転覆 その一
僕はユウ、ミズハ、そしてクリークと共にラークへと到着した。
店の中へと入る。誰もいない。扉が閉まるとベルの音がからんころんと寂しく店内に響いた。
「誰もいないな。おーい」
返事はない。
「こんなことってあった? 今までは必ずイナリさんがいたわよね」
「なかった。妙だ」
ラークが襲撃されたのだろうか。それにしては店内が綺麗だ。戦闘の形跡は微塵もない。
クリークが駆けだし、カウンターに飛び乗った。その奥を手で指し示した。
「下で皆と一緒にいるのかもな」
「打ち合わせでもしているのかしら。行ってみましょ」
エレベーターが軋み、がちゃんと音を立てながら下層に到着した。
部屋に入ると、イナリ、カナタとヒカゲが揃って僕たちを見た。今までにない様子だ。カナタは心底慌てた様子でマイクに噛りついている。ヒカゲは落ち着かない様子でベッドの周りをうろうろしていた。イナリは彼女たちを心配そうに見守りつつ、彼も個人の端末でどこかに連絡を取っているようだった。
カナタは電話を置くと、僕の方へ駆け寄ってきた。
「大変、大変なんだよう!」
「何かあったんですか?」
人型のイマジナルの件は後回しにせざるを得ない。それどころではないと三人の様子が語っている。
「巡回班と連絡が取れないんだよ!」
「連絡が取れないって、携帯電話持ってるんだろ?」
「とにかく、こっちにに来て」
カナタはモニターの前に僕たちを誘導すると、いつも座っている席に着いた。キーボードを操作し、モニターに町の全景を表示させる。
「要請したイマジナル討伐は順調に解決が報告されてたんだ」
「イマジナルとの戦闘が長引いてるって理由じゃないわけか」
「そもそも、複数の巡回班と連絡が取れないって時点でおかしいわね」
「その後、続けて戦闘と思われるエネルギー反応が各地であったんだけれど、すぐに収まったんだ。不測の事態なら連絡が来ると思ったんだけれど、一向に来なくてね。こちらから連絡しても応答がないし……。今、ハスバさんたちが第一巡回班の捜索に、エイラさんたちが第五巡回班の消息を追ってくれてる。チヨさんにも町のカメラやマイクから情報を収集してもらってるんだけど……」
「待ってください。二つの班だけですか? 他の巡回班は?」
「君たちは別にして、第二、第三巡回班とはすぐに連絡が取れた。第一、第七巡回班の位置情報は送られてきているけれど、応答がないんだ。第四、第五巡回班に至っては位置情報すら送られてないんだ」
センセイの安否が不明だ。無事なのだろうか。
急にカナタの目の前のモニターが切り替わった。表示されたのはイマガイズを装着したチヨだ。
「失礼するよ、カナタちゃん。だめだわ。巡回班はあちこちのカメラに映ってはいるんだけど、そこを通った、あるいは通ってないのが確実になるだけで、君からもらった巡回情報の裏付けにしかならなかったよ」
「チヨさん、ありがとう。第三巡回班にはそのまま向かってもらうね。第二巡回班にはキジマさんたちを探してもらっているけれど……」
「カメラに全く映らず移動するのは無理だよねえ。第五巡回班は〈WIZ〉から反応が消えた時点の、その場にいる可能性が高いんじゃないかな。それとは別に、ちょっと気になることがあったんだ」
「なに?」
「第四巡回班だよ。彼ら、今日ちゃんと巡回してたの?」
「うーん、連絡は来てないね。いつものことだと思ってたから。でも、あれ? 今日は位置情報が一回も送られてきてないや。〈WIZ〉を起動していないのかな」
「変だね、おかしいねえ。彼ら、カメラに映ってないんだ。この町のどこのカメラにもね。まあいいや、それも含めて、引き続きあちこち見てみるよ」
「うん、よろしくね」
モニターは乱れながら元の地図画面に戻った。ふと僕はその歪んだ画面に既視感を覚えた。どこで見たのだろう。もちろん町の全景図はこの場所や〈WIZ〉の画面で何度も見ている。それではなく、乱れた状態の画面が引っかかるのだ。思い出せない。
「カナタさん」
電話をしていたイナリがカナタを呼んだ。
「ハスバさんです。こちらに戻ると。報告があるそうです」
その言葉が終わらないうちにカナタの手もとの呼び出しが鳴った。カナタはマイクの傍にあるボタンを押し、それに応じる。
