噂
翌日、昼休みになると、ユウがいかにも嬉しそうな様子でこちらにやって来た。
「なんだよ。ニヤニヤして」
「おい! ヒロ、聞いたか」
「なにを」
「噂だよ、噂」
僕は噂という言葉を聞いて、妙な印象を持った。
この町には驚くほど噂がない。それは、きっと仮面が生活に深く関わっているのが影響しているのだろう。
仮面は間違いなくその場にあるもので、飾有の住人はそれに絶対の信頼を置いて生活している。これが基盤としてあるためか、ここに住む人々はどこか即物的に偏っている。実際に見たものが全てなのだ。
噂、都市伝説といった類は、あるかどうかわからないものだ。ここでは、確定できないなら、それはないと同じ。ないものだと結論が出ているので、友人との会話で噂を出しても、驚くほど盛り上がらない、広まらない。それでも噂ばかりしていると胡散臭いやつだと思われる。嘘つきと同じような扱いだ。
僕が噂と聞いて変な感じがしたのは、このためだ。唯一、僕が聞いたことのある噂は、ミズハの〈クマ殺し〉ぐらいだろう。当然、興味が湧いた。
「どんなの?」
「やっぱ知らないか」
ユウはますます得意げな顔をした。
「いいから、教えてくれよ」
「しょうがないなあ。昨日の山あるだろ。あの麓に喫茶店があるらしい」
「それで?」
「おい、鈍いな。ミズハにおごってもらう約束だろ」
「そこに行くわけか。でも、これって噂と言うより宣伝、口コミなんじゃないか」
「いや、極秘情報みたいな扱いで耳にしたから、あまり知ってる人はいないはずだぞ。実際に行った人もいないみたいだ。本当にあるかどうか、わからないからな」
「そうなると、どっちかと言うと噂か」
「だろ。とにかく場所は大体わかってるし、放課後、行こうぜ。ミズハも誘ってな」
「そうしようか」
ユウの見つけてくる店は当たり外れが大きいのだが、噂のない町で噂になるほどの店となると、期待していいかもしれない。
「それであなた達はチャイムが鳴るなり、ウキウキしながら私のところに来たわけね」
ミズハは頭に手をやり呆れていた。
「おごるとは言ったけど、こんなに早くせがまれるとは思わなかったわ」
「噂になる喫茶店だぞ。ミズハも興味あるだろ」
「そうだけどさ」
「もう俺の今月のお小遣いはないんだぞ!」
「あんたが勝手に挑戦して負けたんでしょうが! あー、もうわかったわよ。行くわよ」
「やったー」
ユウは小躍りした。
「一人五百円までだからね。高かったりしたら払わないから」
こう釘は差されたが、表情を見るとミズハも乗り気だった。
僕らは学校を出て、喫茶店へ向かっていた。
「それにしても変ね。昨日、道に迷いやしないかと、かなり周囲に気を配ってたんだけど。喫茶店なんてなかったわよ」
「だから隠れた名店なのさ」
「ユウは隠れた名店、好きだよなあ」
僕は笑っていたが、ミズハにはまだ疑問があるようだ。
「あとさ、その噂は誰から聞いたのよ」
「そりゃ、その。誰だっけ? クラスの山内……じゃないな、隣の木村……だったか? まあ、いいじゃないか。風の噂ということで」
「本当にあるんでしょうね? 何だか不安になってきた」
そんなことを話しながら角を曲がると、守床山道の入り口横に見慣れない建物が見えた。
屋根まで木で作った、ログハウス風の建物だ。丸太は細いものばかりを組み合わせており、繊細で洗練された印象を受けた。はめ込まれた窓には、鳥と草花のすり模様が施してあり、中の様子はわからない。入口前は広さのあるステップになっており、一段高い。そこに続く、横向きの短い階段がついているのが正面から確認できた。
「あれじゃないか?」
「山小屋、かな」
「噂通りの外観だ。間違いないぜ」
「だから誰からの噂なのよ。見つかったからいいけど、どうもすっきりしないわねえ」
そこには看板も電灯も見当たらない。これなら昨日、見落としていても不思議はない。
入口までやってきたが、看板すらないとさすがに不安だ。僕には入る勇気がなかった。
「本当に喫茶店かな?」
「民家にしてはおしゃれだから、お店だとは思うけど。ユウ、確認してきてよ」
「俺かあ?」
「言いだしっぺでしょ」
ミズハに言われユウが動いた。堂々とドアを開けた。その上にはベルが設置してあり、からんころんと鳴った。どうやら店には間違いないと、ベルの音を聞いて僕とミズハは一安心した。
ユウはそのまま中へ入ってく。置いていかれると、また入りづらくなりそうなので、僕らも慌ててそれに続いた。
店内はがらんとしていて薄暗く、誰もいない。人の姿を探して、僕は店内を見回した。
掃除は隅々まで行き届いていた。カウンター席しかない、雰囲気のある内装だ。薄暗さも演出かもしれなかった。カウンターは壁ごと部屋の中央にせり出すように配置してあった。そのせり出した壁には扉があり、入口をカウンターで守られた小さな部屋のようになっていた。その周囲には、椅子とテーブルを何組も置けそうな部屋の余白が、凹型に存在している。部屋の奥には、お手洗いらしい二つのドアが並んでいた。
準備中なのだろうか。
「休みなのかな。でも扉は開いてたしな」
「ええ、営業していますよ」
見知らぬ声に、僕らはその方向に振り向いた。
奥のスペースから出てきたのか、いつの間にかカウンターの中に一人の男が立っていた。いかにも飲食業といった感じで、小奇麗な制服に腰巻のエプロンをつけ、にこにこ笑っている。
「よかった。ヒロ、やってるってよ」
「ああ」
一見好人物らしいが、その男の張り付いたような笑顔が気になったので、僕は曖昧な返事をした。
「私、お腹すいちゃった」
「こちらの席にどうぞ」
カウンターに案内されたので、左端からミズハ、ユウ、僕と座った。
「ご注文をどうぞ」
男は笑顔を絶やさずに言った。
だがメニューは手元になかったし、壁にもそれらしいものが見当たらない。僕らは顔を見合わせ、次に店員の顔を見た。店員はにこにこしたまま動かなかった。
「あの、すみません。メニューをもらえますか」
僕が催促すると、店員は、
「申し訳ございません、当店にはメニューはございません」
と言って頭を下げた。
「メニューがない?」
ユウが困惑した様子で言った。
「その代わり、お客様の望むものをなんでも、提供させていただいております」




