第肆歩・大災害+58Days 其の弐
読んでいるだけの人様の監修を仰ぎ、今回も御作『ある毒使いの死』より、テイルザーン氏に御出張戴いておりまする。平身低頭、感謝感謝。
尚、テイルザーン氏の個人情報は、以下のアドレスを参照致しておりまする。
http://ncode.syosetu.com/n3984cb/19/
誤字・誤表記を幾つか是正致しました。(2015.05.01)
背中に感じた裁たれる痛みと、心に感じた爆ぜる痛み。
レオ丸が覚えたそれらは、出血や肉体の損傷を伴ったモノではなかったが、モルゲロンズ病という嘘まやかしとは全く違なる、肉体が体験した忌むべき記憶。
“まやかし”ではない痛みは、蘇った過去の亡霊と言うべきモノであった。
見えない鍵盤を叩くような仕草で右手を宙に遊ばせたレオ丸は、探るような案ずるような何とも微妙な表情を浮かべたテイルザーンに、小首を傾げる素振りだけで発言の続きを促す。
「コイツがどうしても、法師と話がしたいって言うモンでね。
お忙しいのは承知してますが、少し御時間を戴けませんかね?」
テイルザーンの言葉が、微かに変化した場の空気を固定化させた。
変質した状況に、気遣いをしたカズ彦が立ち去ろうと腰を上げるも、何かに阻害され再び座り込まされる。
視線を落としたカズ彦の視界に映ったのは、羽織の端を確りと握り締めているレオ丸の左手だった。
「別に秘密にせなならん事でもないし、カズ彦君も此処に居てくれてエエで。
なぁ、エエやろ、テイルザーン君ともう一人さん?」
二人の<武士>へと朗らかに問うレオ丸の横顔を、眉を顰めたカズ彦は口を噤んでチラリと伺い見る。
「俺らは別に構いまへんが……」
ひょろりとした体を猫背気味にしている武士も、テイルザーンの後ろで薄の穂が揺れるように無言で頷いた。
静かに了解を受け取ると、レオ丸の口元にアルカイック・スマイルに似た笑みが浮かぶ。
だが、<淨玻璃眼鏡>で隠された眼まで笑っているのかどうかは、月明かりを頼りに眼を僅かに細めるテイルザーンにも、仕方がなく再び胡坐を掻いたカズ彦にも判別はつかなかった。
「ま、此方へお座りよし」
万里の長城とまではいかずとも、それなりの広さを備えたナゴヤ闘技場の城壁の上層回廊は、数人が向き合い座しても些かの窮屈さを感じさせない幅がある。
有無を言わさぬ雰囲気を醸し出したレオ丸が<彩雲の煙管>で座を指定すると、テイルザーンは素直に従いカズ彦へと軽く会釈をしてから、対面の側へどっかりと大儀そうに胡坐を掻く。
ひょろりとした冒険者は所在なさげに視線を彷徨わせてから、覚悟を決めたような緊張した面持ちで、レオ丸を正面に見据える位置に腰を下ろした。
夜風が、そよそよと城壁へと吹き寄せる。
遥か下の方からは其の夜風の隙間を通って、其処彼処で浮かれ騒いでいる冒険者達の喧騒が聞こえて来た。
罵声や怒声も入り混じっているようだが、直ぐに嬌声や笑声に掻き消されてしまう。
下が賑やかであればあるほどに、上は沈黙が重くなっていくようだった。
俯けた顔を上げ何かを言おうとするも、レオ丸の無表情を見た途端に背筋を硬く凍らせるや、再び頭を垂れて背を丸める冒険者。
今居る四人の中で最も若くあどけない顔立ちが、刻一刻と青ざめていく。
耐え難いほどの重い空気が、背丈ばかりは立派な冒険者を押し潰しそうになる直前、最も年長の冒険者の口元が漸くにして再び綻んだ。
フッと息を吐き出し、徐に煙管を懐に収めたレオ丸は、ゆっくりと両手を床について丸刈りの頭を少しだけ沈める。
「ワシが頭を下げるんも、自分が謝罪の言葉を口しようとするんも、どっちも間違いのような気はするんやけど。
でも、まぁ……態々と御丁寧にもワシの前に来てくれたんやし、其の気持ちは誠に忝く、有り難く確かに頂戴させてもらいました」
レオ丸はぺこりと一礼するや、表情と体の全てを強張らせた儘の<武士>に優しく微笑みかけた。
「言いたい事があるんは、法師やのうて自分の方やったんと違うんかい?
