トラップハウス その一
辺りはしんとしている。右手に階段が、正面には広い廊下が伸びている。ビル内部はがらんどうではなく、部屋で区切られていた。幅のある廊下にぽつぽつと部屋の入口がある様子は、部屋数こそ少ないが学校のような印象を与えた。廊下の突き当たりにも階段があり、廊下の両端から上の階へ行ける構造のようだ。
「まずはこの階を探索してみよう」
二人はうなずき、移動を開始した。最初の部屋。ドアはスチール製で丈夫そうだ。ドアノブをユウが回す。
部屋の中には何もない。一目見て異常がないと確認できた。
「こりゃ探し易そうだ」
「次に行きましょ」
他の二部屋も同じ様子だった。一階の探索を終え、二階へ向かうことにする。階段は安っぽい作りで、階上の段構造が丸見えだった。踊り場で折り返して昇った次の階も、一見して同じ構造だとわかった。今度は左手に部屋の入口が三つ並んでいる。
「この階もぱぱっと終わらせちゃおうぜ」
「待つんだ。なんだろう、あれは?」
ずんずんと進もうとするユウを僕は制止した。
階段を上りきった一行の視界に、廊下の終端、宙にいびつな丸い物体が浮いているのが映った。
「何かしら? あれが反応源かもよ」
ミズハの言葉が終わらぬうち、そのクリーム色の物体はびくびくと脈動し始める。
「実体化するのか!」
だが距離が遠すぎた。それは急激に大きさを増し、そしてはっきりとした形を得た。
イマジナル発現の瞬間を僕たちは初めて見た。
「イマジナルだ!」
ユウの叫びで気持ちをスイッチする。
僕は真っ白な仮面を装着した。ユウとミズハは、それぞれイマガイズを出現させ、僕の前に一歩進み、構えた。
太った芋虫のようなイマジナルだ。象のような巨体が廊下の先に立ちふさがっている。表面は煤けたクリーム色で、カブトムシの幼虫のような規則的なしわが体表に刻まれている。目は小さく真っ黒で、頭部の側面に四つずつ、一列に並んでいる。口は単純な作りで、伸縮性に富んだ穴としか言いようのないものだ。呼吸に合わせて開いたり閉じたりしている。棘のようなものが、あらゆる方向から口の内壁に生えているのが見える。特徴的なのは以下の二点で、一つは太く短い手足が、横に突き出るようにちょこんとついていることである。四足歩行ということだが、巨躯に対して小さな手足だ。体は完全に床に接している。これらが用を成すとはちょっと考えにくいが、ついている以上何らかの意味があるに違いなかった。もう一つは体表がしっとりと湿っているように見えることだ。これが何のためなのかは不明だが、不健康そうな外観とそのぬめりは、腑の底から湧き上がるような不快感を振りまくのには、十分な効果があるように思われた。
「動いたわよ!」
北城が指摘する。
イマジナルは非常にゆっくりと一歩を踏み出す。足の裏側にはスニーカーの裏のような、独特の筋が模様となって刻まれている。あの足では体は持ち上がらない。両足を先に前に出し、それをしっかりと床に固定させ、引きずるように全身を前へと移動させる。
「見た目通りのとろいやつだな」
「ねとねとしてて気持ち悪いわね」
「この前みたいに時間がかかるほど厄介になるイマジナルかもしれない。早めにやっつけちまおうぜ」
岸戸が蒸気とともに発現した大きな板を腕に装着し、イマジナルに突進する。その左斜め後方、髪をなびかせ北城が続く。
皆瀬の携帯に着信。呼び出し音が鳴る。カナタからだ。
「こちら第六巡回班。イマジナルの出現を確認。交戦中です」
「あっ、少し遅かったか。了解。情報は更新しておくから。気をつけて」
通話はぷつりと切れる。〈第06巡回班 没落街 要請〉の文字。このイマジナルは、正式に第六巡回班の担当になった。
岸戸と北城はイマジナルとの距離を詰めていく。今の皆瀬にはクリークがいない。やや後方からイマジナルの動きを観察するのが、彼にできる精一杯のことだった。
岸戸たちが廊下の中ほどまで迫ったとき、イマジナルに動きがあった。口を大きく広げ、その喉の奥からは、ごぽごぽと何かを泡立てるような音がする。異変を察知した岸戸は、何かわからないままに盾を正面に据える。
ごぽごぽした音が一際高まったかと思うと、イマジナルの口から大量の黄色い液体が吐き出された。それはイマジナルの正面の床をまんべんなく汚し、岸戸の盾と下半身、そして北城の足元を濡らす。飛沫が皆瀬の方まで飛んでくる。
「くっせぇ!」
「なんなのこれ!」
思わず二人は足を止める。仮面の上からでは意味がないのだが、北城は鼻を覆っていた。岸戸の盾から液体が糸を引いて滴り落ちる。
かなり粘度のある液体だ。果物が腐ったような甘ったるいむかむかする臭気で辺りがいっぱいになった。
だが、それだけだ。視界や体調に異常は感じない。液体に直接的な攻撃性能、例えば強力な酸性や毒性はなさそうだった。だが何か目的がある。皆瀬はそう考えるが、それが何かまでは、まだ思い至らない。
イマジナルが再び移動を開始する。しかし、先ほどとは様子が異なる。一歩を踏み出す回転率が徐々に上がっていく。体の下に粘液が滑りこみ、巨体が想像以上の加速を始めた。
「おいおい、マジかよ……!」
「突っこんでくるぞ!」
皆瀬が叫ぶ。北城は飛び退こうと足に力を入れる。
ずるり。
足元の粘液が滑った。
「きゃっ」
転倒。立ちあがろうとするが、さらに粘液に足を取られる。
イマジナルはさらに加速を続け、こちらに突進してくる。
岸戸が特大の盾を出現させ、大量の蒸気を吐く。廊下の中央でそれを構え、イマジナルと北城の間に立ちふさがった。
「持ち堪えるかわからない! ヒロ! ミズハを頼む!」
皆瀬は転倒した北城に、黄色い液体だまりに注意しながら駆け寄る。
トラックのような大質量が岸戸に衝突する。盾も相当な重さだが、それでも質量差はカバーしきれない。さらに足元の粘液によって踏ん張りが利かない。靴底が摩擦を失い、滑り始めたのがはっきりと岸戸にはわかった。
岸戸は回転しながら横に弾き飛ばされ、壁にぶつかった。
「ユウ!」
北城はもがくが、どうやっても自力で立てそうにない。皆瀬が北城のもとへ到着する。
「ミズハ、そのままでいい。滑るなら……」
皆瀬が北城を壁側に押す。そんなに大きな力ではないが、北城は廊下の左端にすっとスライドする。同時に自身も壁際へと退避する。
次の瞬間、ホームの安全線を越えて電車を見るような距離を、それこそ電車のようなスピードでイマジナルが通り抜ける。その直後、高い湿度をもった風圧が体に直撃する。
あの巨体で押し潰されたらと思い、皆瀬はぞっとする。
イマジナルは、そのまま直進し、階段の手すりに半ば衝突するようにして止まった。階段の幅よりもイマジナルは大きい。しかし、無理やりその隙間に体をねじ込むと、入らないはずの幅に頭がぬるりと入った。やつの体には相当な柔軟性があるようだ。短い脚で器用に階段を上って行く。




