第伍歩・大災害+61Days 其の参
世の中は銀色週間だったとか。私にとっては秋の御彼岸でしたが、何か?
と言った感じで。
とうとうヨコハマに!
到着するまで、後一歩か二歩か三歩か四歩か十七歩、くらいです!
書きたい事を書いていたら、書きたい事を書き忘れたりもしちゃう感じの秋の夜です、夜もすがら。意味なし。
総量の大半を消費し、残量僅かとなったMPを回復させるために家族たる眷属全てを虚空へと帰還させたレオ丸は、本日幾度目かの溜息を漏らす。
そして何かに気づくや、おや? とレオ丸は首を傾げた。
苦戦しながらも<水棲緑鬼>の大群の撃退に成功した事、誰一人欠ける事なく生ある喜びを甘受出来る事。
二重の喜びを分かち合う仲間達の輪を見渡せば、あるはずの見知った顔が一人足りない事に、疑念を覚える。
考えた処で理由が判明する事もなかろうと、レオ丸は右隣に立つ知世の隣に立つ人物に、明解な答えを求めた。
「なぁなぁ、イカ……」
「殺ァァッ!!」
「ああ、スマンスマン。つい、愛称で呼んでしもうた」
「 I will KILL!!」
「はっはっは~~~って、其れはさておき、マドモアゼール葉月。
イアハート女史は、何処へ行ったん?」
「さぁて?」
「ああ! ……お花を摘みに、雪隠に行ったんか!」
「違うさね!」
「……代わりに説明させて戴きます」
掛け合い漫才がドツキ漫才に移行しそうな雰囲気を見かねた知世が、二人の間に割って入る。
「イアハートさんは、サファギンの軍勢を完全に撃退し終え、安全が確定したと思われた直後に、陸地へと戻られました」
「ありゃまぁ、御礼の一つか半分くらいは言いたかってんけどなぁ」
「法師宛に、メモを残されて行かれましたが……」
「ほうほう、何て?」
知世が差し出した二つ折りの紙片を、レオ丸は受け取り開くと其処には、
『 請求書 助っ人料として 金貨:三千枚 』とだけ、記されていた。
レオ丸は、時計の秒針が一回り半するくらいの時間、沈思黙考する。
やがて徐に、紙片を丁寧な手つきで折り畳むと、更に紙縒りにした。
「あ~~~、気持ちぃ~~~」
紙縒りで耳掃除をしながら、明後日の方向へと顔を向けたレオ丸の眼前に、ズイと突き出される一本の手。
些か気を静め、ニンマリと笑みを浮かべた葉月の、遠慮のない右手だった。
「ん? Hand in handしながら、『We Are The World』でも歌いたいんか?」
「違うさね!」
「ほな、何なん?」
「ほーしゅー」
「ほーしゅー? ……ああ! 紀元前597年にネブカドネザル王が……」
「其・れ・は、“バビロン捕囚”さね! アタシが言いたいのは、報酬!」
紙縒りを足元に捨てたレオ丸は、地団駄を踏む葉月を面白そうに眺めつつ、緩慢な動作で背後を振り返る。
「おーい、回収部隊と主計官。全部で、何ぼあった?」
「はーい、法師。レベルの高い奴も混じっていたようですので、意外と稼ぎがありましたのです。
金貨は丁度、二千二百八十八枚あったのです。
其れと、魚臭い武器と防具ですとか、磯臭い装飾品ですとかが幾許かありましたのです」
立ち上がり答えたのは、和装エルフのレディ=ブロッサム。
まるで高級な西陣織の如き風雅な布鎧に包んだ細身を、たわやかに折りつつ物腰柔らかに報告する。
続いて立ち上がったのは、屈強な体型を場違いな格好で包んだ猫人族のコンビ。
如何にも執事然としたスリーピースを着こなしたブラック下田と、今しも毘の旗を立てに小田原城へと出陣するかのような甲冑姿の虎千代THEミュラーだ。
全ての戦利品を放り込んだ、甲板に転がっていた適当な木箱を二人で持ち上げ運び、レオ丸と葉月の間にドンと置いた。
「シブチンって言われるんも業腹やから、耳を揃えてキッチリ払わせてもらいまひょか。
どーぞ、遠慮なく全部まるっとお持ち帰り下さいな。
高々知れた、ワシらの、血と、汗と、涙の、結晶やけどな?」
西洋絵画でよく描かれる悪魔のような笑みを浮かべながら、レオ丸は慇懃に頭を下げる。
そう言われて、有難う頂戴します、と素直に言えるはずもない。
