第肆歩・大災害+48Days 其の伍
いや~~~、今回は、ちょほいと、苦労しました。
想像もつかない情景を描写するって、ホンマにしんどいですねぇ。
少しだけ修正致しました(2015.01.31)。
フレーバー・テキスト。
簡略に説明すればそれは、ルールに関わらない文章である。
モンスターであれ、アイテムであれ、ゾーンやエリアであれ、ありとあらゆる実存と事象に添付された、雰囲気や世界観をあらわすために使われる説明文の事だ。
故に、ゲームのプレイやルールには一切影響を及ぼさない。
文字通り、香りづけの文、であった。
<エルダー・テイル>がゲームでしかなかった頃は、何かの役割を果たす事はほとんどなく、稀にクエストなどを攻略する際に、問題解決のヒントとして利用される事があるだけの存在である。
だが、<エルダー・テイル>が現実化した今、それらは実体化したセルデシアの森羅万象、全ての存在理由となってしまっているようであった。
<大災害>に巻き込まれてから、一ヶ月半以上が経つ。
その間にレオ丸は、既にそれを幾度となく体験していた。
気づいているかどうかは定かではないが、冒険者全員がそれを体験している。
ミナミの街の南部に、データ上にのみ存在する大地人の村々。
伝承の中でしか存在し得ないはずの、大賢者ジェレド=ガンと<忘れ去られた書物の湖>。
覚書程度の存在であるはずの、“漂泊を続ける者”。
全てがNPCとの会話の中で語られるか、膨大な設定資料の中でしか存在していなかった存在ばかり。
<淨玻璃眼鏡>の暗視機能を頼りに、独り黙々と歩き続けるレオ丸の傍らを、緩やかに滔々と流れる<オーケアノス運河>もまた、フレーバーテキストの一部でしかなかった。
本来ならば、の但し書きつきではあるが。
現に、<オーケアノス運河>は幾重にも曲がりくねりながら、その身を弧状列島ヤマトの地下の奥深くに横たえているのだ。
Unknownの、最初の二文字が消えた、今。
レオ丸が知っているゲーム情報は、全て存在する事実として其処彼処にある。
その件については、ハチマンにて結界を張る際に確認済みであった。
言い換えれば、レオ丸がハチマンにて大それた事をなし得たのは、フレーバーテキストがあったればこそである。
レオ丸は、平坦な道を歩み続けていた。
既に何時間歩いて来たのかは、既に判別不能となっている。
途中で、二回ほど単なる腹を満たす行為としてのみ、簡素で味のない食事をレオ丸は摂取していた。
また、僅かな時間の仮眠を、一度だけ取っている。
十時間なのか二十時間なのか、あるいはそれ以上か?
全く起伏のない、平坦な道程。
<オーケアノス運河>の河端は、湿り気を帯びた砂地であった。
慌てるでもなく急ぐでもなく一定の歩幅で、レオ丸は其の砂地に足跡を残しつつ前へ前へと進み続ける。
ふと、俯き加減で歩いていたレオ丸の足が止まった。
固まった首筋を和らげるように昏く明るい闇を見上げ、小首を傾げる。
気がつけば、遥か上方にあったはずの光の粒子、<霊性>の流れが、手を伸ばせば届きそうな位置にまで下りていた。
どうやら、地下洞の天井が随分と低くなっているようである。
視線を下げれば変化に乏しいはずの<オーケアノス運河>も、先に見た時とは異なる様子であった。
ありとあらゆる色の光点が浮き沈みしているのは相変わらずであったが、その密集度合いが違って見える。
よくよく彼方を見透かせば、対岸らしき洞壁が朧気ながらも確認出来そうだ。
レオ丸が歩き出した頃に比較してみれば、<オーケアノス運河>の川幅が狭まっているようである。
コキコキと首を鳴らし、大きく両手を上へと伸ばしてから深呼吸したレオ丸は、味わいのない無臭の湿った空気を鼻から吸い込んで肺を満たし、時間をかけて窄めた口から吐き出した。
