第参歩・大災害+39Days 其の参
お待たせしました。漸く続きを書き上げる事が出来ました。
いちぼ好きです様、淡海いさな様、佐竹三郎様、ヤマネ様、島村不二郎様、櫻華様、或未品様、そして相馬将宗様。
皆様のキャラクターに出張戴いておりまする。誠に忝く感謝申し上げ候。
そして、今回も誤字誤表記がありましたので、訂正致しました。
何だかなーーー。毎度毎度、済みませぬ(2014.08.29)。
更に加筆修正致しました(2015.03.31)。
陽が暮れる直前の頃、レオ丸は“漂泊を続ける者”達と共に焚き火を囲み夕餉の場に座していた。
目の荒い一人用の茣蓙を地面に敷き、レオ丸と二十三名の白き者達は、指を組み合わせるように両手を合わせ、頭を深く垂れている。
「我らを導き給える天導地支の神々よ、願わくは普く諸々の御柱の御名が常しなえに尊まれんことを。
此の世の理を紡ぎ因果を巡らし、森羅万象央心より偏隅に至るまで全ての命数を綾と織り為す姫大神ク・クリ・サンチムよ、我らの命を養い育む日々の糧を絶やす事なく途切れる事なく与え下さりました事を、頭を垂れて感謝申し上げます。
我ら、姫大神の慈愛の御心を忘れる事なく、祈りを捧げ奉る。
我ら、天と地の恵みを思い、其の労をいついつまでも謝し奉る。
ジェレーム、ジェレーム」
「「「ジェレーム、ジェレーム」」」
食前の祈りを捧げるカレッジの声が先導し、他の“漂泊を続ける者”者達が追従して唱和した。
ジーンも、カレッジとレオ丸の間で指を組み合わせ深く頭を下げ、祈りの言葉をたどたどしくも呟いている。
その背後に控えるタエKも、皆と同じように俯き祈りを捧げていた。
あんたは、<家事幽霊>やろが!?
無言のまま、レオ丸は誰よりも深く頭を下げながら、本日何度目かの虚しいツッコミを心の中だけでいれる。
御蔭で、頭を上げるタイミングが皆よりも2テンポ遅れた。
「“賓”殿。お付き合い戴き、誠に感謝」
薄い湯気を立てる、オートミールのような物が一品だけの、ささやかな晩餐が厳かな雰囲気の中、共に給せられる。
レオ丸は、木の匙で掬った僅かな塩味を、静かに嚥下した。
質素としか言いようのないディナータイムを終え、それぞれの日中の行いを長へと報告している“漂泊を続ける者”達の群れから離れたレオ丸は、目が合ったカレッジに軽く手を振って合図を送る。
そして一人、広場から木々の合間へと身を入れた。
タエKは、食後直ぐに船を漕ぎ始めたジーンの子守役として、居残らせている。
雲間から月明かりが差すものの、レオ丸の足元を照らすほどではない。
<淨玻璃眼鏡>の暗視機能を頼りに、ささやかな虫達の合唱団を知らずに蹴散らしながら、ブラブラと暗い森を散策するレオ丸。
周囲を警戒しながら、興味本位で視線を彼方此方に向けながら。
しばらくして。
一際大きく聳えた巨木の前に到り、レオ丸は懐から二種類のアイテムを無雑作に取り出した。
<彩雲の煙管>は口に咥え、両手に持った<鬼火打ちの石>を幾度か打ちつける。
レオ丸が吐き出した五色の煙を突き破って、四体の<蒼き鬼火>が宙に飛び出した。
クルクルと回りながら頭上を仄かに照らすそれらに、レオ丸は右手の人指し指一本だけを立てて合図を送る。
ウィル・オー・ウィスプ達は見えない音を残し、急速で巨木の天辺へと飛び上がり、樹木の頂点を中心に緩やかな輪舞を始めた。
「さて、と」
待ち合わせの相手が到着するまでの暇潰しに、レオ丸はフレンド・リストを視界に大きく展開させる。
「何を、誰に、聞いたらエエかな?」
レオ丸は頭の中に項目を浮かべた。
先ずは聞くべき事。
ミナミの現状。元<ミラルレイクの賢者>を手に入れた<Plant hwyaden>が、次に何をしようとしよるんか?
