第伍歩・大災害+61Days 其の陸
さて、此れで。<第肆歩・大災害+55Days 其の弐>より始まりましたコラボ企画が終了です。
読んでいるだけの人様。長々とテイルザーン氏に御出張戴き誠に忝く候、ありがとうございました!
そして或未品様。知世嬢にマリユス嬢達、ミナミからの脱出組の皆様の設定を考案戴きました事、大変有り難く存じます。充分に活用活躍をさせられたのか、疑問ですが。
至らなければ其れは全て、私の不徳と未熟の結果ですので。
他の皆様方にも感謝を。
あーんど、平身低頭と平身低頭を(ペコペコ)。
「わっちと主殿の逢引きを邪魔するとは、ホンに冒険者とやらは、無粋でありんすねぇ」
「たかがデータ、たかがモンスター、たかが従者の分際で、劣情に身を堕するとは何とまぁ浅ましい限り」
レオ丸を間に挟んで睨み合い、目には見えぬ火花をバチバチと散らす、ミスハとアマミY。
こめかみ辺りに青い線と冷や汗を浮かべた<召喚術師>は、いきり立つ<暗殺者>と<吸血鬼妃>の狭間からスルリと抜け出すや、そそくさと<武士>の傍へ身を寄せる。
「両手に花とは、何とも羨ましい事で」
「……ホンマに心底から、そう思ってるん?」
「あー……其れは、ノーコメントで」
ヨコハマの町は、弧状列島ヤマトの東部において随一の港湾都市だ。
自由都市同盟イースタルの盟主にして海運都市であるマイハマとは、協力と対立を繰り返す切磋琢磨の関係にある。
其れは、町の規模及び形にも反映されていた。
山手地区には町の領主である貴族、ウットフィールドーソン伯爵家の城館が聳える丘を頂点として、大地人の住居と数軒の高級旅館が其の裾野に立ち並んでいる。
海浜地区は、全国の大商人や商人貴族の商館が幾つも建つ一大商業地域として、独自の権力を所持していた。
其の権力の執行者とは、商人達の各種組合の信任投票により選ばれた港湾長である。
そして<ミッドフラワーブロック>と名づけられた居留地区は、ユーレッド大陸東部沿岸地域と長年に亘る交流の果てに生まれた、異国情緒溢れる所だった。
言うなればヨコハマの町とは、加法混合の三原色の町なのだ。
芝生と植木の緑が映える山手地区、海の青さを背景とした海浜地区、鮮やか過ぎる赤い楼門を擁する居留地区。
現在、レオ丸達が滞在している場所は三色が僅かに重なる場所、元の現実では伊勢佐木長者町に相当する所であった。
海浜地区の喧騒や居留地区の猥雑さ、山手地区の排他性からも程好く離れている故の静けさに身を置くレオ丸は、首を上げて月を眺める。
眠る町を憚るように多少なりとも声のトーンを低くした、何とも剣呑な応酬をBGMにしながら。
「ウサギでも見えますか?」
「いやぁ~、こんだけ欠けてたら流石に見えへんけど……、御蔭で現実も見えんくなるさかいに」
「そいつは何よりで。其れで……こんな時間に何をなされていたんです。
……夜逃げの算段ですか?」
「せやねぇ、『眠れぬ夜のために』其の一、って感じかな?」
落とした声色で、『into The Night』を口遊み始めるレオ丸。
BBキングとは違うスローテンポの歌声が夜のしじまへ流れ出し、何処へともなく掠れながら消えて行った。
「言われてみれば……ワシが誰かの前からトンズラする時は、いっつも夜やなぁ、ホンマ。
意識しての事やないけど、何でやろうねぇ……」
「後ろめたいからじゃないんですか?」
早くもなく遅くもない歩みで町の外へと行き着く通りを進むレオ丸の背中を、聞き方によっては恨み言のようなミスハの声が鋭く斬りつける。
「はっはっはっは……はぁ~~~、そーかもしれんね?」
がっくりと折った首を振りつつ、其れでも足の運びを止めないレオ丸に、ミスハ達は溜息を吐き出した。
日中ならば馬車も多く行き交う石畳の街路に、四人の冒険者の影が落ちる。
「……今更ながらやけど」
急ぐでもない足取りで歩みながら、レオ丸が深い溜息を吐き出した。
「何かお悩みでも?」
不毛と言うには拙い言い争いを止めたミスハの問いかけに、不意に立ち止り向きを変えるレオ丸。
「其方におわす、アマミYさんを御覧じろう」
契約主の<召喚術師>がついっと指差した方を、同じく歩みを止めたミスハ、テイルザーン、マリユスの三人が列の最後尾を見遣る。
名指しされた契約従者が、何事かと小首を傾げた。
「彼女の正体は<吸血鬼妃>、……<吸血鬼>の上位種やね。
先ずは、注視して欲しいのは、彼女の足元やねんけど。
彼女とワシらとではさ、豪く違う処があるやん?」
「私達には影があり、彼女には影がない」
レオ丸が言い終えるや、間を置かずにマリユスが答える。
「ざっつ・らいと」
「其れが、どうしたと言うんですか? ……吸血鬼には影がないのは、当たり前の事だと思いますが?」
「うん、ミスハさんの言う通り、吸血鬼には影がないってゆーんが定説や。
ほなね、何で吸血鬼には影がないんか、誰か其の理由を知っとる?」
口を噤み、眉根に皺を寄せ、腕を組みと、揃って思案顔となるミスハ、テイルザーン、マリユスの三人。
満月ほどの明るさはなくとも、月明かりに照らされたレオ丸達四人の足元にはくっきりとした影が伸びている。
「影があるのは、魂とやらがある証拠でありんしょう?