厚顔無恥に徹しきれない葉月は、二十五名の冒険者達の、突き刺さるような視線の集中砲火を一身に浴びながら、足元に呈された“正当報酬”を睨みつけた。
「あ! そーや!」
不穏な空気が漂い始めた甲板に、ワザとらしくも暢気な声が響き渡る。
「葉月さん、いや、<月光>さんや」
「な、何よ」
「ワシらの方からも、自分らに請求したいモンがあるんやけど?」
ニヤニヤ笑いを浮かべつつ、呵責なく二十六人目の視線を葉月に突き立てる、レオ丸。
「アンジェリカちゃん、コレットちゃん、マクシム君、ルスタン君、ヨナタン君、マルカントニオ君、ファビオラちゃん、ゲルベルト君」
わざとらしく突き出された、レオ丸の右手。
名前と共に指折り数える其の仕草に、紅潮していた葉月の顔色が少しずつ冷めていった。
「まだ完遂した訳やあらへんけど、……先払いでもエエやろ?
彼ら大地人の少年少女達の、ヨコハマまでの運賃と、アキバまでの護衛料。
余す事なくキッチリと、支払ってもらおうか?」
「ふ、ふん……幾らさね?」
「時価」
「はぁ!?」
「言わば、彼ら彼女らの命の値段や。……なんぼって言えるはずないやん?」
「……」
「まぁ、<月光>の“お志”で、エエよん♪」
葉月は無言で金貨の詰められた木箱を蹴り、レオ丸の方へと押し出す。
「はい、毎度あり♪」
ニヒヒ、と嫌らしく嗤うレオ丸が、再び恭しく腰を低くした、其の瞬間。
「ちょーっと、待ったぁーーーッ!!」
天から声が降って来た。
何事かと上を見上げたレオ丸の視界に、巨大な爪が大写しとなる。
そして。
「ヘブッ!」
咄嗟に繰り出されたミスハの蹴りで、ゴロリと甲板に転がされるレオ丸。
丸刈り頭を覆う五ミリばかしの毛先と、金貨が詰まった木箱の間に轟音を立てて力強く着地する、一頭の獣。
背中に生やした巨大な翼を折り畳んだ<鷲獅子>が甲高く嘶くと、其の背から一人の女性エルフがヒラリと舞い降りる。
「チッ! 潰し損ねたか」
イアハートは、乱れた長い金髪を梳かしながら美麗な口元を僅かに歪め、憎らしげに悪態をついた。
「大丈夫ですか、法師?」
危険な空気を引き連れて再登場したイアハートを睨めつけつつ、ミスハが気遣わしげな声を出す。
昆虫標本のタガメそっくりな姿勢のレオ丸は、無様に倒れ伏しながら首だけを起こした。
「……力技は、一号の方やったか」
先ほどとは異なる展開で、一触即発状態となる甲板上。
すわ何事かと、息を詰める冒険者達。
大地人の少年少女達は、不穏な状況に怯えて一塊となる。
「葉月! 此のインチキ坊主の妄言に惑わされちゃ、ダメよ!」
「妄言……とは、何ですか!」
「あ、“インチキ”は否定してくれへんのや、ミスハさん」
「おねーちゃん!」
諫止と不快感とボヤキが錯綜する中、不意に童女の欣悦した声が上げられた。
「アンジェリカ!」
「ぐえっ」
グリフォンの背から飛び降りた人物が、足元にあった(正確には倒れ伏していた)、レオ丸の背中を踏みつけ蹴飛ばし、甲板を一目散に駆ける。
「おねーちゃん!」
「会いたかった!」
泣きながら笑う童女を胸に抱き締めた女性は、白い歯を見せながら止め処なく涙を流し続けた。
更に、女性を呼ぶ泣き声が、名を叫ぶ歓声が幾つも幾つも重なった果てに、湿った声を明るい声が大きく凌駕する。
「“雨止んで、人、傘を忘る。
兎角、人間は時の流れに過ぎし日の事を、忘れがちなものです。
推理と思い出のご対面。
其れは、秘密です!!”……なーんてな」
「何ですか其れは?」
「彼の偉大なる、桂小金治師匠の名台詞にて候」
差し伸ばされたミスハの手に掴まり、漸く二本足で立つ事の出来たレオ丸が首をコキコキと鳴らした。
「まぁ、何や。御涙頂戴的な感動の場面が始まった事やし、ワシは裏表なく平等に足蹴にされたし、……ちょいと落ち着いて話をしよっか?」
気が殺がれた冒険者達は一様に、レオ丸の提案に不承不承と安堵の面持ちで首を縦に振る。
数分後。
衆人環視の中、武力に拠らぬ交渉が開始された。
「ほいでは、イアハート女史に改めてお訊ねすんで。
何で自分らは、金貨三千枚ってな法外過ぎる、ぼったくりバーも印度人もビックリな要求を突きつけたんやいな?」
「……正当な報酬だと思ったからよ」
「なるほど! なるほど?
