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第肆歩・大災害+48Days 其の参

新年明けましておめでとうございます。

漸く、続きが書けました。

お待ち下さいました皆様へ、最大級の感謝と御礼を。

 西へと赴くユストゥス達、<月光(キアーロ・ディ・ルナ)>の一行と別れて間もなく、レオ丸は騎乗していた<獅子女(スフィンクス)>から大儀そうに降りた。

 両手を伸ばし、首をコキコキと鳴らす。

 上へと視線を向ければ、生い茂る樹木の枝葉で視界が遮られ青空は微かにしか見えず、周囲を水平に見渡せども、やはり林立する樹木の太い幹に視野を塞がれる。

 ふと、足元を見下ろせば、青々とした幾多の草々に混じって可憐な、あるいは鮮やかな花々が其処彼処に咲き乱れている。

 初夏ともなれば空気は大分に温むはずだが、此処は山の中だった。

 レオ丸が、ぼんやりと立ち尽くす獣道程度のあるかなきかの山道は、ささやかな冷気と静謐さとに支配されている。

 頭上の何処かで、小鳥の鳴き声がした。

 実に穏やかな雰囲気に満ちた、朝の世界である。

 けどね、とレオ丸は思った。


 何て言うたらエエんかな?


 幻想級の布鎧である<中将蓮糸織翡色地衣>の裾を気にしながら、レオ丸は膝を折りつつ考え込む。


 やっぱ、此の世界は可笑しいよな?


 Someone in my head but it's not me.

 レオ丸の中の、もう一人のレオ丸が肩を竦めて、やれやれと大袈裟に首を振った。


[何を今更、ほざいてけつかる?]


 五月蝿いわ! 可笑しいなぁって思うたから、可笑しいって言うただけや!

 ……改めて、ようよう観察してみたら、不可思議だらけやんけ、此の世界は!

 貨幣経済やのに、造幣局もなけりゃ、銀行もない。

 金貨が欲しけりゃ、モンスターを倒すしかあらへん。

 <冒険者>はまだエエやろう。

 自前で武力を行使出来る<大地人>の特権階級も、まぁエエとしよう。

 ほな、非力な一般人(パンピー)の<大地人>は、此の歪みまくったイカレた貨幣経済の何処に居場所があるんやってゆーねん?

 宗教は、どうや?

 神さん達を祭る風習は、其処彼処にありよる。

 その、神さん達の此の世界での、役割ってなんなんやろう?

 神さん達は本来、崇め奉る信者達に恩恵をもたらしてくれはる存在や。

 その最大の恩恵は、死後の救済やわ。

 ……せやけど此処には、観念としての死後の世界がない。

 死せる者の魂の救済は、一体誰がしてくれるねん?

 そもそも、死んだら魂は全て回収されて何処かにある……富士山の中でその他多くの魂達と一緒くたにされて、再び大地に再分配される、はず。

 リデュース・リユース・リサイクル♪ ってヤツやな!

 三つの“Re”で再活用される魂って、ちゃんと分別されとるんやろうか?

 土は土に、灰は灰に、<大地人>は<大地人>に、ケダモノはケダモノに。

 それか、畜生道と人道だけは一緒くた、なんやろうか此の世界では?

 ……眼に見えへん事柄だけやないし。

 眼に見えるモンで言うても、や。

 例えば、此の世界の生き物についても、謎だらけやん?

 “生物群系(バイオーム)”が、二分化されとる。

 復活する生物相と、復活しない生物相の二つに。

 復活する生物相は更に二つに、<冒険者>と<亜人>並びに<モンスター>とに分化されとるし。

 <冒険者>は死んでも、生前通りの特定された個人として、復活する。

 <亜人>や<モンスター>は死んだら、元の固有種の一体として、復活する。

 ……レイドボス・クラスやと、元のまんまに復活するんかもしれへんな。

 おや?

 ほな<冒険者(ワシら)>って、レイドボス・モンスターとイコールなんか?

 いや、流石にそれは違うやろ。

 レイドボス・モンスターは倒されて消滅して、何れ復活したとしても、それは名前が一緒なだけで全く別の個体やわ。

 同じオンリーでも、永久に再生(ループ)され続ける<冒険者>と、毎回新規データとして上書きされ続ける<亜人>と<モンスター>。

 ……どっちも、元の現実世界には居らん存在やもんなぁ。


[だから、どうした?]


 So what ってか?

 いやいや、此方の世界にも元々居らんかった存在やで?

