強引なお別れ その二
俺はヒロを呼び止めようとするが間に合わなかった。すでにヒロは首輪の男に向かって駆けだしていた。
クリークにあんなことをされたら、俺も黙ってはいられない。気持ちはわかる。でもヒロにしては直情的すぎる。
ヒロが感情をむき出しにすることは、ほとんどない。いつも落ち着いていて、突っこみがちな俺のブレーキになってくれて、そして的確な判断をしてくれる。
しかし、今のヒロは違う。論理なんかじゃないが、なんだか嫌な予感がした。
その予感は的中することになる。
ヒロが男につかみかかろうとした。ヒロの陰になって男の様子は見えない。
次の瞬間、ヒロは地面にあおむけで倒れていた。動かない。顔と真っ白な仮面の間から血が滴っているのが見えた。それとは別に、腹部に血がにじんでいく。
ミズハが怒りに肩を震わせた。言葉を発する意味はない。こいつは敵だ。俺は腕に盾を発現させ、構えた。
しかし、動けない。センセイやエチゼンの迫力とは違う。異様な空気が男を取り巻いている。男は大きな動きをしてない。それでも、何か強大な力を前にしていると直感が告げていた。蛇に睨まれた蛙とはこれかと思った。
ビビっちまってるのか、俺は。
男が一歩踏み出し、まるで靴磨きの台か何かのように、ヒロの胸に足を置いた。
ビビるな。こいつが誰だろうと知ったことか。こんなことって、許されない!
俺は男に向かって足を踏み出そうとした。
クリークに首輪が出現した。一瞬のことだ。男のはめているのと同じ首輪。同時に、
「動かないでください。動けば、こいつを殺します」
と男は言った。
男は俺たちの方ではなく、クリークに向かってこの言葉を発したように見えた。
こいつとはヒロのことだろうか? それともクリーク? 男の言動で混乱してしまうが、どちらにしても俺とミズハは動きを止めるしかなかった。不思議なことに、クリークも抵抗をやめた。
男が何をしてヒロが倒れたのか、よくは見えなかった。だが確かなのは、男の言動に躊躇、後悔、そして慈悲が全くないことだ。人間、ここまで冷酷になれるものだろうか。
男が口を開いた。
「おかしなことです。我々と今の人間が共に歩めるとでも? 一緒に来てもらいます。逃げれば、あなたを探すより先にこの男を探し出し、殺します」
一瞬、この言葉の意味を取りかねた。やはり、この男はクリークに話している。
となると人質はヒロだ。まだ息があるのだ。
助けなければいけない。……いけないが、俺の盾でも、ミズハのスピードでも、この状況は覆せない。間に合わない。やつは足に力をこめるだけでいいのだから。そして、やつは脅しではなく、それを実行するだろう。
クリークはヒロをじっと見つめた。悲しそうに何度も鳴く。ヒロは返事をしない。ピクリともしない。そして男の手にぶら下げられたクリークは、完全にうなだれてしまった。言葉が通じているようにも見える。
首輪の男はクリークを脇に抱え、一歩後ろに下がった。いきなり背後に跳躍し、屋根の上に降り立った。
ヒロが解放されたことで、まずミズハが動いた。
「アキヒロをお願い。私が追う」
危険だ。引きとめたかったが、それを聞くミズハじゃない。間違いなく言い合いになるし、力づくに止めなければいけない。だが男の行方も、ヒロの容体も一刻を争う。ここはミズハを信用し、任せる以外なかった。
「無理に追うなよ」
うなずくと、ミズハは男を追って跳び上がった。髪と帯をなびかせ、彼女は屋根の向こうへ消えていった。
俺はヒロに駆け寄ると、まずは仮面を外した。仮面の内側と顔の半分はべっとりと血で汚れていたが、思ったほどの出血ではない。腹部の傷も血がにじむ程度だ。
口に耳を近づけると呼吸しているのがわかった。生きている。ひとまず、ほっとした。しかし、意識が戻らないし、血を吐くような負傷だ。早めにヒカゲに診てもらいたかった。