まぁ、確かに自分らの手助けで戦線崩壊の危機を脱したんは、確かやし。
其れについては今一度御礼を言上しよう、ホンマにサンキュー♪」
「ならば!」
「……せやけど御令嬢さんよ、……ワシは、頼んでへんで。
ワシの認識では、自分らが勝手に助けてくれたんやで?」
「あの……法師、宜しいでしょうか?」
「うん? 何やいな、知世嬢」
「……私の方から、連絡させて戴きました」
「ほほぅ?」
「僭越な事を致しまして、誠に申し訳ありません」
「ふむ。まぁ別に其れはエエわ。そないに頭を床に擦りつけなならん失態でもあらへんし。
ほいで……自分の方から積極的に、参戦の依頼をしたんんか、知世嬢?」
「え? あ、いいえ。其処までは。……サファギンによる襲来を受けている、かなり苦戦している、とだけお伝えしました」
「なるほろ、……つまり彼女らの参戦の意思決定は、此方の要請に基づいたやもしれへんけど、此方からの“正式な依頼”やなくて、彼女らの“義勇心”によるものやったって、そういう事やな?」
「其の通りかと」
「ありゃ、ミスハさんも既知の事実やったん?」
「ええ。私の方から、知世に“そう伝えるように”連絡させましたから」
「ふぅ~~~ん。……せやってさ、イアハート女史に葉月さんよ。
さてさて、自分らの見解や如何に?」
「「…………」」
「“見義不為、無勇也”。人間として行うべき事を前にしながら、行わないのは臆病ものである、って事かいな?」
「そうよ! だから危険を顧みず、助けてあげたんじゃない!
でも、私達は別に、慈善事業団体じゃないんだもの。
確かに、事前契約はなかったわ。
であったとしても、其の代価を請求するのに、此方の働きが及ぼした効果に相当するモノを求めて、何処に問題があると?」
「ありゃりゃんりゃんやで、イアハート女史よ。
今のは、『為政』から引用した言葉やけれど、コイツには前段があるんやで?
