第肆歩・大災害+48Days 其の肆
さてさて、連日で投稿させて戴きます。
ちょい短めですが、キリが良いので。
外陣には二十枚の畳が敷き詰められている。
落慶式当初には青々としていた畳表も、積み重ねられた年月により黄色くなっている。
本堂内は上座と下座とに、大きく二つに分けられている。
外陣が所謂、下座である。
本堂の上座は、御本尊の在す場である。
上座と下座の間には、段差がない。
あるのは結界の役目を果たす、本堂を横断する幅三十センチほどの板敷きである。
上座は、三分割されている。
中央には、磨き上げられた板敷きの内陣という場で、その両横には八枚ずつの畳が敷き詰められた脇間がある。
畳敷きの脇間に挟まれた内陣の更に上には、御本尊が在す須弥壇がある。
脇間の上にもそれぞれ大きな壇があり、両方の壇上には厨子が一つずつ安置されている。
須弥壇を正面にして、右側の厨子の中には宗派の高祖上人の坐像が、左側の厨子の中には宗派の元祖上人の坐像が、それぞれ納められている。
厨子の左右の空間には、大小様々な立像坐像が安置されており、大きさも形も違う幾つもの位牌が並べられている。
「……主……殿……」
本堂の左右は両面共に、丈も幅も一際大きな障子戸で塞がれている。
障子戸を開けば其の向こうには、カーペットを敷いた廊下がグルリと廻らせてある。
「……主……様……」
板敷きの内陣の中央は、導師座である。
以前は礼盤を置いていたが、今は曲祿という名の装飾がなされた朱塗りの折り畳み椅子を置いてある。
「……御……主……人……様……」
導師座の前には、比率が六対一の長方形の向机がおいてある。
向机の上には数冊の経本を納めた説相箱、香炉、香盒、一般的には拍子木と呼称されている割杓、木魚が使い易いように配置してある。
「……旦……那……様……」
導師座を囲うように、右側には脇机がある。
脇机の上には、磬という鋳物を宙に下げた鳴り物が置いてある。
「……御……主……人……」
導師座を囲うように、左側にも脇机がある。
脇机の上には、書見台があり、漆塗りの表紙を持つ寺宝の過去帳が乗せてある。
「……マ……ス……タ……―……」
導師座と、須弥壇の間には大前机がある。
大前机の上には、一対の大燭台と一対の花立と、線香を立てる香炉が一つ置いてある。
「……主……人……」
脇の厨子の前にも、燭台と花立と香炉が一つずつ、セットとなって置いてある。
厨子の左右の像や位牌の前にも、同様のセットが置いてある。
「……ご……主……人……さ……ん……」
須弥壇脇の戸を開けば、裏堂へと至る。
裏堂に在すのは、御本尊とは違う至尊の像である。
「……旦……那……様……」
外陣の後方には、やはり大きな障子戸がある。
其の障子戸を開けば、曇り硝子を嵌め込んだ鉄の扉がある。
「……Mon……maître……」
観音開きの鉄扉を開ければ、広々とした境内がある。
本堂前には、雄大に四方へと枝を張った桜の古木が二本、睦まじく生えている。
「……旦……那……さ……ん……」
境内の左手奥には、約三十基の墓石が並んでいる。
境内の右手にも、十基の墓石が並んでいる。
何処か空の彼方へと、鳥のような鳴き声が糸を引き、羽ばたきと共に消えて行った。
ワシは、御本尊に向かい外陣で正座をし、合掌しながら深々と一礼する。
十返の念仏を唱えてから立ち上がり、本堂から縁へと歩み出た。
本堂の縁から下に降りたワシは、草履を履いて更に数段の石段を降りる。
ゆっくりと首を廻らし、砂利を敷き詰めた足元を見下ろし、空を仰いだ。
多くの誰かが、ワシを呼んでいたような気がする。
離れ難き大切な存在が。
哀切に満ちた声が、幾つも、幾つも。
だが、今は。
何も聞こえてけぇへん。
境内の直ぐ傍にある車道からも。
隣近所の家々からも。
何一つ、音が発せられてけぇへん。
風の音すら存在してへん。
空に御日様はなく、雲とは微妙に異なる真っ白な何かに、覆い尽くされとる。
世界が、何となく白かった。
白夜、ってこんな感じなんかなぁ?