わっちら<吸血鬼>の輩は、魂とやらを持ってはおりんせん」
正解を提示したのは問われていた当の本人、アマミYだった。
「せやねん。吸血鬼には魂がない、ってのが定説や。
定説に拠るとやな、魂がないモノは“鏡に映らない”が故に、“影がない”って言われとるんやね。
昔むかーしの人は、鏡に映った姿ってのは、己の足元に出来る影と同等やと思ってたらしいわ。
せやけど其れは、元の現実におけるワシらの定説や」
「元の現実の定説が、此方でも定説になっていても何ら不思議はないでしょう?」
「……じゃあ、ステータス画面を開いて、彼女をようよう見てみ。
<吸血鬼妃>の、<吸血鬼>種の説明がされとる箇所を、……フレーバーテキストをキッチリと読んでみ?」
人の道に背く悪事に手を染めた大逆の者、天の理や聖なる教えに牙を剥いた冒涜の者、惨い殺され方をし怨みが骨髄まで達した者。
稀に、彼らの内で魂までもが酷く穢れてしまう者が居る。
魂が穢れてしまった者には、あらゆる救済の手は届かず、決して安寧の時が訪れる事はない。
彼らの魂は果てる事なき時間、永遠に煉獄の業火にて焼かれ続け、想像を絶する苦痛に苛まれ続ける。
如何にすれば其の苦痛から逃れられるのか?
方法は只一つ、穢れた魂を捨てる事のみである。
魂を自らの意志にて捨てた忌むべき存在、其れこそが吸血鬼なのだ。
吸血鬼は魂なきが故に、人間を遙かに凌駕する腕力を持ち、体の大きさや姿を自由に変え、どんな場所へでも入り込む事が出来る。
人としてのあるべき姿を自ら捨て去ったが故に、コウモリや狼などの獣に、霧などの実体なきモノに、変身する事が出来る。
だが其の代償として、魂の真の姿を映し出すという鏡に、其の身を映す事が出来なくなる。
人ではなきが故に、許可を得なければ人里や人家に入り込む事が出来ない。
背負った業の計り知れぬ重さが故に、水流や海面を歩いて渡る事も出来ない。
魂が欠落した後の空虚を埋める事を切望するが故に、生命の根源である血液を他者から吸いとらねば、存在を保ち続ける事が出来ない。
吸血鬼、其れは死ぬべき時に死ぬ事を忌避した、永遠の死人である。
永遠の死人であるが故に、吸血鬼は不老不死の存在とも言える。
死から逃れた死者である吸血鬼は、滅する以外に消え去る事はない。
古来より生ある者は、生なき者を消し去ろうと思い、苦心を重ね幾つもの方法を考案してきた。
生の営みの基いである日光で、生なく死なき骸を焼く。
聖別され清められた物で、不浄極まりなき骸を破却する。
邪を払う力を持つ銀製の品で、悪しき骸の妄執を断つ。
豊饒の象徴たる香草の類で、朽ちぬ骸を土へと還す。
死を厭う死者に痛手を与え、正しき道理へと服させるために。
だが、其れにすら抗う力を持つ、恐ろしき死せぬ者も存在するのだ。
人のあるべき形を穢れた其の手で握り崩し、生きとし生ける者が暮らす此の世に穢れた其の爪で呪詛を刻むが如き彼らを、如何にすれば滅する事が出来るのか?
