ざわつく心悸
教師の説明が僕の頭の上を素通りしていく。
過去を振り返るとき、もっとも大きな区分として、よい日、悪い日と分けられる。もちろん、その一日にはいいことも悪いことも様々あっただろうが、総合してプラスか、マイナスかを判断できるはずだ。
しかし、僕の昨日はどうたっだのだろう。無事とはいかなかったが、クリークを救出できたのはいいことだ。しかし、悪いことに〈エデンの外〉から五人も脱走者が出た上、〈獣の男〉という〈ウィズダム〉と敵対する存在が現れた。よい日だったのか、悪い日だったのか。どちらの内容も重くて、それでも相殺されて普通の日になりはしない。
心の整理ができない。授業の内容は全く頭に入らない。漫然と出席しているだけなのだから、今すぐにでも巡回に出たい気分だった。
〈獣の男〉は脱走者という戦力を手に入れた。だが、その後どう出るのだろう。〈エデンの外〉のような〈ウィズダム〉に関連する施設を狙い、組織としての機能を麻痺させようするだろうか。大いに考えられる。ラークの所在地は知られていないと思うが、それは〈エデンの外〉も同じだった。安全だとは言えない。また、〈ウィズダム〉は脱走者を探す側ではあるが、反対にメンバー自体も狙われている。どちらにせよ十分な警戒が必要だ。
終業のチャイムが鳴った。今日からの巡回は厳しくなる。気を引き締め直さなければいけないだろう。
僕は帰り支度を済ませると立ちあがった。
「皆瀬くん、待って」
僕を呼び止めたのは千輪トウコだった。落ち着いた声だ。
突然倒れたのを最後に、話す機会を作れなかった。今日からはさらに難しい。一刻も早く〈獣の男〉を捕まえなくてはいけない。
「千輪さんか。体調が戻って何よりだけれど、ごめんね。用事があるんだ。急がないと」
彼女は十中八九イマガイズだ。早急な対応が求められていた。だが〈ウィズダム〉の現状、そして彼女が持つ〈エデンの外〉の記憶、これらを解消せずには話を進められない。
「話は今度にしよう」
「だめよ」
そこまではっきりと提案を撥ね退けられるとは思わなかったので、僕はすでに踏み出した一歩を巻き戻さなくてはならなかった。
「だめって、困ったな。すぐに行かなきゃいけないんだ」
「知ってる」
トウコははっきりと言った。
どういう意味だろう。迂闊に返答することができず、僕は言葉に詰まってしまった。
「私はあなたの記憶を見たから。あなたが私の記憶を見たように。だから知ってる」
確定した。やはり、あれは彼女の記憶だったのだ。そして、それが彼女のイマジンなのか。
僕は声を落とした。
「君には特殊な力があるのか?」
「ええ。あなた達流に言うなら、私はイマガイズ」
イマガイズ。この単語も一般人は知らないはずだ。どの程度か判断できないが、トウコが僕の記憶を見たのは嘘ではないと思える。
「記憶を見たからこそ言うのだけれど、あなた何者なの?」
イマジナルとの戦闘を指しているのだろう。確かに、あれは一般的には信じがたい体験だろうし、何のために僕たちが戦っているのかも伝わらないかもしれない。
「僕たちは町を守ってるんだ。簡単に言うとね」
彼女は微かに不満そうな顔をした。
「記憶を見たという意味が理解できていないようね。あなた達がなぜ戦っているか、それは知っているわ」
「じゃあ……?」
「私がわからないのは、あなた自身。あなたは何者なの?」
「質問の意味がわからない」
「自覚がないのね。なら、私が見た物を教えてあげる」
「待ってくれ。記憶は断片的に見えるんじゃないのか?」
「見たと言っているけれど、あのとき、あなたの頭に私の過去が記憶されていたのよ。自分の記憶と全く変わらないようにね。ただ、あのとき私は気絶してしまった。その時点でイマジンは解除され、自分ではない記憶が頭から消えてしまったのね。私は明確な目的を持って本を開き、目的の内容を読むことができたけれど、あなたはパラパラとページをめくっただけだった」