 つまり。

 ワシら<冒険者>は、ほんで<亜人>も<モンスター>も、此の世界の生き物やない、危険指定の外来生物や。

 せやけど。

 此の世界の生き物かて、ワシが知っとるような生き物らしくは、あらへんで?

 地球の歴史上最高にして最大のベストセラー、所謂“書物”に記してある通りに、世界の創造主たる“唯一にして絶対”の御方が完成品として創り上げて其のまんま今に至る的な、感じやん?

 <大地人>も、野生の生き物達も。

 彼らは彼らで揃いも揃って、ホンマに歪な存在やで。


「主様」


 自分ではない自分以外からかけられた呼び声に、レオ丸は漸く首を上げた。


「故郷を思う、て居られましたのか?」

「ほな今は、“山月を望み”ってか?」


 苦笑いを浮かべながらレオ丸は、汚れてもいない膝と布鎧の裾を払い、立ち上がろうとしたものの直ぐに腰を下ろした。

 自問自答の切欠となった淡い桃色の華を一輪、茎の途中で折り取る。


「Cymbidium insigne Rolf」

「ざっつ・らいと」


 アヤカOに笑顔を見せる、レオ丸。

 その額には、先ほどまで深く刻まれていた皺はなく、ツルンとしている。

 穏やかな顔つきで改めて腰を上げるや、右手に摘んだ艶やかな華を木漏れ日に翳した。

 黄色のワンポイントを載せた花弁に、赤紫色の細かな斑点が全体的に散らばり、清楚と妖艶を共存させた鮮やかな華。


「こいつは、熱帯でありながら冷涼な高地に咲く、蘭の一種やねぇ。

 ほんで、こっちは……」


 レオ丸は、足元の少し先にある下生えの繁みを、左手で指差した。


「野蒜やイチイ、……一纏めに言うたら(アララギ)やな。

 周囲には山毛欅(ぶな)に椎に楢。実に温帯の山地らしいわさ。

 せやのに、何で熱帯の華が、こんな処に自生しとんねん?

 渡り鳥が糞をして、それに混じっていた種子が勝手に芽を出したんか?

 それとも誰かが植えたんか? ……それとも……」


 四肢を折り曲げ、地に香箱を作り伏しているスフィンクスの鬣に花簪を飾ると、レオ丸は両手を広げてクルリと一回転する。


「元来、此の世界の設定が出鱈目なのか?」


 少しふらつきながらもピタッと静止すると、レオ丸は腰の魔法鞄から紙巻煙草を一本取り出して咥え、懐から出した<彩雲の煙管>の火皿で火を点した。

 棚引く一筋の紫煙と、噴き上げられる白い煙。

 山肌を這う柔らかな微風が、それらを一纏めにして木々の随に溶け込ませる。


「まぁ、元の現実でも世界は結構、出鱈目やったけどなぁ。

 上手い事パーツが組み合わさった良う出来た部分と、無茶苦茶な不具合だらけの部分とで渾然一体となっとったし。

 ピルトダウン人でもでっち上げな埋められへん、人類進化の系譜とか、なぁ?

 さてさて、と。

 <冒険者>は、不老不滅(リターン)である。

 <モンスター>と<亜人>は、無限再生(リピート)である。

 <大地人>と<生物>は、輪廻転生(リスタート)である。

 今現在、“此の世(セルデシア)”には生命に関するルールが、三つも存在しとる。

 果たして、此の並立したルールは、今後もずっと……続くんやろか?」


 ちびた紙巻煙草を煙管の火皿に捻じ込み、最後の最後まで吸い尽くしたレオ丸は、至福の表情でアヤカOに問いかけた。

 しかし、返事はない。

 契約主からの思いがけぬプレゼントに、契約従者は蕩けそうな満面の笑みで身悶えしていたからだ。

 まるで、マタタビを与えられた猫のように。


「体躯はライオンやから……猫科なんかな、スフィンクスって?」

「相変わらず朴念仁よのう、主殿は!」


 不意にレオ丸の襟元から、辛辣な口調でツッコミが入れられた。


「我らは、<モンスター>と主殿ら<冒険者>共に称される身ではありんすが、心根までが人外の化性だと思わぬで欲しゅうありんす。

 此の身も、彼のモノも、自我は等しく女性でありんす。

 好いて仕える御身より、手ずから褒賞を下賜(プレゼント)されれば直ぐに有頂天になるのが、当たり前でありんしょうが?

