第参歩・大災害+45Days 其の参
レオ丸に喋らせ過ぎた結果、今話で“回答編”が終わらせられませんでした。
+45Daysは、今少し続きます。
うわーん、コラボ企画に追いつかないよう!
加筆修正致しました(2015.04.01)。
出口へと、“賢老院議堂”の外へと。
学者達が、芸術家達が、技術者達が、職人達が、医者達が、武術家達が、様々な職能の大地人達が、パニックに陥ったまま遁走していた。
年齢も性別も肩書きも関係なく、我先に前へ前へと、押し合い圧し合いをしながら。
死にたくない、喰われたくない。
誰しもが、そう思いながら必死の形相で、恐怖の場から逃れようとしていた。
「こりゃアカンね、アヤカOちゃん」
「誠に。智者学者にあらず、学者智者にあらず」
「此の有様を見たら、老子の言う事は正しいなぁ」
議会室を勇んで飛び出したレオ丸主従は、人の波に行く手を阻まれ、揃って困り顔をしていた。
幸いにして、“賢老院議堂”の廻廊は天井が高かったために宙へと飛び上がり、人の波に飲まれずに済んでいる。
どうしたものかと、アヤカOの背に跨ったまま思案するレオ丸。
首を捻りながら、ふと上を見上げた。
採光のための、大きな透明硝子が填め込まれている。
「アヤカOちゃん。あっちから行こか?」
「御意にて」
背の翼を力強く羽ばたかせたスフィンクスは、一直線に天井部へと舞い上がった。
硬質の破砕音と共に、大地人の社会では希少な一枚板の、畳み三畳ほどのガラスが粉々に砕け散る。
それらを煌きに変えながら、空中へと飛び出すレオ丸主従。
何気なく下を見れば、雨と共に降り頻るガラス片から逃げ惑う、六色の衣装を着けた人々が居た。
「怪我しなや」
他人事のように言い捨てると、レオ丸はアヤカOの耳元に口を寄せる。
「あの塔に向かって頂戴な」
「御意にて」
「アマミYさん、起きてる?」
レオ丸は、自らの襟元へと声をかけた。
「御馳走の芳しき薫りに包まれて、惰眠に耽られるほど出来た人間じゃありんせん」
「……あんさん、今も人間やったっけ?」
「言葉の綾でありんすよ、主殿」
「“人間というものは、結局は消化器と生殖器とから成り立っているのだ”」
「ルミ・ド・グールモンの、『随想』の一節やったけな?
実に身も蓋も無い、合いの手をおおきに、アヤカOちゃん。
ワシは、シュタインタールの『ことばの起源』で語られてる、“人間は言語によってのみ人間である”方が好きやけどね。
それは、さておき。
アマミYさん。ヴァンサンの部屋が何階か、覚えてる?」
「確か、……両手足の指を全て足して首の数だけ引いた、階でありんした」
「十九階か」
「左様でありんす?」
「何で疑問形やねん。まぁ、エエわ。取り敢えず、行こか」
紫華尖塔へと、空より接近するスフィンクス。
足下から聞こえて来るのは、修羅達と畜生達による闘諍の音。
発せられる、幾つもの技の名や呪文。
気合の掛け声、化鳥のような奇声、轟く咆哮。
呻きと悲鳴が端々に混じり、何かが砕かれる破壊音が上がる。
血煙と死臭が奏でる、苦痛に満ちた諧調。
だが、レオ丸の耳に、その調べは聞こえない。
レオ丸の鼓膜で繰り返されるのは、議会室内で聞いた六芒星の痣を額につけた<万魔獣>の、悲迫る雄叫びのみ。
紫華尖塔を中心に、ぐるりと旋回するスフィンクス。
強度を維持するためなのか、各階層に窓は一つずつしかない。
それが少しずつ、ずらされながら配されていた。
レオ丸は、下から指折り数えて十九階の窓を捜す。
目当ての窓は、閉ざされている分厚そうなカーテンのために、室内の様子は全く窺い知れない。
「ふむ。……ま、当たって砕きゃ何とかなるか」
「不入虎穴、不得虎子」