アキバの現状。“味のする料理”が出回った後、状況に変化はあったんか?
次に聞きたい事。
カズ彦君とミスハさんに、現在のミナミと決別しようとしている、あるいは現にした者達への対応に変化は、ありやなしや?
ススキノやナカスの現状は、どうなっているんか?
「聞きたい事は数々あれど、聞きたい事よりも聞くべき事を優先せんとな。
さて……誰に聞くべきか、やな」
レオ丸は、意識して独り言を発する。
理由は、言葉にした方が明確に思考を認識出来るからだが、一歩間違えば夜の森で独り言を呟き続ける可笑しな人であった。
「ミナミについては、ルーグ閣下と、<ハウリング>関係者なら誰がエエかな?
アキバについては、エンちゃんと、エンちゃん経由でヴィシャス君。
それと、ユウタ君あたりか。
他は誰やろ? カズミ嬢とリエ嬢。後は……朝霧の御前さん、とか?
御前さん、御前さん、なぁ……。う~~~む、どんなもんやろ?
大所高所から俯瞰して色んな事を見てはるやろうから、適切なアドバイスをくれるんやろうけど、“どないでっか?”“ボチボチやってまっか?”って聞いてエエ相手やないわな。
ホンマに手詰まりになった時に、頼る相手やしなぁ、御前さんは。
うっかりボンヤリした事を聞いたら、軽蔑されてまうかもしれんし。
対等のお付き合いを維持し続けな、股間……やない、沽券に関わるで。
御前さんには、思い出し序でみたいな甘えた事をしたらアカンよってに、な。
思い出した……っちゅーたら、エルヴィン君はどやろか?
なんちゃって学者のワシと違い、リアルでマジ学者の彼やったらば、まっこと正しく穿ったモノの見方で貴重な示唆を貰えそうやけど。
一度、何かの集まりで名刺交換をしたくらいの、付き合いやしなぁ~。
……<野獣の結社>の、先代<大会合会頭>に、いきなり連絡したろか?
いやいや、それもアカンがな。
どー考えても、嫌がらせにしか取ってくれへんやろ。
大体にして、こんな時に嫌がらせをして、どないすんねん!
嫌がらせをするんやったら、TPOを弁えてやらな、な♪
それに、もし嫌がらせをするんなら、本家本丸御殿にせんとなぁ。
……インティクスに悪戯念話をしたら、どないやろか?
ワン切りくらいしか出来ひんのが残念やが……って、趣旨が変わってんがな!」
虚空にビシッとツッコミを入れる、レオ丸。
何処か森の奥の方で、“tu-whit,tu-whoo”と鳴き声がした。
どうやら梟らしき鳥以外に、レオ丸の一人漫談の聴衆は居ないようである。
「もう無茶苦茶でごじゃりまするがな! ……ってな訳で、ポチッとな」
六回目のコール音が鳴り終えると同時に、念話は相手に通じた。
「やぁやぁ、こんちこにゃにゃち、お今晩は」
「……よぉ、坊さん」
「“ジェネラル”閣下、御機嫌よう。今、お時間を頂戴しても宜しいか?」
「ああ、時間はたっぷりとあるが。……気味が悪いな、其の言い方」
「スマンスマン、先だっての事もあるし、偶には低姿勢に出た方がエエかと思うてな」
「坊さんがやると、慇懃無礼にしか聞こえないぜ?」
「ありゃ、まぁ。……慇懃尾篭を心掛けてたつもりやってんけど?」
念話の相手、ルーグ・ヴァーミリオンは落ち着いた感じで、鼻を鳴らす。
「此の前は、ちょいと言い過ぎたかと思ったが、アンタの其の様子じゃ、心配するだけ無駄無駄無駄だったようだな」
「そーでもないで? ペシャンコに凹んだで、ワシ。
もう凹み過ぎて凹み過ぎて、ウドンも鼻を通らへんし、夜も寝れんくなって昼寝ばっかししとったし」
「それで? 与太と戯言が言いたくて念話してきたのか、坊さん?」
「報告が一つと、お尋ねしたい事が一つや」
「ほぅ?」
「先ずは報告から。……あの後、自分との念話の後でな、ナカルナードと話をじっくりとしたんやわ」
「ほぅ」
「そいでな、三行半を叩きつけました」
「ほほぅ。坊さん……アンタ、アイツの兄貴分じゃなく嫁さんだったのかい?」
「訂正。最後通牒を叩きつけました。此のままでは、お前とはこれっきりや、ってな」
「それで?」
「それっきりや」
「そうか、……それでか」
「何がや?」
「昨日、<ハウリング>の副団長が交代したぜ」
「さよか……」
「正確に言や、前任者を粛清して放り出し、何処かの馬の骨を昇格させた、だな」
息を整えてから、レオ丸は口を開いた。
「ほんで彼……、ヤッハーブ君はどないしてんのや、今は?」
「詳しくは聞いていないが、先に<ハウリング>を抜けた元幹部達の助けを借りて、ナカス方面へ向けて離脱したようだな」
「ほうか。ほんなら、エエわ」
「昔ながらの幹部で残っているのは、……確か後方部長のテイルなんとかって奴だけなんじゃねぇかな」
「テイルザーン君……か……」
「何だ、知り合いか、坊さん?」
「……彼は、まだ、見捨ててへんねやなぁ……、あのアホンダラの脳筋バカを」
「坊さんの知り合いなら、アンタからも彼に忠告してやったら、どうだ?
