転換点を動かしたのは その二
ミズハが案じたとおり、ここには何もなかった。少し前までは道らしいものがあったが、今ではどこを進んでいるのか見当もつかなくなってきていた。
ユウは何も説明せずに進んでいった。それにミズハが続き、僕は遅れないように足を懸命に動かした。
辺りは薄暗くなってきている上、ここでは木々が光をさえぎるため、いっそう暗かった。ユウの迷いない足取りだけが頼りだった。
いい加減不安になり、声をかけようかと思っていると、突然ユウが立ち止まった。ミズハは案外平気そうだが、僕は少し息を切らしていた。
そこだけ木のない、平坦で開けた場所だった。落ち葉が積もっているので見た目には判断できなかったが、今まで登ってきた足元よりも固く、しっかりとしている。
「ようやく落ち着ける場所ね。まだ登るの?」
「いいや。到着だ」
「ここが? やっぱり何もないじゃない」
ミズハが不満げな声を上げた。もっとも仮面を被っていたし、辺りが暗いので、それがどの程度の非難を含んでいるかは推し量れなかった。
「ここは山の口みたいに見える部分か?」
僕が足元を確認しながら尋ねると、ユウはうなずいた。
やはり足元は土ではなさそうだった。落ち葉の下の感触は岩のように固いが、岩だとすると、ここだけ台のように平らに岩が飛び出ていることになる。しかも、酷く平らだ。おかしな地形だと思った。
「ここで何をするんだ?」
「そうよ。早く教えて」
何をするかではなく、何ができるんだと聞きたいのが本音だ。山を登っているときは、景色のいい場所に向かっているのかと思っていた。だが、この場所は寂しげで別段の見所はないし、木が周りを囲んでいるので見晴らしもよくない。大して標高のない山の中腹で、おまけに生活圏からほど近いため、澄んだ空気や綺麗な空があるわけでもなかった。
「待て待て待て! 二人とも焦るなって。今、説明するから」
僕とミズハの不満そうな気配を察して、ユウは慌てて話し始めた。
「何もないんだが、だからいいんだ。いいか、今から――」
ユウはもったいをつけて話し始めた。その内容に、僕とミズハは同時に驚きの声を上げた。
「しっ! 誰もいないとは思うが、念のため声は落とそう」
ユウは僕とミズハの声を諌めた。
「すまん。でも、あまりに突飛だから」
「ユウ、あんた、本気なの?」
ユウはうなずいた。
彼の提案はすごく単純だった。しかし、それゆえに内容の大胆さが、直接の衝撃となって身を揺さぶるようだった。
お互いの仮面に手をかけ、合図で一斉に取り合う。これがユウの計画だった。
僕の仮面は口を覆ってしまっているので、食事や歯を磨く際には外さなければいけない。午後五時を過ぎてから仮面を外したことは、何度もあった。それでも、それはやむを得ずであり、ユウの提案とはまったく意味が違った。理由もなく自ら進んで仮面を外すとなると、かなりの抵抗を感じた。
「時間もお金もかからずに、しかも、誰もやったことがない。条件にはぴったりだろ」
ミズハも、これは受け入れ難いらしく、ユウに対して激しく抗議した。
「ちょっとあんた、どういうつもりよ。何のメリットがあって、そんなことするわけ? 大体、人に見られたらどうするのよ!」
「お、落ち着けって。だからこんな人気のないところまで来たんだろ」
たじたじと言い返すが、ミズハの勢いが止まりそうにないのを感じて、ユウは慌ててつけたした。
「それに仮面を外したから、どうなるってんだ?」
「それは、決まりだからよ。外したらいけないのよ」
ミズハはとっさに返したが、その言葉には切れがなかった。同時に、抗議の熱がふっと消えてしまったようだった。
「だから、なんでだよ」
「それは……」
たたみかけるユウに、ミズハは一瞬口ごもってから、
「……その通りだわ。外しても、どうなるわけでもないのよね」
と言った。
「だろ? 見つかりさえしなければ大丈夫だって」
「そう言われると、仮面って何なのかしら」
ユウとミズハのやり取りを聞きながら、僕も考えていた。
仮面とは何なのだろう。いくつかのメリットはある。この薄暗さでも仮面を見るだけでユウやミズハだとすぐにわかる。初めて見る人でも、社会人であれば、仮面のロゴで大体の役割が瞬時に判断できる。便利だ。だが、着用を強制するほどとは思えない。それに、その利便性を最大限に生かすのであれば、時間に関わらず着用を強制するべきだ。だが、ルール上では午後五時から十二時間と限定的だ。
つまり、大した理由もないのに仮面をつけているのだ。そこには目的がない。
そして、僕はもう一つのことに気づいた。
「仮面を外した罰則って、聞いたことがあるか?」
「学校だと先生に怒られるし、家だと親に叱られるだろ。どっちも見たことはないけどな」
「なら、会社の人はどうだ。上司に怒られるから仮面をつけてるのか。井戸端会議の好きなおばさんたちも、誰かに怒られると恐れているんだろうか」
「俺たちには当てはまっても、町の人全員の罰にはならないか」
「逮捕されるとか、罰金を科せられるとか、もっとかっちりしたやつってことよね」
「そうだ。聞いたことがあるか?」
二人は首を横に振った。
飾有町のルールには目的も罰則もない。それなのに、町の人々は一切の疑問や不満を持たず、平然とそれに従っている。これは、あり得ることだろうか。
人間は周囲に合わせる生き物だ。周囲の目があるから、それに倣う。倣えば、それも周囲の目に組み込まれる。その連鎖でルールが成立している可能性はあった。だが、それはあくまで現状から考えた結果だ。新しいルールを施行する場合、まっさらな状態から始めなければいけないのだから、周囲の目などというものは存在しない。だから、ルールを成立させるには、はっきりとした目的か罰則が不可欠なのである。
それらがないままに、しかし、破綻なく成立しているようにみえるこのルールは異様だった。
考えられるのは、仮面のルールに対して何らかのシステムが働いている可能性だ。それによってルールが遵守され、同時にルール自体を保護しているのだ。
それがどういったものかは、まるでわからない。ルールがおかしいのだから、システムもそれに負けないぐらい奇妙で秘密めいたものに違いない。




