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トラップハウス その五

 再び壁が揺れる。その中央からひびが全面に広がった。

「廊下に出てこないからって、無茶苦茶するわね!」

「部屋ごと潰す気かよ!」

 一定の間隔で壁に衝撃が走る。みしみしと軋む音、べきんと何かが砕けるような音。ドア枠は内側に盛り上がり、今にもそこから壁が壊れそうだ。

「まだヒロを自由にできてないってのに!」

「いやユウ、これはチャンスかもしれない」

 皆瀬が言う。

「まだ動けないんだぞ? 粘液を取り除いてる時間もない!」

「今までは粘液で足場が悪かったし、やつが遠距離から十分に加速した状態で接触せざるを得なかった。不利な状況だ。でも、この部屋の中は粘液も広がっていないし、部屋を壊して入ってきた瞬間ならやつの動きも鈍いはず」

「こっちから仕掛けられるってことね」

「でもよう……」

 岸戸はまだ不満げだ。

「僕のことは気にせず、イマジナルを倒してくれ」

 板にべったりと張りつけられた状態では説得力も何もないなと思いながら、皆瀬は言葉を続ける。

「ユウとミズハの粘着が勝手にとれたのは偶然じゃない。何か仕掛けがある。僕はそれを見つけ、自力で脱出する。大丈夫だ」

 だが、皆瀬が自由に動かせるのは両腕だけである。

「わかった。ヒロがそこまで言うなら、わかったよ」

「話し合いはもう終わった? 壁が壊れるわよ! ユウ、準備して!」

 北城が振り返り際、壁に向かって構える。髪が、帯が円を描いてその動きに追従する。

 岸戸が両腕に板を装着する。背後に流れるように白い蒸気が噴出する。板の幅は腕の二倍。肘から先をカバーしつつ、拳を握ると先が突き出る長さだ。

 皆瀬は二人の様子を見ながら、呼吸を整える。


 一際大きな破壊音とともに壁が砕け、瓦礫と共にイマジナルが横倒しに部屋に入ってきた。

 大きく開いた穴から、湿っぽい空気がどっと部屋に押し寄せてくる。

 やつは短い脚で体勢を立て直そうとしている。

 その隙に、岸戸が左右の金属板を突きさすように叩きこむ。金属板は、その柔らかい体に容易にめりこんだ。

 イマジナルは今までよりも高いごぽごぽした音を立てながら、身をくねらせ起き上がろうとする。

 間髪いれずに、飛びかかっていた北城が変形を大げさにした蹴りを放つ。どむんと鈍い音がして、衝撃が全身を波となって突き抜ける。イマジナルは苦しげに少量の粘液を吐きだす。

「効いてるぞ!」

「ユウ、続けていくわよ!」

「おう!」

 イマジナルにダメージはある。しかし、やつは起き上がるのを中断していたわけではなかった。

 短い脚が床を捉えると、一気に身を起こした。

 不意に体を起こしたイマジナルに対して、岸戸と北城は攻撃を中断し、やや距離をとった。

「見かけどおりタフなやつだ。柔らかいせいで威力が分散してるのか?」

「かもね。でも確実にダメージはあるわ」

 イマジナルは足を交互に動かし、体を回転させる。岸戸を正面に捉えると、口を開きごぽごぽと音を立て始める。

「正面はだめよ! またあの臭い液をかけられる」

「あれは、ごめんだな!」

 北城は機動力を活かして回りこみ、岸戸とともにイマジナルの側面を挟みこむように位置を取った。

 皆瀬の下の金属板が突然消滅し、薄い粘液の上に背中から落下する。皆瀬はとっさに身を捻り、足裏を粘液からそらす。粘液がわずかに飛び散る。粘着性が消え、元のドロドロした滑る粘液に戻っていた。


 皆瀬は考える。粘着力が消滅したことで金属板が解除されるたのか。ユウが金属板から離れているから……。二人の話の通り、勝手に粘着力がなくなったとも思える。しかし、タイミングと起こった事象。これらには意味がある、と。


 イマジナルは旋回しながら岸戸、あるいは北城を正面に捉えようとする。

 岸戸たちはその動きに合わせて回りこみ、側面を維持し続ける。時折、足に力をこめて横方向に体当たりしてくるので、側面も安全ではない。それを避け、あるいは防御しながら、二人は隙を見て攻撃を加え続ける。