さっさと、<ハウリング>とミナミを捨てろ! ってよ」
「それなら既に言うたわさ。……それでも残留してくれてんねやろ、アホルナードを見捨てられずにな!
ワシと違うて、義理堅いみたいやわ、彼は」
「ふ~~~ん。なら、これから何が起ころうとも残留を選択した、そいつの責任だな」
「また近々に、連絡してみるわ。ヤッハーブ君達にも、テイルザーン君にも。
貴重な情報提供に、誠に感謝!」
「そーいや、坊さん。アンタは今、何処に居るんだ?」
「ワシか。ワシは今、日本海の……<ヤマトの塩海>をボンヤリと眺めてる最中やねん。そっちは?」
レオ丸は、巨木を見上げながら嘯くように答え、尋ね返した。
「俺は……南河内で野宿先を探している処……だな」
言葉を選ぶような口調で回答する、ルーグ。
此方が事実を暈している以上、相手も真実を吐露しているとは限らない。
お互い既に、<Plant hwyaden>に異を唱える立場である事を表明し合ってはいるが、スタンスが御互いに正しく伝わってもいない。
過去の流れで、それなりに敬意を払い、相手の意思と立場を尊重した付き合いをしてはいるが、仲良く連んで馬鹿騒ぎをした間柄でもない。
敵ではないが、歩調を合わせ共同戦線を運営している訳でもない。
そんな、もどかしい思いを抱えたままの会話を続ける、レオ丸とルーグ。
「そう言えば……坊さんは、オーディアに行った事はあるのか?」
「ゲームやった頃は何度もお世話になったけど、こっちに来てからは全然行ってないなぁ。
自分の方は、どないなん?」
「俺はミナミを出る前と、出た後にも何度か」
「ほんで一体全体、そのオーディアがどないしてん?」
「この数日、ミナミとの接触が激しくなった」
「へぇえ! 商いの大都が、呆れた街とねぇ……」
「正確に言えばミナミを巻き込んだイコマやヨシノと、オーディアとが、だがな。
大地人の貴族共が使節団を派遣したり、受け入れたりしているぜ。
頻繁に、ウロチョロと。全く御忙しいこった」
「<大災害>から一ヶ月が過ぎたやん。ワシらが“此の世界”に来て右往左往しながら、どーにかこーにか慣熟作業を試みて来た。
これってワシらだけの問題と、ちゃうやん?