いや多分、ちょっと違うやろなぁ。
本堂の前を離れ、桜の古木の枝下を潜り、山門へと進む。
おや?
ワザとらしいほどに砂利を踏み締めたったのに、音一つせぇへんねぇ。
ワシの聴覚が可笑しぃなってもうたんか?
それと。
ワシの視覚も可笑しぃなってもうたんやろか?
静寂、やなくて無音の世界は、全くの無色の世界でも、あるみたいや。
濃淡はあるんやけど、色彩があらへんね?
何でやろね? 不思議やね?
まぁ、エエか。
考えた処で答えは見つからへん。
ふっと、そんな気がした。
山門の木戸は、何かを防ぎ遮るように、堅く締め切られていた。
太い閂が、木戸を確りと抑えている。
ワシは手を伸ばして、止め具の木切れを二本とも抜いた。
抜いた止め具を足元に置き、閂を両手で掴む。
徐に閂を、木戸の金輪から外した。
そして。
両手で木戸の金輪を握る。
少し力を入れただけで、木戸の合間に隙間が生まれる。
ワシは徐に、内なる世界から外界へと至る、扉を開いた。
すると。
妙に金属的な破砕音が、世界を切り裂いた。
レオ丸は、誰にも汚されていない真っ白い砂浜に、立ち尽くしていた。
前にも後ろにも足跡のない、美しく清められた砂浜。
其処に、たった独りで立っていた。
足は草履を履いている。
着ているのは若草色の作務衣であった。
顔に手を当てれば、金属フレームの細い眼鏡をかけている。
いつも通りか、とレオ丸は思った。
腕組みをして、首を傾げる。
その耳に、幾重にも打ち寄せる波の音が聞こえた。
俯いていた首を上げて見晴らすと、海が広がっている。
ふと、レオ丸の脳裏に童謡の歌詞が、浮かび上がった。
心の中で、懐かしい旋律が優しくうねる。
レオ丸は心の赴くままに、その詩を口遊んだ。
そして、何となく歩き出した。
サクサク、と草履の下で真っ白い砂が、音を奏でる。
それは、優しい音であった。
世界の上から、雪のような何かが数え切れぬほどに舞い落ち、砕ける音がする。
それは、美しい音であった。
海の彼方、波打つ水面が幾層もの煌きを放ち、輝きを放つ光の柱を打ち上げながら、調べを律する。
それは、寂しい音であった。
レオ丸は、歩き続ける。
腰の後ろで手を組み、少し俯き加減で。
目指す先がある訳ではない。
だが、立ち止まり続けてはいけない。
だから、歩き続ける。
サクサクと音を立てながら。
舞い落ちてくる、幾つもの欠片に打たれながら。
煌きと輝きを、視界の端に留めながら。
無限に思える時間は、一瞬一瞬の積み重ねである。
寸刻は、止まる事なく流れ続ける。
僅かな悠久の時の間を、レオ丸は歩き続けた。
口遊んでいた詩は、いつの間にか英語の歌へと変わっている。
<ロマトリスの黄金書府>の外れで、焚き火に当りながら歌った詩。
とある映画のエンディング・テーマであり、人生の美しさ素晴らしさを歌い上げた、皮肉に満ち溢れた人生の挽歌とも言うべき詩。
人生、そんなに悪いもんじゃないぜ?
詩は世界に、そう語りかける。
しかし、映画の中でそれを合唱するのは、十字架へ磔られた死刑囚達である。
死に逝く者達が礼賛する、光り輝く人生とは?
レオ丸は、答えを持たず只管に、口遊み続けた。
やがて。
当て所ない彷徨を、レオ丸は止めた。
歩く事に疲れた訳でも、目指していなかった目的の場所へと到達した訳でも、どちらでもなかったが。
ただ何となく、汀にて、歩く事を止めた。
口を噤み、青々とした海の彼方の上に広がる、黒々とした空を眺める。
墨で塗り潰されたような空の真ん中に、地球があった。
まるで誰かが投げ出したように、青く澄んだ地球が其処に。
って、事は。此処は……月……なんか?
