第参歩・大災害+39Days 其の弐
中途半端だった先の投稿分を、加筆訂正致しました。
多少は読み易くなっていましたら、幸甚です(2014.08.29)。
更に加筆修正致しました(2015.03.31)。
ゆっくりと大きな足取りで先行する大地人の男、名前はヴァンサン=ビアン。
年の頃は、誘われているレオ丸と大差ないように見える。
碧眼白皙の美形で、顎には薄いが整えられた髭があった。
身長は、レオ丸よりは二十センチほどは高く、百八十センチを越えたくらいだ。
黒地に金糸銀糸で鮮やかな文様をあしらった、裾の長くゆったりとしたローブ、所謂アカデミックドレスに似た衣装の上に、紫地に赤糸で様々な図形を刺繍したストールを纏っている。
少し長めの金髪をリボンで束ね、キリスト教の聖職者が被っているビレッタによく似た、紫色の帽子で抑えていた。
ローブの裾からは、赤地に銀色の装飾が施されたほっそりとしたブーツが見え隠れしており、右手には魔法杖と呼ぶには長過ぎる、魔法棒杖が握られている。
均一に敷き詰められた白い石畳の上を、短めのコンパスでちょこちょこ歩くレオ丸は、自らの姿を脳裏に描いた。
幻想級布鎧であり、外出着であり、一張羅でもある<中将蓮糸織翡色地衣>。
見た目は萌黄色の範疇にギリギリ入る、光沢のある翡色の直綴風の衣である。
直綴とは、褊衫という上衣と裙という下衣を綴り合わせ、指先が隠れるほどの大きく長めの袖と、腰から下の裳の部分に襞がついている、四本の腰紐を結んで着用する僧衣の一種だ。
宗派によって襞の数が異なるが、レオ丸が着ているものは何処か特定の宗派が認めたものでもない数になっている。
下半身に履くのはズボンのように細身の、卯の花色の指貫袴。
移動と回避にボーナス付く<飛天の雲上靴>は、小学校が指定する運動靴と脚絆が一体化した作りになっているので、傍目には巻きつける細いベルトが五本もついたデザインの、特殊なブーツにしか見えない形状だった。
手には何も持ってはいないが、腰には硬質金属製と思わせる鈍色のベルトに<ダザネックの魔法の鞄>と<マリョーナの鞍袋>を、厳重に括りつけている。
短い丸刈りの頭が、レオ丸の顔全体を丸い印象を感じさせ、遠視・暗視・光感度自動調整の機能付きの<淨玻璃眼鏡>が、アクセントを与えていた。
少し縦長の楕円の真ん中辺りに、墨筆で横線を一本引き、上辺を少し汚せばレオ丸の似顔絵の完成である。
後ろを振り返ると、レオ丸より十センチは高いタエKが、静々と従っている。
姉さん被りで黒髪をキチンと納め、晒した瓜実顔に薄く紅を差し、格子柄の和服に襷掛けで割烹着姿。
分厚い瓶底眼鏡をかけているために、眼から感情を読み取る事は出来ないが、足取りは軽めのスキップである。
首を巡らし明後日の方向に視線を飛ばしながら、レオ丸は無言で右手を伸ばし、宙にツッコミをビシッと入れた。
ファンタジーならファンタジーらしく、ちゃんとせんかい! と。
ミケランジェロがデザインし、スタンダールが酷評した、スイス衛兵の如きゆったりとした上下の制服を着て、頭に羽飾りをつけた門衛に見送られたレオ丸主従は、ヴァンサンの後を追いながら紫華尖塔の巨大な扉を潜る。
温い外気から隔絶された内部は、ひんやりとした空気で満たされていた。
書類箱を抱え行き交う職員達や研究員と思しき妖術師達が、ヴァンサンを視界に収めるや通路の端へと身を引き、恭しく一礼する。