そして幾分か背筋を伸ばし、やや目線を上げて、再び歩き出した。
サクサクと、砂地に足跡を延々と残しながら。
また、幾許かの時間が過ぎ、やがて……。
永遠に続くかと思われた平坦な道筋は、大幅に開けた大空間に行き当たった処で、唐突に終わりを迎えた。
「ジャイアンツ・コーズウェイ……ってか?」
視界を圧する、何とも奇妙な風景を目の当たりにしたレオ丸は、記憶の奥底から浮上した一つの情報を無意識に呟いた。
レオ丸の足元、砂地の途絶えた辺りから六角形の石柱が整然と連なり、微妙な高低差をつけた階段状となっている。
延々と連なる石柱は、暗がりのずっと先で、行く手を阻む壁となっていた。
一辺が三十センチほどの六角形の柱状奇石の連なりは、地質学的には“柱状節理”と言い、火山活動などにより流出した溶岩が冷え固まった後に亀裂が生じ、出来上がったモノである。
石柱の天辺は全て、多少の凹凸はあるものの、人工的に敷き詰められた踏み石のように平らであった。
それが地面から無数に突き出ており、ほとんど段差がない部分と、攀じ登らなければ進みようがない所とが入り混じって、レオ丸の進もうとする先を遮るかのように林立している。
レオ丸の呟いた“巨人の石道”とは、名前の通り“巨人伝説”に由来する北アイルランドの北岸にある自然遺産であった。
ケルト神話に登場するフィン・マックールが作ったと言われる、数え切れぬほどの六角柱が織り成すそれが、元の世界と同様の現象により出来たモノであるならば、石柱は全て玄武岩で出来ているはずだ。
“柱状節理”という奇観は、希少な現象により生み出された光景ではあるが、日本の東尋坊を含め世界の至る処に存在する溶岩地形である。
但し、それらが地上の海岸付近に多く観られるのに対し、今レオ丸の前に連なるそれらは地底にあった。
レオ丸が沿いながら歩いていた<オーケアノス運河>は、その林立する石柱の根元の方へと消えている。
そして<霊性>の光の帯は、再び高くなった天井部へと伸び上がり、遙か先に見える切り立った崖のようにもパイプオルガンのようにも見える、聳え並ぶ石柱の上方へと繋がっていた。
腕組みをしたレオ丸は、<淨玻璃眼鏡>越しに見える奇妙な世界の更に向こう側への、進み方を思案する。
選択肢は、僅かに二つのみ。
深みの定かならぬ<オーケアノス運河>に身を潜らせ、水中に沈む石柱の根元を探り、源流を求めるか?
それとも、足元の不安定さに眼を瞑り、石柱を乗り越えて<霊性>の光を頼りに前進するのか?
さほど悩まず、レオ丸は二択の片一方をあっさりと捨てた。
やれやれと大儀そうに首を振るや、溜息をつきつつ手近な石柱に手をかける。
レオ丸は不揃いな石段に、よいしょと右足を乗せた。
<暗殺者>や<盗剣士>のように敏捷性に優れたメイン職達であるならば、何ら苦労せずに進み続ける事が出来る道程を、レオ丸はえっちらおっちらという効果音つきで登って行く。
現実の運動音痴の体では出来ぬ不安定な登攀も、今は冒険者の体であるために如何にかこうにか、なしえていた。
幸いにして、玄武岩で出来ている石柱は充分な硬さを保持しているため、レオ丸が乗っても揺らがず又、毀れる事もない。
足元や後背には意識して眼を向けないようにしつつ、少しずつ前へ上へと登り続ける。
一心不乱に攀じ登り続けていたレオ丸は、闇に澱んでいた視界がかなり明るくなっている事に気づいた。
いつの間にやら随分と高みにまで到っており、その目と鼻の先に、<霊性>の光の帯が横たわっている。
淡く穏やかに闇路を照らす光の帯は、上下にうねり左右に蛇行しながら、レオ丸の直上を漂い流れていた。
ふと、曲げていた膝を伸ばし、丸まっていた背も伸ばし、右手を更に伸ばす。
レオ丸は心に沸き立った興味を抑えきれず、それに触れてみたくなったのだ。
光の帯は、冷たくも暖かくもなく、レオ丸の指先を擽りつつ流れて行く。