大地人も、<大災害>以降の“此の世界”に、適応化行動していたんやろう。
お貴族さん達の行動は、其の一部分が表面化しただけなんと、違うかな?」
「……って事は、<冒険者>の先々に、此れから色々な影響が現れてくるんだろうか?」
「そら、そやろなぁ。御菓子の家が現れるんか、それとも暴虐な王様に延々と寝物語を語らなアカンのか、どっちゃにしろ切欠は<冒険者>であって、<大地人>の行動は全てリアクションでしかないやろ、な。
大事が起こるかも? と冷や冷やするだけ無駄で……全て取り越し苦労になるかも、しれんけどな?」
「取り越し苦労で済んだら、御の字だぜ坊さん。
俺の行動が全て無駄になるんなら、実にハッピーなエンディングだからな!」
「“ジェネラル”閣下さんや……自分は今、何を企んどるんや?」
「今は言えないね。こっちに居ないアンタに言っても、仕方ないしな。
だが、耳が良いアンタの事だ、きっと其の内、バーンスタインの名曲が聞こえて来るかもしれねぇなぁ~~~」
「ふ~ん、さよかぁ。自分が目指す、あの丘の向こうには……端から果てまで、バイクでは飛び越えられへんバリケードが、あるかも知れへんよってにな。
充分に気をつけや。体に鉄条網が絡んだら、めっちゃ痛いで?」
「相変わらず嫌な事を言うよな、坊さんは、よ」
「言い出したんは自分やで、ジェネラル君? せめて『2300年未来への旅』とか」
「……それだと、俺はセーフだが、アンタは二十年前にアウトだろうが」
「物事は正確に言うてや、十五年前や!」
口を噤んだ二人は、やがてどちらからともなく、失笑を漏らす。
何処か森の奥の方で夜啼鳥のような、“warble,warble”という鳴き声がした。
「まぁ、エエわ。……兎にも角にも、くれぐれも気をつけてや」
「そっちもな、坊さん」
「何れ、何処かで、膝付き合せて、夜っぴぃてダラダラとしようや」
「御互いに、ミナミの大神殿で気まずい再会をしないように、細心の注意を払いながら馬鹿馬鹿しいかもしれん事を、為し遂げようぜ」
「自分は、自由を謳歌するために、規律を取り戻す」
「アンタは、興味本位で、世界と真剣に向き合う」
「先に達成した方が、祝賀会の主役や」
「タダ飯、タダ酒の特典付でな」
「ほな、また!」
「ああ、また!」
念話を終えると、レオ丸は大きく伸びをしながら、首をコキコキと鳴らした。
急に、草むらからの虫達の鳴き声が、ピタリと途絶える。
「ヴァンサン卿の行動も、根っこはワシらなんやろねぇ。……さてと」
HOWWWWWWWWWWL!!
出し抜けに、レオ丸の至近で発せられる、咆哮。
同時に、幾本もの樹々が一斉に圧し折られる音が立つ。
緊急時には、咄嗟の判断で行動すべし。
遥かなる過去の時代より、人の口に膾炙されている言葉である。
されど、言うは易く行うは難し。
もし誰もが容易に出来得るのであれば、とうの昔に淘汰されているはずである。
それが未だに生き残っている言葉だという事は、誰もが簡単には為し得ない行為であるという事だ。
その“誰もが”の範疇に、残念ながらレオ丸も入っていた。
緊急時に咄嗟の判断で、最良の道を選び取るには、常在戦場の心構えを忘れない、常に何かに備えている者だけなのだ。
惜しむらくは、レオ丸はそうではなかった。
突如、レオ丸の眼前に聳える巨木の、右側に密集して生えていた樹々が、爆発したように吹き飛ぶ。
潅木の繁みが土ごと抉れ、葉と枝と細い幹と根を宙に散らした。
HOWWWWWWWWWWL!!