――いや、おかしい。キジマは思った。セイジュにしては足音が重すぎる。まるで二人、いや三人分よりもさらに大きな体重をその音からは感じる。それに、この臭いはなんだ? 明らかに焦げているのはたんぱく質。だが、牛や豚のような食欲は感じない。なんだか、肺がむかつく臭いだ。
イセキも異常と判断した。イマジナルの頭部と鎖の連結を解除する。消滅しかかったイマジナルががらんと音を立てて転がる。太い鎖は意思を持ったようにうねり、イセキの正面に展開する。
突然、路地の陰から黒い影が飛び出した。キジマたちは警戒する。だが、それは路地の突き当たりにぶつかると地面に落ちた。動かない。
それはイマジナルだった。鋭い牙を持ち、強靭な四肢を備える、中型犬サイズのイマジナル。野良ではない。これはセイジュのイマジンだ。
セイジュのイマジンはシンプルで、噛みついたら離さないイマジナル。ただそれだけだ。だが、それゆえに吹き飛ばされるのは不自然だ。こいつは標的に噛みついたが最後、セイジュが命令しない限りどんなことがあっても離れない。敵に噛みつけばもう梃子でも引き剥がせないし、吹き飛ばされても何かに噛みつけば停止できる。まとわりつき、噛みつき、強靭な四肢で踏ん張る。敵の動きを制限しつつ、体力を奪うことに特化したイマジナルなのだ。そのイマジナルが吹き飛ばされ、壁に激突したという事実。見ると、イマジナルの口いっぱいにはみ出るようにして、一つの石が詰まっていた。
路地角の足音が近づく。ぬっとセイジュの姿が現れた。キジマとイセキは、思わず視点を上げた。セイジュが宙に浮いていたからだ。地面から離れた脚は力なくぶら下がっている。頭をわしづかみにする、巨大な手。セイジュの頭からはぶすぶすと煙が上がっている。セイジュのイマジナルが、すうっと消滅していった。
キジマは個別行動が失策だったと悟った。
「――だから、いけないと言ったんですがね」
と棺のイマガイズ。
彼の足元からは腕や足がにょきにょきと生えている。上等なスーツ、カジュアルなスニーカー、日に焼けた肌、重厚なブーツ。それらはずぶずぶと地面に沈んでいく。
それを男の傍らでじっと見つめる人物。首輪をつけたショートカットの女性。腹部に攻撃を受けたはずだが、見た目には何ともない。綺麗なへそがある。
「フラーさん、こんなにバラバラにしては、さすがに使いようがありませんよ」
手と足の位置は妙に離れていたり、角度がおかしかったり、異常だった。それらは地面に潜っていく。やがて見えなくなる。
その異様な光景がなくなると辺りの様子が浮かび上がった。一面、血濡れだった。
女性の肌にも血がついている。だが、妙だ。血にはモザイクタイルのようにきっぱりとした直線の縁ができている。それが肌にいくつもあり、赤い斑になっているのだ。返り血ならもっと広範囲に浴びるはずで、しかも勢いに応じた飛び散る飛沫が描かれるはずだ。直線にはならない。
「いけなかったのか?」
「なに、構いませんよ。機会はこれだけではないですからね。さて、もう帰りましょう」
――ハスバ達、第三巡回班が到着したのは、それから十分と少し経った頃だった。
「うう、酷い」
オウナが緑のイマガイズの上から口を覆う。
「普通、イマジナルに血液はない。人間だな、こりゃ……」
ハスバの歯車がカリカリと鳴る。暗くなり始めた山の中、地面が、草木が携帯電話のライトに照らしだされ、濃い陰影を作る。ハスバとオウナは地面を念入りに捜索する。
「反応はこの辺りだ」
「センセイ! ありました!」
オウナは小さな四角い板を掲げる。携帯電話だ。表面にぬめりがある。
「うわあああ! 血がついてますう!」
オウナは一歩引きながら、携帯をぽとりと落としてしまう。
「バカ! 何やってんだ」
ハスバは気にした風もなく血まみれの携帯を拾い上げる。
「こいつは、第一巡回班のものだ。つーことは、血も」
オウナは震えた。ハスバは自分の携帯電話を取り出すと電話をかける。
「イナリか。俺だ。本人たちは見当たらないが、収穫はあった。思っていたよりも深刻かもしれん。一旦戻る。ああ、伝えておいてくれ」
ハスバは電話を切る。
「オウナ、戻るぞ」
すたすたと歩き出してしまう。オウナはぼんやりと周囲を見る。薄暗い藪、林、血。ここで一体何があったのか。思考にふけっていると、いつの間にかハスバの姿が隣にない。
「お、置いていかないでください! センセイ!」
慌てて後を追う。