拒絶されなかった事に妙な安堵感を得るや、レオ丸は<霊性>の流れから手を外そうとした。
だが触れられた側は其れを許そうとせず、掌をすっぽりと包み込む。
そしてアッと言う間もなく、レオ丸は全身を呑み込まれてしまった。
真っ白き光が、視界の全てを塗り潰すと同時に、意識さえも奪い取る。
レオ丸を内包した<霊性>の流れは、些かの停滞も起さず柱状節理群の上空を、幽かなりとも音を立てず流れ続けた。
まるで、何事もなかったかのように。
その場には誰も、最初から居なかったかのように。
気がついた時、レオ丸は其処に座り込んでいた。
一般的に“寝椅子”と称される、肘掛部分も背もたれ状になっている休息用のラウンジチェアの上に、ゆったりとした姿勢で。
傍には、何も乗せられていないテーブルがある。
レオ丸が今居るのは、華美ではないが実に上品な装飾が施された、学校の教室くらいの広さの部屋だった。
但し、床から天井までの高さは矢鱈とあったが。
四隅には高さ二メートルほどの、シンプルなデザインの燭台が置かれているが、蝋燭は立てられていない。
四面の壁際には部屋を取り囲むように、燭台を見下ろすくらいの大きさの彫像がズラリと並べられていた。
丁寧で巧みな手技で彫られたそれらは全て、人ならざる異形の彫像である。
正面の二体は、<緑小鬼>と<小牙竜鬼>。
右側の四体は、<鷲獅子>、<魔狂狼>、<牛鬼大鬼>、<不死鳥>。
左側の四体は、<人喰い草>、<動く骸骨>、<水棲緑鬼>、<夜啼精霊>。
背後には、<鋼尾翼竜>と<一角獣>。
床は、形や大きさの違うタイルが、モザイクのように嵌め込まれていた。
一方で天井は、綺麗に磨き上げられた一枚板のようである。
そして、それら全てが色合いの違う白色で、統一されていた。
象牙色、胡粉色、真珠色、雪色、鳥の子色、乳白色、純白の色。
僅かな濃淡がなければ、ホワイトアウトしているようにしか思えぬ何とも異様な部屋の中に、レオ丸はつくねんと座っていた。
部屋の真ん中には、光の瀧が幽しとも音を立てず、流れ落ちている。
一つ一つの粒子の粒が、<淨玻璃眼鏡>越しにはっきりと見えた。
レオ丸は、夢現のままに流れ落ちてくる天上を見上げ、流れ落ちて行く床へと視線をのろのろと動かす。
<霊性>の瀧は、穴どころか染み一つない天井板を突き抜けて、毛ほども隙間なくタイルが敷き詰められた床を貫いて、何処かへと消えて行く。
その眩くも淡い光の流れが、部屋に優しい輝きを与えていた。
キラキラと、ただ只管に綺羅綺羅と。
「困りますねぇ」
レオ丸の視界の真ん中を流れ落ちる光の瀧の向こう側から、静寂でなければ聞き逃してしまうくらいの、か細い声が発せられた。
「此処は余所者が入り込んで良い処ではないのですよ。
あまつさえ、異物により流れを滞らせても、いけない。
全ては須らく、一切の遅滞も停滞も許されず、流れは定められた通りに流れ続けなければならない定めなのですから」
耳から入り知覚へと達した其の言葉が、レオ丸の意識を現から正気へと誘う。
「あんたは、誰や?」
レオ丸は、両手を突き上げて伸びをすると、再び寝椅子にもたれかかった。
「さて?」
相変わらずの囁き声は、面白がるような色合いを伴う。
「誰か、と問われるのはいつ以来の事なのでしょう?
私は時の流れから、外れたのか外されたのかして、此処に独り居続けている。
誰かに問われるのも、誰かに言葉をかけるのも、はてさて遙かな過去の事。
そもそも、私の名は何であったか。
考えてみれば、時の流れの埒外に居るという事は、時の存在し得ぬ場所に居るという事になるのでしょう。
そも、存在とは?
誰かに認識してもらわねば、存在し得ぬモノやもしれませぬ。
そなたが此処に居る事により、私は私という存在を認識したのやも?