緑と土塊の爆風から顔を両手で庇うレオ丸の鼓膜を、中肉中背の腹周り以外は貧相な体躯と四肢を、棒立ちをしていた地面と空間を、火山噴火による空震のような咆哮が襲いかかる。
ズラリと並んだ恐ろしく巨大な牙が、森の闇から現れた。
それは、市バスでさえ一噛みで喰い千切る事が出来そうな、圧倒的な大きさの顎。
学校の体育の授業で使うマットほどはありそうな舌が、その中でうねる。
生臭い息が暴風として、レオ丸に噴きつけられた。
唾液の飛沫が、横殴りの雨の如く<中将蓮糸織翡色地衣>を濡らす。
「あ~……」
頭が真っ白となったレオ丸には、呆然と間抜けな声を出すしか出来なかった。
「主殿ッ!!!」
黒い旋風が悲鳴のような声を上げながら、レオ丸を巻き込み連れ去る。
最大速度で疾走するダンプカーのような、暴力的な勢いで突っ込んで来た巨大な顎が地面を深く抉り、レオ丸が最前まで居た空間を噛み砕いた。
「あ~~~……、え~~~っと……」
巨木の上層部、太く宙に張り出した枝に跨らせられたレオ丸は、ボンヤリとした表情で周囲を見渡す。
「無事でありんすか、主殿!!」
不意に、両肩を力一杯に攫まれ、前後に揺さぶられるレオ丸。
「お~~~、アマミYさん。……お帰りやす?」
「確りとしなんす!」
アマミYの両手が、今度はレオ丸の両頬を挟むように叩いた。
「うわッ! 吃驚した!!」
漸く、レオ丸の頭に覚醒の文字が表示される。
「何事や一体ッ!!」
「それよりも、逃げるでありんす!!」
人型から、瞬時に巨大な黒い蝙蝠へとメタモルフォーゼするアマミY。
聞く者の背筋を凍らせる、メリメリという破砕音。
アマミYの両足の鋭い爪がレオ丸の肩に食い込み、虚空のずっと高みへと持ち上げた途端に、巨木は大きく軋みながら徐々に傾く。
大きく振動してから、巨木は周囲の樹木を道連れにして倒壊した。
「何や、アレは?」
頭上の曇り空に再び裂け目が生まれ、乏しい月明かりが差す。
頼りない明かりがレオ丸の足下を照らし、惨状を幽かに浮かび上がらせた。
「でっかい……狼?」
樹木が薙ぎ倒され、乱雑に地面が掘り返されて造られた、即席の広場。
其処に、それは居た。
部分部分を見れば、それは確かに“狼”のようであった。
但し、縮尺がかなり異常である。
異様に膨らんだ頭部が、体長の半分ほどを占めており、薄汚れている白く長い体毛に覆われた胴体は、短いが太い脚で支えられていた。
フサフサとした尻尾が、興奮状態を表わすように逆立っている。
何とも珍妙な、何処かのデフォルメキャラにも似た容姿をしているため、見方によれば可愛らしいと言えない事もない。
だが全体の大きさが、全てを台無しにしていた。
所謂、コンボイトラックほど大きさで、血走った金色の目を輝かせ、尚且つ唸り声を上げる顎からは引っ切り無しに涎が垂れ流されている。
薄暗い夜空にくっきりと、闇より黒いシルエットを浮かび上がらせているアマミYにブラブラと提げられたレオ丸は、<学術鑑定>スキルを発動させた。
<万魔獣>
レベル90。レイドランク・モンスター。
HP/UNKNOWN、MP/UNKNOWN、DATA/UNKNOWN。
「……何や、あの見た事も聞いた事もない、変なモンスターは?
レベルを考えたら、新規導入のユニーク・モンスターのようやけど?
鑑定しても詳細が不明なんは、何でやねんな!」
warble,warble
再び、何処か森の奥の方で夜啼鳥のような鳴き声が、森に微かに響く。
HOWWWWWWWWWWL!!
パンデモニウム・ビーストが、爛々と輝く目でレオ丸を睨みつけて、衝撃波に匹敵する咆哮を浴びせると、身を低くして森の暗部へと飛び込む。
出現した時とは違い、樹々が裂けて倒れる音がしなかった。
上空からは、その巨大な異形の姿を目視する事は、出来なくなる。
後に刻み残されたのは、十数台もの普通車を収納出来る駐車場ほどの広さがある、狼藉の痕跡のみ。
レオ丸をぶら提げたまま、油断なく警戒飛行を続けるアマミY。
十二分に猶予を持たせてから、虫達の合唱が再開された、荒らされていない地面へとレオ丸は降り立ち、腰を抜かしたように尻餅をついた。