 況してやそれが、卑しき身を美しく飾る、贈り物(プレゼント)であるならば!」


 レオ丸の襟元から湧き出した一塊の黒い渦が、地に舞い降りるなり木陰より濃い一体の人の姿となる。

 漆黒のヴェールに半ば隠された、<吸血鬼妃(エルジェベト)>の白皙の瓜実顔が微かに引き攣り、紅い唇が皮肉気に吊り上った。


「え~~~っと、つまり?」


 やや挙動不審になりながら、額から止め処なく脂汗を流すレオ丸。


「つまり」


 闇より黒いロングドレスの括れた腰に両手を当てて、それなりの大きさの胸をこれ見よがしに張ったアマミYは、唇の端から鋭い牙を覗かせる。


「わっちにも同じく、佳き物を下賜してたもれ」


 下位に立つ契約従者が強烈に浴びせかけた堂々たる威風に、上位に立つはずの契約主は唯々諾々となるしか逃げ道は、ないようだった。


「御意のままに、Your Highness」


 レオ丸は、幻想級の布鎧の裾を絡げるや、スタコラと繁みの中へと駆け込む。

 そして小一時間ほどを浪費して、アマミYの御眼鏡に適う華を探し出す事に成功したレオ丸は、心身共に消耗し地に倒れ伏してしまった。

 HPとMPの増減と心身のバロメーターが連動していない、それだけがせめてもの救いではあるのだが。

 昨夜から一睡もしていない事もあり、精魂尽きたレオ丸はスイッチの切れた玩具のように突っ伏したままピクリとも動かない。

 ただ、雷の如き寝穢い鼾のみが、生存反応を主張し捲くっていた。


「ほんに、世話のかかる主殿で、ありんすねぇ」


 白く可憐な野薔薇をコサージュのように胸へと飾ったアマミYは、頬を緩めながら優しげな声をだすも裏腹に、レオ丸の襟首を片手で掴んで軽々と持ち上げる。


「では、主殿。出発するで、ありんすよ?」


 レオ丸は少しだけ粗雑に、如何にもな荷物扱いされながら、スフィンクスの背上へと放り出されるように乗せられた。

 満足気な笑みを交わすと、二体の契約従者はそれぞれが自主的な行動を開始する。

 アマミYは無数の黒い小さな影に変化するや、四方八方へと一斉に拡散して行った。いつもの作業でもある、索敵哨戒任務に着くためだ。

 仲間を見送った後、アヤカOは背中の荷物を落とさぬように気をつけながら、起伏のある山道の先へと歩を進めた。

 当たり前の事ながら。

 それらの行いは、<大災害>発生以前には見られない姿勢であった。



 全てがゲームであった頃、敵として出現するモンスターは、プログラミングにより自動選択された行動をする。

 では、<冒険者>と共に居るモンスターは、どう行動するのか?

 それは勿論、そのモンスターの監督権を有するプレイヤーの任意により、指示された通りの行動をするのだ。

 別の言い方をすれば、モンスター達は“行動する”のではなく、常に“行動させられる”のである。

 全てがゲームであった頃、モンスターに自意識などは存在しない。

 同じく、NPCである大地人にも自主自立といった意思を、所持などしていなかった。

 だが、<大災害>が発生し、全ての前提が根底から覆された現在の、“此の世界”(セルデシア)

 此の世界に生きる大地人達は、人が人として存在し得る所以の自主自尊、自意識を所持し日々生活をしている。

 此の世界に始原より根付いている全ての生物達も、それぞれの生活圏を確保し、生存競争を繰り広げている。

 そして大地人達を含めた、ありとあらゆるセルデシア固有の生物達に付与せられた法則は、<森羅転変(ワールド・フラクション)>という事変により異界より召喚された存在達にも、須らく適応されていた。

