秘密の常識 その三
センセイは一度言葉を切ると、咳払いして先を続けた。
「ここからが特筆すべきイマジナルの特性だ。それは認識されないとほぼ無害だという点にある。例えば、あるはずのものがなくなったり、買ったばかりのものが壊れたり、覚えのない擦り傷が体にできていたり……。そういった経験は君たちにもあるのではないか?」
「そういえば、僕のシャープペンシルどこに行ったんだろう。三日ぐらい前から見当たらないんだ」
「これもイマジナルのせいなのかしら!」
興奮するミズハの横で、ユウが申し訳なさそうにしていた。
「……ごめん、ヒロ。シャーペン勝手に借りたまま、返すの忘れてたわ」
僕とミズハはユウをにらんだ。センセイは続けた。
「全部が全部ではないだろうがね。認識されていないイマジナルは、その程度の小さなことしか起こせない。つまり図の状態だ。人とイマジナルには何の接点もない」
黒板のイマジナルと人間はただ並んでいるだけだ。
「しかし、人々が想像をたくましくしてしまうと」
センセイは人間からイマジナルへ弧になる矢印を引き、その横に〈想像〉と書き加えた。
「イマジナルを認識してしまう」
〈想像〉の横に〈認識〉という言葉が加えられた。
「そうなると」
イマジナルから人間に矢印が引かれ、〈干渉〉の文字が書きこまれた。
「イマジナルは無害とはいかず、人々に干渉し、認識の程度によっては大きな被害を与える」
図では二つの矢印が人間とイマジナルを挟んで繋がり、円のようになっていた。
「認識と干渉は表裏一体だ。片方が強まれば、もう片方も強まる。その逆もしかりだ。ここまで来ると、仮面の役割がはっきりと見えてきただろう。仮面はイマジナル対策だ。想像の余地を減らし、新しいイマジナルを作らせない。同時に、イマジナルを認識しないようにし、やつらからの干渉を弱めているのだ」
ユウはうーんと唸った。おそらく理解しきれていない。ミズハも首を傾げていた。そういう僕も理解度半分といったところなのだが。
「想像から生まれるイマジナルというものが存在していて、仮面がイマジナルから守ってくれていると、おおざっぱに考えてくれればいい。ここで重要なのは、仮面に特別な効果があるのではなく、これらは個人の想像力に働きかけて起きる現象ということだ」
センセイが重要だと言った理由が、いまひとつピンとこない。
「俺のは自分で作った仮面だけど、それでもイマジナルから身を守ってくれるんだろ?」
「そうよね? 町の他の人の仮面だって、ごく普通の仮面なんだから」
「問題ないよな?」
「皆瀬、岸戸、北城。君たちは例外だ。君たちは仮面を外したことで、あり得ないことを受け入れてしまった。すでに気づいてしまったんだ。これほどはっきりと認識してしまうと、イマジナルからの干渉はほとんど軽減されない」
僕たちは慌てた。イマジナルに対抗するどころか、不利な情報に思えたからだ。
「ええっ! じゃあ私たちどうするのよ。一般人の方がまだ耐性があるってことじゃない!」
「まずいだろ、それ……。戦うどころか、身を守ることもできない!」
「何かこう、方法はないんですか?」
椅子から立ち上がらんばかりの僕たちに、センセイは慌てるな、と言って手で制した。すると丁度『十七歳の花束』が店内に流れてきた。
センセイの顔が一瞬ぶれたように見えた。次の瞬間、彼の顔には、あの不気味な仮面が装着されていた。手を顔にもっていってもいない。それは、突然現れた。
「認識し干渉されるなら、こちらからも干渉できる。これが対策の一つだ。明日、教えよう」
僕らは今すぐ知りたかったし、当然質問しようとしたが、彼は人差し指を振ってだめだと言った。
「音楽が聞こえただろう。もうすぐ暗くなる。辺りが見えるうちならイマジナルを避けて帰ればいいが、暗闇で鉢合わせたら対処できない。今日のところは仮面をつけて早く帰ること。これも訓練のうちだ」
これに逆らってもいいことはない。僕らは仮面をつけ、帰り支度を始めた。
「明日は休みだな? 遅くとも十時にはここに集合だ」
僕らは了解した。途中でイマジナルに襲われそうな気がしたので、足早にそれぞれの家へと帰った。
僕は布団の中で考えた。部屋に住みついている得体のしれない生物。こいつはイマジナルだったのだ。悪いやつではなさそうだが、念のためセンセイに確認した方がいいだろう。
三人が帰った店内、カウンターの奥からイナリが現れた。
「おつかれさまです。それで彼らはどうです?」
「なかなか見こみがある。だが三人は荷が重い」
「例のないことですからね」
「質問責めでまいった。だがいい傾向でもある」
「明日は、あれについて教えるのですね」
イナリの顔にも突然仮面が現れた。
白地に赤いラインが縦にふたつ入った、面長い仮面で、下に行くほど幅が狭く、前につき出るようになっている。ラインは面の上部で外側にカールし、丁度笑った目のように見える。異様なのは仮面の周囲で、青白い炎がたてがみのように周りに浮いているのである。糸や針金で固定している様子はない。
「はたして、大丈夫でしょうか」
「なに、心配ないさ」
二人の会話に合わせるように、浮いた炎が大きくなり、または小さくなった。
「とは言っても、やはり不安ですか」
言い終わらないうちに、イナリは両手で宙をつかんだ。その手には暖かい液体の入ったポット、もう一方にはカップが握られていた。
透明なポットには乾燥した花やつぼみが何種類か浸かっていた。
イナリは何も言わず、カップにこぷこぷとそれを注ぐ。湯気に混じって、微かだがよい香りが漂った。
「まったくおまえは。たまらんやつだ」
「褒め言葉と受けとっておきますよ」
ジョウの仮面が、出たときと同じように突然消えた。彼はゆっくりとハーブティーで喉を潤した。




