物はどこにいるのか。僕も部屋を見回した。本棚にはいない。そこから少し視線を落とすと、すぐに発見できた。
やつは最初に見つけた場所、壁と机の隙間からこちらを窺っていた。見知らぬ人が来たので驚いて隠れたのかもしれない。やつの体は十分に露出しているが、こんな隅では見落とすのも仕方がない。
「それで、例の生き物はどこにいるんだ?」
「見当たらないわねえ」
「どうやら急に人が来てびっくりしたみたいだ。そこにいるよ」
僕は隙間を指差した。二人は指差した方向を見るが、それでも視点が定まらない。
これだ。違和感。それは次の行動を起こしてはいけないという直感に変わった。例えば、もう一歩踏みこんで指で示したりしたら、僕は致命的な何かに気づいてしまう。動けない。しかし僕が何もしなくとも、それは無慈悲に訪れた。
「どこだ? 何もいないぞ、ヒロ」
ミズハも同意した。
彼らには見えていないのだ。