紫華尖塔の顔役たる大地人の妖術師は、それらには鷹揚な態度で接しつつも、背後のレオ丸達を一切顧みない。
無言のまま通路を進み、最奥の部屋の扉にマジックワンドを押し当てた。
軋む音すら立てずに、観音開きの重厚な扉は向こう側へと静かに開く。
開かれた扉の向こう側には調度品の類は全く置かれておらず、唯一の装飾といえるのは床に描かれた直径三メートルほどの魔方陣のみ。
「此方へ、どうぞ」
魔方陣の中央に立ったヴァンサンが、手招きをする。
襟元から微かに聞こえる寝息に苦笑を漏らすと、レオ丸はタエKの手を取り、魔方陣の内円へと踏み入った。
そして。
「“e locis emissum summis”!」
ヴァンサンが、日本人には発音し辛い呪文を唱えると、魔方陣が瞬時に鮮やかな白に近い水色に輝く。
視界が光に包まれ其の光が消えた瞬間、レオ丸達は僅かな照明しかない、かなり広い部屋に居た。
頼りない照明では、天井の高さも部屋の奥行きも、通常の目しか持たない者には判らないだろうが、暗視機能の働くゴーグルならばクリアではないものの、大まかながら判別がつく。
レオ丸の感想は、ウチの本堂よりもデカイな、だった。
顔を動かさずにゴーグルの中だけで、視界の及ぶ限りの一帯を確認する。
「ようこそ、我が探求の間へ」
室内で唯一の明るさを宿す魔法の灯りを封じた、<蛍の燈明>を載せた巨大な執務机に手を置き、ヴァンサンは薄暗い笑みを湛えた。
一つ一つの動作が、わざとらしい程にあざとく見える。
少々鼻につき癇に障るが、意識して平静を装い続けるレオ丸。
「御招き戴いた事に、一応、感謝を」
取り敢えずの確認を済ませたレオ丸は、無邪気そうに見えるような笑みを作り、目線を切らずに少しだけ低頭した。
タエKに僅かな身振りで、その場を動かぬように指示してから、一歩分のみ前進するレオ丸。
足元の魔方陣が幽かに明滅している事を確認し、後ろに回した右手で自分の背中を軽く叩くと、<中将蓮糸織翡色地衣>の裾襞がゆらりと動く。
「ほんで、ヴァンサン卿閣下。ワシに一体、どないな御用でっしゃろか?」
「まぁ、先ずは御寛ぎ下さい」
机の上の呼び鈴を取り上げ、軽く振る。ヴァンサンの右手に、金属質の音が生まれ鳴り響いた。
すると、部屋の隅からカートを押しながら、従者と思われる青年が現れる。
へぇ、エルフやったんか。
事前に彼の存在を認識していたレオ丸は、青年の特徴的な耳を見て思った。
無言で二つのティーカップに銀器のポットで茶を淹れる、淡い菫色のローブを身に纏った耳の尖った青年。
茶を注ぎ終えるとカートを残し、エルフは元の部屋の暗がりへと、足音も衣擦れさえも立てずに歩み去る。
息を殺し、部屋の隅に隠れ潜む仲間の元へと戻る、その華奢な後ろ姿をレオ丸は終始無言で見送った。
見え過ぎちゃって困るの~♪、と頭の中だけでひっそりと歌いながら。
そんなレオ丸の姿には頓着せず、まるで田舎芝居の大根役者の如く、ヴァンサンは大袈裟な身振りで手を差し伸べた。
「ご遠慮なく、どうぞ」
レオ丸は、静謐な笑みを湛えながら首を左右に振り、両掌を上にして遠慮の仕草を示した後に、両手を廻して後ろに組む。
「なるほど。<冒険者>は軽挙を慎まれますか」
ヴァンサンは、薄い唇の片方の端を少し吊り上げながら再び呼び鈴を、今度は大きく強く鳴らす。
其の音色が合図となるや、室内が明るさに満たされた。
