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偶発の同刻 その十五

 エイラの影は地面にスプーンを触れさせようとするが、つかむ腕がそれをさせない。壁から文化祭のお化け屋敷のように腕が何本も突き出て、エイラを羽交い絞めにする。動けない。

 目の前の地面から、新しく腕が現れる。赤いマニキュア。銀のシンプルな指輪が薬指に。女性の腕。続いて頭が現れ、紫の細いあざがある首、そして肩と続く。女性の踝から上が露わになった。服の下から紐が伸びている。デオキシリボ核酸の構造図のように二重らせんの肉の紐だ。それは脚に巻きつき、先は地面に消えている。マニキュアを塗った細指がエイラの首にかかる。

「それは、妻です」

 エドはイマガイズの上から目頭の辺りを抑える動作をする。

「彼女は私だけに手を汚させはしないと。献身的な妻ですよ」

 北城が走る。

「ミズハ! あんたは、逃げなさい!」

 エイラの首が締まる。それでも彼女は続ける。

「この……イマジンをみんなに……伝える……のよ……」

「それは困ります」

 エドの足元が盛り上がる。地面から現れる頭部。エドは死体の頭部に乗っている。

「乱暴なお嬢さんのせいで一人には逃げられましたが、これ以上減らすつもりはありません」

 エドが軽く飛び上がり、着地する。

「こいつを使いましょう」

 ズオオォ!

 地面から片腕のない大男が現れる。やはり、服の下から二重らせんの肉紐が伸びている。男が北城へと振り返る。

 北城は硬直した。エイラの言葉で迷いが生じたからではない。死体が大きく欠損していたからでも、肉紐の秘密に気づいたからでもなかった。

「オオクマ……」

 エドは面白くて堪らないと言わんばかりに、腹を抱えて笑う。

「お知り合いでしたか。そして、そんな名前でしたか。いやね、こいつは自信満々にコモンさんに挑みましてね。ご覧のざまですよ。まあ、おかげで頑丈な体を手に入れることができたのですがね」

 北城は俯いた。

「に……げて」

 エイラが絞り出す。

 死体となったオオクマが地面を滑るように移動する。速い。

「私の噂で殺されて、さらに知らないところで殺されて。あんたも災難ね……」

 オオクマの腕が、生前よりさらに素早く力強く振り下ろされる。

「でも」

 北城はきっと前を見た。日本刀のような、鋭い視線。それが向かうはオオクマではない。さらに向こう、エドを睨みつける。数メートルも離れたエドがびくりと体を震わせる。

「同情はしないわ」

 赤いオーラが北城の足元から立ち上る。それは髪を、イマガイズの帯を巻き上げ、踊らせる。オオクマの腕が迫る。

 ごき。

 オオクマが真横に吹き飛んだ。壁に接すると抵抗なく吸いこまれていく。北城はいつの間にか腕を上げていた。モーションが全く見えない。

 首を絞める女性、エイラを羽交い絞めにする腕、そしてスプーンをつかむ腕が僅かに揺れる。

「なんだ……?」

 エドが初めて動揺する。そして、さっきの感覚は? 今までに感じたことのない感覚。背骨がすっと温度を下げるような、脇から汗が止まらなくなるような、そんな感覚。

 北城が巻きあげるオーラの密度が増す。それは確かな形となり、北城を包みこんでいく。

 全身をぴったりとした襦袢じゅばんが覆う。その上には祭り衣装にも見える、たくし上げ、たすきでまとめられた着物が現れる。上腕に小手が、足に草履と脛当てが一体化した黒い防具が、真っ赤な紐で装着される。どちらも光に当たると深い青色を反射する。

 北城が間合いを詰める。鬼だ。鬼が来る。

「なんなんだ、そのイマジンは!」

 歯の根が合わない。エドは今感じているのが、純粋な恐怖だと自覚する。

「わ、私は悪くない! 妻と一緒に……一緒に! 永遠に暮らしたいだけなんだ!」

 エドが誰にともわからない弁明を述べると、オオクマが再び北城の前に出現し滑走する。同時に北城の姿が消える。彼女がオオクマの前に移動したのだと認識できたとき、すでにその拳は彼の顎に触れていた。

 次の瞬間、肉の紐をたなびかせ、巨体が上空に打ち上げられる。紐がぴんと張る。エイラの周囲の死体が明らかにがくんと揺れる。


 エドの操る死体は腕の数からするとおよそ十体。地面や壁から突然現れるのは、あらかじめその位置に移動させておくものとして、イマジンの性質上逃れられない問題が生じる。距離か時間だ。離れた死体をイマジンの影響下に置こうとすれば必ずロスが生じる。だが逆に、手元で操作できるようにして目的地で待機させたのではイマジンを長時間、しかも複数体維持する必要が出てきてしまう。理屈に合わない。だが、エドはそれをやっている。

 そして、死体のお腹辺りから伸びる肉紐。どれも地中の先へと伸びている。

 これらからわかるのは、エドがイマジンを死体にそれぞれ使っているのではない、ということだ。何か一つの存在が死体同士を繋げ、操作している。そう考えると、エドがやっているのは、その存在の維持のみ。格段に楽になる。つまり――。


 北城はまっすぐに伸びる紐をむんずとつかむ。手首を返し、握りしめると一気に引く。大げさにする。

「ま、まさか……」

 地面が盛り上がる。路地よりも幅のある球体が座礁した船のように地上に乗りあげる。まるで巨大な球根。それには根のように、いくつもの二重らせんが生え、うねっている。

「引きずり出しただとお!」

「これがあんたのイマジン。これは、不気味で外に出せないわけだわ」

「あ、あの、あの女を! やれえ!」

 エドが北城を指差す。地面から勢いよく死体たちが跳躍し、襲いかかる。その数、十体。北城は構える。

 パキィン。

 死体たちのその背後で何かが砕ける。エドが真っ黒な直方体に押し潰されていた。

「この、ゲス野郎」

 エイラが喉をさする。

 北城が球根を引きずり出した時点で、それに引っ張られたエイラの周囲の死体は引っこんでいたのだ。防御を忘れ北城に全軍突撃させたエドは、もう身を守る術がなかった。

 影がばしゃばしゃと平面に戻る。エドが壁に張りついている。その顔にイマガイズはすでにない。ずるりと剥がれ、地面に倒れる。

 同時にそのイマジンも穴の開いた船のように沈み始めた。飛び上がった死体たちは力を失い、落下する。地面の下へと消えていく。沈没船が見えなくなる。最後に、打ち上げられていたオオクマが帰ってくる。

「さよなら」

 巨体は音もなく地面へと潜り、姿を消した。


「よくやったわ、ミズハ。本来は逃げるべきだったのでしょうけれど、あなたにこれほどの力があるとは」

「急に力が湧いたの」

 エイラはわかったように二度うなずいた。

「それはきっとサブね。それも身体強化系のサブ。それにしても、サブがそれほどはっきりした形で出現した例を私は知らない」

 エイラは言葉を切った。

「……死体の中に知り合いがいたみたいね」

「ええ。でも嫌なやつだった。むしろ、すっきりしたわ」

 〈クマ殺し〉はミズハではなかった。人知れず、ひっそりと殺されていた。

 オオクマは酷いやつだった。それでも、彼の死に対して喜びや蔑みの気持ちは微塵もない。感じるのは、ただ憐れみだけだ。

 ミズハの心の隅に溜まっていた、本人さえも気づかない暗い影が掃き払われたようだった。〈クマ殺し〉に関して、彼女の中では一段落がついていた。

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