「精々、御気張りなんす」
レオ丸主従は、緊張感の欠片もない会話をしつつ、緩みだした雨のカーテンを掻き分けて上昇した。
そして、急降下をしながら、紫華尖塔へと強行突入する。
加速度をつけて、スフィンクスが飛び込んだ先は、大量の書物と雑多な物品が山と積み上げられていた。
ガラスの破片を撒き散らし、大量の埃と騒音を巻き上げ、重厚な書架を二つばかり押し倒してから、漸く勢いが止まる。
アヤカOの背から放り出されたレオ丸は、ゴロゴロと床を転がった後、何事もなかったように立ち上がった。
<中将蓮糸織翡色地衣>の襟元を整え、有るか無きかの頭髪を綺麗に撫でつけ、背筋を伸ばし居住まいを正す。
「お邪魔しまっせ」
その部屋の主に対し、レオ丸は目線を切らぬまま、慇懃に腰を折った。
「<冒険者>とは、本当に無作法極まりない、実に不快な存在だな」
キングサイズのベッドを思わせる巨大な執務机の上は、書類と書物と、一瞥では判断つきかねる物で埋め尽くされている。
レオ丸を非難する声は、その向こう側から発せられた。
「あんさんの言い方を流用させてもらえば、<冒険者>は禽獣みたいなモンやろうが。
日光のお猿さん達以下やねんから、礼儀云々で非難されても困るなぁ」
「ニッコーとは、何だ? 相変わらず、理解不能な物言いをする。
野で蛮、卑で賤な分際で、私に意見をするとは、何ともはや。
……まぁ良いだろう。野卑には野卑の主張があるのだろうから、それに耳を貸すのも士大夫の役目というもの。
だが、暫く待ってもらおうか。
……今、大切な作業をしている最中なのでな」
「ワシも暇やないさけ、早うしてや」
紙の上を羽ペンが走るカリカリという音を聞きながら、レオ丸は口を閉ざし室内を改めて検分する。
執務机の上の僅かな灯り以外に、部屋を明るくする照明器具は何一つなかった。
外界との間を遮っていた、分厚いカーテンは引き裂かれて無残な有様となっていたが、黒い雨雲が天を完全に覆っており、外部からの明かりも望めない。
<淨玻璃眼鏡>の暗視機能により、レオ丸には何ら不都合は生じていなかったが。
陰鬱として暗い部屋の中、レオ丸は足元に転がった書物を一冊手に取り、パラパラとページを捲る。
『“六傾姫”伝承疑義』という書名の、その本。
中々に興味をそそられ、思わず熟読してしまうレオ丸。
「主殿?」
「ワシ、今、読書中やねん」
「主殿!」
「何やいな?」
襟元から湧き出た黒い霧の塊が、契約主の意識を現実に引き戻す。
書物から顔を上げたレオ丸の眼前に、いつの間にか豪奢な身形の男が立っていた。
「それで? 許可を得ずに乱入して来て、私に何か用事か?」
偉丈夫に分類される体格の魔術師、ヴァンサン・ビアンが挑みかかるように、<冒険者>を上から見下ろす。
背の高くないレオ丸は、口元を歪めながら<大地人>を睨め上げた。
「用事? ああ、あるで」
開いていた書物を音を立てて閉じ、人型に変じたアマミYに手渡すと、レオ丸は後ろ手に組んで歩き出す。
「ちょいと教えて欲しいんやけど、何で……“漂泊を続ける者”を生贄の対象としたんや?」
「ふむ。それは……」
「ああ、先に言うとくけどや。後腐れのない、手頃で丁度良かったから……みたいな、詰まらん答えやったら、……即座に殺すからな」
「それも、理由の一つだ。些細な理由だがね。
我らロマトリスの黄金書府の、街を維持し保全し続ける立場の者は、郷土に住む者達を護らなければならぬ」
「そんなん当たり前や。そのために、権力って玩具を与えられとんやから」
「故に、護るために必要な算段を講じた、だけだが」
「“漂泊を続ける者”は、……護るべき対象と違うんか?」
「郷土に住む、と申したが聞こえなかったのか?