百畳には僅かに足りないくらいの部屋の、天井は結構な高さがあり、それを太い柱と幾つもの巨大な書架が支えている。
床にも壁際にも、書籍や巻物、モンスターの骨格標本、何だか判らない実験道具、堆く積み上げられた紙と羊皮紙の書類が、処構わずに散乱していた。
光感度自動調整機能の御蔭で、レオ丸の視覚は支障を来さずに済んだ。
ハチマンの交渉の場にて、自分自身が仕組んだのと同じ仕掛けを披露され、レオ丸も流石に鼻白んだ気分が口元に出かかる。
アホくさ、と口の中で呟きながら改めて室内を見渡し、レオ丸は肩を竦めた。
しかしまぁ、何処でも誰でも此方の現実でも、皆一緒やねェ。
研究者も、探求者ってのも、……オタクの汚部屋に変わりなしってか。
そして、あからさまにニヤニヤとした笑みを、表情にペタリと貼り付けた。
部屋の彼方此方から注がれる、好奇の視線を一身に浴びるという状況を、心底から楽しむかのように。
事前に認識していた人数よりも多いな、という些少な焦りは内心に隠しながら。
室内には先ほどのエルフ以外に、十四人の者達が居た。
人間が八人、エルフと狐尾族が三人ずつで、全員が同じく揃いの淡い菫色のローブを身に纏っていた。
ぐるりと彼らの顔と名前とレベルを確認したレオ丸は、他者に伝わらないほどの溜息を口の端から漏らす。
やおら右手を左の袖口から入れ、左手に巻きつけている<破邪の数珠>から、銀色の珠を二粒取り外した。
殊更にゆっくりと机に近づき、それをティーカップに一つずつ入れる。
透き通った茶色い液体が片一方だけ、僅かに青く澱んだ。
「麻痺でっか?」
状態異常への耐性を補助する<破邪の数珠>の、効果が現れなかった方のティーカップを手に取り、レオ丸は態々音を立てて啜る。
舌は痺れる事なく些かの刺激もなく、ただただ水の味しかしなかった。
「ご馳走さんでした」
丁寧な所作でティーカップを皿に戻したレオ丸は、空になった器に他方の変色した茶を移し変える。
器の底に転がる<破邪の数珠>の珠を右手で摘み取り、掌に吐き出した銀色の珠と併せて左袖の中に戻した。
「ほな、お茶も飲んだし、失礼しまっさ」
後ろ手に組んだレオ丸は、室内の明るさにより存在を失くした魔方陣の、あるはずの場所にて大人しく控えていたタエKの隣に、スタスタと移動する。
「おやおや、そんなに急がずとも。……久々にお会いした<冒険者>との会話を、ゆっくりと楽しみたかったのですがね?」
「痺れ薬を飲まそうとしてまで、どんな会話を楽しみたいんや?」
「それほどの量は入れてませんよ」
「量の問題とちゃうやろ? 異物を混入させた意図は何やねん?」
「<大地人>は<冒険者>の事をよく知りませんのでね。
色々と教えて戴ければ、と思いましてね」
「なるほど。実験用モルモットの気持ちが知りたいから、対話してみよってか?
オッケー了解。ほな、答えたろ。……ワシで、実験すんな、ボケェ!」
ヴァンサンは再び、酷薄に笑う。
「いやいや、<冒険者>が油断しない方だと判っただけでも、充分でしたよ。
他の<冒険者>も同じなのでしょうかね?」
「あんたに、教えたる謂れはないな」
「次は少量でよいですから、無味無臭の毒薬を、試させてくれませんか?」
「毒で<冒険者>を完全抹殺が出来るんならば、<冒険者>はとっくの昔にレッドデータからも削除されとるわ!」
「“レッドデータ”とは、何です?
