偶発の同刻 その九
「はい、はい。元気がよろしい。ですが、騒いでも誰も来ないと思いますよ」
女性は腰が抜けたように腰を落としている。その前には白衣の男。顔には奇妙に連なった棺桶の仮面がある。
「それでは、さようなら」
背後に足音がぱらぱらと響く。エドはゆっくりと振り向く。漆黒の仮面、鬼の面をつけた者がいた。
エイラ、北城、そしてエド。彼らはほとんど同時に言う。
「イマガイズ……」
女性は立ち上がり、よたよたと逃げ出した。北城は飛びあがり、エドを越え、女性との間に割りこむ。脚を深く曲げ、着地。ばっと棺桶の男を見る。
「こんなところで脱走者と会うなんて、思わぬお土産ができたわ」
エイラが言った。
「お土産? それを頂いたのだと、私は思っていたのですよ」
エイラの口元が不愉快そうに下がる。
「冗談を冗談で返されるのは嫌いなの」
エドには怯んだ様子がない。
「冗談ではなく、至って本気です。私はね」
それどころか、今にも踊りだしそうなぐらい落ち着きなく、ウキウキとしている。
短く悲鳴をあげ、女性が転んだ。恐怖で足がもつれたのか。
北城は振り返る。女性の足首を何かがつかんでいる。彼女は、たすけてえ、と叫んだ。
「手……?」
それは間違いなく手だった。アスファルトから手首がにょきっと生え、女性の脚をきつくつかんでいる。
「一度に三体とは。感謝しなくては」
「余裕があるじゃない。あなた、挟み撃ちって知ってる?」
エイラは今の状況を指した。
「ええ、ええ。もちろん知っていますよ」
ぐぽ。
エイラの背後に四本の細長い棒が現れる。彼女は気づかない。滑るように移動すると、エイラの足首に絡みつく。
「これは……!」
棒ではなく指。エイラは脚を引くが、それを握る指の力は強い。外れない。指に続いて手が、そして腕が現れる。
エドを挟んで反対方向では、女性を助けようと北城が走る。
がぼん!
向かう先の地面から、行く手を阻むように新たな腕が肩まで突き出る。広げた手は北城へと振り下ろされる。北城は減速しながら後ろに飛び退く。手が地面を叩く。がりがりと何かを探すように指がアスファルトを掻いている。
「なによ、これ……」
手は三か所に出現している。しかも、全然別の方向へ、唐突に現れた。イマジンは自身の周囲から発生させないと、多大なロスを伴うはずだ。それに、腕は妙に生々しい。イマジンやイマジナルは、どことなく無機的だったり、怪物じみていたりする。だが、目の前のこれらは、まるで本当の人間の――。
「これがあんたのイマジンってわけね」
足首をつかまれたまま、エイラが言った。
「挟み撃ちは有利ですね」
そう言いながら、エドが首を竦めて見せる。
状況は一転し、エイラと北城は、地面から飛び出る腕に挟まれる形となった。
カザマが皆瀬たちへと向かってくる。その動きは流れるように無駄がない。
「なんだ? さっきより全然速いぞ!」
皆瀬の仮面が光る。カザマの進路上に、突然光の柱が現れる。実体化。それは電柱。
皆瀬はイマジンを一度も見せていない。急に障害物が現れるなんて、予想できないはずだった。
だが、カザマは身を捻りながら、まるですり抜けるようにそれをかわす。
「電柱……それもこんな遠くにだと? あいつのイマジンは、あの白いのではないのか?」
疑問と驚きを露わにしながらも、カザマは走る。
驚いたのは彼だけではない。
皆瀬のイマジンが何でも出せるものだと千輪は知っていたが、これほどまで連続して正確に指定した場所に出せるとは知らなかった。
そして、それを難なく避けて行くカザマの動きの異常さだ。カザマからすれば、目の前に光が立ち上った瞬間に横に飛ばなければ電柱は避けられない。信じられない判断速度と正確さだ。
最初に出した電柱から光が漏れる。道路の真ん中に電柱があるのは不自然。形状を維持できない。最初の電柱が消えるよりも早く、皆瀬はさらに電柱を出現させる。二本目、三本目と出すが、まるで障害にならない。身を捻り、すり抜ける。カザマの脚は止まらない。最初の、そして二本目の電柱が消滅する。三本目も間もなく消える。
「またかわした。読まれているのかも」
千輪の言う通りだと思った。反応だけでは、あの動きはできない。
皆瀬はカザマが通り過ぎるタイミングで、まず一本の電柱を出現させる。カザマからは先ほどと同じように、立ち昇る光が見えるはずだ。だが、電柱は目の前には現れない。彼が通り過ぎた後に現れる。間髪いれずに、カザマの進路上ではなく、それを挟みこむように二本の電柱を出す。真正面に出すことを読まれていて、かつ手拍子で回避行動をとっているなら、自ら電柱に当たりに行くはずだ。
びゅおっ。
カザマは迷うことなく直進し、二本の電柱の間をすり抜けた。
「本当に判断しているのか、あいつは?」
皆瀬たちまで、もう距離はない。
クリークと千輪が飛び出す。クリークは高く飛びあがりカザマの顎を狙う。同時に、千輪は手刀を腹部目がけて繰り出す。同時に皆瀬の仮面が輝く。
「二か所同時なら!」
カザマが前傾姿勢をとる。両手を前に出すと、飛び上がったクリークと水平に振られる千輪の腕のちょうど真ん中をするりと抜けていく。その目の前が青紫に染まる。
黒っぽい、縦に波打つような形状の金属がカザマに立ち塞がった。直線的なパイプ、円筒形の盛り上がった金属塊。少し視線を横に向けると溝の入った車輪が見える。
「車……か?」
それは車の腹。車がボンネットの先を地面につけ、逆立ちしている。カザマに倒れかかる。
「千輪さん、クリーク! 避けろ!」
千輪とクリークは左右に別れ、飛び退く。まだ着地していないカザマに、車の腹が迫る。しかもスポーツカーだ。悪路では運転できないぐらいの低い車高。空中にいるカザマが車と地面の間に挟まれていく。
次の瞬間、カザマは今までの推進を全く無視して、車と地面の隙間から押し出されるように後ろに飛んだ。後輪が激しく地面とぶつかり、サスペンションが悲鳴を上げる。衝撃は車体を突き抜け、全体を大きく揺さぶる。
「あの状態から避けただって?」
カザマが土ぼこりを上げながら着地する。それが皆瀬たちへと流れ、消える頃に言う。
「今のは危なかったぞ……」
出現位置や姿勢を無茶苦茶にしたせいか、皆瀬の体には疲労が溜まり始めていた。カザマは身動きのできないはずの空中で、全くの不意打ちをかわした。気づくと、リネンのイマジナル、帯の塊が距離を縮めてきている。
「皆瀬くん、乗って!」
千輪が車に乗る。このまま対峙していてはやられる。いい考えだと皆瀬も思った。助手席に飛び乗るとクリークが続く。ドアを閉め、ロック。
「運転できるの?」
皆瀬が聞く。
「まさかでしょう。私たち、高校生よ。でも、見よう見まねでやるしかない」
「カザマさん、無事ですか」
リネンがカザマに駆け寄る。
「きわどかったがな。突然、車が現れるとは驚くばかりだ」
「全くです。あのイマジンは無軌道すぎる。もしかすると、コモンさんが興味を持つかもしれません」
「ならば、丁度いい」
「ええ。中に入ったのは明らかに失敗ですよ」
リネンが車に手を向ける。帯の塊がほどけ、車をぐるぐると巻いていく。




