第弐歩・大災害+33Days 其の肆
やっと、時間が出来ましたので、投稿します。
色々と訂正致しました。(2014.08.18)
更に加筆修正致しました。(2015.02.20)
ギスギスした雰囲気は幾分か和らいだものの、ギクシャクした雰囲気までは解消できないままに、ジブショー廃砦の安全地帯から下山し終えた一行は、山裾の立ち木に繋いでいた馬の手綱を解き、揃ってヒコネの町へと移動する事に。
レオ丸は、<ダザネックの魔法の鞄>から召喚笛を取り出し、軍馬を呼び出す。
何処からともなく現れ駆け寄って来た軍馬の鞍に、レオ丸はアグニに手伝ってもらい、ジェレド=ガンを騎乗させた。
後生大事に『年輪の書』を抱え込みつつも、ジェレド=ガンは冒険者達のなすがままに軍馬へと騎乗する。
レオ丸は、相変わらず小声でブツブツと何かを呟き続ける<ミラルレイクの賢者>から目を逸らすと、自らは騎乗せずに手綱を取り歩き出す。
「……“呪い”が強力過ぎたかなぁ?」
「えっ? 何ですか?」
「いや、こっちの話」
同じく手綱を引きながら横を歩くアグニの問いを、一言ではぐらかしたレオ丸は、別の言葉を付足し有耶無耶にした。。
「おっちゃんの老婆心から一言、言わせてな。
生兵法は大怪我の基って言うしな、自分も充分に気をつけや」
「ナマビョーホー、って何ですか?」
「生兵法ってな、中途半端なレベルで兵法を知っているって事で、未熟な兵法の事や。
転じて、十分身についていない知識や技術、生半可な学問の事を言うんや。
知ってるつもりで、大丈夫やって思い大見得切って遣らかしたら、どエライ痛い目に遭うで、ってな」
「あのー……、ヘイホーって何ですか?」
「ヘイホーってのは、……アメリカのカウボーイ達がな、鹿狩りをする時に言うてた、掛け声や。
スペルは、“Hey-Ho!”。転じて、狩りの事を、ヘイホーって言うねん」
「へぇ~~~、勉強になりました!」
「何を出鱈目言ってるんですか! 純真なアグニ君に、出鱈目を教えないで下さい!」
会話に割り込んできた樹里に、レオ丸は謝罪の意を表明する。
「めんご、めんご。いや、ゴメンゴメン。
純真無垢な子には、つい色々な事を教えたくなってな。
兵法ってのは戦の仕方、戦闘方法って意味や。……コレはホンマやで、多分?」
「疑問形で言うのも、ナシにして下さいませんか? ……それと」
無遠慮で無責任な笑い声を上げる玄翁を横目に、樹里は深く息を吐いた。
「それと、ヒコネではきっちりと落とし前をつけて下さいね!」
その日、ヒコネの町を差配する猫人族の長は、一躍名を上げた。
理由は二つ。
一つは町の近くで起きた常ならぬ事態に際し、機敏な対応をした事で。
もう一つは町の中央広場にて、一人の<冒険者>から土下座という、最上級の謝罪を捧げられた事で。
陽が中天を通過し、足元の影が徐々に伸び始めた頃、レオ丸達はハチマンの町に到着した。
「……ってな訳で、世界のありとあらゆる事象には類似性があるし、見えない連続性っちゅーか、リンクした部分があるんやな。まぁ、こじつけかもしれんけどね。……自分らはどう思う?」
町の入り口にて立ち止まり、軍馬の手綱を握り締めたままで、レオ丸は五色の煙を吐き出しながら同行者三名に問いかけた。
アナログ時計が手元にあれば、秒針が三回転半するぐらいの時間、レオ丸は黙り込んで返答を待つが、反応はない。
更に同じだけの猶予を与えようとしたレオ丸に、樹里が漸くポカンとしていた口元を引き締め、何とも微妙に棒読みな台詞を口にした。
「……口達者ですねー」
「いや、そうやなくて……、ワシの話聞いてた?」
ヒコネを出て直ぐの事。
レオ丸が、樹里の得物である<百合若神託弓>に目を留め、出自を尋ねた。
樹里は、レイドコンテンツの名前を述べて、言葉少なに次第を話す。
「ああ! <西国一の弓取り>って、樹里殿の事でしたんか!」
開陳された僅かな情報だけで、レオ丸には充分であった。
すっとんきょうな感じで上げられた感歎の声に、樹里は表情を少しだけ歪める。
「あれは実に素晴らしい御活躍でしたなぁ!」
壊れたスピーカーのように、幽霊船団と冒険者達の船団との海戦や、樹里と幽霊提督との一騎打ち、そしてラスボスである<怨念のがしゃどくろ>との戦いを巻くし立てる、レオ丸。
「ワシは別の船で参加してましてな、<怨念のがしゃどくろ>が登場した途端に、あっさり薙ぎ払われてゲームエンドでしてん。
普通の<がしゃどくろ>なら、負ける気はさらさら無かったんやけどねぇ。
あいつは別格やったんで、流石のワシもシオシオのパーでしたわ!