<冒険者>は、私達の知らない言葉でお話しされますが、それらも教えて欲しいものです」
「そやねー。……毒のある言葉なら、何ぼでも言うたろ。解毒機能のある耳栓でも拵えたらまた、連絡しいや。
気が向いたら、来たろやないかい」
レオ丸はタエKの手を取り、空いた左手を特殊な形に開いた。
人差し指と中指、薬指と小指をそれぞれ引っ付けて伸ばし、中指と薬指の間を広く開けた変則的なパーの形に。
「Yippee ki yay,motherfucker……。“e locis emissum summis”!」
瞬間、景色が光に包まれ、それが消滅した後にはガランとした室内が、レオ丸のゴーグルに映り込んだ。
レオ丸は、タエKの手を引きながら、通路を足早に進む。
進路上を往来する紫華尖塔の住人達を華麗なステップで身をかわし、実際にはちょこちょことぶつかりながら、来た道を逆方向に辿り出口へと向かった。
「“Athe, Malkuth, ve-Geburah, ve-Gedulah, le-Olahm, Amen”ってか」
門衛に愛想笑いを進呈するや、レオ丸主従は紫華尖塔を勢いよく飛び出し、官庁街をそそくさと離れ、市街区域の疎らな雑踏に紛れて西北の方角を目指す。
凡そ二十分くらい後、レオ丸は“内灘地区”の外れに居た。
<彩雲の煙管>を咥えながら、視線の先に聳えるロマトリスの黄金書府の正面城門を見上げるように睨みつけ、五色の煙と共に一言吐き出す。
「三十年選手の“トレッキー”を、嘗めんなよ」
「それで、旦那様。……これから如何されますので?」
「そやなぁ。改めて昼寝でもするかね……」
「やぁー!」
腕を組んで思案しようとしていたレオ丸は、背後から低い位置への不意打ち攻撃に膝がカクンと折れた。
あわや転倒の寸前で踏鞴を踏み振り返ると、“漂泊を続ける者”のジーンがVサインをしながら、ニパッと笑っている。
先日と変わらず、真っ白い貫頭衣姿。中天を過ぎた陽が、金髪に柔らかな天使の輪を作っていた。
何気なく自分の頭に手を当て、キューティクルの欠片もない丸刈りを一つ掻き、レオ丸は目尻を下げる。
腰を下ろし、咥えた煙管をピコピコと上下させた。
「よ、元気か?」
「げんき!」
レオ丸は、ガッツポーズを取るジーンの無垢な笑顔に、心に澱んだ毒素が抜けて行くのを感じ、強張っていた頬が弛緩する。
「そいつぁー、良かった!」
ジーンの小さな拳に、レオ丸は自分の拳を軽く当てた。
城壁内部の何処か整い過ぎた上品さと違い、猥雑な感じの“内灘地区”の市場区画のメインストリート。
古びて外壁材の剥がれた建物や、簡単な骨組みに幕を巡らしただけの店舗。
道端に茣蓙を広げて品物を並べる者や、天秤棒を担いで売り歩く者。
小さな荷馬車が立ち往生し、道の真ん中を占有して怒鳴り合う者達も居る。
物を売っているのか、喧嘩を売っているのか、判断し難い声が其処彼処に充満している中を、レオ丸達はそぞろ歩きをしていた。
賑やかな市場の雰囲気を耳だけで感じれば、まるで難波や天王寺に居るような、何とも懐かしい思いがレオ丸の心を満たす。
実際に其処で遣り取りしている者達が、色取り取りの頭髪と彫りの深い容貌をしていたとしても。
彫りが浅く平たい、典型的な日本人顔のレオ丸は異世界と現実の間を、フワフワとした気持ちで歩を進めていた。
チョロチョロと生えた、五ミリ程度の長さで丸刈りにされている坊主頭を、肩車をされ御機嫌なジーンがペチペチと叩く。
タエKを連れてフワフワと歩きながら、レオ丸は現実では味わった事のない“幸福”という朧気なモノも感じていた。
幼い頃の記憶、ぼんやりとした郷愁が小波のように、レオ丸の胸に押し寄せる。
涙腺が緩みかけるのをどうにか堪えながら、レオ丸は鼻を啜った。
「旦那様、お使いになられますか?」
タエKが、そっと木綿のハンカチーフを差し出す。それは、妙にカピカピとした皺だらけのものだった。
「それ、……さっき自分が鼻噛んだヤツやろ?」
「チッ!!」
舌打ちをしながら、タエKは何事もなかったかのように、ハンカチを割烹着の内へと仕舞い込む。
「さもなー! あっち!」
ジーンは一際大きくレオ丸の頭を叩くと、賑やかに呼び込みをしている八百屋と店番が居眠りをしている雑貨屋との間にある、細い路地の向こうを指差した。
「ワシにはレオ丸って名前があんねんけど、……“たまなし”って言われるよりはまだまだマシか……」
レオ丸は、八百屋の店先に並べられた青菜を、鋭い視線で品定めしていたタエKの襟首を引っ張りながら、ジーンの小さい指が差す方へと足を向ける。
暫く進むうちに、二人と一体はアサノ=メ水路を跨ぐ、アーチ状の小さな橋の袂に行き当たった。
「ジーン!!」
其処に居たのは、喜びと怒りを複雑に混ぜたような表情を、血の気が引いて尚一層白くさせた顔に貼り付けた、カレッジ=ベリー。
「じーじ……」
ジーンは、レオ丸の坊主頭を盾にして、ばつが悪い顔を隠そうとする。
「斯様な時に、何処へ行っておったッ!!