「な? ……“影がない”ってのは、何処にも書いてへんやろ?」
ボヤキ同然のレオ丸の呟きに、他の冒険者達は瞬きを忘れ、読後の感想すら言葉にしない。
重力を感じさせぬステップでヒラリヒラリと舞う<吸血鬼妃>は、漆黒色のヴェールの下で幽かに微笑んだ。
「此の町にしてもそうや。
此処は、元の現実の横浜市やとブルースがやたらと良く似合う、歩行者天国で有名な地域やん?
嘗ては日本最初の洋画封切映画館があり、馬車道やモール街や地下街が広がっている場所や。
今の現実やとヨコハマの町に付随する、オデヲン聚楽って名前になっとる。
オデヲン聚楽……、ワシは此処に来て初めて知ったわ、そんな名前。
二十年に亘るプレイ時間の中で、ワシはかなりの知識を蓄えとる。
色んなシナリオやクエスト、単なる物見遊山も併せたら結構な頻度で、此処ら辺に来させてもろうとるわ。
ワシが知っとるヨコハマの町は、領主の治める地区と港湾長が実効支配する地区、ほんで幇老会が掌握しとる居留地区に分裂した、モザイク状の町や。
ヤマトでも指折りの豊かな貿易都市で、猫人族が多く住んどる所。
ザックリとした町の雰囲気は設定資料集や解説本、攻略本にも書いてはあったけどな、……寡聞にしてオデヲン聚楽なんて地名は知らん。
そいつは、此処の領主についてもや」
レオ丸達の居る石畳の街路はオデヲン聚楽を南北に貫く、主要な道路だ。
左右に立ち並ぶ建造物は、元の現実とは違い低階層ばかりであるため視界を遮る事はない。
真っ直ぐに南の方へと伸ばされた、レオ丸の指が指し示す先には小高い丘陵があり、其の頂上部にはボンヤリとした城館のシルエットが、星空を背景に浮かび上がっていた。
「あっこにあるんは、此処の領主であるウットフィールドーソン伯爵さんの御屋敷やわな。
ほな元の現実やと、あっこには何があるかってゆーたら、根岸森林公園があってな、今はなき横浜競馬場の遺構があんねん。
ホンであの城館の形は、昭和の初めにアメリカ人の建築家に建てられた一等馬見所ってのに、瓜二つやわ。
さて其の、横浜競馬場のグランド・スタンドを設計したんは、誰でしょう?
正解は、ウットフィールド・アンド・ドーソンって名前のな、世界に冠たる大英帝国の設計事務所やねん。
ワシは此処に来るまで、ヨコハマの領主の名前なんて知らんかったわ。
……自分らはどうや?
イースタルの貴族の名前やなんてエエとこ、セルジアット公くらいやろ?。
だってなぁ、大地人の名前なんてゲームに関係なきゃ知る必要性があらへんし、覚えとく意味もないからなぁ……」
再び歩き出したレオ丸の後を、無言の冒険者達が続く。
さして広くもないオデヲン聚楽の家並みは、五分も歩けばあっという間に尽きてしまう。
小さな集落を取り巻く木製の防護壁は、地に突き刺した長さ約三メートルほどの丸太を尖らせ、ただ並べただけの質素なものであった。
門扉は閉ざされ太い閂をかけられてはいるものの、番兵などは配置されておらず、見張り台なども設置されていない実に無用心なもの。
ゲームにおいては、モンスターに襲われるイベントも設定もないヨコハマの町の一角とあっては、其れも仕方なき事なのか。
バグでも起こらぬ限り、組まれた設定にはない事が起こらないのが所謂、ゲームなのだ。
ゲームの進行上に起こるアクシデントもイレギュラーも、全て仕組まれたお約束である。
ランダム・イベントも、また然り。
だが今は、プログラミングされたゲームではなく、現実である。
予想外と想定外な事が日常茶飯事のように起こるのが、現実なのだ。
誰にも咎められる事もなく、レオ丸は閂を抜き去り門扉を押し開ける。
静まり返った町を覆い尽くす夜のしじまを一瞬だけ、蝶番の鉄と鉄が擦れる音が鈍く切り裂いた。
人ひとり分だけが通れる門扉の隙間を、レオ丸は弾まぬ足取りで潜り抜ける。
「そーいや、テイルザーン君は……、アキバに着いたらどうするん?」
振り向きもしないレオ丸に、テイルザーンは肩を竦めた。
「どうする、とは?」
「いやな、アキバに着いたはエエけど、知る辺や寄る辺はあるんかなってな?」
「どうぞ御心配なく。こう見えても、俺には友達が大勢居るんですよ」
「……大半は、ミナミやろ?」
「ぐっ……、其れは否定しませんが」
「何やったら、どっか紹介状でも書いたろか?