言うなれば、遙か以前より存在していたが故に、今という時間を認識したのやもしれませぬ。
私は今に至り、此処に誕生したような存在であるが故に、名前など持ち得ぬのやもしれませぬ。
故に私は、名乗る名などは、露とも知りませぬ」
「さよか」
草臥れきった溜息を吐き出し、レオ丸は立ち上がった。
<中将蓮糸織翡色地衣>の袖を捲くり上げて、腕組をする。
両手に巻きつけた、各種召喚アイテムの数珠がジャラリと音を立てた。
レオ丸は、光の瀧を避けるように壁際へと、ほどほどの緊張感を保ちながら摺足気味にそろそろと進む。
視界の中央から<霊性>の流れをずらし、レオ丸は部屋の向こう側を油断なく覗き込んだ。
其処には、先ほどまでレオ丸が座っていた寝椅子とは違い、大きな背もたれと肘掛を備えた真っ白い“揺り椅子が一脚、微動だにせず置いてあった。
身動ぎしない揺り椅子には、今にも消えてしまいそうなほどの儚い印象を与える人物が、悄々と座っている。
ひっそりとした其の人物は、教会の司祭が着るステハリと呼ばれる飾り気のない衣装によく似た祭服を身に纏っていた。
更に、フェロンというマントに似た外套を、上から羽織っている。
膝の上で合わせるほっそりとした手には手袋を嵌め、足元はフェルト製に見えるブーツを履いていた。
頭部は円柱形帽子のようなモノで覆っており、襞のついたスカーフがゆったりと巻きつけてあるために、毛髪があるのかないのかも判らない。
顔はと言えば、凹凸のないフェンシング・マスクのような面で、完全に覆われているので、此れ又不明。
全身を包む衣装全てが、やや昏めの白色であるために、背景の数種類の白色から僅かに浮かび上がっているために漸く存在を感知出来る、何とも異質な人物であった。
だが本当は、此の室内においてだけは、多種多様な色彩を身に着けているレオ丸の方が、異質なのかもしれない。
違和感と居心地の悪さにウンザリとしながら、レオ丸はステータス画面に意識を凝らし、此処と其の人物の判別を試みた。
<空白と虚無の間>
現在の居場所は、実にあっさりとした飾り気のない名称である。
コレでは何も判らない、という事がレオ丸は判った。
そして。
ステータス画面に表示された其の人物のデータに、レオ丸は瞠目した。
< 名前 / セキエン >< 大地人 >
< 種族 / アルヴ >< 性別/??? >
< 職業 / 喪儀司 >< Lv.??? >
「はい!?」
二度見でデータを確認した後、漸くにしてレオ丸が口に出来た言葉は、最も短い疑問形であった。
「……<アルヴ>、やて?」
「今、<アルヴ>……と、申されましたのか?」
体も揺り椅子も、些かも揺らす事なく其の人物、セキエンは首のみを動かしてレオ丸に問いかける。
「<アルヴ>……<アルヴ>……。そうでした、そうでありました。
私は……アルヴの一族に連なる者でありました」
男とも女とも、どちらとも断定しづらい声でセキエンは呟き、揺り椅子も上体も揺らさずに幾度も頷いた。
「私がアルヴであるならば、そなたは、何方であるのでしょうや?」
「ワシは、<冒険者>や。それ以上でも、それ以下でもあらへんわ」
「<冒険者>? そは、如何なる種族であるのでしょう?
私の知り得る限りの事共には、<冒険者>なる種族など居りませぬ」
「そら、そーやろな。……ワシら<冒険者>は、あんたらがセルデシアから一掃された六十年後に、到来下生した種族やねんから」
「ほう、ほう。左様なれば私が知る由もありませぬ。
されば、続けて問いましょう。
そなた、そなたら<冒険者>とは、何処より参られたのでありますか?」
レオ丸は腕組を解き、左手で支えた右手で顎を掻く。
「せやなぁ、……“乙女座銀河団局部銀河群天の川オリオン腕所属太陽系第三惑星の地球”って所からや。
別の言い方をすりゃ、……“元の現実”かね」
「先の単語の羅列は、私には一言とて理解能わぬ事なれど、此処ではない何処かという事は理解しました。
さりながら、“元の現実”とは?
そなたの言葉を無条件に信じるならば、“現実”とは幾つも存在し得るものなのでしょうや?」
「ワシらの認識では、最低二つはあるなぁ。
とある学者さんによれば、並立で十一次元もあるらしいやな。
まぁ今は、関係ない話やから他所に置いとこか。
処で。
ワシからも、尋ねさせてもろうてもエエかいな?」
セキエンは催促するように、ゆらりと右手を上げてレオ丸を促した。
「ワシの記憶やとアルヴって確か、三百五十年前に虐殺されて、僅かに生き残った所謂<六傾姫>も其の五十年後に殺されて、絶滅させられてしもうたんやろ?」
「……さようですか、それほどの時が過ぎ去ったのですか。
つい先ほどの事であると、認識していたのですが。
<六傾姫>とは、何でしょう、誰でしょう?