黙りこくって、遙かなる故郷を見上げる、レオ丸。
その右頬を、一筋の涙が伝い流れる。
雫が一つ、レオ丸の顎から滴り落ちた。
落ちた雫は宙で珠となり、真っ白い砂浜に吸い込まれる。
地球を見上げ涙を流し続けるレオ丸の足元を、寄せる蒼い波が洗う。
一つ、また一つと、珠となった雫が砂浜に零れ落ち、波が洗い流して行った。
遠くにある教会の尖塔から響いて来る鐘の音とよく似た、哀切なる響き。
レオ丸の耳を貫いた其の音が、レオ丸の体内を駆け巡った後に、レオ丸の心を激しく強く揺さ振った。
スッと両手を伸ばし、胸の前で大きく手を一つ打つ。
序で、自分の両頬をパシンと叩き、レオ丸は気合を入れ直した。
そして。
妙に金属的な破砕音が、尊き世界を無残に打ち壊した。
何処かで、誰かが歌っとんなぁ……。
あ~~~……何やったっけ、コレ?
…………………………マーラー、……か?
随分前に、料理番組の合間に流れてたCMで、毎週聞いてたよなぁ……。
最後のフレーズと思える箇所を聞いた途端、レオ丸の意識が一気に覚醒した。
「生きるも死ぬも、どっちも暗い、って……なぁ!?」
勢いよく手を下へと打ちつけた反動で身を起す、レオ丸。
パシャーンという、軽くて甲高い水音が上がり余韻を残す。
レオ丸が眼を覚ました場所は、薄暗がりの浅瀬であった。
柔らかなせせらぎに、腰から下が洗われている。
伸ばした足の爪先に当る水流は豊富で、やや強かった。
見晴らしても対岸がどのくらい先にあるのか、見当もつかない。
どうやら、かなり大きな河の水際に、レオ丸は居るらしかった。
滔々と流れている川面は、昏いが暗くはない。
青色、蒼色、藍色、紺色、空色、水色、草色、柳色、蓬色、緑色、翠色、碧色、鶯色、黄色、橙色、杏色、柿色、土色、茶色、鳶色、栗色、褐色、油色、飴色、狐色、金色、銀色、鈍色、鉛色、鼠色、灰色、白色、肌色、桃色、桜色、苺色、朱色、茜色、赤色、錆色、緋色、紅色、紫色、藤色、菫色と、濃淡明暗様々な色の光点が、川面に浮かんでは沈み、沈んでは浮かびながら、緩々と流れて行く。
無数の光点は大小様々に綺羅、星の如く瞬いている。
手を伸ばせば触る事の出来る、天の川が其処にあった。
「此処って、もしかして……アレか?」
レオ丸は視界に、ステータス画面を開いた。
<オーケアノス運河>
【古代文明に由来すると思われる、ヤマトの地下深くを流れる不思議な運河。
流路は一定ではなく、未解析の法則により常に変化しているらしい。
運河には脱塩作用の魔法がかけられているため、水質は淡水であるらしい】
「らしい、らしい、って……なぁ?」
腰を上げ立ち上がったレオ丸は、左右の袖を捲くり、あるいは懐や袂、腰周りなどを探って装備品の欠落がないかを確認する。
まるでカナブンのようにガサガサと全身を弄り、やがて安堵の吐息を漏らすレオ丸。
<ダザネックの魔法鞄>や<マリョーナの鞍袋>の中を漁れば、もしかすれば紛失しているアイテムがあるやもしれない。
だが、レオ丸が収納した事さえ覚えていないアイテムが、幾らでもあるのだ。
取り敢えず、必要最低限のアイテムは保持されていた事が確認出来た。
「さて、どーすっかなぁ?」
上を見上げれば闇に閉ざされ、天井らしきモノが全く見えない。
されど、明かりがあった。
数え切れぬほどの、<霊性>の群れ。
「……闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。by清少納言……ってか?」
河の流れと逆の方へと、大小様々な金色の光がヒラヒラと舞って行く。
「ほな、風流遊びでもしまひょか。なぁ、アマミYさん?」