“漂泊を続ける者”は、長き歴史において、ずっと“漂泊を続ける者”であった。
恐らくは此れからも、“漂泊を続ける者”であり続けるだろう。
未来永劫に、彷徨い続ける存在だ。
郷土を持たず、只管に世間を放浪し続ける。決して、ロマトリスの黄金書府の一員ではないし、我が護るべき対象ではあり得ない」
「カレッジ殿の話では、お前が、庇護者やったはずやが?」
「ふむ、確かに便宜は図ってやっていた。奴らが、我らの街に入城し、行動する事を認めてやっていたが。
別に、保護していた訳ではない。管理をしていた、だけだ」
「牧羊犬のように、ってか?」
「違うな。稀にやって来る渡り鳥に庭木を一時、貸してやっていただけだ」
「ほう?」
「間借りさせてやっていたのだ、家賃を徴収するのに問題があるかね?」
「……問題大アリやろうが」
「立場による、見解の違いかな? だが此れは、<大地人>の間の事柄で、<冒険者>が口を出して良い話ではない」
「……」
「それでは、些細ではない理由を、教えてやろう。
“漂泊を続ける者”は、実験体としては誠に得難い者達であった」
「どういう意味や?」
行ったり来たりをしていた足を止め、再びヴァンサンを睨め上げるレオ丸。
「厳密に言えば、……彼らは、<大地人>では、無い」
「ほな、何やねん? 亜人か? それとも元々、モンスターやとでも言うんか?」
「違う。……奴らは、<アルヴ>だ」
「は? <アルヴ>やて?」
「そうだ。純粋ではないが、<ハーフアルヴ>ほど血が薄まっている訳でもない。
故に、<人間>ではない。
つまり私は、<人殺し>の主犯でもない。
亜人やモンスターを殺す<冒険者>を、罪に問う者は居らぬ。
同じように、<人間>ではない存在を排除したとて、何の問題がある?
奴らは実に良い、<素材>であった。御蔭で研究が随分と捗った。
奴らには、<人間>を代表して感謝を奉げよう」
「研究って、何のや?」
執務机に腰を預け、立てかけられたヴァンサンの<魔法棒杖>を観察しながら、レオ丸は低い声で問い質す。
「<森羅転変>を人為的に起すには、どうすれば良いのか?
凡そ三百年前に、<化け物>の<六傾姫>達により為され、此の世に<化け物>が溢れ出た。
その六十年後、理由は不明ながら<森羅転変>が再び起こり、<新たな化け物>が現れた。
そしてまた、<森羅転変>が起こった。
誰が起したのか、それとも人為的ではない他の理由でか?
それは此れからの研究で判るだろう。
さて、過去に於いては<森羅転変>が起こる度に、我ら<人間>が住む麗しき<世界>に、<化け物>が無数に湧き出し、我が物顔で“捕食者”面をしてのさばりおった。
何故、そのような人ではない輩共に、我らの土地を供せねばならぬのだ?
出来得るならば、此の手で<森羅転変>を起し、全ての<化け物>を此の世界より駆逐し、全ての<化け物>を此の世界より一掃したい。
されど、研究は端緒についたばかりだ。結果を手にするまでは、まだまだ時間がかかるだろう。
だが、<化け物>共の跳梁跋扈は、許し難い。
其処で、研究を中断し、既に得られていた成果を転用する事にしたのだ。
<化け物>共を駆除するのに、<化け物>を使う。
今日の実験が、その総仕上げみたいなものだった。
まさか、<化け物>を殲滅する前に、<裏切り者>共を排除せねばならぬとは、想像だにしていなかったがね」
「なるほど……」
レオ丸自身が驚くほどに、己が発した声は冷えていた。
「お前の言い分は、よう判った。……確かに頷ける事も、同意出来る事もある。
其れは、否定せぇへん。……事実やからな。
<大地人>の皆々様は、被害者や。至極御尤もにな。
被害に遭いそうになったら、自衛として防衛的行為をするのは、当前やろな。
“捕食者”面なぁ。……食物連鎖の頂点に立つ“捕食者”。
三百五十年前に、此のセルデシアに君臨する四種類の“捕食者”が喰い合いを始めた。
その際に、<人間>と<エルフ>と<ドワーフ>が生き残りを画策して手を結び、<アルヴ>を脱落させた。
五十年後、脱落させられた<アルヴ>の生き残りが逆襲を企てて、新たな“捕食者”である<亜人>共を何処かより招請した。
ほんで、更なる“捕食者”として、<冒険者>が登場する。
それから既に、二百四十年。
<亜人>も<冒険者>も、既に此の世界において、“捕食者”としての地位をとっくに確立しとる。
生態系を狂わした“外来生物”の立場で、偉そうに言うんも何やけど、まぁ言わせてもらうで。
“捕食者”を害為すモノとして絶滅に追い込むんは、果たして正当なる行いと言えるんかなぁ?