もしや、それは。
<黄昏の姫>、<宵闇の姫>、<落日の姫>、<薄暮の姫>、<逢魔の姫>、<禍刻の姫>。
彼の女性達の事でありましょうや?」
「……名前あったんか?」
レオ丸の顎を掻く手が、顎を支える手となる。
「彼の女性達とて、此の世界に生きる者でありました。
此の世界に生きる者に、名を持たぬ者など居りましょうや?」
「そらまぁ、……そうか」
「生きるために、彼女らは“欲望”に満ち溢れた者共を率いておりました。
<黄昏の姫>は、あらゆる事を“嫌悪”した者達を。
<宵闇の姫>は、あらゆる事に“飢渇”した者達を。
<落日の姫>は、あらゆる事に“妄執”した者達を。
<薄暮の姫>は、あらゆる事に“物憂”いた者達を。
<逢魔の姫>は、あらゆる事に“疑惑”する者達を。
<禍刻の姫>は、あらゆる事を“軽蔑”した者達を。
禽獣よりも心が堕落した、悪しき者達を率いておりました」
「……『南伝大蔵経』ってか?
それにしては“恐怖”が足りひんのと違うかなぁ?」
「私は此処で、“恐怖”を司って参りました」
ゆらり、とセキエンは陽炎のように立ち上がった。
ギイギイ、と揺り椅子が軋んだ音を立てながら、前後に揺れる。
「何故に、私が此処に独り居り続けているのか?
誰に頼まれたのか、あるいは命じられたのか?
それとも、自ら其の定めを望んだのか?
判り得ませぬ、存知ませぬ。
ただ既に、決められし事として、私は此処に居りまする。
遙かなる時の始まりし頃より、此処で<霊性>の流れが滞らぬように、目を逸らさず閉じる事もなく延々と、見張り続けて参りましたのです。
さりながら。
<霊性>の光は、何処から来たるのでしょうや?
<霊性>の光は、何故に“恐怖”の“核”と化生するのでしょうや?
“核”へと化生した<霊性>は、何処へと消え行くのでしょうや?
私は何一つ知らずに、<霊性>を迎え入れ、見送り続ける事を、司り続けてきたのです」
衣擦れの音すら立てずに、セキエンは床を滑るように動いた。
「私は、此れからも此処に留まり続ける御役目なのです。
そなたは……どのような御役目にて、此処へと参られたのでしょうや?」
優に二メートルはあるのに身幅が心許ない体躯のセキエンは、窮屈そうに首を伸ばしてレオ丸を見下ろし、感情の篭らぬ声で問いかける。
間近に突き出された、細かく編み込まれた昏い白色の紗生地のマスク。
レオ丸は光沢のある漆黒の<淨玻璃眼鏡>越しに、不可視の視線を鋭く放った。
「ワシは、“家長”としての役目を果たしに来たんや」
「“家長”の役目と。……そは如何なるモノにてありましょうや?」
「“家長”の一番大事な役目は、<家族>を護る事や」
「左様でありましたか。
それで。
そなたの御家族は、どちらに居られるのでしょうや?」
セキエンへ、レオ丸はこれ見よがしに、への字に口を曲げて見せる。
「行方不明や」
「ほう?」
「せやからワシは、<家族>を捜し出しに、……取り戻しに来たんや。
遠路遥々、此処まで、な!」
「此処は、<人>が在す所に非ず、元より<人>など居らぬ所でございます。
そなたは、<冒険者>だと申されました。
私が見るに、そなたは<人>なのでありましょう。
<人>の家族である<人>など、此処には居りませぬ。
されば。
そなたの<家族>とは、<人>ではありませぬのでしょうや?」
「違うな。……此の世界では、な。
ワシの家族は、<冒険者>でも<人>でものうて、<異形の種族>や」
「…………」
「なんぞ、問題でもあるんか?」
「……いえいえ。そなたが何と繋がり絆を結んでおられようと、そちらの事情でありましょうに。
そなたではない私が、斟酌する事ではございませぬなぁ……」
レオ丸から、ついっと身を離したセキエンは、するすると滑るように寝椅子の背後に移動し、ワイヴァーンとユニコーンの彫像の間に立った。
「今一度、そなたに問いましょう。遺漏があってはなりませぬから。