相手に先に言わせて、どないすんねん!」
テイルザーンの言葉と張り手にどやしつけられ、一言も発せぬで居る冒険者の頼りなさそうな背が大風に煽られた柳のように揺れる。
頭の中に流れる呟きを聞き流しながら、レオ丸は眼の前でコントの如きモノを繰り広げる<武士>コンビを改めて見詰め直した。
徳川四天王の一角たる井伊直政が身に纏っていた、当世具足である真紅の甲冑をコバルト・ブルーに染め直したような鎧姿の、冒険者。
ひょろりとした身幅の細い体ではあるが、決して華奢ではない。
冒険者らしく、充分に鍛え上げられ颯爽としているように、レオ丸には見えた。
但し其れは、単体で居た場合だ。
レオ丸よりも三十センチは背が高く、広い肩幅と分厚い胸板を狒々縅の具足に収め、目にも鮮やかなネイビーブルーの陣羽織を堂々と着こなしたテイルザーンと比べれば、どうしても見劣りしてしまう。
其れは、魔法級と秘法級という防具の性能差だけではなく、身から発する“気質”の差でもあった。
短く刈り上げた頭髪と、柔らかさを兼ね備えた精悍な顔立ちのテイルザーンには、口調や仕草に明るい要素がある。
一言で言えば、“陽”なのだ。
だが、ぺしゃんと撫でつけられたような長めの髪を束ねもせず、無造作に伸ばしっ放しにしている冒険者の方はと言えば、表情や佇まいに生気も活力も感じられず、陰々とした影を全身から滲み出させていた。
レオ丸の視界に並ぶ二人の冒険者は、<武士>というよりは相反するタイプの“武者”のようにしか見えない。
例えるならば、関ヶ原から落ち延びる途中の御大将と、菊池城攻めで一番槍の手柄を上げた猛将が並んで居るかのようだ。
視線を左に振れば、幕末動乱の都大路を縦横無尽に駆け回った侍の如き装束の男が、眉間に深く皺を刻み頬杖をついている。
そしてレオ丸が、ふと己の我身を振り返れば、纏う衣装は入道と呼ばれる立場の者が被着する僧衣を模した幻想級の布鎧だ。
坊主と浪人が一人ずつと二人の武者が、堅牢な石組みの城壁の上で面つき合わせているという、何ともファンタジーらしからぬ今の状況に。
「何や、映画村の舞台裏みたいやなぁ」
皮肉っぽく叩かれたレオ丸の軽口がフワフワと舞い、テイルザーンとカズ彦も顔を見合わせ思わず失笑を漏らした。
独り笑わず、今にも泣きそうな顔で俯く、若武者姿の冒険者。
其の間近へと、レオ丸は膝を使ってにじり寄る。
スッと伸ばされた両手が、力なく丸められた両肩を優しく掴んだ。
「……“正当防衛”ってな便利な言葉で糊塗した“過剰防衛”で、ワシは自分をヒラノキレ庄の地面に何度も叩きつけて、殺した。
自分は“報復”という名の“意趣返し”……いや、“八つ当たり”かな?
まぁそんな荒れ狂う感情を刃に込めて、ミナミのギルド会館のド真ん前でワシの背中をバッサリと切り裂いてくれた。
どっちが悪いんか?ってのを聞かれても、実に困るわなぁ?