生態系を破壊する、悪行かもしれへんで?
故にワシは、お前の行為を、絶対的に正しい、とは思わへん。
以上が、理性的に述べる理由や。……それよりも……」
割れた窓から微かに聞こえて来る、悲迫る雄叫び。
傍に立てかけられていた、ヴァンサンの<魔法棒杖>を手にしたレオ丸はそれを振り上げ、執務机に激しく打ちつける。
乾いた音を立てて、<魔法棒杖>は真っ二つに圧し折れた。
半分がレオ丸の手に残り、もう半分が暗い部屋の、より濃密な暗がりの何処かへと消え失せる。
「感情的に、ワシは、お前を、絶対に許さへん」
ドカドカと、廊下の方から地響きのような足音がした。
聴覚が優れているアヤカOの耳には、カッカッという神経質そうなヒールの靴音が、騒がしい足音の合間に混じっている事を聞き分ける。
倒れた書架の上で、やおら身を起すスフィンクス。
普段は青白いはずの頬を何となく上気させた<吸血鬼妃>も、閉ざされたままの扉の方へと顔を向けた。
喧しい足音が、不意に鳴り止むと同時に、今度は扉の向こう側がノックというには激しいほど乱打される。
其れもまた突然、止まった。
ガキンッ!! という音が立ち、扉が外側から断ち割られる。
高級な重い木材で作られた扉が、歪に四分割されて床に落ちた。
「おっさん!! 此処で……一体……」
「よぉ! ナカルナード♪」
入り口の向こう、廊下で立ち尽くすゴツゴツとした全身鎧姿の巨漢に、レオ丸はヘラヘラとした声で答える。
「……何……しとん……ねん……」
「見て判らんか?」
レオ丸は突き立てていた、<魔法棒杖>を軽い動作で引き抜いた。
粘ついた噴出音と共に、飛沫が飛び散る。
明かりの乏しい部屋の中でも判別出来るほどに、それは赤過ぎる液体だった。
浴びた返り血で、顔と体の大半を真っ赤に染めながら、レオ丸は静かに告げる。
「人を、殺しとんのや」
室内の黒を背景に、血飛沫で赤く染まったレオ丸は、優しく微笑んだ。
言葉を失い、ナカルナードは凍りついた。
「何故です?」
微動だにせず彫像と化した<守護戦士>の傍らから、<暗殺者>が滑るように現れる。
「法師の持つ凶器は、私のはず。……それなのに、何故に私ではなく、法師の自らの手が、血に濡れているのです?」
目を見開き、驚愕の色を隠さないミスハの問いかけに、レオ丸の口元が少しだけ窄められ、そっと吐息が吐き出された。
「動機は、何やろね? ……説得力のある解説も、出来ん事はないけど。
そんなんやと自分らは、全然納得出来ひんやろ?
せやし、取り敢えず今は“心の闇”って便利な言葉で、納得しといてんか?