“子曰、非其鬼而祭之、諂也”ってな。
“孔子センセーが仰った。自分の祖先として祭るべきでない神を祭るのは、へつらいである”。
義を見てせざるってのは……“義勇心”とは、全く別次元の訓戒でしたー、残念でしたー。
つまり、ワシの言葉を準拠してしもうた時点で、自分の主張には正当性の事由がなくなった、ってぇ事やなぁ?」
「それじゃあ……」
「ああ、待ちぃや。何も金はビタ一文払わへん……とは言うてへん。
自分らかって、半魚人退治に励んでくれたんやしなぁ」
レオ丸が言葉を切って背後に合図を送ると、少し大きめなレジ袋サイズの布袋を提げたテイルザーンが、<月光>に属する二人の前に歩を進める。
金貨ではち切れんばかりの布袋が、ズシリとした重々しい音と共に甲板に置かれた。
「金貨三百五十枚や。そいつぁ自分らの“正当報酬”であるんと同時に、ワシらからの感謝の意も入っとる。
そんくらいで、納得してもらえへんかな?」
「それっぽっちじゃ……」
「……潤さんに……」
「うん? ユストゥス君が、どないしてん……って……あ!」
消え入りそうな声で首を折るエルフとハーフアルヴを見て、レオ丸は何かに気がつく。
其れは、恐らく。
「今回の助太刀を決めたんって、自分らの、どっちかゆーたらイアハート嬢の、独断専行によるモンやったんやな!?」
レオ丸の発した推論に、<月光>の二人は更に身を縮めた。
「ああ、なるほどなぁ。そりゃあ、困った事態やわなぁ。
指示も仰がずに、現場が勝手に動いたんじゃあ、指揮官はカンカンやよなぁ?」
紅潮したイアハートと、青褪めた葉月。
口を真一文字に結んで黙り込む二人を見て、レオ丸はどうしたものかと腕組みをして天を仰ぐ。
早朝から午前中への太陽に移り変わる時分の空は、下々が抱える苦悩や欲望など実に些細な事に思えてしまう、誠に素晴らしい抜けるような蒼穹だった。
三百五十と三千とでは桁一つ分以上の開きがあるが、一体其れが何だと言うのだろう。
レオ丸が視線を水平に戻せば、苦悩や欲望などが未だに胡坐を掻いたまま鎮座している。
鼻から洩れ出た五色の煙が、海風に揉まれて散り散りになっていくのに気も留めず、レオ丸は<マリョーナの鞍袋>を漁り一つのアイテムを取り出した。
此れまでに知り得た事が記され、此れから知り得る事柄を全て書き込まれる予定の、<大学者ノート>。
しかも使用中ではなく、未使用新品の一冊だ。
アタルヴァ社が用意した設定には存在しないが、同人の手により誕生した、所謂不正規品の一種とも言うべき品を膝の上に広げるや、レオ丸は丁寧な手つきながら躊躇いもなく、二ページ分を破り取る。
破り取られた瞬間、二葉は二つの独立したアイテムへと変化した。
レオ丸は慎重を期しながら、其の二つのアイテムに幾本もの折り目をつけ、形を与える。
そして。
完成した其れらを一つずつ、イアハートと葉月の掌中へと乗せた。
「此れはワシにとっての、アルファでありオメガであるモンや。
但し、此の世界にとってはアルファでもオメガでもない、敢えて言うにゃらば、場違いな物品やわな」
胡散臭そうに、手元の折鶴とレオ丸を見比べる、イアハートと葉月。
「ステータス画面を通じて視てもうたら判るけど、アイテムの名前は<大学者の覚書>という。
性能はワシと……ゼルデュスの折り紙つきや。
さて其の価値はどれくらいか?って言うたらば、ある人によっては紙屑同然やし、また別の人によっては『春望』における“家書”と同等やろう。
……ユストゥス君は、なんぼの値段をつけるかは、ユストゥス君の価値観によるやろうけど、……少なくとも端金ではないはず。
もしかしたら、“万金に値す”って言うてくれるかな?
ホンでまぁ、渡しっ放しやのうて、アフターサービスも提供したろう。
もしも扱い方や、其の価値が判らんのやったら、……イツデモ念話シテクダサーイ!」
レオ丸は、ミスハの目からしても、実に悪辣な微笑を湛える。
「懇切丁寧に教えたるわ、……金貨三千枚で、な?」
口角泡飛ばすほどではないが、和やかでもない交渉がレオ丸の優勢勝ちに終わってから、凡そ半時後。