 大地人達は、自我を持っている。

 それは大地人達に取り、当たり前の事である。

 モンスター達も、自我を持っている。

 それは、モンスター達に取っても実に、当たり前の事だ。

 故に。

 モンスターである契約従者達が、契約主たる冒険者の指示を受けぬままに、勝手に行動をしたとしても、何ら不思議はないのだ。



「主殿」


 電池の切れた玩具のように、ほぼ全ての機能を停止していたレオ丸を再起動させたのは、アマミYの呼びかけであった。


「う~~~」


 どうやら暖機運転(アイドリング)に時間がかかるようだ。

 セマルハコガメの歩みほどの速度で、意識を取り戻すレオ丸。


「う~~~……」


 だが、レオ丸の覚醒への道程は突然、ノジドロミユビナマケモノのライフスタイルが如く遅々として進まなくなった。


「主殿?」


 再度の呼びかけに、レオ丸は“zzz…”と答える。

 顔を見合わせ、嬉しそうな、困ったような笑みと溜息を零す、二体の契約従者。

 そして同時に頷き、改めて自主的行動を開始した。



 惰眠を貪っていたレオ丸が眼を覚ました時、天地は逆転していた。

 どのくらい寝ていたのかは定かではないが、恐らくは三時間前後くらいか。

 僅かに霞のかかった意識で、レオ丸はそう認識する。


「……ワシは何処? 此処は誰?」

「漸くの、お目覚めでありんすか、主殿?」

「主様は此方、此処が何方の御領所かは、存じませぬゆえ」

「あ~~~、……お早うさん?」

「あい。時分は、早くはありんせんが」

「よくよくの御就寝でございましたゆえ」

「うん、よく寝た」


 佇むスフィンクスの背で、仰向けになっているレオ丸。

 今しも落ち葉と下生えの草むらの中へと、頭から真っ逆さまに落ちそうな、決して格好良いとは言えぬ寝相だ。

 無様な姿を晒している要因の一端は、レオ丸の両足首を掴んでいるエルジェベトの握力の強さにもある。


「さて、主殿」

「はいな、何やろ?」

「牽引と解放、どちらが宜しいでありんす?」

「そやねー、……お任せで」


 アマミYは鼻を小さく鳴らすと、契約主の両足をあっさりと解放した。

 クランウェルツノガエルが潰された時に発するような呻きを上げながら、レオ丸は頭から地へとダイブし蹲る。


「主様、大丈夫ですか?」

「うん、多分? 処で、此処は何処やろう?」


 赤くなった額を摩りながら、レオ丸は草むらを座布団代わりに胡坐を掻きつつ、問いかけた。


「さて、私には皆目検討がつきませぬゆえ」

「わっちらの道行が邪魔されぬようにと、様々に動いたでありんすから」

「ほー!」


 懐から取り出した煙管を咥え、五色の煙をゆるゆると燻らしていたレオ丸は、素直に感歎の声を上げる。


 自立、しとんなぁ!

 精霊山の近辺って確か、<竜の聖域>があるし、あっちこっちに大地人のエルフ達の集落が点在してるもんなぁ。

 まぁ、縄張りを侵したり、森に無体な狼藉を働いたりせぇへん限り、あちらからこちらへの干渉はあらへんけどな?

 せやけど、彼女らはワシの“家族(ファミリア)”やとは言え、モンスターや。

 プレイヤー情報として、それをワシは知っとる。

 従者契約をした際に、ワシと彼女らは意識と記憶をリンクさせとる、ってな感じの設定になっとるんやけども、ワシの倫理観とかまでが共有される訳やない。

 大体にして、モンスターが回りに配慮したりする、はずがない。

 斟酌、なんて言葉が、モンスターの辞書には記載されとらんやろうし。

 あるならば、危険からの回避か?

 彼女らの口調から推察するに、どっちかってーと其方っぽいかな?

 でもまぁ、ワシが明確な指示を出してへんのに、彼女らの方が率先してワシの意を汲んで、自発的な行動をしてくれよった。

 やっぱ、此の世界は可笑しい。

 けど、素晴らしい、な。


「自分らは、サイコー! やな」

「何がでしょう?」

「何を今更」


 レオ丸の笑顔に、アヤカOは小首を傾げ、アマミYは呆れたように首を振る。


「それよりも、主殿」

「うん、どないしたん?」

「アレは一体、何でありんしょう?」


 漆黒のドレスの袖先、真っ黒のレースフリルから覗く青白い細い指先が指し示す方を、レオ丸は首だけを廻らせて見た。

 凡そ三十メートルは離れた、木々の合間の中空を。

 金色の蝶々が一匹、ヒラヒラと木陰の中を舞っていた。

 いや、それは。

 一羽と呼んでも差し支えのないサイズをしていた。

 遠目のために小さく見えるが、大きさは恐らく翼を広げた鳩と同程度だ。

 レオ丸は即座に、<淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>の焦点を定めた。

 薄く木漏れ日の射す木々の間隙を、揺蕩うような軌道を描いて舞う、金色の蝶々。

 だが、それは。


「蝶々や……ないなぁ……」


 ステータス画面に表示された名称は、<霊性(スピリット)>。

 それ以外には、何一つ情報が開示されない。

 隠匿されているのか、それともそんなモノは最初から存在していないのか?

