欠落
背の高い草がざわめく。淡い色彩の様々な光が周囲にゆったりと漂っている。
ああ、これは夢だ。前にも同じ夢を見た気がするが、確証が持てない。
僕は草をかき分け、前へ前へと進んでいく。やがて、急に視界が開ける。
そこには一本の樹があった。いや、樹ではないのかもしれない。
太い蔓が何重にも絡まり合い、樹のような形を成していると言った方が正確だ。その蔓の隙間からは薄い青紫色の結晶がいくつも飛び出しており、それらは自ら光を放っていた。蔓は上へ行くに従って広がりを持ち、空を仰ぐと血管のように枝分かれした蔓が、結晶の光を伴いながらきらきらと視界いっぱいに広がっていた。
これが何なのかという疑問の前に、僕はこの物体を美しいと思った。
――目を覚ますと、僕は入院患者が着せられるような淡い色のパジャマを着ていた。ラークの奥の部屋、ベッドの上だと気づく。
上半身を起こしベッドの上で過ごしていると、軋むような音の後に衝突音が続いた。エレベーターが到着したのだ。
にわかにその中が騒がしくなった。僕はその声の主たちをよく知っている。
「どうして一人でお見舞いに行こうとしてたのよ!」
「何度目だよ、その話。別に一人で行こうとしてたわけじゃないって。ミズハが行く気だって知ってたなら誘ったよ」
「行くに決まってるじゃない! もう、どうして一言確認できないのかしら」
「おい、ヒロが休んでるんだから、声落とせよ」
僕はおかしくなって吹き出してしまった。
「おーい、二人とも。聞こえてるぞ」
二人は赤面しながら部屋に入ってくる。カナタがくすくすと笑った。
それをごまかすようにユウが話しかけてきた。
「ヒロ、調子はどうだ」
「もう何ともないよ。ヒカゲさんはすごいや」
ヒカゲは相変わらずよくわからない本を読んでいて、ページから目も離さず、軽く手を挙げて応えた。
僕の体は完全に治っていた。
僕は気を失っていたので知らなかったが、内臓に穴が空き、口から血を吐くほどの負傷だったとヒカゲから聞いた。ユウとミズハは、かなり動揺していたらしい。
「よかった。心配したのよ。はい、これお見舞い」
ミズハの持っている籠には、ブドウとバナナが入っていた。
「ありがとう」
ブドウは新しそうだが、バナナは黒い斑点が浮かび始めていて、しかも房の切り取った痕がまだ新しい。どうやら家にあったものを、そのまま持って来たらしい。ユウがミズハに言われて慌てて用意した、そんな光景を想像した。だが、そんなことは気にならず、二人の好意が素直に嬉しい。
丁度、お腹がすいていたので僕はバナナを剥き始めた。
突然、ユウとミズハは真剣な面持ちになった。二人は顔を見合わせ、ユウがうなずいた。
「実はな、ヒロ。クリークが攫われた」
僕は思わず咀嚼の速度を緩めた。
「ショックだ」
僕は食べかけのバナナを籠へ戻した。
「……ショックだけど、それでも二人が無事でよかったよ。攫われたってことは、クリークは無事なのか?」
「気休めを言っても仕方がないから正直に言うけどな、今はわからん」
「そうか……」
「でも、あの男がクリークを殺さず、連れていったのは間違いないんだ」
「連れ去るのが狙いなら、すぐには危険にならないってことか……」
「安心はできないけど、たぶんそうだろうな」
クリークがまだ生きている。これはいい情報だった。
目を覚ましたとき、僕はクリークがいないことに気づいた。最後の光景、首輪の男がクリークを締めつけていたのが脳裏に焼きついている。彼がこの場にいないのを知り、当然、死んでしまった可能性も考えたのだ。だから、クリークがどうなったのか、自分から聞けなかった。結末を知るのが怖かったから。
しかし、クリークはその場では無事で、連れ去られたと言う。ならば、助ける手段もあるはずだ。
だが、好材料はその一点だけで、助けるには何らかの方法が必要だ。僕はその方法……イマジンを失ってしまった。ようやく二人と対等に協力しあえてきたと思ったのに。
いや、それよりもクリークと心が通いつつあったのだ。最初は疎ましいやつだと思っていたが、今ではかけがえのない存在だ。その彼を失ってしまったことが、僕の心にぽっかりと穴を開けたようだった。
僕はほとんど溜息のように、長く息を吐いた。その音は胸の穴を通り抜ける風だった。
「アキヒロ……」
僕の様子を見て、ミズハが声をかける。
「大丈夫……ではないかな。でも心配はいらない」
なるべく気丈に答えた。ミズハはかける言葉が見つからないようだ。ユウが会話をつないだ。
「カナタがイマジンでクリークを探してくれてる。きっと見つかるさ」
「うん……」