ハコネへ向かって、元の現実ならば伊豆半島の方へと、イアハートを乗せたグリフォンが咆哮も高らかに、葉月が召喚した<雨燕>を従え飛んで行った。
イアハートの背後には知世が、葉月の背後には大地人のファビオラが、それぞれ同乗している。
太陽の光に溶け込むように去って行く彼女達を見送りながら、レオ丸は大欠伸をもらした。
「さてさて、と。嵐は二つとも無事に過ぎ去ったってぇ事で、改めて皆さん、お疲れさんでした!」
「「「「「御疲れ様でしたッ!!」」」」」
冒険者達がヨヨヨイと拍手を一つ打つ其の傍では、イアハートに連れられて来た大地人の女性、タチアナが、家族である少年少女達に囲まれ笑顔を綻ばせている。
余りにも幸せそうな彼女達の姿に、レオ丸達の顔も緩んだ。
「ほなまぁ、行きましょか。いざ、鎌倉! ……の向こうのヨコハマまで♪」
順風満帆な船旅が、再び始まる。
帆を一枚たりとて広げず、巨大な水棲モンスターに牽引されて進む帆船の海路を、“順風満帆”と表現するのが適当かどうかは、定かではないが。
船は慌てず急がず確実に、伊豆半島に相当する地形を大きく回り込み、間近になってきた新天地の近海へと勇んで進入を果たす。
レオ丸達の背後に刻まれた航跡は、神聖皇国ウェストランデが主権を声高に叫ぶ領域・領海であったが、此れから帆船が航跡を刻もうとする海域は、そうではなかった。
冒険者、大地人の別なく車座になり、朝食兼昼食を済ました頃。
帆船は、元の世界で言うならば神奈川県に面した海へと、勇躍乗り込む。
遂に、自由都市同盟イースタルの領する圏内へ到ったのだ。
別に境界線が引かれている訳ではないが、ステータス画面を通してみれば、其処は全く別のエリアである。
ステータス画面内の表示が切り替わった事に、最初に気づいたのは大アルカナのぜろ番。
曲馬団の花形にしか見えない格好をした<吟遊詩人>のエルフは、背負っていた特殊な楽器アイテムを手に持ち、ロベルト・フィルポが1914年に発表したタンゴの名曲を派手に、賑やかに奏で出す。
アイテムの名は、<聖豹牙の手風琴>。
演奏する曲目は『El Amanecer』、邦題で言えば『夜明け』だ。
因みに、アコーディオンとバンドネオンは良く似ているが、全く違う蛇腹楽器である。
違いは何かと言えば、鍵盤式であるかボタン式であるか、だった。
大アルカナのぜろ番は、持ち手の左右の盤面に配された計七十一個のボタンを押しながら、絶妙な力加減で蛇腹をくねらせる。
伸ばしたり引いたりする事により、緩やかな和音も鋭いスタッカートも、鮮やかに奏でる事が出来るのだが、習得が非常に難しいために別名、『悪魔が発明した楽器』とも称されていた。
其のバンドネオン形のアイテムを、大アルカナのぜろ番は事もなげに操作する。
遙か水平線の先の先まで、何処までも広がる大海原に溢れ出る、色鮮やかな音符達。
太平洋ではなく、<静謐なる大海>と命名された海の片隅が俄かに騒がしくなった。
甲板上に居た他の冒険者達も、海上に引かれた見えぬ境界を越えた事に次々と気づき、歓声を上げ始める。
空腹に耐えかね、仮眠を切り上げたレオ丸が船室から甲板上へと続く階段を登り終えた時、眼前に広がっていたのは幾つもの歓喜の輪。
浮かれ騒ぐ冒険者達と大地人達が織りなす、円舞であった。
「……なんじゃらほい?」
「法師!」
腕組みをし、首を傾げるレオ丸の背を、危急を告げる声が叩く。
狭い階段上で後ろへと向き直り、逆の方向へ傾げられる首。
「……なんじゃらほい?」
「たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたい!」
“大変”と伝えたいのか、それともレオ丸の事を“変態”だと言いたいのか。
兎にも角にも、階段下で両手を振り回し、泡食った様子でジタバタしている女性エルフに、レオ丸は落ち着くようにジェスチャーを送る。
「どないしてん、†ばる・きりー†さん?」
