クマ殺し その三
元々ミズハに特別親しい誰かがいたわけではなかったが、彼女はこの件で完全に孤立してしまった。避けられても特別気にした様子はなかったが、彼女が窓際の席から外を眺める姿は、どこか寂しげだった。
放課後、僕が帰り支度をしていると、それを待っているユウがそわそわしていた。こういうときは大抵、何かしたいことがあるのだ。
「言いたいことがあるのか、トイレを我慢しているのか、どっちなんだろうな」
「トイレじゃないやい」
ユウは声のトーンを少し落として続けた。
「あのさ、北城のこと、どう思う」
「腕を折るのは、やり過ぎだったよ。とはいえ、相手がオオクマだったからなあ」
鞄に教科書と文房具を入れながら答えた。
「あいつ、ぶっきらぼうで冷たい印象だけど、実はいいやつなんじゃないかな」
「かもね。弱い者いじめを嫌っているのは確かだ。話してみたら?」
「よし、じゃあ行こうぜ」
「僕も行かなきゃだめか? 珍しく弱気じゃないか」
「だめだめ。俺一人だと、なんか軽い感じだろ。ヒロのその落ち着いた雰囲気が必要なんだって」
「そんなもんかな。なら、ついていくよ」
僕らは一緒にミズハのところへ行くことにした。彼女はまた外を眺めている。僕たちに気づいていないようなのでユウが声をかけた。
「おーい、北城」
くるりとこちらを振り向いた。やはり美人だ。これだけの動作に華がある。彼女はユウと僕を順番に指差した。
「岸戸くんと皆瀬くん」
ユウはいかにも嬉しそうな表情をした。
「お、名前覚えてくれてるんだ」
「クラスメイトだし、当然でしょ」
彼女は事もなげに言った。ユウが僕を肘で軽く小突いて目配せした。やっぱりいいやつじゃん、と言いたいのだ。
「あれ、すごかったな。俺、感心しちゃったよ」
当然、オオクマを懲らしめたことである。
「すごくないよ。嫌なやつだったから」
「腹立つよなあ。北城がやってなかったら俺が飛び出してたよ。腕だけじゃなく足も折ってたかもしれない」
「そうなの? じゃあ任せればよかったかな」
彼女は柔らかく笑った。僕はミズハが寡黙で刺々しい人物だと思いこんでいたが、それが間違いだと気づいたのは、このときだった。
僕たちはミズハを話しやすい人物だと思ったし、その雰囲気に彼女の口も軽やかになったようだった。
「それに腕は折ってないわ。肩の関節を外しただけ」
「だとしても、やり過ぎだったね」
僕は言ってしまってから、はっとしたが、ミズハは首を振ると、
「いいのよ。あいつ、力任せに拘束を振りほどこうとしたの。あのままだったら、はね飛ばされてしまったでしょうね。抑え込みはしたけれど、それで戦闘能力を奪えるわけじゃない。ああされたら、もう牙を折るしかなかったのよ」
とあまり感情を出さずに言った。
「理由があったんだね」
「なら、それをみんなにも説明すればいいんじゃないか? きっとわかってくれるぜ」
ユウが提案すると、ミズハは少しうつむいた。
「視界に入っただけで避けられちゃうもの。説明する機会がないわ。あなたたちみたいに怖がらないでくれたら、できるんだけどね」
「怖いとは思わなかったなあ。逆にスカッとしたよ。な、ヒロ?」
「僕もあいつは嫌いだったからね。胸がすく思いだったよ」
ミズハは照れ臭そうに頬を赤らめたが、それが怖がらないでくれたためなのか、行為を遠回しに褒められたためなのかはわからなかった。
「そうだ、俺たち、これからどこか遊びに行こうかと思ってるんだけど、一緒にどう?」
ユウの誘いは多少強引かと思えたが、彼女は嬉しそうに了承した。寂しそうに見えたのは間違いではなく、内面では人との繋がりを欲していたのかもしれない。
「どこにいくの?」
ミズハが尋ねると、
「うーん、決まってない。よし、ヒロ頼んだ」
と僕に決定権が振られた。
「いきなりだな。頼んだ、と言われてもね」
僕は考えこんだ。僕とユウが遊びに行くとゲームセンター、カラオケ、ボウリングなどが定番だった。僕ら二人だけなら迷うことがないが、ミズハはそういう場所で楽しめるのだろうか。僕がなかなか口を開かないのをみて、ミズハが切り出した。
「じゃあ私が決めていい?」
思わぬ積極性に僕らは少し面くらったが、彼女が決めてくれるに越したことはない。
「俺はかまわないぜ」
「せっかくだし、決めてもらおうか」
ミズハは少しはにかんだ。
「じゃあゲーセン」
「ゲーセン? ちょっと意外だな」
僕もそう思ったが、口には出さなかった。彼女は照れ隠しなのか、眉を寄せた。
「意外で悪かったわね。茶道教室にでも誘えばよかったかしら」
「それはお断りしたいな」
ユウはわざとらしくげんなりした顔をする。その顔のままユウが茶道をしている姿が頭に浮かんできて、僕は思わず吹き出してしまった。
「おい、なんで笑ってんだよ。なんかおかしいこと言ったか」
「いや、そうじゃないけどさ。ユウが茶道するのかと思ったら、なんかおかしくて」
「よせやい。俺は茶道の似合う男だぞ」
三人で笑いあう。
「じゃあゲーセンな。北城はすぐ行けるか?」
「ええ、もう荷物はまとめたわ」
ミズハは立ちあがった。少し考えるように仰ぎ見ると、決心したように言った。
「あと、私のことは、ミズハでいいから。北城って堅苦しくて好きじゃないのよね」
「おう、じゃあ俺も名前で呼んでくれよな」
「僕もそうしてもらえると嬉しいな」
彼女はにっこりと笑った。普段の表情も美人だが、笑顔はまた格別だった。ユウをちらりとみると、頬がちょっぴり赤くなっていた。
「よろしくね! ユウ、アキヒロ!」
こうして僕ら三人の関係が始まった。
一度打ち解けてしまいさえすれば、ミズハは快活で気持ちのいい性質だったので、僕らが仲良くなるのに時間はかからなかった。