しばし会話が途切れた。沈黙。ヒカゲが本のページをめくる音、カナタが打つキーボードの音。それさえも聞こえた。
「もう動けるのか?」
ユウの問いに、僕はベッドから降り、軽く跳んで見せた。
「この通り。体は何ともない」
「そっか」
ユウは少し考えるようなそぶりだ。
「なら今日の夕方から、いつも通り巡回に行こうぜ」
「危険じゃない? アキヒロには……」
ミズハは焦って口を挟んだが、はっとして言い淀んだ。僕にクリークがいない現実を改めて突きつけてしまうと思ったのだろう。
「危険だよな。でも俺が守る。クリークを探そうにも、今は何かできる状態じゃない。だからって、ただ待ってたら腐っちまうぜ」
「何かしていた方がいいのはわかるけども。ねえ、アキヒロはどうしたいの」
僕は考えた。ユウの言うとおり、何もできずただ待っていたら、おかしくなってしまいそうだった。しかし今の僕が戦闘に参加しても、足手まとい以外になるとは思えない。
「動いていたい気持ちはあるけど……僕が巡回に行っても役に立たないぞ?」
「そんなことないって。ヒロの観察眼がないとさ、俺たち突っこむだけだし」
「ちょっと、私まで一緒にしないでよ。でもアキヒロの推理がないと危なっかしいのは認めるわ」
「それでもいいのなら、行きたいな」
「よし! 時間はどうするかなあ。十六時ぐらいでいいか」
「いいんじゃない。アキヒロは昨日家に帰れてないし、その格好じゃあ、どうもね。一度、部屋に戻ったら?」
僕は改めて自分の格好を見た。完全に寝間着だ。これでパトロールするのはかなり間抜けだろう。
「そうだね。丁度時間もあるし、一旦戻るよ。十六時に例の十字路で待ち合せよう」
二人とも了解すると、皆に挨拶をして去って行った。僕は改めてヒカゲにお礼を言い、同じくラークを後にした。
ユウが巡回を提案してくれたことで、僕は救われたと思った。足を引っ張りそうなのが心苦しいが、体を動かしている分には余計なことを考えずに済む。それに、クリークの情報が入ったとき、三人そろっていた方が動きやすい。町はずれのラークにいるよりも、ポイントに向かう時間が省けるメリットもあった。
僕は部屋に戻るとシャワーを浴び、着替えた。パジャマは洗ってから返しておこう。
することもないので時間まではゆっくりと過ごそうとした。
部屋が妙に広く感じる。クリークがいないからだ。
……だめだ。ここにいると、どうしてもクリークのことを考えてしまう。
気が滅入るので、僕はかなり早めに家を出た。
十字路に着くと、待ちあわせの三十分ほど前だった。仕方なく、携帯電話をいじって時間を潰すことにした。画面に集中していると、声をかけられる。
「ねえ」
あまり聞き慣れない、女性の声。声の方へ顔を向けると、なんだ、千輪トウコだった。
「こんなところで何やってるの」
まともに会話するのはこれが初めてかもしれないと思いながら、今の状況をどう話していいものか考えた。まさかこの町を守るために巡回しているなどとは言えない。
「人を待ってるんだ」
これは嘘ではない。
「そう」
会話が終わってしまった。彼女が僕の顔をじっと見つめてくるので居心地が悪い。顔をそらすと、道の向こうからユウたちが歩いてくるのが見えた。
「ねえ」
僕は顔をトウコの方へ戻した。
「不思議な力って、あなたは信じる?」
どきり。
イマガイズ、イマジン、イマジナル。いくつか思い当たる節があるが、どう答えていいのか、とっさに判断できない。彼女は何か知っているのか?
「おーい、ヒロ。待ったかー」
やや遠くからユウが声をかけてきた。するとトウコは踵をかえして駆けだす。あっという間に路地を曲がって見えなくなった。
僕はユウたちに手を挙げて合図する。
「結構早めに来たつもりだったけど、もう待ってるなんてね」
「誰かと話してなかったか? もう見当たらないけども」
ユウは辺りを見回した。
「千輪さんだよ」
「え、なに話してたの」
「何か用事があったのか?」
二人の目が好奇心できらきらした。
「うーん、そういう感じでもなかったんだけど」
僕は口を濁した。
「話の邪魔したんなら悪かったなあ」
「うん、明日にでも聞いてみるよ」
ユウたちはまだ興味があるようではあったが、それよりも今日の巡回をどうするかが僕たちには重要だったので、話は自然とそちらに移っていった。
とは言っても巡回は巡回班全ての共同作業である。手薄なところの巡回に着くしかないのだった。仮に自由に選択できたとしても、クリークの手がかりがない今、どこが最適か選ぶことは難しい。それでも町をパトロールすることで何かが得られるかもしれない。僕たちはそんな淡い希望を持って巡回に臨んだのである。