 レオ丸には判別がつかなかった。


「わっちにはアレが、近くて遠い存在に感じるでありんす」

「私も、左様に思いますゆえ」

「なるほど」


 立ち上がり、足腰を軽く叩きながらレオ丸は、会心の笑みを浮かべる。


「世界、ふしぎ道標、発見!」



 契約主を背に跨らせたスフィンクスが、山の道なき道を加減しながら駆けた。

 エルジェベトは、無数の小さな影と姿を変えて付かず離れず、<霊性(スピリット)>の後を追う。

 右に左にと揺さぶられながら、レオ丸は人目も憚らずに大欠伸をしていた。

 実際、此の場にはレオ丸しか<人間>は居なかったが。


「しゃんとするでありんす、主殿」

「出物腫れ物、処構わず。リラックス、リラックスってな♪」

「ホンに主殿は。……右でありんす」


 アヤカOの鬣に潜んだアマミYの分身の一つが、溜息交じりに行き先を告げる。

 其のまま人跡未踏の山中を彷徨する事、小半刻。

 レオ丸達は行き場をなくし、立ち往生する羽目に陥っていた。

 今まで見た事もないような橡の巨木、椿の古木などが密集しており、スフィンクスの体躯では進みようがなくなってしまったのだ。

 人一人が這い蹲れば、どうにか通れるほどの隙間しか開いていない。


「無理に通れば道理で苦しい、やな。

 アンWちゃんでも呼び出して、強引に道を開削したら進めるやもしれんけど。

 飛騨の山での荒らし行為は、大地人のエルフ達との軋轢を生みかねへんし」

「如何するでありんすか、主殿?

 アレは、此の間へと消えて行ったでありんすよ?」

「仕方ないな。下馬札が立てられとるんやもんな」


 よっこいしょと地に降り立つと、レオ丸は労うようにアヤカOの鬣を優しい手つきで、撫で梳かす。


「ほな、アヤカOちゃん。一先ずお疲れさんでした。おおきにね!」

「主様、いつでもお声かけ下さいませ。直ぐに参上仕りますゆえ」


 レオ丸が宙に描いた魔法円に、スフィンクスは吸い込まれ消えた。


「さて、ほな行きましょか。アマミYさん、案内をヨロシコ♪」

「承知でありんす」


 レオ丸の襟元に居場所を移していたエルジェベトの分身が、妙に嬉しそうに答える。

 空を覆い尽くさんばかりの枝葉の重なりに、只でさえ薄くしか射し込んでいない陽の光。

 それが完全に遮断されている、生い茂る緑で作られた闇の中。

 闇の住人の一員たる吸血鬼の上位種のみを供にして、レオ丸は気負い込む事なく侵入を開始した。


 ちょっと小腹が空いたかな?


 絡まり合い縺れ合った枝や蔓草が、圧縮されて形作った濃緑のトンネル。

 <淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>の暗視機能の御蔭で、視界だけは確保出来ていたが、極端に行動制限をさせられている状態。