……“賓”殿。孫娘を御連れ下さり誠に忝く……」
そう言うなり、カレッジは崩れるように尻餅をついた。
「大丈夫ですかいな!?」
慌てて駆け寄り、しゃがむレオ丸の肩と頭を、小さな足が蹴飛ばす。
「ごめんしゃい、じーじ!」
勢いよく祖父の胸に飛び込み、泣きじゃくりながら謝る、ジーン。
その姿を、踏み台にされた事も気にせずに、レオ丸は優しく見守る。
胸への過度の衝撃に一瞬、息が詰まった様子のカレッジも、穏やかな表情で孫娘の背をあやすように撫でた。
何故か貰い泣きをし出したタエKが、鮮やかな仕草でハンカチを取り出すや、威勢よく鼻を噛む。
その豪快な音に、涙が引っ込めキョロキョロと周囲を伺う、幼子のジーン。
「晴天の霹靂も、形無しやな?」
ぐしょ濡れの木綿のハンカチーフを、契約主の懐に忍ばせようとしていた契約従者の手を抓り上げながら、レオ丸は溜息をついた。
すっかり大人しくなったジーンを背負うカレッジと、肩を並べて歩くレオ丸は胸に抱いた疑問を、口にする。
「斯様な時に、って言うてはりましたけど。……なんぞ問題でもありましたんか?」
「ええ。我らにとって、深刻な事が」
「……宜しければ、お話し願えませんか? ワシが何の役に立つかは判りまへんけど、袖摺り合うも多生の縁、って事で」
「その御言葉、実に忝く存じます。……実は、我らの同胞が五名、四日前より行方知れずとなっておりまして」
「四日前? ……って事は、皆さんが此処に着いて、直ぐですやんか!」
「左様です。それぞれが用事があると言い、未明に我らの宿地を離れました。
以来、今日に至るまで全く音信がなく、姿を見た者もありません」
不意に、“鼓楼閣門”の展望台で聞いた謎の遠吠えが、レオ丸の頭の中で鳴り響いた。
「まさか、な……」
その呟きは誰の耳にも届かず、しじまに消える。
「……取り敢えず、御宅さんらの宿地にお邪魔させて戴いても、宜しいやろか?」
「構いませんとも。孫娘も喜ぶでしょう」
首を傾けたカレッジは、背負うジーンの邪気のない寝顔に、眼を細めた。
レオ丸も、眉間に寄せていた皺を緩める。
一行は程なく、“漂泊を続ける者”が宿地としている場へ到着した。
其処は日本ならば、金沢市民球場を併設する運動公園がある所。
ヤマトでは、森林地帯の一角を切り開いただけの、大きな広場であった。
宙を貫いて北東へと延びる“北領廻廊”の高架脚が、直ぐ傍に幾本も立っている。
“漂泊を続ける者”達は、その広場に三張りのゲルのような組み立て式の家屋を並べていた。
フェルト製と思しき白い幕舎の前で屯していた、純白の貫頭衣姿の者達がカレッジの姿を見とめ、駆け寄って来る。
「長よ、“御子”様は御無事でしたか!」
「皆の者よ、心配をかけて相済まぬ。是此の通り“賓”殿がお連れして下されたわ」
「“豊穣の角”?」
首を傾げるレオ丸の足元に、ギリシャ神話に由来する神具の名前を口にした“漂泊を続ける者”の男達が、仰々しいほどの振る舞いで腰を折った。
「ロマトリスの黄金書府までの途上での御助力といい、“賓”殿には重ね重ねの御配慮御尽力を賜りました事、誠に忝く思います」
「いや、まぁ、その、何というか……」
「袖から掏ったら多少の銭、ですよね、旦那様?」
「全然、違うわ!」
レオ丸のツッコミの右手が一閃するが、上体を大きく仰け反らせブリッジのポーズで、しなやかに其れを避けるタエK。
