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偶発の同刻 その十一

 翌日。表示にゼロが八つ並んでも、何も起きなかった。しかし、数時間するとガチャリとロックの外れる音が、扉の内側から二重、三重に響いた。

「お疲れ様。それではこちらに」

 ひょろりとした男の後ろに、全く知らない人物がいる。同じく収容されていた人物だと思われるが、その顔はぼんやりとして生気がなかった。コモンはと言うと、寝不足と過剰な怒りで頭ががんがんするが、意識は極めて平静だった。コモンは仮面を外し、机に置くとぼんやりした男の後ろに並んだ。

 先頭の男は進み、いくつかのドアを通り過ぎた。ぼんやり男とコモンも続いた。男が急に立ち止まった。ロックが外れる音がした。

「お疲れ様。それではこちらに」

 男は全く同じ台詞を繰り返した。部屋の中から収容者が現れた。あの少女だ。

 おかしいぞ、とコモンは思った。彼女の部屋に表示されていた数字である。少なくとも後一カ月は出られないはずだ。コモンが体験した限り、あの数字を減らす方法は仮面を被る以外になかったし、その減少速度一定だった。では、なぜ自分と同じタイミングで出所できるのか。

 コモンはちらりと部屋を覗き見た。同じ部屋だ。壁の数字もゼロになっていた。やはりおかしい。

 先頭の男が行きますよお、と言って歩き出した。コモンの疑問をよそに、少女は彼の後ろについて歩き出した。コモンも歩き出す。

 地下から出ると、ぼんやりした男が急にしゃっきりした。コモンは元から何ともない。少女にも変わった様子はなかった。先頭の男が立ち止まり、口を開いた。

「それでは、ご協力ありがとうございましたあ。こちらが謝礼です」

 封筒を差し出された。ぼんやり改めしゃっきり男はそれを受け取ると、何の疑問もなさそうにビルを出て行った。

 おそらく、都合の悪いことを全てを忘れて、さらりとして口当たりのいい記憶を受け入れたのだろう。受け入れる記憶は人それぞれ違うのかもしれない。だから、この封筒を渡す男もあえて多くを説明しないのだ。

 私は違う。コモンは思った。彼らの策略をに耐え、自分自身を守りきったのだ。誇らしい。今後の生活は、平凡とはかけ離れたものとなる。ここを出たら何をしよう。いや、何でもできるぞ! それを思うだけで笑いがこみあげそうになる。だが、ここでそれを明かしてしまっては間抜けもいいところだ。コモンは笑いを必死に抑えた。

 それよりも、この少女だ。コモンは怒りながら刑期を全うしただけで、記憶と想像の力の消去を免れたのは偶然に過ぎなかった。しかし、彼女は違う。きっと、彼女にも特殊な力があるのだ。それを使って計画的に刑期を減らした。どうやったのかはわからない。だが、静かで、堂々として、全くの正当な脱獄だ。こんな脱獄をコモンは他に知らない。

 コモンと少女は封筒を受け取り、ビルの外へと出た。自由がそこにあった。

 こうしてコモンと千輪は、イマガイズのまま〈エデンの外〉を出たのだった。


 コモンはまず、飾有町を一望できる高台へと向かった。その途中、わけのわからない生物があちこちにいるのを見た。

 丘の上。鉄柵の向こうに道が、建物が、青い空が広がっていた。綺麗だ。コモンは息をついた。

 突如、彼の心に再び怒りの炎が上がった。この町は間違っている。力を独占し、理解できないものから目を逸らし、それで本当の平和と言えるのだろうか。炎は彼の心を焦がし、捻じ曲げた。その心を通すと、町並みはぐにゃぐにゃと屈折し、真っ黒くすすけていった。もはや美しさはどこにもない。

「変えなくてはいけない」

 コモンは痛いほど強く柵を握りしめた。

 ふと、周囲が陰った。空には雲ひとつない。コモンは振り返った。目の前が緑色で埋まっていた。巨大なトカゲが直立し、コモンを見下ろしていた。


「あのときは驚きました。私を認識できる、初めての人間だったからです。同時に、濃い血のような温かさが胸に満ち、踊りました。今ではわかります。あれが喜びだったと」

「私も正直驚いた。だが、それよりも――」


 コモンはそれを美しいと思った。

 CDケースのような厚さの鱗が規則正しく全身を覆っている。鱗の表面は薄っすらと透明で、内部で一度反射した後に緑色の光を放っている。腹部の鱗はより繊細で、黄色に近くなる。呼吸の度に波打ち、擦れ合い、しゃらしゃらとガラスのような音を奏でる。反対に背中を覆うのは、節に別れた頑強な甲殻。色は幾分深みがかり、分厚く、太い筋が縦に何本も刻まれている。その隙間から翼が伸びる。展開され、空を覆う。翼膜は光を通過し、紫に近い桃色に見える。その勇壮な様は、この巨体でなお飛行できると見る者に確信させる。四肢は逞しく、その先についた爪は真っ黒で一つの傷もなく輝いている。鉄でも簡単に引き裂いてしまいそうだ。全てを圧倒する双眸そうぼう。その上にひさしのように盛り上がる肉。うねり天突く二本の角。大きく裂け、突き出た口元から見える鋭利な牙。だが、その縦長の瞳の奥に確かな知性を感じる。

