強引なお別れ その三
俺たちは喫茶店に戻り、イナリに飲み物を出してもらった。いつものように宙から出すのではなく、ただの氷水だ。想像を読みとるのをためらったのだろう。
水で口を湿す。いつものような雰囲気にはならず、俺とミズハは一言も口をきかなかった。口を開くとヒロのことに触れてしまい、それが悪い結果を呼びこみそうな気がした。
しばらくグラスを拭きながら、その様子を見ていたイナリだったが、重い雰囲気に耐えかねたようだった。
「お二人とも、皆瀬さんは治ります。なにせ、ヒカゲさんが請け負いましたからね。彼女が大丈夫というからには、大丈夫です。あまり深刻になりませんよう」
「……そうだな。頭抱えてても仕方ないか!」
少し無理に大きな声を出し、気持ちを切り替える。それはミズハにも伝播した。
「そうね。こうしている以外に、何かできればいいのだけれど」
「急にお腹が空いたな」
「あ、私も」
イナリはにっこりと笑うと、俺にスパゲティナポリタンを、ミズハにクリームのたっぷり乗ったホットケーキを宙から出した。
「そうでなくてはいけません。ところで、皆瀬さんのイマジナルが攫われたというのは本当ですか?」
スパゲティをほおばっていたところなので、俺は急いで噛み砕き、それを水で流しこんだ。
「ああ。最初から、それが目的だったみたいだ」
「クリークと話してなかった? あいつ」
「気になりますね。その男、今は首輪の男としておきましょうか。彼は〈ウィズダム〉ではない。しかし、最近イマジンに目覚めた住人でもありません」
「イマジンに目覚めたら、カナタちゃんが見つけられるものね」
ホットケーキを飲みこんだミズハが会話に参加した。
「そのとおりです。目覚めてすぐにイマジンを使いこなせれば、あるいは〈ウィズダム〉から逃れ隠れはできるでしょうが、目覚めたこと自体を隠すのは不可能です。情報もなく、イマガイズが野放しになっているのはあり得ません」
いつの間にか、口に運ぶ動作を止めていた。ぐるぐると回し続けたフォークには一口では頬張れないほどのナポリタンが絡んでいた。
ドアベルが鳴った。
「なんだか、しけた雰囲気じゃないか。皆瀬はどうした」
センセイだ。
俺は簡潔に状況を話した。
センセイは表情を変え、奥の部屋に消えた。だが、すぐに戻って来た。
「話を聞いたときは驚いたが、あれなら心配いらん。明日にはよくなるだろう」
俺とミズハは様子を見ようと席から立ちあがりかけた。
「落ち着け。今はぐっすり眠っている。ヒカゲの薬を飲んだら、まず眠ることが肝心だ。気持ちはわかるが、今はそっとしておけ」
センセイはカウンターの中から俺たちを制すと、言葉を続けた。
「それよりもその男だ。何度か見かけたと言うし、君たちは監視されていたのかもしれん。クリークを攫っていったのも無視できない」
「探しに行かなきゃ」
ミズハが訴える。俺も同じ気持ちだ。
「待つんだ。首輪の男には、何か明確な目的がある」
「ええ、私もそう思います」
イナリがセンセイに同意する。
「それがわからないうちは、探すのも、そして首輪の男の相手をするのも困難だ。特に戦力が欠けた今の君たちにはな」
返す言葉がなかった。首輪の男の目的とは、一体何なのだろう。なぜクリークを奪った?
ヒロならこんなときに、パッとひらめく。だが俺の頭では、そう上手くはいかないようだ。
「あの様子だと皆瀬は明日、遅くとも明後日には動けるだろう。それまで待て。今日のところは、帰って休んだ方がいい」
「うーむ、でもなあ……」
「ここで無理して、私たちが怪我でもしたら、アキヒロのことだもん。きっと気に病むわよ」
「違いない。言われたとおりにするよ」
センセイとイナリに見送られ、俺とミズハはラークを出た。
すでに暗くなっていたので、俺たちは通常の仮面を被った。
帰り道、ミズハがぽつりと言った。
「どう話そう」
「なんだよ」
「クリークのことよ。きっとアキヒロ、ショックを受けるわよ。クリーク、大丈夫かしら」
「ヒロの容体はよさそうだからな。そっちの方が心配か……。うん、隠せるものでもないし、俺が話すよ」
「助かるわ。こういうとき、どう接していいのか」
「それだけヒロのことを気にかけてるってことだろ。ミズハはいいやつだよな」
ミズハは仮面と同じぐらい真っ赤になって、ユウの背中を叩いた。
「何すんだよー」
「思ってもないことを言うからでしょ。いつも暴力とか危険とか言うくせに」
本当に思った通りに言ったのに、とは口に出さなかった。ミズハは褒められると弱い。
ミズハの家の前で別れる。俺の家はもう少し先だ。明日一番にヒロのお見舞いに行こう。そんなことを考えながら、家へと歩いて行った。
とある一室。窓がなく、電灯の光も弱々しい、薄暗い部屋。部屋の隅までは明かりが届いておらず定かではないが、自家用車が数台は入れそうな、かなりの広さがある。隅に雑然と積まれた段ボールや荷物を見るに、今は使われていない倉庫のようだ。
この広い空間の中央に、ぽつりとテーブルが置いてある。その席に座っている人物がいた。あの平凡な男である。机の上には首輪をつけられたクリーク。彼はおびえていた。
男の顔を覆うようにイマガイズが現れる。
全体に茶色っぽい短い毛が生え、上部に三角の耳がぴんと突き出ている。モチーフは明らかに獣だ。アーモンド形の大きな目には縦長で緑の瞳がある。これは肉食獣の目だ。鼻は黒く、やや突き出ている。その下にある口は、笑っているような、もしくは威嚇しているように歯が剥き出されている。一見、人間の歯のようだが、犬歯が長い。
「確かに」
クリークを見つめる瞳をぎゅっと収斂させると平凡な男は言った。
背後の暗がりから、首輪の男が現れる。
「始めますか?」
首輪の男がそう尋ねると、平凡な男は手のひらを向けながら否定した。
「いや、まだだ」
首輪の男は、クリークを冷たく見据えた。
「了解しました。それでは、こちらで進められることをやっておきます」
告げると首輪の男は再び暗がりに消える。足音が遠ざかった。
「町が、そして世界が変わるぞ」
薄暗い空間に男の笑い声が響いた。一層おびえた様子でクリークが身を震わせた。