 只管に前へ前へと進むしかない現状では、腰を落ち着けて昼食をするような余裕など何処にもない。

 溜息を零しながら、レオ丸は匍匐全身を続けた。

 不意に背後から、明るさが揺らめきながら現れる。

 それはレオ丸の道標であるはずの、<霊性(スピリット)>であった。

 しかし、先に見つけたモノとは大きさが、全く異なる。

 数も又違った。

 圧倒的な存在感を持ちながら、物理的には存在していない幾つもの金色の煌きが、ヒラヒラと舞い踊りつつレオ丸を追い抜いて行く。

 <霊性(スピリット)>達は空中演舞をしながら、闇が支配する濃緑のトンネルを苦もなく進み、残像だけを残して消えて行った。

 何とも幻想的な情景を味わったレオ丸は、気を引き締め直す。

 いざ、前へ。

 未知なる彼方へ。

 レオ丸は、前進を続ける。

 その努力が報われる、事はなかった。


 最初は、僅かな違和感であった。

 硬かったはずの下面が、何となく柔らかく感じる。

 そう感じるに連れて、レオ丸の進撃速度が少しずつ鈍り出す。

 更に。

 何処かからか嗷嗷という音が、微かにレオ丸の鼓膜を震わせる。


「主殿?」

「何やろう、危険な臭いがするわ」


 それは、ベテラン・プレイヤーならではの第六感、と言うべきモノだった。

 あるいは、野生に棲む獣達ならば全てが持ち合わせている、モノか。

 <大災害>以降の<冒険者>達は、既に元の世界の<人間>ではない。

 強いて言えば、野性に目覚めた存在なのかもしれなかった。


 ブチッ、という音が、レオ丸の下っ腹付近から発せられた。

 それは一音だけではなく、連鎖して奏でられる。

 闇の中に響き渡る破断の音は、発せられた端から濃緑の壁に吸い込まれて行く。

 最後の一音が消失し、トンネルは再び静寂に包まれた。


「アマミYさん」

「主殿?」

「ゴメンやで」


 その一言を発し終えた瞬間、レオ丸は蔓草が覆っていたトンネルの底を突き破り、中空へと放り出される。


「主殿ッ!!」


 闇色にべったりと塗り潰された、無間の空間。

 重力に導かれたレオ丸は、下へ下へと落ちて行った。

 悲鳴すら上げる暇もないままに。



 どのくらい落ち続けているのか。

 レオ丸は両手足を精一杯広げ、布鎧の面積を出来るだけ大きくするという、儚い抵抗を試みるが、その程度で落下速度が変わるはずもない。

 但し、落下する角度だけは変わった。

 頭から真っ逆さまになっていた姿勢が、やや水平になる。

 だがそれは、気休め程度でしかなかった。

 風圧を受け続けたため、レオ丸は朦朧とし始める。


 前に落ちた時は、<忘れ去られた書物のミラルレイク>に行ったよなぁ。


 霞がかかり出したレオ丸の意識は、暢気に走馬灯を回し出す。


 まぁ、あん時とは落下している感覚が全然、違うけどなぁ?


「主殿ッ!!」


 不意に上げられた悲鳴のような、アマミYの呼び声。

 襟元からの叫びに、意識を引っ叩かれたレオ丸は首を廻らせようとする。

 途端に、保たれていたバランスが崩れた。

 藻掻くように手足をバタつかせた結果、レオ丸は水平を取り戻すものの、表裏が逆となり仰向けの姿勢に。

 背中を下に、上を見上げながら落ち続ける、レオ丸。


「今暫く、辛抱しりゃれ!! 間もなくわっちが参るでありんす!!」


 キーンという風切り音に混じり、遙か上方から微かにざわめくような音がする。

 <淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>を通して見る闇に包まれた広大な空間に、闇よりも暗い影の塊が蠢いていた。

 スピードの相対値は、レオ丸よりも影の方が早い。

 少しずつ距離が縮まるが、直ぐに追いつくという訳ではなかった。

 落ち続ける、レオ丸。

 それを捕まえようと追い縋る、影の群れ。

 時計の長針が、五周するほどの時間が無常に経過する。

 後少しで、一人と一体が重なり合う。

 小さな影の一つ一つが、レオ丸の視界に明確となった。


「もう少しでありんすッ!!」


 アマミYの本体が、まるで開かれた巨大な掌の如き形となる。

 闇の中に浮かび上がる闇より暗い掌が、遂に契約主を捉えようとした、正にその直前。


「!!」


 レオ丸は、呻きと共に吐血した。

 鮮血が宙に噴き上がり、赤い滴となってレオ丸と共に落下する。

 手が届く範囲内に、壁などないと思われていたが、違ったのだ。

 レオ丸が落ち続けていた空間は、断面図で説明すれば漏斗状となっていた。

 大きく開けた口側から落ちたレオ丸は、いつしか窄められた口の方へと移動していたのだ。

 もう少し手を伸ばせば、其処にはささくれ立った岩壁があった。

 壁だけではない。

 石筍の如くに突起した幾つもの石塊や、張り出した岩棚も。

 その内の、最も大きな岩壁の張り出しが、レオ丸の後頭部を砕いたのだ。

 ダラリと力を失い、操り糸が全て断ち切られた人形の如き姿で、レオ丸は更に落ち続けた。

 アマミYの手も、発せられる絶叫も、レオ丸には届かない。

 やがて。

 数メートルに及ぶ水柱と引き換えに、レオ丸の体が黒い水面へと呑み込まれ、沈む。


 長い長い落下の果てに。

 レオ丸は漸く、地下空間の底辺へと到達した。

 弧状列島ヤマトの、最も暗き闇の奥底へと。


<其の肆>も出来るだけ早く、投稿するつもりにて!

同志諸兄の勢いに、なにくそ負けるか、頑張るぞ、おー!

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