そしてその、四つん這い・裏返しバージョンの体勢のまま、草地の上をカサカサと動き回り、首をグルグルと廻した。
「……幽霊のくせに、悪魔にでも取り憑かれたんかい!」
キシャオ! と鳴く契約従者に、虚しい気分で再度ツッコミを入れてから、レオ丸は背後の沈黙と小さな拍手に首を巡らせ、情けない表情で頭を下げる。
「空気を曲解するんが得意な子で、ホンマすんません……」
生暖かい眼と微妙な笑顔を浮かべるカレッジ達の足元で、瞳を輝かせたジーンが一人で盛大な拍手をしていた。
少し時が過ぎる。
幕舎の前に据えられたテーブルセットを挟み、レオ丸はカレッジと対峙していた。
腹の上にジーンを乗せ|“悪魔憑き”歩行をするタエKを、視界の端に捉えながら。
“御子”と仲間内から呼ばれている童女の楽しげな声が、赤みを帯びながら輝度を増す陽光と相俟って、辺り一面を明るく照らしている。
「え~~~っと、それで……、基本的な事をお訊ねしますけど、此処の宿地には本来は何人の御同胞が居てはりましたん?」
「先発して居留の準備をしていた者が十五名、後発の我らが十三名。
成人男子が私を含めて十四名、成人女子は十三名、未成年の者はジーンのみにて」
「それで、居らんようにならはったんが?」
「全て、先発していた者達の十五名の内で、成人男子三名と成人女子二名です」
「カレッジ殿達が到着してからですかいな、居なくならはったんは?」
「左様。我らが到着した直後にです」
「ふーむ。……今までに、こんな事はおましたんやろか?」
「いえ、初めての事でして。……我らも困惑しております」
「行き先も告げずに消息不明でっか」
「ええ。交易場へ出ておる者達も、近隣へと使いに出した者達も、誰一人として消えた者達の行方を尋ね当てる事が出来ておりませぬ」
「そうでっか」
「ヴァンサン卿にもお訊ねしたのですが、存ぜぬとの事でした」
「……ヴァンサン卿に?」
「ええ。先発した者達が此の宿地の準備をしておりました時に、ヴァンサン卿の御使いの方が御見えになられたそうでして。
……消えた者達に、御言葉を賜られたと残った者達が申しておりました」
「御言葉? どんな事を伝言しはったんでっか?」
「それは、……聞いておりませぬし、判りませぬ。残った者達は、特に御言葉を賜る事は無かった、との事でしたので」
「そう……でっか」
レオ丸は、煙管を咥えながら、思案する。
先の対面時の事を勘案せずとも、どう考えてもヴァンサン卿が怪しい。
それ以外の結論へは、どう考えても到達し得ない。
即座に思考は決着させたが、レオ丸は今この場で、それを言葉にして良いのかが判断出来ずにいた。
相手が<冒険者>ならば、自分と同じ認識を持っている相手として、どんなぶっちゃけ話しでも出来るが、カレッジは<大地人>だ。
<冒険者>と同じ認識を持っている、とは限らない。
同じ人間だという観点に立ったとしても、レオ丸は現実から招来された“異人”であり、カレッジは此の世界だけが現実である世界の“住人”なのだから。
ましてや、レオ丸がカレッジの言葉から受け止めたヴァンサン卿への認識は、レオ丸がヴァンサン卿本人から受けた認識とは、正反対のモノであった。
レオ丸が下した結論が、カレッジが受け入れるモノである可能性は、限りなく低い。
恐らくは、笑うか怒るかのどちらかで、否定されるに相違なかった。
故に、レオ丸は沈黙を保持する。
「今もまた、手の空いている者達を全て遣い、四方へと走らせ行方を捜させておりますが……、朗報は届いておりませぬ。