「何が何だか判らないのよ」
短い頭髪を掻き毟りながら、縺れた舌で呟くレオ丸。
初めて見る、契約主の混乱した姿に、人型に変じた契約従者の<吸血鬼妃>は優しく寄り添う。
「怖かったんでありんすか、主殿?」
「ああ、……怖かった。随分前に、近所を歩いてたら、直ぐ傍の車庫から、シフトレバーを入れ間違えた車が、五十センチと離れていない距離で、飛び出して来よって、目の前で、ガードレールにぶつかって、止まりよった。
あん時以来の、恐怖やった。
人っていつかは死ぬんやけど、思いがけへん予想だにしてへん事態に、巻き込まれて死ぬんだけはゴメンやわ。
どうせ死ぬなら、ああコレはしゃあないな、と諦観してから死にたいわ!」
アマミYには、今ひとつ理解出来ないレオ丸の独白であったが、契約主が心底怯えている事だけは理解出来た。
「大丈夫でありんすよ、主殿。わっちが、……わっちら“契約従者達”が御身の御傍に控えまします限り、主殿の生命と尊厳を損ねようとする輩は、必ず排除するでありんす」
歯の根が合わないでいるレオ丸の丸刈り頭を、アマミYは胸に抱き締める。
「安心するでありんすよ、主殿」
小刻みに鳴らされていたカチカチという硬質な音が、やがて収まった。
夜が深まり、凡そ深夜の時間帯になった頃。
いつの間にか寝入っていた、レオ丸の意識が漸く覚醒し、正常に動き出す。
「アカンアカン。うっかりと寝てしもうてた!」
アマミYの腕から身を起こすと、レオ丸は軽く伸びをしてから居住まいを正して、五体投地接足作礼をした。
「おおきに、アマミYさん。ホンマに、おおきに。有難う!」
レオ丸が地に擦りつけた額を上げると、アマミYは少し照れたような笑みを浮かべている。
額と手と膝下についた土を払いながら立ち、レオ丸はアマミYの手を取った。
「一旦、帰ろか」
「あい、主殿」
一人と一体は、月が再び隠れ厚く閉ざされた夜空の下、濃密な闇に包まれ足元が定かではなくなった森の中を、手に手を取りながら慌てず急がずに進む。
草むらに紛れ、姿を見せぬ虫達の多彩な声音に送別されつつ、慎重に慎重に。
前後左右と上部には、アマミYから放たれた幾つもの小さな黒い影が、不規則な舞い方をしながら哨戒していた。
滑るように宙を歩くアマミYを背後に、先頭を行くレオ丸。
道なき処を踏み締めていた<飛天の雲上靴>が、“漂白を続ける者”達が宿地としている広場の手前へと到達した。
「行きはよいよい、帰りはホンマに怖かったなぁ……」
少し強めに握っていたアマミYの手を離したレオ丸は、懐から<彩雲の煙管>を取り出して大きくゆっくりと、一服する。
吐き出された五色の煙が、暗い空へと立ち昇り緩い風に煽られ、流され消えた。
森から一歩、踏み出そうとしたレオ丸の動きが止まる。
“漂泊を続ける者”の宿地は灯り一つなく、しんとしていた。
時間帯を考えれば当然だとも言えるが、レオ丸は違和感を覚える。
夜営をするなら常識の、焚き火と夜番が見当たらんのは、何でや?
レオ丸が居る場所からは些か距離があるとは言え、三張りの幕舎の何れからも人気が全く感じられなかった。
「アマミYさん」
契約主の意を汲んだ契約従者の体が、宙を舞う無数の小さな黒い影に変化し、切り開かれた広場の隅々へと散って行く。
フーッと、肺の中の空気を全て吐き出したレオ丸は、静かに息を吸いながら、額に手を当てて強張ったコメカミを揉み解そうとした。
「御疲れですか、旦那様?」
その声のした方に、視線を下へと落とすレオ丸。
姉さん被りの手拭いに、木の枝や長めの草をわんさと差し挟み、背面を落ち葉で覆いカムフラーフを施したタエKが、頬杖をついて寝そべりながら、其処に居た。
何となく、そんな出現の仕方をするんじゃないかな? と思っていたレオ丸は、動じずに咥えていた<彩雲の煙管>を右手に持ち、振り上げて振り下ろす。
タエKは、飛び起きざまにパシッと両手を併せ、所謂“真剣白刃取り”をした。
レオ丸が振り下ろした<彩雲の煙管>は、タエKの両の掌を容易く摩り抜け、その額でペシッと音を立てて止まる。
「何ぞあったんか、タエKさん?」
少し筋状に赤くなった額を摩りながら、片膝をついて言上するタエK。