後の事は全て、纏めムービーと生き残りから話を聞いただけでしてんけどな。
かの麗しくも勇ましき、美しき戦乙女と此処でこうして巡り会えるとは!
いやはや僥倖、僥倖!!」
「もしもし、レオ丸学士」
「はいな、赤羽修士?」
「その辺で勘弁してやって、くれませんかね?」
「へ?」
玄翁が指差す後ろを振り返ると、しゃがみこんだ樹里が両手で顔を覆っている。
目を困惑色にしたアグニが、ひょろっと立ち尽くし頭を掻いていた。
軍馬の手綱を玄翁に預けたレオ丸は、樹里の下へと後戻りし、さも心配したような声色で態々尋ねる。
「樹里殿、お腹痛いん?」
「違います!」
顔を真っ赤にした樹里は、立ち上がるなり上から噛み付くように抗議するも、直ぐにまた両手で頬を挟む。
「うーわー、凄く恥ずかしい! 誰が通るか判らない公の路上で褒め殺しの刑を食らうだなんて!」
「褒め殺し、と違うで。純粋に、心の底から、賞賛してるだけやで?」
「やーめーてーーー!!」
過剰に反応し、ジタバタと足踏みしながら身を捩る、樹里。
レオ丸は、何処かの欧米人のように肩を竦めて、玄翁を見た。
玄翁も、同じポーズでレオ丸を見る。
樹里が再起動するまで、暫くの時間が必要だった。
「さて、アグニ君。『百合若大臣』の話は知っているかいな?」
「いえ、全く」
足元が覚束なくヨロヨロと歩く樹里を支えながら、アグニは首を振った。
「知らない事を、知らないと言う、その心根は素晴らしい!
此れからも知ったかぶりは、止めときな♪
さてさて、と。
『百合若大臣』ってぇのは幸若舞や浄瑠璃、歌舞伎などの演目やねんけどな。
嵯峨天皇の御世を時代背景とする物語やねん。
因みに、幸若舞ってのはな、能や歌舞伎の原型とされている、室町時代に大流行した曲舞やねんわ。
今でも福岡県の方で残ってて、重要無形民俗文化財に指定されてんねん。
時代劇なんかで、織田信長が、
“人間五十年、下天の内にくらぶれば~”
って歌って踊って桶狭間にレッツゴーしてはるやろ?