……それよりも、ミスハさん。現状報告を」
「はい!!」
直立不動の姿勢をとったミスハが、軽く頭を下げ、緊張した口調になる。
「御下命の通り、魔術師達を無力化しました。
法師の申された如く、効果は直ぐ様に現れました。
二頭のモンスターが、共に動きが鈍くなりました。
五芒星の痣を持つ方を、撃滅。大量の金貨に、換金致しました。
ですが、もう一頭を取り逃がしました。
申し訳ありません。
現在は、ナカルナードを除く二十三名中、戦闘を継続出来る十四名で、攻撃対象を捕捉すべく追尾中です。
外の戦闘も此方が優勢。程なく殲滅出来るかと、存じます」
「無力化は、どないな感じで?」
「全員、斬り捨てても宜しかったのですが、向後の憂いとなるやも知れず、仕方なく峰打ちにて無力化致しました」
「誰一人……斬り殺してへんのやな?」
「御意」
「……ああ、良かった。自分まで、ミスハさんまで冥府魔道に落とさんで。
偉そうに指示はしたけどや、
可愛らしい別嬪さんにエライ事を命令してしもた!
……ってな、滅茶苦茶後悔してた処やってんわ。
自分の手が、血塗れにならんで、ホンマに良かった!」
レオ丸は己の手を見ながら、安堵の溜息をついた。
「尤も、……逃亡を図った化け物の歯牙にかけられて、大半がミンチになりましたが」
「ありゃ、まぁ。……自業自得、天罰覿面やね?
ほな、ミスハさん。新たな命令を下すで」
「はい」
「逃亡した<万魔獣>を捕捉し、保全をしたってんか。
ワシが現場に、行くまでの間、ずっとや。
<ハウリング>の奴らが対象を攻撃しようとしていたら……、<ハウリング>の方を排除して欲しい。
六芒星の痣したんは、……ワシが引導を渡すさかいに。……出来るか?」
「仰せのままに」
「但し! ミスハさんの安全が、優先順位の第一番目や。
此のロマトリスの黄金書府において、自分が死に戻りするんは、絶対に許さへん」
「……御意」
「ほな、ヨロシコ」
ミスハは、深々と頭を下げるや、瞬時に姿を消す。
扉を断ち割った、斬撃の姿勢のままで固まっているナカルナードに、レオ丸は引き締めていた表情を緩めた。
「さて、ナカルナード」
「お……おっさん……」
「おっさん言うな」
「何でや! 何で、おっさんが、人殺しをすんのやッ!!」
「言うたやろが、“心の闇”やって。……恥ずかしい事、二回も言わせんなや」
レオ丸は、右手に握り締めたままの<魔法棒杖>だった物をしげしげと見詰めてから、床へと投げ捨てる。
折れた部分が真っ赤に染まった凶器は、カランカランと軽い音を立てて、先の半分と同じように何処かへと消え失せた。
それが合図となったのか、レオ丸の足元から光の粒が大量に生まれ、虚空へと吸い込まれるように消えて行く。
「ワシが何でコイツを、ヴァンサンを殺したのか?
其れは、ワシ自身のみが理解出来る理由でや。それ以外、理由はあらへん。
お前が理解出来る断罪の動機を、述べる事は簡単に出来る。
せやけど、それはワシが納得して遣らかした結果とは、違うもんや。
判らへんやろ?
お前が知ってる通り、本来の職務柄、ワシは“殺人行為”を忌み嫌っとる。
如何なる理由があろうとも、人が人を害して、殺してエエはずあらへん。
それと同時に。
ワシは、死刑制度の存続に賛成や。
人の生存権を奪った奴に、生存権なんざ必要あらへん、とワシは思うとる。
身勝手な理由で人の命を奪った奴の命を、身勝手な理由で奪ってやった。
結果だけを言うたら、動機や理由は大体そんな感じや。
さ、此の話は、此れで仕舞い。此れ以上は、聞くな。
それよりも、ナカルナード。
お前の考える<冒険者>の本分、あるいはポリシーって何や?」
「……」
「“正義の味方”ってスタンスは、今も変わらへんか?」
「そ……それは……」
「答えろッ!! 中西左月ッ!!」
レオ丸の大喝一声に、現実での名前を呼び捨てられたナカルナードは、先ほどまでの動揺を振り払い、<人外王の大剣>の切っ先を床に突き立て、背筋を伸ばした。
「当たり前や! 強きは弱きを護る責がある。
<冒険者>は<大地人>より強い。
せやさかい、強き<冒険者>は、正義の味方としての気概を持って、弱き<大地人>を護らんとアカン。……今まで通りに」
「此れからも、か?」
「ああ、此れからも、や!」
「なら、結構。……ほな、“正義の味方”のお前に、告げる」
「何や?」
血糊が全て自動的に拭い去られ、元の生っ白い顔色に戻ったレオ丸が、翳りに埋め尽くされた室内を背景に、ニタリと笑う。
「ワシは此の塔を、影も形も残らんほどに、破壊する。
特に、此の部屋は徹底的に、燃やす。
今から、体感時間で十分ほど遣るさかいに、此の塔に居残っているかもしれへん大地人を全員、速やかに退去させろや」
「何でや?」
「何でか? 人に聞く前に自分で考えろや! ……と言った処で、無理やわな?