平たく言えば、悪いんは<大災害>であって、ワシらは揃って加害者でもあるが純然とした被害者やろう、多分。
自分が悪いように、ワシも悪い。ワシが悪くないように、自分も全然悪くない。
それに、な。
ワシの方かて、自分に対して偉そうな事は言えん身に堕ちてしもうとってな。
……ワシも“人殺し”やねん。まぁ、文字通りの“殺生坊主”やわ」
詠うような調子で語る殺伐とした内容に、全ての経緯を漸く理解したカズ彦の眼が丸く見開かれる。
<大災害>直後にミナミの街で起きた惨劇の全容は既に知っていたが、其れ以降の事は寡聞にして知らなかったテイルザーンの眼は、点のように窄められた。
「つまり御互い様の、“引き分け”って事や……って事で此の話は仕舞いにしようや。
ホンで……テイルザーン君は、何で“此の子”と一緒に居るん?」
「え? ええああ、そ……其れはですね……失態の尻拭いみたいなモンですわ」
前触れなしに話を振られたテイルザーンは、舌を縺れさせながら説明を始める。
其れは過日の事。
ナカルナードに命令され、凶状事案の犯人となった冒険者の監視任務に従事していたテイルザーンは、ミナミの街が狂騒の場と化した<ウメシン・ダンジョン・トライアル>の最中に、迂闊にも監視対象を見失ってしまったのだ。
元の現実で、警察に奉職している立場としては、有り得べからざる大失態。
但し大失態ではあるものの、誰一人として責難する者が居ない偶発的過失ではあった。
凶状事案の被害者は暢気に街から遁走し、加害者は行方知れず、と当事者本人達が何れも居なくなってしまったのだから、其れも致し方のない事だ。
そして、日一日と剣呑となる状況に翻弄されて過ごす中で、ナカルナードもテイルザーンも瑣末な過去として割り切り、過失の存在自体を忘れ去ってしまう。
やがて、瑣末な過去などに係っている処ではない時が到来した。
ミナミの街が剣呑程度では済まない、“大過”の渦に呑み込まれる日が訪れたのだ。
<Plant hwyaden>による、ミナミの街の一元化支配体制の成立。
言い換えれば、<ハウリング>という馴染みの我が家が消滅する事を、意味していた。
<ハウリング>が瓦礫と化す現実に、テイルザーンは古参メンバーとしての意地も相俟って反発し、自主的にホームタウンを捨てる道を選ぶ。
裏切りを許さぬ方針を立てた<Plant hwyaden>は即座に追っ手を放つが、彼は追っ手の裏を掻きイコマからヨシノを経由するという、まさかの最短ルートを選択した。
東へ東へと休む間もない逃避行の日々。
「それで、後半日も進めばイセへって辺りの山道で、<イガの隠れ里>ゾーンからは大分離れた場所のはずですが、チャンチャンバラバラと賑やかな音が前方から聞こえるんで、何かいなと覗いて見たら。
コイツが、<亡霊剣士>の集団と独りで渡り合っていたんですわ」
苦笑いを浮かべながら、テイルザーンは目尻を下げて冒険者の背を撫でるように叩く。
「よく見りゃ、ミナミが浮かれ騒いでいた御祭りの晩に、俺の前から消えちまった奴じゃないですか。
満更知らぬ間柄でもなし、同じくミナミからトンズラこいた御同輩でもあるし」
「義を見てせざるは勇なかりけり、ってか?」
「“義”があるかどうかなんぞ、知ったこっちゃありませんって。
ですが、流石にしんどそうでしたんで、ちょいと助太刀を致しましてね。
そんで其のまま、気がつきゃ此処へと辿り着いていたって訳でして」
「ほしたらミナミからの御一行さんが現れて、更に追捕使も兼ねてしもうたって事かいな?」
「まぁざっくり言えば、そんなトコです」
「なるほどなー」
テイルザーンの顛末を聞き終えたレオ丸は、冒険者の肩から外した手を後ろに廻し、仰け反るように夜空を見上げた。
頬杖をついたまま盛んに眉を上下させて押し黙るカズ彦をチラリと見てから、レオ丸は姿勢を戻して懐から取り出した<彩雲の煙管>をヒョイと咥える。
「ホンで、テイルザーン君は此れから、どうするん?」
「そうですねぇ」
暢気に五色の煙で輪っかを作るレオ丸に、テイルザーンは真剣な眼差しを送り考え込む素振りを見せた。
「どうにかして、アキバへと駆け込みますわ」
「アキバへ、なぁ。……ほな、さぁ」
レオ丸は、今度はテイルザーンの方へとにじり寄る。
「ワシの話に、イッチョ噛みしてくれへんか?」
毎度の事ながらの悪役面で説明を始めたのは、先ほどまでカズ彦と語り合っていた内容である。
「脱出を希望する者は法師が引率し、残留を希望する者は其方のカズ彦さんが引き受けると?」
「せや。せやねんけど……ネックになっとる事が、幾つかあってな。
例えば、“逃げ出したいモン、此の指止まれ!”ってワシがゆーた処でな、トンボすら止まってくれへん可能性があるやん?