甲板と階段の境目に腰を下ろし<彩雲の煙管>を咥えた<召喚術師>に、バタバタと階段を駆け上がって来た<守護戦士>が、勢い込んで予想外の言葉をぶつけた。
「水漏れ!」
「はい?」
「船底が水浸し!」
寝起きで上手く働いていないレオ丸の思考に、完全に想定外の報告がジワジワと浸透する。
「Oh!」
漸く現実に理解が追いついたのか、<彩雲の煙管>を唇の端にへばりつかせたレオ丸の口が、間抜けた感じで丸くなった。
「マジか!?」
「マジ!!」
二人の冒険者は、切迫した事態を体現するかのように、短いセンテンスだけで会話を成立させる。
「どんくらいや!?」
「ヤバイくらい!!」
「其れは“素晴らしい”って意味合いの!?」
「んな訳あるかいッ!!」
レオ丸の頭頂部に、†ばる・きりー†の容赦のないチョップが叩き込まれた。
「アウチッ!!」
「どうする!?」
考える暇を与えず問いかける†ばる・きりー†に、レオ丸は即答する。
「総員退艦やッ!!」
こうして“順風満帆”な船旅は、いとも簡単に強制終了と相成った。
眼下に広がる大海原。
陽光を反射させ輝く海面は、深い青色を宿した巨大な鏡面のようだ。
煌く鏡面の、とはいえ滑らかなガラス鏡ではなく発掘されたばかりの青銅鏡であったが、真ん中で揺蕩う帆船が一隻。
レオ丸が<淨玻璃眼鏡>のズーム機能で確認すれば、船は僅かに右舷の方へと傾いているように見えた。
船員も乗客もいなくなった無人の帆船は現在の処、海風や波と他愛なく戯れているようだが、時が経てば一方的にもてあそばれ、海の藻屑になるだろう。
帆船が船底に受けたダメージは、かなり深刻であった。
技能があれば、修理出来たのかもしれない。
だが残念な事に、修理をなしえる技能を持った者は、皆無であった。
可能性があるとすれば、サブ職が<木工職人>の大アルカナのぜろ番、くらいだが、彼は<大工>ではない。
壊れた棚は直せても、壊れた船は直せないのは自明の理。
しかもレベル16であろうと90オーバーであろうと、冒険者達は全員が見知らぬ事だらけの此の世界では新参者で、満ち溢れている危険に対してはド素人である。
サファギンとの乱戦の最中、護衛対象であった大地人を守りきり、共に戦う仲間達を誰一人として死なせなかっただけでも、御の字であった。
乗り物の安全にまで配慮するなど、土台無理な話だ。
結果論で言えば、冒険者としての至らなさが、此の事態を招いたといえる。
「まぁ、しゃあないわな」
力強く大空を舞う<誘歌妖鳥>がぶら提げる、ハンモックに腰かけたレオ丸は漂う帆船へと静かに目礼した。
お疲れ様、有難うと無言で告げると、<彩雲の煙管>を咥えて隣を見遣る。
其処には、真っ黒な気球が浮かんでいた。
正確に言えば、直径が二十メートルよりも大きい真ん丸の風船らしきモノと、其れの下に括りつけられた二艘の小型ボート、だったが。
真ん丸の物体を一周する歪な枯れ枝によく似た飾り、其れは長さ三メートルほどの触手群であった。
ウニョウニョと蠢き続ける触手達が、小型ボートの要所に結びつけられたロープを確りと巻き取り、宙へ吊り上げている。
空中を航行する小型ボートの一艘には、大地人の少年少女達と、彼らをミナミから護衛して来たミスハの部下達である、元<トリアノン・シュヴァリエ>のメンバーが乗り組んでいた。
そして、もう一艘の乗客は、<TABLE TALKERS>のメンバーを中心に、ナゴヤ脱出組と海外からの旅人達。
其の一員たるDRAGOON-ww2は、仁王立ちをしながら契約従者に指示を出す。
「<成層圏52号>、北北東へ宜候!」
契約主の命令を承った<大魔眼>は、胴体の中央にある巨大な目をカッと見開き、ゆっくりと向きを変えた。
黄色い白目の中にある鮮やかな真紅の眼は、元の世界で言えば相模湾の向こうに見える三浦半島の、其の先を睥睨する。
北米サーバの特殊フィールドでしか遭遇し得ない、ユニーク・モンスターを意のままに操るDRAGOON-ww2。
凛とした其の姿を、レオ丸は羨望とは真逆の視線で眺めた。
「……コイツに、<白き化鯨>、<人造海竜>。