考える材料が、あらへんのやさかい、なぁ。
ほな、ざっくりと理由を言うわな。
此の部屋は、此の部屋で行われていた事は、今のワシよりも危険やねん。
その危険な“禁じられた遊び”に、此の塔は完全に冒されとる。
せやから、燃やす。完璧に、破壊する。……判ったか?」
「あ、……ああ」
「ほな、去ね」
「せ……せやけど……」
「ワシに、殺されたいんかッ!? さっさと行かんかいッ!!」
ドタドタと喧しい音を立てて、倒けつ転びつナカルナードは去って行った。
「ある調査によるとな、映画史上最も人を殺した俳優は、トータルで369人もの敵を殺した、シュワルツェネッガー氏らしいねんわ。
一作の映画で言えば、若山富三郎大先生の150人やねんて。
ナカルナードが頑張ってくれなんだら、ワシは御大二人を抜いてまうやん。
嫌やわ~~~、そんなん。勘弁して欲しいで、マジで」
レオ丸は、ヴァンサンが使っていた執務机に回り込み、その上を覗き込んだ。
執務机に広げられた様々な書類、書きつけたメモ類を精査し始める。
生前の研究成果を、謂わば悪行の数々を書き散らし、整然と纏めた物。
魔法に関する第一級の資料であり、悪魔が飽食したレシピであった。
「主殿?」
「ん?」
「エーガとは、何でありんす?」
「……御免やで。今は上手く、説明出来ひんわ」
「そは、活動写真と言い、自動幻画とも申す物にて。“κίνηση(kinein)”とも呼ばれ、意味は“動く”なり」
「わっちには、さっぱり理解出来んせん」
「まこと然り」
「世の中には、理解し難い事があるって事で、今は理解しといてな」
レオ丸は、一通り目を通した書類を躊躇いもなく引き裂き、ヴァンサンの残した文字群を紙吹雪に変える。
次に、積み上げられた書物のタイトルに指と視線を走らせ、此れはと気になった本を抜き出し、素早くページを捲った。
<学者>のスキル、<千眼瞬読>をフル活動させるレオ丸。
「主殿」
「今、読書中やから、質問はもうちょい待ってんか?」
「そろそろ、時間でありんす」
「後、五分」
「ぬ・し・ど・の」
パタンと本を閉じたレオ丸は、がっくりと首を折る。
「勿体ないなぁ~~~。此れ、全部、燃やすんか……」
「言い出しっぺは、主殿じゃあありんせんか?」
「せやねんけどなぁ~~~」
「“言号令如汗,汗出而不反者也”、“武士に二言なし”」
「ワシ、皇帝でも<武士>でもないんやけど……」
レオ丸は幾度も首を振り、盛大に溜息を吐き出すと、<ダザネックの魔法の鞄>に手を入れて中を漁る。
やがて、少し大きめで鎖付きのハート型イヤリングに見えるアイテムを、慎重な手つきで三つ取り出した。
「なけなしの、<灼熱国の巨人の心臓>。
書に生き、書に死す。そう誓いを立てたワシが、焚書をするとはなぁ。
今日一日だけで、何個の禁忌を犯すねん、ワシは……」
何とも情けない気持ちに、今しも押し潰されそうになるレオ丸の頭の中に、場違いに涼しげな鈴の音が鳴る。
「法師。御下命の通りに致しました。ですが、そう長くは保持出来ません。
出来るだけ早く、宿地までお越し願えませんか?」
ミスハの声は、念話を通しても切迫したものであった。
「後五分、保たせといて。出来るだけ急ぐさかいに」
アマミYに合図を送ると、レオ丸はアヤカOに駆け寄り、その背に跨る。
「いいわね、行くわよ!」
黒い霧に姿を変え、契約主の襟元に入り込んだ<吸血鬼妃>は、呆れたような声を出した。
「また、玉無しに成られたんでありんすか、主殿は?」
「違う! 此れまでも此れからも、そんな事態も改造も、ワシはせぇへん!