真面目な話として、其の可能性は大きいと思うとる。
ほな、どうしたら都合良く“反<Plant hwyaden>体制分子”を、此処から連れ出す事が出来るやろうか?」
「俺に、其の“一匹目のトンボ”になれと?」
「ああ、せや。小山評定の福島正則になってくれへんかな?」
レオ丸の思いつき先行の安易なお願い事に、テイルザーンは顎を掻きつつ鼻を鳴らした。
「此処では俺も、新参者ですけどね。何せ、法師がひょっこり現れた前の日に着たばかり、ですし」
「せやけど、それなりに友好的な交流しとるんやろ、此処の住人達とは?
金曜日の晩に繁華街に現れて、“悔い改めよ、週末は近い!”って叫んでいる酔っ払いに近似した与太者のワシが勧誘するよりは、自分の方がマシやろうさ」
「ええ、まぁ……」
歯切れの悪い返事の途中で、テイルザーンが何かに気づいたように言い澱むも、一拍の間を置いてから逆に問いかけ返す。
「俺の記憶では確か……福島正則以外にも誰かが決定的な事を言うて、其れが全ての流れを作ったんと違いましたっけ?」
「山内一豊のアパート……やのうて、“お城の鍵貸します”宣言やなぁ」
「もう一つ言えば、ある程度の人数が纏まって脱出を選んだ場合、如何なる手段ならば追っ手から無事に逃れられるのか?
一人二人くらいなら、<Plant hwyaden>も御目溢ししてくれるかもしれませんが、もし脱出希望者が十人や二十人となってしまったら、簡単に許しちゃくれないでしょう?
アキバまで、皆で一目散に血を吐きながらのフルマラソンでもしますか?」
「むふぅ」
レオ丸は宇宙冒険SFの名作、『銀河辺境シリーズ』の主人公のように唸った。
“This is Liberty Hall. You can spit on the mat and call the cat a bastard.”と、脳裏に彼の主人公の名台詞が浮かぶも、其れを口にするほど厚顔無恥な振る舞いは出来ず、顎に皺を作り黙り込むしかない。
腕組みをし、漏らす吐息すら陰鬱な音色になる、城壁に集った冒険者達。
「其の手段、私が用意して差し上げましょうか?」
天啓は、意外な処からやって来た。
険しくなっていたレオ丸の眉根が、脳裏に響く怜悧な声に反応し弛緩する。
テイルザーンから声をかけられて直ぐに、レオ丸は皆には無断でこっそりと念話を繋いでいたのだ。
繋いだ相手は、ミスハ。
彼女とも秘密を共有するために、彼女への状況説明を省略するために。
男達の会話を盗み聞きさせられていた格好のミスハは、時に驚嘆し、時に呆れ、概ね溜息を重ねて黙って聞いていたのだが、漸く自分の出番が来たと自覚して口を挟んだのだった。
ナゴヤからアキバへと効率的に脱出する手段を、レオ丸の脳内で丁寧に開陳するミスハ。
「なるほど、そいつぁ確かに効率的で効果的な手段やわ」
突然に沈黙を破り発せられたレオ丸の声に、三人の冒険者の顔に怪訝な色が浮かぶ。
「其の提案、有り難く便乗せさせてもらうわな、おおきに!
……さてさて、インメルマン博士の如きカタコト日本語で言うにゃらば。
グッドニュース、グッドニュース、ミナサン、ヨリコンデクダサイ。アタラシテーアンデス。カンタンニユット、ボッケェグッドナ、レイハクハンニチノトオヒコーデス、や♪」
先ほどまでの昏く深刻な表情は何処へやら、レオ丸はドヤ顔の口元に会心の笑みをペタリと貼りつけた。
そして呆気に取られるカズ彦達をほったらかしにして、実に美味そうに煙管を吹かす。
緩々と夜空へ立ち昇る、五色の煙。
時計の針が優に三周する時間が経っても、のほほんとしたままのレオ丸。
其の緊張感の欠片もない肩を、痺れを切らしたカズ彦の肩が激しく当てられた。
「さっさと説明してくれませんか、レオ丸さん!!