モンスターか、野盗などに襲われたのでなければ、宜しいのですが」
瞑目しながら天を仰ぐカレッジの姿に、レオ丸は沈黙を保ち続ける事が出来なかった。
「微力ながらワシも……捜索のお手伝いを、させて戴きますわ」
「忝い」
「せやけどワシには、昼日中の街中での捜索は向きまへんよってに、別の方法でお手伝いさせて戴きますな。
御宅さんらがし辛い、夜間に野外での捜索を担当させてもらいます」
キャハハハ♪
気がつけば、彼方に見える山の稜線の方へと陽が位置を変え始め、間もなく夕暮れと呼ぶべき頃になっている。
広場の片隅で、タエKと共に野に咲く小さな花を摘み、ジーンは御機嫌な様子で花冠を編んでいた。
レオ丸が眺める風景は、実に牧歌的なものである。
陽光に金髪を煌かせる童女の前に座すのが、和風の家政婦姿の<家事幽霊>でさえなければ。
「処で、カレッジ殿。“御子”って、何ですのん?」
「それはですな……」
レオ丸と同じ方を向くカレッジは、先ほどとは違い柔和な表情になっていた。
「我ら“漂泊を続ける者”を導く立場となる者に、代々与えられる敬称でして。
……新たに生れたる同胞の赤子の中に、稀に特別な証しを体に宿す子がおります。
六十数年前の、私もそうでした」
カレッジは白い貫頭衣の襟ぐりを大きく開き、痩せた胸元をレオ丸に見せる。
其処には、五芒星のように見える痣があった。
「……私とジーンとの間に、直接的な血の繋がりはありません。
子を為す事なく私の伴侶は先立ち、その後は孤を保っております。
あの娘の両親は、我らの同胞の一員でしたが、数年前にモンスターに襲われ此の世を去りました。
特別な証しを持つ先達として私は、ジーンを孫娘として引き取り、養育しているのですよ」
「そう……でしたんか……」
「ジーンや、こちらへおいで」
穏やかな口調で、カレッジは養い子たる童女に呼びかける。
養い親たる同胞の長老に呼びかけられたジーンは、輝くような笑みを浮かべながら小さな歩幅で駆けて来る。
途中で何かに躓き、コケそうになった。
思わず立ち上がるレオ丸とカレッジ。
しかし、二人の心配は杞憂となった。
フォフォフォフォフォッ!
大きなストロークで両手を振り大股で走るタエKが、無表情の口元から独特な笑い声を垂れ流しながら、宙を舞ったジーンをサッと攫み、素早い動作で小脇に抱える。
瞬きする僅かな間に、幕舎の前へと到着したタエKは、攫うようにして連れて来たジーンを、カレッジの前にそっと立たせる。
「じーじ!」
カレッジの膝に縋りつき、零れんばかりの笑顔を見せるジーン。
「フォフォフォフォフォッ」
無表情なまま低いトーンで笑い続けるタエKは、レオ丸の眼前へこれ見よがしに姉さん被りの頭を突き出した。
レオ丸は鼻からも溜息を漏らすと、タエKの頭を優しく撫でる。
カレッジは、抱きかかえたジーンの瞳を優しく覗き込んだ。
「ジーンや、“賓”殿に証しを見せて差し上げなさい」
「あい」
頭を振る度にさやさやと揺れる、柔らかな金髪。
同胞より“御子”と呼ばれている童女は、レオ丸を振り返り其の前髪を掻き揚げて見せる。
小鼻を膨らませて、何故かドヤ顔をするジーンの額には、小さいながらもくっきりと、六芒星の痣があった。
台風の後は、スーパームーンとペルセウス座流星群。
気象天文は、実に不可思議なり。
見上げれば、夏の空あり、秋の空なり。