ほどなくして、ミズハが戻った。
「見失ったわ」
口惜しそうに言うが、ミズハが何事もなく戻ってきたので、俺は内心、追跡が失敗してよかったと思った。
「アキヒロはどう?」
「ヒロは生きてる」
「よかった!」
「でも意識が戻らないんだ」
「なら、早くヒカゲさんに!」
「俺が背負っていく。ちょっと支えていてくれ」
ぐんにゃりしたヒロの体が俺の背中に預けられた。その周囲を金属板で覆い、固定した。これで落ちる心配はない。
商店街から守床山の方角へ行けば、ラークはすぐだ。このまま路地を抜けた方が早い。
ラークにヒロを運び入れると、カウンターにいたイナリがぎょっとした様子で、しかし冷静に言う。
「すぐに中へ」
三人で協力し、下層の部屋へとヒロを運び入れた。
「ヒカゲさん、ヒロがまずいんだ!」
ヒカゲは読書をしていたが、本を置くとヒロを一瞥した。それだけで全てを察したように、顎でベッドへ運ぶように指示した。カナタも状況に気づき、口に手を当てる。イナリは一歩距離を置き、深刻な表情で見守っていた。
ヒロをベッドに乗せた。
ヒカゲはためらいなく衣服をハサミで切った。外傷を確認しているようだった。
「内臓がいくつかやられてるが、薬で治る。命に別状はない」
俺たちは胸をなでおろした。
「だが、この傷はなんだ? 人の手形に見えるぞ」
ヒカゲはヒロの口に錠剤を押しこむと、止血を始めた。
「邪魔になるといけません。喫茶店の方で待ちましょう。彼女に任せておけば、大丈夫ですよ」
イナリの言葉に従って部屋を出ようとすると、カナタに呼び止められた。
「あの、何があったの? イマジナルは退治したよね?」
「俺たちにもわけがわからないんだが、その後も巡回を続けていたら、男に襲われたんだ。……クリークが攫われた」
「屋根伝いにぴょんぴょん飛び跳ねて行くものだから、見失っちゃったのよ。人間の動きを明らかに越えてた。あれはイマジンだわ」
「でも、イマガイズは出てなかったぜ」
「詳しく聞かせてもらえる?」
カナタに求められ、俺たちは見たままを事細かく伝えた。
「うーん、ウチの人間じゃないね。そんな容姿の人はいないよ。イマガイズが出ていなかったというのも気になるね。身体強化のようなイマジンに直接関わらないサブは、イマガイズなしでは使えないはずなんだけどな。それに、飾有アーケードエリアの想像反応は正常だったよ。基準より少し高めではあったけれど、イマジナルとの戦闘後にはよく見られる現象なんだ」
「つまり、あいつはなんだったの?」
「謎……だね。ともかく、その男が危険な存在ってことは確かだ。この件は各班に通達しておかないと。……皆瀬くんは大丈夫だよ。ヒカゲが命に別状はないと言ったら、それは必ず助かるんだ」
ヒカゲの薬の効能、そして処置の腕は確かだ。信頼できる。それでも、やはり心配だった。様子が気になったが、ベッドとの間は布の張られた衝立で遮られ、ヒロの姿は見えなかった。
「そうだ、クリークがその男に攫われたの。カナタちゃんのイマジンで探すことはできないの?」
「それが見当たらないんだ。想像の力が出すエネルギーには癖があって、見分けられないわけじゃない。特にクリークの場合、能力で同時に二点に反応が出るからすぐにわかるんだ。でも、能力なしだと反応が微弱で繊細なのもあって……。もう一度、探ってみるね」
カナタにイマガイズが現れた。ウサギの目は閉じられ、六本の耳がピコピコと動いた。探知に集中しているようだった。
「……だめだ、能力は使っていないね。言い切れないけれど、もしかすると町にはいないのかも」
「そうなの……」
ミズハは肩を落とした。
「私の方でも、クリークの捜索は続けてみるね。何かわかったらすぐに連絡するよ」
お願いしますと伝え、二人で部屋を出た。