効率的で効果的な手段って、便乗させてもらうって、一体何の事ですか!?」
カズ彦達からすれば、有効的な解決手段が見出せず思考の迷路に陥っていた処、不意にレオ丸が一人合点して勝手にゴールに到着してしまったようなもの。
其処が本当にゴールかどうかさえ判らずに放置されれば、例え相手が信服する相手であったとしても、怒りが湧くのも然も当然であった。
横からの衝撃に体勢を崩し、上層廻廊の硬い石畳の床に倒れ伏したレオ丸は、毎度お馴染みの嘲笑めいた笑い声を上げながら、のそりと身を起す。
「おーなやーみでーすかー、くーけけのけーってな♪
道ある道を選んで驀進すりゃ、容易に捕捉されて大軍に十重二十重と取り巻かれた上で、あっさりと包囲殲滅させられる。
かと言って道なき道を辿れば時間ばっかり取られて、下手すりゃ山ン中で散り散りバラバラになって各個撃破の対象となりかねん」
「そんな事は判ってますがな!」
「そうなれば、幾ら俺でも庇いきれませんからね!」
<Plant hwyaden>に追われる立場の男に続き、<Plant hwyaden>の幹部として追う立場になる男が、<Plant hwyaden>を否定した男に詰め寄った。
「包囲される事なく、各個撃破される事もなく、のんびり優雅に脱出組がアキバまで逃避行を完遂するには、どうしたらエエやろうか?
ってな訳で導き出された答えは、一つしかなかったって訳やねんな」
右手の人差し指をピンと突き立てたレオ丸は、五色の煙の筋を掻き廻して遊ぶ。
「最初から、道なんぞない処に全員で一丸となって、漕ぎ出しゃエエんや」
ミスハが提示した解決策に己のアイディアを加味して語るレオ丸の言葉が、幾つもの疑問符を頭上に浮かべたカズ彦とテイルーザンの耳から侵入し、二人の前頭葉の下前頭回をいたく刺激した。
「確かに其れなら、問題なく脱出できますけど……ミスハを信用して宜しいんですか、法師?」
「そら、勿論や」
テイルザーンの言に、レオ丸の脳内で不平を鳴らそうとしていたミスハは、レオ丸の次の台詞を聞いた瞬間、ヒュッと息を飲み黙り込む。
「彼女はワシの身内……いや、分身同然やもん。
ミスハさんの言葉が信用出来ひんのやったら、此の話は最初っからチャラやわ」
自信たっぷりなレオ丸の発言に息を飲んだのは、ミスハだけではなくテイルザーンやカズ彦達もであった。
「まぁ、今夜一晩ゆっくり考えてから、もっぺん答えを聞かせてや、テイルザーン君よ。
ホンで……」
大袈裟なくらいに上体を突き出したレオ丸は、まるで声を失くしたかのように終始黙り込み、膝を抱え俯いている最も年少の冒険者の耳元で囁く。
「此れまでの事は此れまでの事。此れからの事は、此れからの事やで。
自分も流されたまんまやのうて、自発的にどうしようかを、ようよう考えや。
神さんも仏さんも、能動的な人間しか済度してくれへんさかいに、な。
なぁ、黒渦君。……自分は此れから、どうしたいんや?」
試合前日の朝。
例によって例の如く、日の出よりも随分と前に起床したレオ丸はストレッチを終えると、ナゴヤ闘技場上層回廊の城壁に凭れかかって大きく伸びをし、天を仰いだ。
ひと風吹けば蹴散らされそうな程度に、霞か雲のどちらかが曙前の大空を薄く覆っている。
限りなく透明に近い白色が膜を張る、紫色の空。
「雨にはなりそうにないやな、今日も明日も」
大欠伸をしながら、城壁に背を預けてズルズルとへたり込む。
昨夜の会合は、深夜遅くまで続いた。
レオ丸は念話で、ミスハから更に具体的な説明を受ける。
曰く、<Plant hwyaden>は現在、大きく足を伸ばしたタコの如き有様である、と。
ゼルデュスは、ロマトリスの黄金書府の接収事業にかかり切り。
ナカルナードは、血気盛んな軍勢を率いて遠征中。向かう先は混乱の続くナカスの街、向かった理由は“安定をもたらす”ためである。
濡羽とインティクスは、時には別れ時には連れ立って、イコマとヨシノを振り子の如く行き来ばかりしていた。
ミズファ=トゥルーデは、大地人貴族一行を護衛しながら間もなくナゴヤへとやって来る。
そしてミスハは、陰ながらゲーム世界での姉妹を支援するべく、直属の部下達を指揮しながら護衛団の一部として、レオ丸の居る地へと来るのだ。
つまり<Plant hwyaden>の枢要は目下の処、連携も相互監視も行き届かない状態である、とミスハは示唆した。
恐らくは此の間隙を好機として、命令系統がスカスカの状態であるミナミの街で、あるいは元々スカスカな神聖皇国ウェストランデの何処かで、<Plant hwyaden>のありように不満を抱える者達が行動を起こすだろう、とも。
「そんな<Plant hwyaden>にとっては望まぬ瑕疵が、最小の数でどうにか治まるようにと、最大限の努力のようなモノをしましたけどね。
え? 何故、萌芽の内に不穏分子を摘まなかったのか、ですか?