<黒剣>やったら諸手を挙げて歓迎してくれんで、自分やったら」
「いえ、其れには及びません。
強い所は、……腕っ節をこれ見よがしに誇るギルドは、もう懲り懲りですわ」
「ほな趣向を変えて、<ロデリック商会>なんかは、どうや?
<第8商店街>のカラシン君や、<グランデール>のウッドストック=W君も、ワシの名前を出したら受け入れてくれるはずや。
なんせ、<パジェロの会>の仲間として多少の付き合いはあるやさかいに、一見さんお断りってな扱いはされへんけど?」
「いや……やっぱ宜しいですわ。
向こうに着いたら、アキバ在住の知己の何人かに声かけて話しを聞いて、じっくりと品定めしてから……で。
腰を落ち着けても良さそうなギルドは、慌てんと探しますわ。
もし見つからへんかったら、諦めてソロ・デビューでもする事にします」
「そーは問屋が下さへん、かもやで」
「え? 何でですか?」
「現実ってのは全く油断がならんもんや、こうしてチンタラポンタラ過ごしとる間にも、世の中は刻々と変化しとるさかいに……」
オデヲン聚楽の門扉を背にしたレオ丸は、十メートルほど歩いた所で不意に足を止め、路傍に転がっていた一抱えほどの岩に腰を下ろす。
懐から取り出した<彩雲の煙管>を徐に咥え、五色の煙を月へと吹き上げた。
小さな集落から領主の城館方向へと延伸されている石畳は、下生えの草に侵食される事なく整備されたようになっている。
ヨコハマの町の山手地区は全体として、全体に領主の威令が隅々まで行き届いているのだろう。
月明かりに照らされ見える範囲において、ミナミとキョウを繋ぐケイハン街道のような荒れた雰囲気は、レオ丸には微塵も感じられなかった。
「月下逍遥……何とまぁ、平和で牧歌的な風景である事やねぇ、ホンマに。
……此の風景かて、油断してたら屍山血河となるんかもね?」
レオ丸と向かい合う位置にテイルザーンとマリユスが、レオ丸の右隣にミスハが、其々腰を下ろす。
アマミYはミスハと睨み合いをしてから、何事もなかったかのようにレオ丸の左側に膝を折り座した。
「あーっと、まぁ……エエか。
さて気がつけば、<大災害>って言う謎の現象にワシらが巻き込まれて以来、凡そ二ヶ月が無事だったり無事でなかったりして、経ってしもうたやん。
カレンダーで言うたらば今は文月、所謂七月の初旬、ボチボチと夏祭りが始まり出すシーズンやんか?
関西圏なら愛染さんに、祇園さんに、天神さん。
ウェストランデ圏内やったら言わずと知れた、<スザクモンの鬼祭り>がそろそろやん?
<スザクモンの鬼祭り>って言うたら、キョウを中心とした地域に居てたら強制的に巻き込まれる大規模なイベントや。
ほな、な。
他の地域で起こる強制参加型イベントって言うたら、他に何があったやろ?ってな事を考えたら、イースタル圏内でもドデカイんがあるやん?」
「<ゴブリン王の帰還>!」
「せやねぇ、マリユスさんの言う通りやねぇ。
アキバよりも北の方に居ったら、強制的に巻き込まれるイベントやわなぁ。
<悪竜の嘶き>、<オワリ夏の陣>、<キソ冬の陣>、<トライネルの合戦場>、<死霊が原>なんかはナゴヤ近辺で起こるけど、狭い範囲での閉鎖的な限定イベントやし、自発的な参加型やんか?