……所謂一つの、様式美で言うてるだけや!」
三つ纏めて握り締めた<灼熱国の巨人の心臓>から、三本の鎖を纏めて引き抜き、部屋の中央辺りへ放り投げる、レオ丸。
「アヤカOちゃん、GO! GO! GO!」
契約主を乗せたスフィンクスは、床に散らばった書物などを蹴散らし、大きく破損した窓から勇躍、大空へと舞い上がった。
一回二回と、広げられた翼が羽ばたいた、その瞬間。
ヴァンサンが執務をしていた部屋の中央付近で、紅蓮の光が激しく閃く。
同時に起こった爆発は、3.5kg相当のプラスチック爆薬、三つ分。
紅蓮の光は即座に紅蓮の炎となり、爆音や爆風よりも先に室内を普く席巻し、胸部に穴を開けたアカデミックドレスに似た衣装や豪奢なストール、被る者のなくなった紫色の帽子をも呑み込み、全てを灰に変える。
続けて天井が吹き飛び、床が灼熱の溶岩と化した。
紫華尖塔の十九階部分が、光と炎に包まれ、石壁の破片を周囲に撒き散らす。
そして。
十九階から上層階の全て、尖った先端の頂点までが、火炎の中に消え失せた。
次いで。
十九階から下の部分が、黒い煙を上げながら徐々に、火炎に上から喰われて行く。
早回しの映像に映された、火を戴く蝋燭のように、その姿を低く低くした。
三百六十度全方位に撒き散らされる、火山弾のような燃え上がる石壁の欠片。
四tトラックと同じくらいの大きさの、パンデモニウム・ビーストと戦っていた冒険者達は、頭上から降り注ぐ灼熱の雨を避けるため、一斉に退避する。
地獄の劫火もかくやという火炎から、命拾いをした大地人達が、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
一際大きな火の塊が落ち、全てを噛み砕く顎門を持つ巨獣の、その場に生き残っていた最後の一匹を、押し潰す。
<ハウリング>の精鋭達で構成された警護軍の、六色の鮮やかな衣装を纏った大地人達の、それ以外の色彩の服を着た大地人達の、彼らの眼前で。
紫華尖塔は、全てを焼き尽くす火炎と共に、地に沈んだ。
活発に活動する、火山口の如き有様となって。
噴き上げる黒煙がロマトリスの黄金書府の空を覆い、火の礫がロマトリスの黄金書府に降り注ぐ。
“華雅の北都”の中央に小さな火炎地獄が誕生し、“百万極”と讃えられた栄華が無惨にも灰燼と化した。
其の瞬間を目撃させられた、全ての<冒険者>と<大地人>は、灰や塵を受け入れた黒い小雨に打たれながら、只々呆然としている。
それらに一人背を向けながら、遙か彼方を睨むように見詰める、ナカルナード。
視線の先には、天翔るスフィンクスが一頭。
「証拠隠滅するにも……程があるやろ、おっさん」
余りにも豪快な方法で、全ての犯罪と犯行現場を隠蔽したレオ丸を、ナカルナードは苦笑いを浮かべて見送った。
さて、今回の話。
随分と前、少なくとも春の終わり頃には、何れは書きたいなと思っていた話です。
“殺人”を忌み嫌うレオ丸は、如何なる動機・理由があれば、“殺人”を犯すのか?
暴力に対し言葉ではなく、暴力で返すという行為は、当初からの目論見でした。