ワシが“四光”で殿堂入りやったら、DRAGOON-ww2君はターキーかパンチアウトやんけ。
此れは……現実に戻ったら絶対に、次期<大会合会頭>に推薦してやらねば」
「何か仰いましたか?」
「ああ、いや、こっちの話や」
「……其れよりも、此のスピードで大丈夫でしょうか?」
グリフォンの背で手綱を取り、伴走飛行をさせているミスハの問いかけに、レオ丸は肩を竦めた。
「沿岸から離れた沖合いの、しかも上空においての遭遇戦なんざ、設定されてへんかったはずやで。
ワシの、記憶が正しかったらの話やけど……どうやろうか?」
「いえ、疑問形で答えられても」
「まぁ不確定事態には、臨機応変で対応せなアカンわさ」
「何と大雑把な……とは言え、仕方ありませんね」
「『中庸』に曰く。
“君子素其位而行、不願乎其外。素富貴、行乎富貴、素貧賤、行乎貧賤、素夷狄、行乎夷狄、素患難、行乎患難。君子無入而不自得焉”。
立場、身分、ホンで境遇。何事にも無理して逆らわず、それぞれの立場や状況に応じた“適切で無理のない振る舞い”をしたらエエねん、って孔子センセーも言うてはるでな」
「……“聖人君子”が此処に居るとでも?」
「ああ、それはまぁ、根源的な問題やなぁ」
フランスの画家、オディロン・ルドンの代表作である『眼=気球』にそっくりなモンスターの傍を、悠々と飛翔するグリフォンとハーピー。
二十五人の冒険者と八人の大地人は、拠所ない事情で船旅を放棄し、空を旅する事と相成った。
幻想的と表現するには、見た目が何とも禍々しい、空の旅を。
空の旅は約一時間に渡り、のんびり快適に続いた。
幸いにして、レオ丸達一行は何者にも邪魔される事なく、元の現実で言う処の三浦半島の上空へと差しかかる。
此のまま順調にヨコハマまで到るかと思われたが、そうは問屋が下さなかった。
実に切実な事情が生じたからだ。
「「おしっこー!」」
其の事情とは、幼児達の生理現象である。
こうしてレオ丸達は空の旅を中断し、三浦半島の根元に位置する八景島、此方の世界ではオクトパシーサイドと呼称されるエリアへと、不時着する事となった。
丁度良い広さの草むらを選び、接地するゴンドラ代わりの二艘の小型ボート。
男性冒険者達が直ぐさま飛び降り、散会して周辺警戒に当たる。
序で、女性冒険者達が大地人の少年少女達を連れて、木陰へと走り込んだ。
グリフォンは上空を旋回しての警戒任務につき、高度を下げたハーピーは契約主を優しく地面へ降ろす。
飛行酔いから逃れようと這い蹲り、そして大の字に寝転がったレオ丸は、呼吸を荒くしながら<彩雲の煙管>を取り出した。
「何処で……あろうと、……其処に人間が居る限り……、須らく萬の事共に変わりはないモンやねぇ、ホンマ」
「何の事です?」
「“Sequere naturam”」
「出来れば日本語で……」
「ストア派の主張に曰く、“自然に従え”ってこっちゃ、テイルザーン君よ」
全身で午後の日差しを浴びながら、気つけ薬の代用品を美味そうにプカリと吹かす、レオ丸。
テイルザーンは至極ごもっともと頷きつつ、足元からフワフラと昇り来る五色の煙を手で追い散らした。
「さてさて、其れよりも。……此の辺は、どの辺やろうか?」
「愚考致しますに、金沢八景駅近辺ではなかろうかと」
一息ついて半身を起したレオ丸の質問に、解を示したのは志摩楼藤村。
木々の合間に見え隠れする神代の遺物、蔦草や苔で覆われ緑色に変色した高架を指差し答える。
「エリア名から推察するに、此れより真っ直ぐ北上すれば、日が暮れる前にはヨコハマに赴けるかと」
「そいつぁ、重畳」
「ならば再び、空中散歩か?」
「其れは無理だ」
虎千代THEミュラーに問われたDRAGOON-ww2は、首を横に振った。
「既に<成層圏52号>の召喚を解除した。再召喚するのに三時間は必要だ」
「其れなら、歩いた方が早そうナリー」
「だな」
ホウトウシゲンの提案に、頭文字ファンブルが首を縦に振る。
「迷いようがねぇ道筋があるんだし、後の手立ては膝栗毛と洒落込めば良いんじゃねぇかな。
レオ丸の大将も、そう思うだろう?」