レオ丸の呼びかけは、川面で跳ねて何処かへと消えた。
「アマミYさん!!」
今度は大声で叫ぶも、反響もせずに闇へと呑み込まれてしまう。
鼻から大きく息を吸い、口から緩々と吐き出す。
次に両手を盛大に打ち鳴らし、空中に円を描くレオ丸。
「天蓬天蓬急急如律令 勅勅勅! マサミNさん、こっちやで!」
宙に描かれた、青白い光で象られた召喚用魔法円は何も吐き出さず、溶けるように虚しく失われた。
「どーゆーこっちゃい!?」
顔色を失くしたレオ丸が慌てた口調で、続けざまに召喚用魔法円を宙に描き、契約従者達の名前を片っ端から叫ぶ。
しかし其の呼びかけに、誰もが応答せず、ただ無音だけが返って来た。
ドシャッと水飛沫を上げて、力なく浅瀬にへたり込むレオ丸。
「マジか? 何でや!?」
レオ丸は、虚ろな表情で天を仰ぎ、そのまま浅瀬へ仰向けに倒れる。
<大災害>発生後、四十八日目にして。
レオ丸は此の世界で初めて、死に直面した。
そして。
一人ぼっち、となってしまった。
ぼんやりと焦点の合わぬ視界を、無数の<霊性>が漂うようにヒラヒラと舞い、現れては消えて行く。
其の幻想的な舞いは、詠唱の旋律に合わせてヒラヒラと、ヒラヒラと。
詠唱は、オーケアノス運河のせせらぎだった。
其れは人ではなく、河自身が奏でる歌。
意識を凝らし耳を傾ければ、其れは水流が紡ぐ幾多の音の集大成である事が判る。
だが、意識を手放して聞けば、それは豊かなメロディである。
レオ丸は、ぼんやりと水際に倒れ込んだまま、其れを聞き続けた。
ミレイの描いた、『オフィーリア』の如き姿で。
いつまでも、そのままで。
どのくらいの時間、そうしていたのか定かではなくなった頃。
「永遠に……永遠に……孤独で……ぼっちで、居ろってか?」
突然、レオ丸の意識が集約した。
「嫌じゃ、ボケェ!!」
一挙動で立ち上がり、大声で喚き散らす。
「上等じゃ!! その喧嘩、買うたろうやないかい!!
おぅッ!! 見てさらせや、<エルダー・テイル>!!
古の物語の、その古びた尻尾を引っこ抜いて、キャンキャン言わしたらぁ!!
ワシは、家族を、彼女らを、絶対に取り戻したるさかいなッ!!
“遙か昔”としか語られてへんような、セコイ歴史しかないくせに!!
四十五億年以上の地球に生まれ育った、<冒険者>を舐めんなよッ!!」
レオ丸が吐き出した一通り胸の内は、川面を揺らす事もなく、<霊性>の淡い金色の輝きを曇らす事すらなく、闇の中に吸い込まれて行った。
「……とは言え、……どーしたもんやら?」
ガックリと肩を落とし、溜息を吐くレオ丸。
「まぁ、どーするにしても、もうちょい灯りが欲しいやな」
魔法鞄から<鬼火打ちの石>を取り出し、景気良く打ちつける。
暗い色の火花が散り、一つの火の玉がレオ丸の眼前に生み出された。
しかし<蒼き鬼火>は、出現するや否や直ぐに消え去る。
正確に言えば、淡く輝く小さな金色の光に変容してしまったのだ。
元鬼火のそれは、フワリと舞い上がり、<霊性>の群れに混じり、彼方へと流れて行った。
「……そーゆー事かい」
レオ丸は、懐から<彩雲の煙管>を取り出し、咥えた。
大きく吸い込み、五色の煙を吐き出す。
「ほな、託児所に行こうか?
迷子を迎えに行くんは、家長の役目やさかい、な!」
鼻を一つ鳴らし、レオ丸は歩き出した。
浅瀬の砂地に確りと、己の歩む足跡を残しながら。
明確に定めた、目標を目指して。
ってな訳で、次回の投稿は少しお待ち下さいやんせ。
正月休みが今日までなので。
でわでわ、今回は後味がちょいとマシならば、宜しいのですが(苦笑)。