<コボルト王の憂鬱>は確か、……ランダム・イベントやったから何とも言えへんけど」
「周辺に人家のない、平原フィールドでのみ発生でしたっけ?」
「せや、レベル30以上のモンスターがポップしない場所、っていう条件もあったはずやけどね」
マリユスからミスハの方へと顔を振り向け、レオ丸は顎を右手で支える。
「其れで……<ゴブリン王の帰還>イベントに、何か懸念でも?」
テイルザーンが、レオ丸の顔色を窺いながら問うた。
弧状列島ヤマトの東北部、オウウ地方の深い闇の森である<ブラック・フォレスト>を舞台にした定期イベント、其れが<ゴブリン王の帰還>だ。
ゲーム時間では二ヶ月に一度、セルデシアの時間ならば二年に一度、ゴブリン族の城<七つ滝要塞>において、周辺六部族の中で最も強力なゴブリンが王として戴冠する。
冒険者達は<七つ滝要塞>へと進攻し、戴冠間もないゴブリン王を討伐する事が出来れば、強力で希少なアイテムを入手する事が出来るのだが、<七つ滝要塞>ゾーンへの入り口が解放されるのはイベントがスタートして直ぐの一週間のみだ。
ゴブリン王と其の配下の幹部達、城の防衛機構はかなりの強敵で、討伐は生半可な行いではないが、周辺状況をコントロールする事により難易度を下げる事が出来る。
周辺部族の中で最強のゴブリンが王へと即位するがために、オウウ地方に散在するゴブリンの拠点を徹底的に叩き、事前にゴブリン達の武威を減殺しておけば、ゴブリン王も配下の軍勢もレベルを低下させ、大いに弱体化させる事が出来た。
故に、戦闘に特化した大手ギルドでなくとも挑戦可能なクエストとして、一定の人気を博している。
冒険者のレベル上限が向上する度に難度を上げ、<運営の鬼畜祭り>と揶揄される<スザクモンの鬼祭り>とは大きな違いであった。
「ワシの記憶が確かならな、一番最近に発生した<ゴブリン王の帰還>イベントは四月の初め、冒険者の大半を占める学生さん達が新学期を迎えた頃やったんと違うかな?」
レオ丸の言葉に、三人の冒険者達がアッと言う声なき声を上げる。
「今は七月の頭やけれど、いつの七月なんやろうか?
元の現実では今年の七月やけど、今の現実では先の<ゴブリン王の帰還>と同じ年の七月なんやろうか?」
「もしかしたら……既に二年目に入っている可能性があると?」
「同じ年や一年目の年やったら、なーんも危惧する必要性はないけどね。
ミスハさんの言う通りに、二年目やとしたら……大事やで」
溜息と共に吐き出された五色の煙が、夜の空気に入り混じり消えた。
「ゲームやった頃は経験値稼ぎと、新米冒険者のパワーレベリングのために、誰もが挙ってゴブリン狩りに血道を上げとったやんか。
せやけど<大災害>が起こってから此の方、誰しもが現状把握と現実対応に追われていたやんか?
喜び勇んでホイホイと、ゴブリン退治に精出したりは誰もしてへんのんと、違うかなぁってな?
ホンでもし、……もし今が二年目やとしたら……」
「オウウ地方には、戴冠したゴブリン王が君臨し……」
「そこら中に、駆逐されなかったゴブリンが溢れている……」
「まさか、そんな事!」
「まさか? ってのが起こり続けているんを、ずーっと見続けて来たやん、ワシもテイルザーン君達も。
“うっそーん!”とか、“マジかよ!?”って事態の連続やったやん。
まぁ、杞憂かもしれへんけどね?」
「ですが、“天災は忘れた頃に”の心構えは必要かもしれませんね」
「私も明日からはアキバの住人になりますから、警句として胸に刻んでおく事にします」
「そうだな、俺も法師からの啓発として、常に意識はしておこう。
予備訓練は体だけではなく、心にこそ課すべきものだからな」
「発生したとしても、中小ギルドの腕試し程度である事を祈るわさ。
とは言え、そないに心配せんでもエエかもしれへんけどね。
幸いにして、アキバには<円卓会議>って自治会があるんやし、其の会議を運営しとるんはクラスティ君やら<黒剣>のなんたら君やら、経験豊富な名のある兵達やねんし。
其れに……」
天を仰いだレオ丸の口から、不確かな五色の煙の輪が緩やかに現れる。
「カナミのお嬢さんが猫可愛がりしていた秘蔵っ子達も、……彼女の我侭に付き合えるだけの気力と体力を持った若者達も、何人か居る事やし。
エンちゃん達も、<月光>の曲者達も、影働きで全体を支えようとする御人らも居る事やし、心配は杞憂で終わるやもな。
まぁそう考えたら、安穏として自分の事だけを考えられるわ」
「法師も一緒に参加してくれないのですか?」
「御免やで、マリユスさんよ」
よっこらしょ、とレオ丸は腰を上げて背伸びをした。
「ワシの行き先は自分らとは反対の方向、ちょいと逆戻りしなアカンねん」
「逆戻り?」
レオ丸の回答に、全員を代表した形でミスハが疑念を発する。
「せや、東海道中膝栗毛を気取って、てくてくとな」
「どちらへ赴かれるんです?」
同じく立ち上がったミスハ達が、一歩分だけレオ丸に詰め寄った。
其れに対し、レオ丸は右手をスッと上へ伸ばし、人差し指で夜を明るく照らす天体を真っ直ぐに指し示す。
「月?」
「……正確には、“Shoot the moon”かな?」
「其れは“高みを目指す”って意味ですか? 其れとも“完勝”ですか?」
「“尻を見せる”か“夜逃げする”の方が近いかもしれんけどな♪」
クックックッ、と含み笑いをするレオ丸。
「あそこにあるんは、お月さんやんか?