そなたの<家族>は、モンスター……なのですね?」
「ああ、せや」
レオ丸は立ち止まった場所から一歩も動かず、体の向きだけを変えて即答する。
「その御家族と、何処かで逸れられた、と。
それで此処まで、捜しにお越しになられた、と。
なるほど、なるほど。
此処は滅多な事では辿り着けぬ場所ではありますが、そなたが辿り着けた所以は理解致しました。
さぞや、太い絆で結ばれているのでしょうなぁ、<家族>と」
セキエンが右手を上げると、其処に真っ黒い扉が音もなく現れた。
まるで最初から、其処に設けられていたかのように。
「されば、“家長”としての御役目を果たされるが宜しいでしょうなぁ」
昏い白色の手袋に包まれたセキエンの手が、真っ黒いドアノブを握る。
実に耳障りな、甲高い音が立てられた。
手前へと開かれる、真っ黒いドア。
「どうぞ、お捜し下さりませ。……何卒、御存分に」
真っ黒いドアの向こうに広がるは、光の射さぬ暗黒の世界。
その暗黒が脈を打ち、ぶるりと蠢いた。
次の瞬間。
真っ黒いドアから溢れ出した暗黒は、白い部屋を一瞬で満たす。
レオ丸の意識は、身構える間もなくブラックアウトさせられた。
気がついた時、レオ丸は其処に立ち尽くしていた。
ポカンと口を開けた間抜け面で、首を巡らせる。
レオ丸が居る場所は、地下の大空洞であった。
規模はと言えば、果てしない、としか言いようがない。
ぐるりと三百六十度、水平に見渡しても壁らしきモノが、一切見えないのだ。
その巨大な空間は、昼の如き明るさと夜の如き暗さとに、二分されていた。
見上げれば天上には屋根に類する蓋がなく、新月の晩かと見間違うばかりに真っ暗な帳で覆われている。
黒一色でベタ塗りされた地下の空ではあったが、真ん中付近だけは眩いばかりに輝きが満ち溢れていた。
光の帯が緩々と、渦巻いていたからである。
別の見方をすれば、光輝く大蛇が塒を巻いているようでもあった。
其処から、光が雨のようにキラキラと、絶え間なく降り注いでいる。
その一筋一筋は、改めて鑑定をするまでもなく<霊性>であった。
地下洞を漂い流れていた<霊性>の光の帯が、此の大空洞の天上で幾重にも円を描き、黄金の雨へと変化して篠突いている。
だが其の解かれた糸引く光は、大空洞の中央に鎮座する特異な構造物の上にのみ、降り頻っていた。
所謂、階段状ピラミッドの範疇に属する形状の構造物の、最上階に立ち尽くしていたレオ丸。
五層からなる正方形の基壇部分の上に円形壇が三層あり、山の峰に相当する最上階は釣鐘状で、全ての階層が充分な幅の廻廊を備えている。
真横からだと、ホットケーキを大小十二段重ねに積み上げ、更にソフトクリームをトッピングしたようなシルエットだった。
だが真上から俯瞰すれば、曼荼羅図のようにも見える。
細い筆線だけでシンプルに描かれた、彩色が一切行われていない真っ白い下書きだけの曼荼羅絵図のように。
「……ボロブドゥールもどき?」
口を閉じて額に皺を寄せたレオ丸は、両手を腰に当てて、階段状ピラミッドの最上階から裾野へと視線を投げ落とす。
十階建てのビルの屋上に相当する高さから見下ろせば、其処は揺らり煌く水面が満々と、水平線のずっと先まで湛えられていた。
眼を凝らし<淨玻璃眼鏡>の遠視機能を使えば、水面の下に黒以外の全ての色が揃えられている事に気づく。
水深は不明だが、レオ丸の目測ではそれほど深くはなさそうだった。
小波に揺れる無色透明な水の底には、計り知れぬ量の多彩な石が敷き詰められている。
一つ一つ、微妙に異なる色合いの光を淡く頼りなく明滅させている、無数の石が数限りなくみっしりと。
ピラミッドの基壇の際から、視線の届かぬずっと向こうの方まで。
説明し難い幻想的な光景から、無理矢理に意識を引き剥がし、ぼんやりと天上を見上げるレオ丸。
耳が痛くなるほどの、静寂の中。