突然のことで僕は、千輪トウコの記憶全体を漠然と見てしまったのだろう。きっとそれで情報が断片化しているのだ。
「私が見たのは、あなたのここ数カ月の記憶。信じがたい内容だったけれども問題はそこじゃない。あらかた必要な情報はえたと考えてイマジンを解除しようとしたとき、気になるものがあったの。明らかにあなたのものじゃない記憶」
「僕のじゃないって、そんなの、君にどうやって判断できるんだ?」
「あなたは子供を産んで育てたことがある? 会社に勤めて上司に叱られたことがある?」
「あるわけがない」
「でも、あったのよ。あなたの記憶にね」
「前世の記憶とか?」
「前世なんてあるのかしら。少なくとも、私のイマジンの限りでは前世なんて、特に前世の記憶なんて信じる気分にはなれないけれど」
「じゃあ、なんなんだ?」
「私が知りたいのよ。今まで、何度か他人の記憶を見たけれど、初めての経験よ。それだけじゃない。その他人の記憶が、無数にあったの。それ気づいたとき、私の頭の中を大量の情報が荒れ狂って、わけがわからなくなったわ。そして気が遠くなった」
彼女が気を失った原因。まるで思考の穴だ。僕は自分自身に不安を覚えた。
「あなたは普通じゃない。だからこそ興味があるわ」
トウコはきっぱりと迷いなく断言すると、
「今日は私もついて行く」
と付け足した。
「それはだめだ」
僕は即座に反対した。
「私のイマジンが記憶を見るだけだと思っているのね。あなたの記憶を見た限り、私も戦える。足手まといにはならない。保障するわ」
「それでもだめだ。状況が変わった。詳しくは説明できないが、今までとは段違いに危険なんだ。連れていくことはできない。嘘だと思うなら、また僕の記憶を読めばいい」
千輪は一秒ほど思案した。
「……信じましょう。また気絶しても嫌だしね」
お互いの記憶を知ったせいだろうか。微かだが彼女との絆、信頼を感じたように思った。
「それじゃあ僕、もう行かないと。僕も君の記憶に気になる部分があるんだ。明日話そう」
彼女は軽くうなずいた。
僕はユウの元へ向かう。
「熱心に話してたから、邪魔しちゃいけないと思ってさ」
「変な気を回すなよ」
そう言いながら、僕はあの会話を聞かれなくてよかったと思った。思考の穴には、もう悩まされていない。イマガイズになり、本当のイマジンも自覚した。クリークも新しい体で僕の元に戻った。自画自賛となるが順調だ。それなのに再発を疑われるような、新しい不安と心配を生みだすのは避けたかった。
僕とユウはミズハと合流すると〈WIZ〉を確認しながら、巡回に向かった。
「さっき、千輪さんと話した。やはりイマガイズだったよ。明日、〈エデンの外〉についても話してみる」
「なんで〈エデンの外〉を知っているかがわかれば、彼女をどうするか決められそうね」
「敵意はなさそうだしな。了解。彼女はヒロに任せたぜ」
「話は変わるけど、アキヒロ。クリークはどうしたの」
「ああ、クリークならここだ」
僕は鞄を開いた。真っ白な頭が覗く。
「ずっと入れてたの?」
「無機的な体になったせいか、前より大人しいんだ」
「嫌がってる様子はないわね」
「体が変わった影響ってあるのかね」
「はっきりとしないけれど、声は出せなくなってるし、何かしらあるんだと思う。〈ウィズダム〉が狙われてることも含めて、今までになかった状況だ。気を引き締めて巡回にあたろう」
ミズハは〈WIZ〉を確認する。
「皆、警戒しているようね。すでにラークを中心に巡回班が散らばってる」
「ラークは〈ウィズダム〉の中枢だからね。あそこを潰されたら、組織としての機能が保てない。こちらとしても防衛の優先度は高いし、相手としても狙ってくる場所だ」
「けど、ラークの反対側、町の南端にある住宅街までは手が回ってないな。もやが少し濃いみたいだ」
「そこは僕たちが担当しよう」
巡回場所を住宅街と決め、僕たちは移動を開始した。クリークは鞄から飛び出し、短い脚で懸命についてくる。