だって、雑草を芽の内に摘むって、大変ですもの。
根絶やしにする便利な除草剤もありませんし、ね。
それに……枯山水ならば兎も角、草すら生えぬ砂漠のような土地に住み続けるような、病んだ精神世界の住人にはなりたくないですからね、私は♪」
それに、とミスハは苦笑混じりのおどけた口調で言い添えた。
「不穏分子のする事と言えば、どれも此れも“ミナミからの脱出”ですからね。
武装蜂起や打ち壊しをするようなガッツも展望も、持ち合わせていない者達ばかりなのはバッチリと確認済みですから御心配も御安心もなく♪
摘んだり潰したりするよりは、出て行ってくれた方が此方としても楽が出来ますし、お仕事に支障をきたしませんし。
ただ、まぁ……数人が十数人や数十人に膨れ上がるかもしれませんけど?」
そりゃまぁ大変やなぁ、とレオ丸も調子を合わせた無責任な相槌を打ち、念話を終える。
ある程度の確信を与えられたテイルザーンは、幾人かの冒険者達に耳打ちして反応を窺うと請け負い、上層回廊を後にした。
結局、レオ丸に対して首を垂れるばかりで一言も口を開く事も出来なかった黒渦は、立ち去る前に今一度深々と額づいてから、頼もしい背中を見せる<武士>の後に続く。
<Plant hwyaden>の枢要の一員でありながら現在鋭意、職務放棄中のカズ彦は呆れたように昔馴染みの年長者の横顔を眺め、今更何を言っても無駄とばかりに肩を竦めて、スッと立ち上がった。
「それじゃあ俺は、レオ丸さんの同行を選択しなかった奴らを余す事なく回収出来るよう、部下達と準備を進めさせて戴きますよ。
共同作業は、同じ作業をするって事じゃないですからね。
明確な指針を開示してくれましたから、俺の方はレオ丸さんのイメージに添って勝手働きをさせて戴くとします。
では、お休みなさい。明日も宜しく!」
袴の裾をパンと叩いて埃を払い、乱れた衿を整えて袂を翻す昔馴染みの年少者を見上げたレオ丸は、五色の煙を静かに吐き出し軽く手を振る。
そうして上層回廊に取り残されたレオ丸は、独り満天の夜空に抱かれながら眠りに就いたのだった。
「“精神的回復力”を意訳したら、“自発的治癒力”やったけか?
テイルザーン君は流石に会得しとるようやったけど、黒渦君はまだまだやったなぁ。
……そいつをあからさまに指摘したったんは、“宗教者に因る加虐”やったかな?
くけけけけ……さてさて、と。
彼らを巻き込んだんは正解やったか、不正解やったんか?
今更止めとこか、って前言撤回をしたとしても此処に居った時点で、“魔の川”を渡河しているんには変わりないし、な。
下手に引き返したら、足滑らせて流されて溺死するんがオチやろうし。
こうなったら、彼らよりも先に“死の谷”に張られた“硝子のロープを手探りで渡る”しかないし、“風よ、私は立ち向かう。行こう”“ダーウィンの海”“へと。絆、此の胸に刻んで、砕ける、波は果てなくとも”って、淡々タグボートの役割をせんとなぁ?」
ズルズルと石畳に崩れ落ちながら、レオ丸は再び眼を閉じる。
早起きをしたとて、MP減少ではない精神的疲労から回復した訳ではなかったのだから。
あっという間に、改めて睡魔に支配されてしまうレオ丸。
<淨玻璃眼鏡>が朝の日差しを撥ねつける頃になっても、目覚めは訪れる事はないままであった。
第二話(=第零歩・大災害+4Days 其の弐)からチョコチョコと張らせて戴いてました伏線を、今頃漸くに回収致しました。
其の事をダラダラと書き連ねた所為で、試合前日のアレコレまで至りませんでした。
……『水滸伝』式の伏線回収法にて誠に申し訳なく候です。
次話では、先に御理解御協力を賜ります皆様を、出来る限り御出演させて戴きますので。
意外なゲストもポロリと、ね♪