さて其処で皆さんに質問やけど、あそこに見える月は一体全体、何処にあるんやろうか?」
「え?」
「はい?」
「何を言っておられるんですか?」
「元の現実やと、地球と月の間は平均して三十八万四千四百キロメートル。
其の間には真空っちゅーか、宇宙空間があるやん?」
「ええ」
「まぁ」
「当たり前ですが」
「ほな、此のセルデシアの大地から空をドンドンと昇って行ったら、成層圏に打ち当たって、其処で止まらずに更に飛んで行ったら、月に行き着くんやろうか?」
「行き着くんじゃないですか」
「今は夜やからお月さんが出てるけど、朝になったらお日さんが出てくるわな?
ほな、一億四千九百六十万キロメートルの半分の距離を、“十万馬力の科学の子”や“アースが生んだ正義のマグマ”みたいに飛んでったら、太陽にも行きつけるんかな?
思い出してみ。
<エルダー・テイル>がゲームやった頃には、セルデシアしか世界が存在してへんで、宇宙空間ってなゾーンはなかったんやで?
ワシらの世界は地動説が常識となって、非常識な天動説は否定されてるやん。
でも全てがゲームやった頃には、此の世界には天動説すらなかったはずや。
あったとすれば、渾天説の劣化バージョンくらいやろう。
月も星も太陽さえも、偉大なる背景に開いた穴ボコや。
処がゲームって言うフィクションが、現実って言うノンフィクションの世界になってしもうた今、あっこにあるお月さんもお日さんも、実在しているようにワシには思えるねん」
「<大災害>の引鉄となった<ノウアスフィアの開墾>の実装で、新たなるゾーンが増えるのでは? って話じゃありませんでしたっけ?」
「うん、ミスハさん。自分が言うたように、“月”がそうと違うか? ってな話が洩れ伝わって来てたやん。
其の噂話が実話やったら、月は実在する場所として認定される。
じゃあ其れは、天体としての“月”なんやろうか?
今まで背景の書き割りでしかなかった平面が、立体に変化した?
ワシらと同じように二次元が、三次元になったんか?
ほな、三次元で構成された世界が、全て再現されているんやろうか?
地球の半分しかなくても地球そっくりの惑星が、月という新たに実装された衛星を伴い、今まで存在してへんかった宇宙空間の、背景的な照明器具でしかなかった太陽って恒星の周りをグルグルと廻っていると?」
「「「……」」」
「ってな事を確かめてみたいんやけど、流石にそいつは無理っぽい。
成層圏にさえ到達する術がないんやもんな、今は。
……もしかしたら種子島……やのうて、遺跡島ジャクセァに行けたら何ぞ手立てがあるやもしれんけどね。
まぁ其れはさておき、話を元に戻そうか。
ワシが西の方へと逆戻りする理由はな、ちょいと“高望み”をしたいがためやねん」
<彩雲の煙管>を懐に仕舞い直すと、レオ丸は腰に装着した<ダザネックの魔法鞄>に手を入れ、ある物を取り出すや、月明かりに翳した。
「此の子を元に戻してやりたいねん」
彷徨い続けた<オーケアノス運河>の行き着いた先で手に入れた、黒地に純白のマーブル模様が施されている、砕けた石片。
充分な密度を持つ其れは、何故か純度の高い水晶のように月光を透過し、其の冴えた明るさを仄かに増幅させた。
レオ丸は、何処か不思議な温かみを感じながら、丁重な手つきで鞄へと戻す。
其の石くれが何なのか、ミスハ達は問い質そうとしたが、レオ丸の荘厳な表情に気圧され口を噤んだ。
「さて、そんな訳で。ワシは此れからブラブラと、一足お先に旅出たせてもらうわな」
夜目にも鮮やかな白い歯を見せるレオ丸に、テイルザーンが咳払いをしながら歩み寄る。
「何処で何をされるのかは、さっぱり見当つきませんが……どうか御無事で。
法師と出会えた御蔭で、毎日が愉しい波乱万丈ですわ」
