イマジン その三
「センセイ、ちょっといいかしら」
身が入らないといった様子で、ミズハが手を休めた。
「どうした、北城」
「この訓練とは関係ないんだけど、どうしても気になって……」
「聞こう」
本当に別のことなのよ、と断ってからミズハは話し始める。
「この町に噂がないのは、みんなが噂をないものと認識してしまって、想像できないからなのよね?」
「その通りだ」
センセイは肯定した。
「でも私、学校で大きく噂の対象になっちゃったのよ。そういうことってあるの?」
ミズハが言うのは〈クマ殺し〉の件だろう。
「ううむ。ないとは言い切れないが、可能性はほとんどゼロだ」
「そうよね……。中断させちゃって、ごめんなさい」
「いや、あながち無関係とも言えないぞ。噂が万に一つの確率で広まったとするより、通常では考えられない要因があったと考える方が自然だ。北城のイマジンと関係があるかもしれない。気に留めておこう」
この間に、ユウはかなり自由に金属板を出現させられるようになっていた。だがそれ以上はするな、と制約されていたため、だんだんと飽きてきたような雰囲気がある。
「続けよう。イマジンの発現には特定の動作が必要な場合がある。同じようにイメージしながら、キューブに触れたり、押したり、握ったり、色々と試してみるんだ」
僕は触れたり、叩いたり、振ったり、両手で挟んだり……考えつく限りを試したが、箱に変化はない。
しかし、ミズハのキューブには異変が起きていた。中の液体がぐるぐると渦を巻いている。
その様子を見て、退屈だったのかユウがミズハのそばに来た。肩越しに渦を巻くキューブを覗きこんだ。
「おおっ。こりゃあ、普通じゃないな」
「イマジンによる何らかの反応とみていいだろう。見たところ、机の上で円を描くように軽く動かしただけのようだが……」
「そうね。こんなに中身がぐるぐる回るほどは動かしちゃいないわ」
「再現できるか? それと岸戸、念のため離れておけ」
「危険そうではないけどなあ」
「わからないけど、もう一度やってみる。ユウ、ちょっとどいていて」
ミズハはユウの肩を手で軽く押した。次の瞬間、ユウの体は吹っ飛び、背中から壁に激突した。
「ちょっとユウ! 大丈夫?」
慌てたミズハが駆け寄ろうと、足に力をこめ、一歩を踏み出した。
一瞬、ミズハが消えたのかと思った。違う。彼女はユウの隣で尻もちをついていた。
「あいたた……どうなったの?」
ミズハ自身も何が起きたのか理解できていなかった。彼女は目にもとまらぬスピードで移動し、そのまま壁に激突していたのだ。
ユウは壁を背にして座りこみ、むせている。
「だから、離れていろと言っただろう。……幸い、二人とも大きな怪我はしていないようだ」
センセイは、ユウとミズハに手を差し伸べて立たせた。
「だが、岸戸のおかげで北城のイマジンがわかった」
「本当?」
「ああ。だが、まず試してみよう。さっきやったように、キューブに波を起こしてみてくれ。岸戸、今度は近づくなよ」
「す、すんません」
ミズハは長く息を吐くと、キューブをわずかに揺らした。その振れ幅からは考えられないほど、中の液体は大きく揺らめき、波を立てた。
「では次だ。皆瀬、岸戸。北城の前に立つなよ。後ろへ回れ」
さっきのユウのようになったら大変だ。僕らは急いで移動した。
「今度はキューブを押してみてくれ。机の中央から端まで移動させるつもりでな」
「わかったわ」
ミズハはうなずくと、キューブを押した。少し離れた所から見ていても、大した力やスピードではないとわかった。だが、次の瞬間、キューブは机の上から忽然と姿を消した。
ミズハの正面の壁に何かがカツンと当たった。それは地面に落ち、一、二度跳ね転がり、止まった。キューブだ。
キューブは消えたのではなく、目にもとまらぬスピードでテーブルから発射されていたのだ。
「ええっ、何なの! 少ししか押してないわよ?」
「最後に質問だ。君が立てられた噂というのは、君の行動にも原因があったのではないか?」
「そうだけど……」
「センセイもあの噂を知っていたんですか?」
「ミズハは有名人だな」
センセイは首を振った。
「北城の噂は聞いたことがない」
「じゃあどうして?」
「想像したのだ。そして、質問の答えでほぼ決まりだ。北城のイマジンは、起こした作用を大きくしている」
言われてみると、ミズハが起こした作用はどれも大げさになっていた。ミズハは手を合わせて納得した。
「今見ていた限り、自分の動きも対象にできるらしいな。噂に関してはイマジンが無意識下で働いたと考えれば納得がいく。この町で噂はそれほど珍しい」
「それがわかったのも俺のおかげだな」
「おかげって、あんた下手すれば大怪我だったわよ」
「あだだだ。まだ背中が痛いぜ。ミズハのせいだ。怪我人には優しくしてくれ」
「また吹っ飛ばされたいの」
「あははは……。急に痛みが引いてきたかな」
ミズハの〈クマ殺し〉が広まった理由はわかった。だが、僕はもう一つの噂を思い出していた。ラークに行くきっかけとなった噂だ。
「噂といえば、ユウ。ラークに行くって決めたときも、噂がどうのこうの言ってたよね」
とユウに確認した。
「ああ、そういえばそうだな。あれはなんだったんだ? ミズハのせいでもないだろうし」
「あれは俺が流したものだ」
「えっ、何のために」
「基本的に噂は拡散せずに消えていくが、校内という限定された空間なら消える前に君たちの耳に届けられる。看板のない喫茶店を想像することは難しいし、さらにそこへ行こうと思い立つのは一般人には無理だ。だが君たちは仮面を外し、飾有町の秘密に気づきつつあった。ラークに来るのは君たち以外ありえなかったんだ。聞こえは悪いだろうが、上手くいぶり出したってわけさ」
「自分で決めたと思ってたけど、上手く誘導されてたんだな。センセイが悪い人じゃなくてよかったよ」
センセイは何も言わず、ユウの肩をぽんと叩いた。