「何ぞ、ありました」
murmurと風がざわめき、レオ丸の溜息を伴って、繁みを揺らす。
宿地に散らばり、幕舎の中までも調べ尽くした無数の小さな黒い影が、手にした煙管で後頭部を掻くレオ丸の背後に集まり、人型を形成した。
「主殿。人影は何処にもありんせん。蛻の殻でありんす」
「アマミYさん、御苦労さん。ほんで、タエKさんや。何があったか教えてんか?」
徐に、広場の中心へと歩き出すレオ丸。
右手に握る<彩雲の煙管>を刺し棒代わりにして、幕舎や宿地に放置されている生活備品を、そして地面の状態を観察する。
争ったような様子は皆無だが、慌てた様子が其処彼処に見て取れた。
「旦那様が森へと出掛けられました直ぐ後に、御使者だと名乗る人がお越しになられました。カレッジさんはお人払いをなされまして、私はジーンちゃんを抱えて、幕舎の外に出ておりましたので、何が話されましたのかは存じ上げません。
お話し合いは、暫く続きました。
御使者だと名乗る人と共に幕舎から出られたカレッジさんは、“漂泊を続ける者”の皆さんに、此処よりの移動を宣言なされました。
最低限の必需品のみを所持し、急ぎ馬車に乗るように、と。
誰も異議を申さず、用意は速やかに行われました。
お寝むのジーンちゃんを私から引き取られます時に、カレッジさんは私に旦那様への伝言を託されました。
これは、ヴァンさんとかいう貴族の、要請だという事です。
御挨拶もせずに、誠に申し訳ない、とも。
立派な馬に乗られた御使者だと名乗る人を先導に、“漂泊を続ける者”の皆さんは馬車に分乗されて、城門の方角へと出立されました。
旦那様に御報告するために広場で待機致して居りました処、森の方から無闇矢鱈と威勢のよいケダモノの声が聞こえました。
続いて、何かの大きな破砕音が聞こえました。
旦那様に何かがあったのでは!? と、思いましたが私に何が出来る訳でもなし、もし仮に旦那様の御身に何かがございましたら、私の身にも何かがあります故に、旦那様の最初の御下命通りに此の場を離れず、闇に身を潜めながら、お帰りをお待ち申し上げて居りました」
呼吸を必要としない<家事幽霊>は、息継ぎをせずに立て板に水の如く一気呵成に報告を述べる。
レオ丸は、焚き火の跡を拾い上げた枝で突いていた手を止めた。
僅かに燻っている置き火に枝を放り捨てると、背後に控えるタエKに一歩で近づき、その額に左の掌を宛がう。
「おおきに、タエKさん。良くぞワシの指示を、堅持してくれました。
闇への潜み方以外は、全く問題なしやわ。有難うさん」
青白い肌に残った煙管の跡を、レオ丸はそっと撫でた。
「……ヴァンサン卿の要請って何やろね? きっと限りなく、命令に近いモンなんやろうけどなぁ」
タエKからアマミYに目線を移す、レオ丸。
如何に<吸血鬼妃>が高位吸血鬼種だとしても、大地人の貴族が何を考えて命令を発したのかが判るはずもない。
レオ丸はタエKから離した手で、自らの顎を摘む。
右手の<彩雲の煙管>を口元に遣り、五色の煙を両肺一杯に満たした。
次いで、真上を見上げて口を窄め、一気に強く噴き出す。
入り混じった五色の煙が、上空へと勢い良く昇って行った。
「今は、真夜中。自分らにはベストの活動タイムやろうけど、ワシや大地人には御休みの時間やわ。情報が乏しい現状では、調べる事も覚束へんし。
取り敢えず、幕舎が空いてるし、気兼ねなく広々と使えるようやし、中で休息しとこうか。
……アマミYさんからの報告を聞いて、吟味しなアカン事もあるし。
家族の多い一人モンには、考えなならん事が多いわさ。
まぁ、それがワシの生きる道、やねんけどね」
月も星も姿を見せない、天空を見上げたままのレオ丸の視界に、蒼き炎達が現れる。
「ウィル・オー・ウィスプ達も来た事やし、今夜の処は幕舎の中で家族団欒ごっこでもしよか?
なぁ、アマミYさん、タエKさん」
今年の夏が間も無く終わります。
楽しい夏を過ごされた方々には慶賀を。
苦しく辛い夏となられた方々には、御心に平安が早く訪れます事を祈念申し上げます。
誰もが、娯楽に浸れる余裕を持つ事が出来る世の中が到来する事も、併せて願いつつ。