「其れは、どう致しましてってゆーか、どう痛ましくてってゆーか……。
何だかホントに申し訳ないってゆーか、ゴメンなさい?」
額に汗を薄っすら掻いたレオ丸が深々と頭を下げると、テイルザーンはニヤニヤしながら右手を差し出した。
「御蔭様で誰かを怨んだり、一人で腐ったりして現実から目を背ける事なく、己の意思さえも失わずに済みました。
此れからも何やかんやとあるでしょうが、其れも引っ包めて自己責任の範囲内の結果だと思いますんで。
何もかも、思い通りにならん全てを誰かの所為にしてたら、此処では生きてきゃいけませんからね」
「“武士の一分”ってか?」
「いえ、“警官の血”ってヤツですわ」
「私からも、御礼申させて戴きます」
次にレオ丸に握手を求めたのは、マリユス。
「短い付き合いではありましたが、大変に得難い経験をさせて戴きました。
……因みに私は千葉の大ファンです。
太平洋連盟の御仲間としても、此れからもよしなに」
「……誰のファンなん?」
「初芝選手と堀選手と小宮山投手ですが」
「渋いな、自分!」
判る者にしか判らぬ共同体意識を確かめ合ったレオ丸とマリユスは、握り合う掌に一層の熱意を込めてから、手を離す。
「さて、ミスハさん」
両手を後ろに組んでソッポを向いている<暗殺者>に、<召喚術師>は身を寄せた。
そして彼女にしか聞こえぬ声量で、優しく囁く。
「また暫くは離れ離れやけど、まぁ仕方ないさかいに、な。
せやけど、自分が居てくれるさかいにワシは好き勝手な事と、せなアカンって思っている事が出来るんや。
自分にだけは、ワシの行き先を言うとくわな。
ワシは此れから、豊川に行く。
ホンでちょいとした実験をして来るわ。
実験内容は……成功したら念話するさかいに。
其処での諸々が片づいたら、今度は富士山……霊峰フジ登山に挑むつもりや。
……大地人の魂の行く着く先、とやらを探索してみたいねん」
「其処にお探しの“神様”が居るとでも?」
「居らんかもね、……居ったとしても“神様”のような別の何か、やろうな。
“ブロッケンの怪物”みたいなパチモンかもしれんし、“輪形彷徨”の末に見る幻覚かもしれん。
其れに霊峰って肩書きがついてても、霊鷲山でもなきゃ、須弥山でもない、得体の知れぬ前人未踏の御山やさかい。
探るとなりゃ山頂だけやなく……地下世界へも潜らなアカンやろうなぁ、せめてポーラボーラ号かバリタンクでもありゃ、安心やけどね?」
「其処で何度も死ぬかもしれなくても?」
「せやねぇ、また死ぬかもしれんねぇ」
大きく息を吐き出したミスハは、後ろに廻していた両手を前に出し、レオ丸をきつく抱き締めた。
「地獄にだけは、堕ちないで下さい」
「安心しなはれ、ワシはいつかて有頂天の住人やさかいに。
ああ其れと、御注進をしとこうか。
水鳥のお嬢さんは、どうやらかなりの欲張りさんのようや。
テーブル向こうの他人の料理にも、お箸を突っ込みたがるみたいやで」
寄せられたミスハの頬に軽く口づけすると、レオ丸はミスハの柔らかな懐から身を引き、改めて月影を仰ぎ見る。
「“鉄錆は鉄より出て鉄を喰うが如く、悪行は人より出て人を喰う也”ってな感じの事が、『法句経』の一節にあるんやけどね」
顔を真っ赤にしたミスハと、何とも生暖かい眼差しのテイルザーンとマリユスを殊更に無視しながら、独白するレオ丸。
「人の世で為された事は須らく全て、因果応報やわ。
悪い事をしたら毒が回るし、エエ事したら果報がやって来るし、エジプトはナイルの賜物やし、此の御腹かて不摂生の賜物や」
レオ丸は、ポッコリとした腹部をポンと叩いた。
「まぁそんな訳で、自分が関わった事の次第をちょいと片づけて来るわさ。
ワシの旅も、自分らの旅路も、ゴールに着くまでは道半ば。
どんな結末が我が身に降りかかるんか、楽しみでもあり不安でもありやけど、まぁ其れが訪れるのは、未だ先や。