光の雨は間断なく降り注ぎ、真っ白いピラミッドの壁面へと浸透しては、直ぐさまに消えていく。
レオ丸の顔や体にも満遍なく降り頻るが、一滴たりとて染み込むような事はなく、光の飛沫を散らしながら足元へと吸い込まれていった。
「此処は、内なる世界の外れにして、終わりと始まりの間なり」
「世にも秘密なリサイクル工場、ってか?」
大理石製と思われるブロックで組み上げられた、階段状ピラミッドの最上階。
其処に設けられた手摺のない廻廊にレオ丸は座り込むと、傍らで存在感なく突っ立っているセキエンを見上げる。
「あるいは、輪廻転生の最前線、か?」
「此処は、生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し、とされる場所でございます」
「高野山からクレームくんぞ、こら!」
懐から<彩雲の煙管>を取り出し斜に咥えると、辛辣な口調で五色の煙を盛大に吐き出すレオ丸。
「さて、どうなされましょうや、そなたは?」
「……決まってんがな、そんなもん」
両膝に力を入れて再び立ち上がると、レオ丸は煙管を仕舞いこみ、魔法鞄に手を入れて小さなアイテムを一つ、摘み出した。
<大泥棒の風船ガム>という名の直径一センチほどのアイテムを、レオ丸はポイッと口に入れて咀嚼する。
そして、鼻から大きく胸一杯に息を吸い込み、口を細く窄めて一気に両の肺が空になるまで吐き出した。
「ほな、捜して来まっさ♪」
レオ丸は、一抱え出来ぬサイズに膨らんだ風船ガムを右手で掴み、軽く助走をつけてから気負いも見せずに空中へと飛び出す。
重力に抗いながら前へ下へと、緩やかな速度でレオ丸の体は宙に弧を描いた。
数瞬後。
ボッチャーンと、何とも無粋な音と水柱を上げて、無事にお尻から着水する。
胸まで水に浸かったレオ丸に、揶揄するような響きの声が投げかけられた。
「さてさて、此処には星の数ほどの、死して生まれる前の命がありまする。
そなたの家族は、何処に居るのでしょうなぁ?
果たして何れが、そなたの家族でありましょうなぁ?」
レオ丸は顔から一切の表情を消すと、掴んだままの力尽き萎んだ風船ガムを投げ捨て、一挙動で立ち上がった。
「“新参者”を舐めんなよ、其処の“老頭児”!
考えもなしで、ワシが舞い降りた、はずないやろうが!」
頭や両手を振って水滴を飛ばし、階段状ピラミッドの最上階を振り仰ぎ、レオ丸は力強く啖呵を切る。
そして徐に。
ひと舐めした両手の人差し指をコメカミに当て、ゆっくりと腕組みをするや、澄まし顔で思案を始めた。
やがて。
「よっしゃ、閃いたわ!」
明後日の方向へと、レオ丸は叫んだ。
その虚勢的な叫びは、反響する事なく虚空へと虚しく消える。
「要は、結び直しゃあエエんやろうが、“契約”を!」
レオ丸は、右手の親指の腹を口に当てるや、ひと思いに噛み千切った。
僅かに噴出した血流が断続的に滴り落ち、薄まる事なく小波の立つ水面を、赤く紅く染めていく。
深紅の波紋が七重八重と、レオ丸を中心に広がり出した。
「ナオMさん、アヤカOちゃん、ミチコKさん、アマミYさん、アンWちゃん、マサミNちゃん、ユイAちゃん、ミキMさん、アキNさん、タエKさん、チーリンLさん、カフカSちゃん。
皆、ワシの呼び声を聞き逃しなや、ワシは此処やで!」
口元を己の血で真っ赤に染めたレオ丸は、不敵な笑みを湛える。
「伊達と酔狂な<召喚術師>の、本領発揮をしたろやないかい!
眼ぇかっぽじって、よう見さらせや、くそアルヴ!
犯すべからざる天下の法ってのは、こないやって捻じ曲げるんやわ!!」
読んでいるだけの人様の御作、『ある毒使いの死』の「104. <亡霊都市>」http://ncode.syosetu.com/n3984cb/148/ と、何となくネタが被ったようで、何とも申し訳無く候。
まぁ、所謂一つの、シンクロニシティーって事で、勘弁しておいて下さいませ(苦笑)。