 おとぎ話の中でしか知らない、ドラゴンがそこにいた。

「私は君を最初に想像したものを尊敬する……。これは、啓示だ」

 竜が鳴き、地が震えた。


「あなたは怖がらなかった。それだけでなく、私と何度も話にきました。私から話せないにも関わらずです。飾有町のこと、人間のこと、想像の力のこと、そして我々のこと……。多くのことを知りました。おかげで私は人間の言葉を理解し、自らの能力を自覚できました。さらには、名前まで頂いた」

「全てはあのときに始まった。私と君が出会ったときに」

 ケイジが目を伏せ、軽く頭を下げる。コモンは何も言わない。二人の間に心地よい沈黙があった。




 千輪の話を皆瀬は複雑な思いで聞いた。

「つまり、イマジンで壁の数字をいじって〈エデンの外〉から出てきたのか」

「私のイマジンは、私のできること、理解したことを何かと無理やり結びつけられるの。デジタル表示の別の桁同士を連動させたりね」

 彼女は誰かを傷つけたり、困らせたりしたわけではなかった。その点は安心した。だが〈ウィズダム〉の一員としては判断が難しい。

「悩むのは理解するわ。私がしたのは、いいことではないから」

 車内に光はもうほとんど届かない。

「暗いと気持ちが滅入るし、何か見落とすかも。明りをつけよう」

 皆瀬たちは携帯電話で辺りを照らす。

「皆瀬くん! クリークが!」

 ぼんやりと明るくなった車内、その一点を千輪が指差す。クリークが埋まっている。隙間に入っているわけではなく、車と下半身が一体化している。

「クリーク! どうしたんだ、大丈夫か?」

 クリークは皆瀬を見上げる。


 車は白い帯に何重にも巻かれ、繭のようになっている。

「もう充分だろう」

「この後はどうしますか?」

「コモンに連絡した後、ラバに運ばせよう」

 繭の中がにわかに騒がしくなる。何かがぶつかったり、軋んだりする音だ。

「なんだ? やつら、何をしている」

「何であっても無駄ですよ。この車は死んでます。どうやっても動くことはない」

 繭の一部が飛び出るように変形する。

「だがリネン、動いているぞ」

「そんなはずは……。車は一切動かないし、車と包帯に隙間はない。車外に出る前に閉じこめたはずだ」

 飛び出た反対側も同じように変形する。包帯がきつく延ばされ、細くよじれる。ぷつぷつと千切れ、繭に裂け目ができた。

 隙間から車のヘッドライトが見える。皆瀬たちの姿はない。ヘッドライトに光が当たり、きらりと反射した。

「やはり、車外には出ていませんよ。なら、動けないはずだ!」

 ヘッドライトが隙間から突き出る。持ち上がり、左右二つに分裂する。繭を引き裂き、バラバラにする。リネンは唖然とした。

 そこから現れたのは車。確かに車らしいのだが、後部バンパーのついた脚、ボンネットを二分割した腕、胴体はエンジンや排気筒、内装がごちゃごちゃと組み合わさり、中心に白い物が埋まっている。

「なんだこれは。なんだあいつのイマジンは!」

 人型の車を見上げながらカザマが叫ぶ。

 クリークの背後に皆瀬と千輪がいる。

「クリークはこんなことができるの?」

「僕も知らない! 体を作り変えてから、ちょっと妙なんだ」

 クリークの元々の能力は空間同士をくっつけることだった。それは新しい体になったために失われた。しかし、能力の本質が消えたわけではなかった。

 何かをくっつける能力――その対象は、新しい体と最も親和性の高い物質、つまり皆瀬がイマジンで出現させる物質全てとなっていた。あらゆる物質を体に組みこみ、くっつけ、変形させる。そして自身の体の一部として操る。それがクリークの新しい能力。

 今、クリークの体は車となり、さながら車でできた巨人のように振る舞っていた。

「けど、行け! クリーク!」

 車人間となったクリークは右腕を引く。

「まずいぞ……。リネン、さがれ!」

 ゆっくりとだが確実にボンネットは加速する。リネンが後ろに駆ける。カザマは前に出る。そこに拳となった流線形が斜め上方から振り下ろされる。

 するり。

 カザマは車体の表面を撫でるように真っ直ぐ上昇する。その勢いで車の中心にある白い部分を狙う。クリークは左腕でそれを叩き落そうとする。カザマは空中でさらに上昇し左腕をかわすと、くるくる回りながら皆瀬たちの後方へと着地した。

「だめか。だが、かばったな。やはり白い部分が本体か」

 千輪は皆瀬に顔を寄せる。

「今の見た?」

「ああ、また避けた」

「カザマは私に任せて」

「攻撃は当たらないぞ。時間を稼ぐのか?」

「違うわ。今のでイマジンが完全にわかった。私のイマジンなら倒せる。だから、皆瀬くんは包帯少年をお願い」

 千輪からは自信を感じる。

「わかった。後ろは任せる」

 彼女はカザマへと向かい合う。クリークがリネンへと一歩間合いを詰める。

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