明るい未来が来る事を願いつつ、美しい朝日を明日も迎えようや♪」
ほなまた、と言い残したレオ丸は、シュタッと右手を挙げて左右に軽く振る。
其の背中に、アマミYが縋りついた。
「どちらさんも、お達者で。またの佳き日に♪」
夜の空気を押し退ける音なき音が沸くと同時に、レオ丸の背後に巨大なコウモリの翼が広げられる。
背に生えた闇よりも黒い一対の翼の所為で、レオ丸の姿はまるでデフォルメされた悪魔のようにも見えた。
徐に天を仰いだ堕天使モドキのレオ丸の喉の奥から、自嘲気味な歌声が緩々と零れ出す。
アメリカのジャズ歌手が訥々と、語るように歌い上げた其の名曲で紡がれた歌詞は、夏の初めに口遊むには余りにも早過ぎる内容ではあるが、今の雰囲気には相応しいように、レオ丸には思えたからだ。
其の掠れ気味の歌声は、幽かな羽ばたきに掻き乱される。
やがて。
月が通り過ぎた北西の星空の彼方で霞み、目に見えぬ形を失い、散り散りに千切れてしまった。
後には余韻も何もなく、残されたのはただ、緩やかな静寂のみ。
「……もしかしたら此処が、ブルーオーシャンとレッドオーシャンの、境目なのかもしれませんね」
ほうっと息と一緒に吐き出されたマリユスの呟きに、テイルザーンの片方の眉が上下した。
「何だ其の、ブルーとかレッドとかってのは?」
「ビジネス用語です。ブルーオーシャンとは競争のない穏やかな海、つまり未開拓の市場を意味します。
レッドオーシャンとは其の対義語で、競争が激しい既存の市場を意味します。
技術競争や価格競争など、激しい戦いが繰り広げられる血みどろの海、其れがレッドオーシャンです」
「ふ~~ん。じゃあ俺達はどっちの海を泳いでいると、自分は思うんだ?」
「秩序が回復したエリアに居るんですから……」
「そうとも限らないわよ」
頬に当てていた左手を下ろしたミスハが、足元の小石を赤いハイヒールの爪先で蹴り飛ばす。
石畳から蹴り出された小石は、道端の草むらへと消えて行った。
「秩序があると言っても所詮は人が作り上げた、約束事。
ましてやアキバには一万数千人の冒険者が居るもの。
危険だらけの無人の地と、安全かもしれない人口密集都市。
どちらが青いか赤いかを論じるのは、まだ早計だと思うけど」
「そうだな。……赤信号よりも青信号の方が危険な時もあるもんな」
背伸びをしたテイルザーンが、楽しくもなさそうな笑みを浮かべる。
「安全だと思って歩き出したら、信号無視の車が突っ込んで来る事もある。
右見て、左見て、もう一度右を見て。
手を上げて横断歩道を渡るのは、其れからでも遅くはないさ。
安全第一ってのは、状況確認が何よりも大事だから、な」
テイルザーンは大欠伸を漏らし、草臥れたように首を振ながら果てなき世界から、町へ戻る方へと歩き出した。
北西の夜空に一礼をしたマリユスが、其の後を追う。
「しっかりと、法師の世話をしなさいよ、召喚従者」
ミスハは、口の端に皺を寄せながら毒づくと踵を返し、月に背を向けた。
門扉が再び軋みを鳴らし、明確に世界を二つに隔てる。
穏やかに閉ざされた窮屈な世界と、遮られる事のない残酷な世界とに。
月明かりは、どちらへも平等に白々と灌がれる。
美しく、優しく、素っ気なく、冴え冴えと。
そして何事もなかったかのように。
夜はひっそりと更けていった。
気がつけば、いつの間にやらイースタルの圏内。
タイトルに偽りあり!の数話でしたが、次回から再びウェストランデ圏内に逆戻り致しまする。
そして。
先だっての活動報告にて、御意見を寄せて戴きました皆様方には重ねて感謝を。
今回のお話に、頂戴致しました御意見と御感想を抄訳致し、流用させて戴きました。
皆様方の御見識と御協力に、最敬礼でありまする!