大アルカナのぜろ番が意見を纏めると、その場に居た全員がレオ丸を見た。
一同を見渡し、徐にレオ丸が決断を下そうとした瞬間。
「されば、そうしなんす」
太陽光が作るレオ丸の色濃い影から、全身を黒い衣装で包んだ淑女が前触れもなく現出し、有無を言わせぬ口調で決定事項を通達する。
「で、ありんしょう、主殿?」
言うべき台詞を奪われた家長は、口をパクパクさせるしかない。
勝手次第を旨とする家族の振る舞いは、今に始まった事ではないが故に、レオ丸に出来る対応は諦めた仕草で首を垂れるだけだ。
「ほな、そんな感じで」
力なく追認された方針決定に、勢い上がらぬ冒険者達は戸惑い口篭り、応の声すら揃え損ねる。
「すっとしたー!」
元気溌剌とした童女の、実に無邪気すぎる報告が彼らの頭上をかすめ、明後日の方向へと過ぎて行った。
そして、全員が身支度を整え終えた数分後。
遥々とナゴヤから旅して来た一行は、<召喚笛>で呼び出した馬に勇んで跨り、ヨコハマへの最後の行程を進み始める。
大地人の内、幼子と少女達は女性冒険者の騎乗する馬に、少年達は男性冒険者の騎乗する馬に、それぞれ分乗した。
移動速度は安全面を様々な角度から考慮した結果、常歩よりも早く駈足よりも遅い所謂、速歩である。
上空警戒は引き続き、グリフォンを駆るミスハ。
周辺警戒は、無数の蝙蝠へと姿を変えた<吸血鬼妃>が契約主の命を受け、担当していた。
一行の、左側面を守るのは虎千代THEミュラーとリルル、対する右側面を守るのはレンインとズァンロン。
テイルザーンは単騎で、隊列の殿を受け持っている。
虚空より呼び出した<獅子女>の背に乗り鬣にしがみついたレオ丸は、同じく召喚した<首無し騎士>を従え、先駆け露払い役をしていた。
八景島と横浜を繋ぐ私鉄の路線と全く同じルートに設けられた、高さも道幅も四メートル弱の高架路。
所々にヒビ割れや欠落があり、蔦草やら下生えやらが路面を覆ってはいるものの、全体的には充分な強度が保たれている。
レオ丸の口から吐き出される五色の煙の所為で、隊列はまるで空想上の機関車のようだ。
「海を走り、空を飛び、地を駆け、って……科学的で忍者な部隊の歌っぽい旅でやんしたなぁ、全く」
ミナミの街に後ろ足で砂をかけ、出奔してからの約二ヶ月間。
其の旅路のほとんどを気侭な一人旅で過ごして来たレオ丸にとって、此の一日は何とも新鮮で面映いものであった。
「そいつも、……もうすぐ終わりそうやねぇ」
弾むように駆け続けるアヤカOの背に身を委ねながら、緊張と安穏の間で過ごすレオ丸。
其の頭の片隅で突然、鈴の転がるような音が鳴り響いた。
スフィンクスの鬣を掴んでいた右手を宙に滑らせステータス画面を展開すれば、実に何とも懐かしく、予想だにしていなかった人物の名前が明滅している。
暫く考え込んでから、レオ丸は其の名前に指を伸ばした。
「やぁやぁ、どうも。……一瞥以来の御無沙汰でした。
お変わりございませなんだか、って言うのも今となっては変な言い草になりますけれど、お元気でしたかいな……御前さん?」
「……お久しぶりです、レオ丸法師」
念話をかけてきた相手は、今とは違い全てがゲームだった頃の<エルダー・テイル>において数々の偉業を打ち立て、半ば生ける伝説と化したベテラン・プレイヤー。
朝霧、という名の冒険者であった。
同志諸兄がコラボに四苦八苦なされているのを傍観しつつ、あたしゃ暢気だねーと思っていたら、……今回って御三方との同時並行コラボやん!って気付きました。いやー、うっかりうっかり。
ってな訳で。櫻華様にはお待たせ致しまして申し訳ありませんでした。
一年と一ヶ月のタイムラグを経て、時空が繋がりました。
御作『天照の巫女』「【第二部 〈大遠征〉】第六話『テンプルサイドの街へ−〈放蕩者の記録〉の夏季合宿−』」に。
http://ncode.syosetu.com/n0622ce/7/ と、少しばかり会話の文字数が違いますが、何卒ご勘弁下さいませ。
ああ、しかし。
漸く、バックベアードを出せた! 念願成就なり!