 イマジナルはごぼごぼと鳴きながら、粘液をだらだらと垂れ流す。効いている。だが、動きが弱々しくなる様子はなく、未だ力強く二人を追っている。

 皆瀬は濡れていない足場を選んで立ちあがる。右足のグリップが弱い。少量の粘液が足の裏についているせいか。だが、これによって転倒することはないだろう。

 現在、イマジナルは部屋を丁度二分し、入り口側に北城、部屋の奥側に岸戸がいる。イマジナルの巨躯に視界が阻まれ、部屋の奥側からは北城の姿が見えない。

 自由になった皆瀬は岸戸と合流する。

「ユウ、自由になったぞ」

 岸戸はちらりと皆瀬を確認する。

「ヒロの言うとおりだったな。ここでなら思う存分、攻撃できる」

 イマジナルがぐるりと体の向きを変える。岸戸がぴたりと側面につくように移動を開始したので、皆瀬もそれに倣う。イマジナルが体の向きを変え終わった瞬間、岸戸は両手の金属板をイマジナルの体に深くめりこませる。

「だが、あまり近づくなよ。さっきから、かなりの回数、殴ってるんだが弱る様子がない」

 岸戸が金属板を引き抜くとイマジナルは口から粘液を零す。粘液はイマジナルの周囲に溜まり、広がり始めている。

「あれを見て。いつまでも続けていられないみたいだ」

「このままだと、この部屋も粘液だらけになっちまうな」

 イマジナルが倒れるのが先か、部屋が粘液に覆われるのが先か。後者の方が濃厚に思われた。

「一旦、引こう。粘液に触れてしまうと一気に不利になる」

 岸戸はうなずくと北城に声をかける。

「ミズハ! ヒロが動けるようになった。部屋を出るぞ!」

「ええ? このまま続けたら倒せそうよ!」

「足元を見ろ! 粘液が迫ってきてる!」

 北城は床を確認する。岸戸が言うとおり、足元まで粘液が迫ってきていた。

「わかったわ。先に脱出してる」

「おう」

 北城は、イマジナルが開けた穴から部屋を飛び出す。廊下のかなりの面積は粘液で覆われていた。北城は左右を見渡す。

 廊下の向かって左、一階から三人が上ってきた方向は、イマジナルと接触した際に粘液がさらに広がっていた。無事に足をつける部分はほとんどない。飛び石を渡るように、この滑る粘液を避けながら階段まで進むのは困難だと思われた。反対に右側、こちらはイマジナルが通った中央部分に粘液が塗られているものの、廊下の端は露出している部分が多い。左側と比べ、階段まで遠いが、途中に部屋が二つある。

「俺たちも部屋を出るぞ」

 岸戸は適度に金属板を撃ちこんでイマジナルの気を引きながら、旋回方向を誘導する。視界が開ける。壁はイマジナルが入ってきたときに半分以上なくなっていた。廊下が見え、北城の姿もそこにあった。


「無事みたいね。左は無理よ。行くならこっち」

 北城が先導し、右側に駆けだす。皆瀬と岸戸もそれに続く。

「手際がいいな」

「先に逃げてぼんやりしてるわけにもいかないでしょ。ところで、これからどうするの? 隣の部屋に行く? それとも階段まで行くの?」

 皆瀬が答える。

「同じ手が何度も通じるかどうか……。それに、この階は粘液が多すぎる」

「じゃあ三階もだめよね。確か、あいつが昇っていったはず」

「すでに粘液だらけになってるんだろうな。でも一階なら!」

 三人は走り続ける。部屋を一つ通り過ぎる。

 岸戸の予想は当たっているだろう。そう思いながら、ふと皆瀬は床の粘液が気になった。

 イマジナルが体で粘液を伸ばしてできた跡は微妙に不均一だ。それは当然で、イマジナルはここを複数回通ったのだ。全く同じルートにならない以上、通った跡は微妙にずれて重なり合い、均一の太さにはならない。

 だが、少しおかしい。イマジナルの足にも粘液が付着し、それがスタンプのようにいくつも押されている。それ自体は問題ないのだが、不可解なのはその向きだ。同方向に周回したのなら足跡の向きは一定になる。しかし、ここには逆向きの、しかも間隔の短い足跡がいくつも残されている。イマジナルが端で一度止まり、さらに引き返してきた……そんな場面が想像された。

 めきめきと激しい破壊音がする。イマジナルが穴をさらに大きくし、部屋の外へと出た音だ。くるりと三人がいる方向へ振り向くと、早速一歩を踏み出す。

「あいつ、また加速する気だぞ!」

「大丈夫、階段までは十分間に合……」

 突然、岸戸が立ち止まる。彼に軽くぶつかるように足を止めながら、皆瀬は言葉を切る。いや、先に止まったのは先頭を行く北城だった。

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