あれが、幸若舞やねん。
ほんで嵯峨天皇はんは、桓武天皇はんの次男坊で、第五十二代目の天皇さんや。
所謂、昔の人やね。
その在位は、西暦809年の五月十八日からの凡そ十四年間。
死刑の廃止や、墾田永年私財法の改正とかしはって、弘法大師と橘逸勢と並び三筆と讃えられてはる能書家やわ。
めっちゃ字が上手かった人やな!」
「うぐっ」っと、何故か樹里が呻く。
「さてその『百合若大臣』のお話やねんけどな……」
そこからは、記憶の虫干しという名の、レオ丸の独演会であった。
『百合若大臣』の物語をざっと説明し、古代ギリシャの詩人のホメロスが謡った一大叙事詩『オデュッセイア』の一節、『ユリシーズ』との類似性を語り、大陸との交易の際に伝播したものなのか、それとも偶然なのか、あるいはユーラシア大陸に広く分布した共有の物語なのかの考察をする。
広く分布した、と言えばと『竹取物語』の源流について語り、『竹取物語』と『浦島太郎』の時間に関する類似性を語り、古代中国で考えられていた渾天説についての解説を始めた。
やがて話題は渾天説から、世界の様々な伝承にみられる世界観の話に至り、世界中の主な創世神話へと変化する。
日本の国生み神話、中国の天地開闢神話、インドの乳海攪拌神話、バビロニアの『創世記』、ギリシャの『神統記』、北欧の『巫女の予言』、そして聖書の『天地創造』までを一気に略解説し、仏教には天地創造神話が存在しない事を話す。
続けてユダヤ教・キリスト教・イスラム教と、仏教の相違点を幾つか述べた後、幸若舞の『敦盛』で謡われる人間五十年について解説し、その流れで語るのは六道輪廻について。
六道輪廻から脱却するための方法を説いた釈迦について語り、釈迦が生誕時に発した言葉と、近世哲学の祖であるデカルトの言葉を比較し、“シュレーディンガーの猫”に話が飛び、量子論や粒子について話し始める。
いくら冒険者の体が健脚とはいえ、ヒコネとハチマンの間を徒歩移動となれば、それなりに時間がかかる。だが、その行程を歩む間ずっと、レオ丸は一人で語り続けた。
「……退屈しのぎに聞いてはいたけど、レオ丸学士。一時に聞くには、情報量が多過ぎるでしょ?」
「頭がグルングルンしてます」
呆れた物言いの玄翁と、目を回したような仕草をするアグニ。
「さて、御一同」
まだ話すのか、とウンザリしたような気分を口の端に浮かべた三人を等しく見ながら、レオ丸は腕組みをして口を開く。
「今までの話は全部、元の世界での事柄やけど、此の世界にも通じる部分がある。
そらそうやわな、此の世界のグランドデザインも細かな設定も、全ては等しく元の世界があってこそ、やねんもんな。
処が、この世界と元の世界には、類似してへん大きな部分がある。
……ワシら<冒険者>と、モンスターや<亜人>の奴らと共通の、法則。
所謂、蘇りの法則やわ。
せやけど此の法則は、<大地人>には適用されてへん。
何故なら、<大地人>は生き返らへんから。
死んでしもうたら、“煙となりて灰さようなら”やわな。
ほな、死せる<大地人>の魂は、何処に行かはるんやろか?
<大地人>だけやのうて、モンスター以外の他の生き物の生命は、何処に召されているんやろうか?」
「我輩の疑問も、それじゃ」
「うぉ! 吃驚した!」
突然、口を挟んできたジェレド=ガンに、レオ丸は如何にも驚いたようなリアクションを取る。
「お主は、其の疑問に対する答えを持っているのかの?」
ジェレド=ガンは濁った瞳を眇めて、馬上からレオ丸の顔を覗き込んだ。
「持ってる訳おまへんやん、そんなもん!」
レオ丸は、その瞳を見つめ返しながら、あっけらかんと返事する。
「持ってたら、こんなに悩んでまへんで。
……答えが判ってたら、速攻で其の答えのある場所に行ってますもん。
恐らくきっと其処には……」
残りの言葉は、レオ丸の口中に消えた。
「それはそうとして、レオ丸学士」
「はいな、赤羽修士」
「ぼちぼち、その爺さんが何者なのか、教えてくれませんかね?」
俯きかけたレオ丸は、明るいものに一変させた表情を玄翁に見せる。
「何者も何も、自分がステータスで確認した通りの人やで」
「……アタドン? ……エマノン?」
玄翁は鼻で笑い、レオ丸はニヤニヤと笑う。
「ま、それはそれとして。樹里殿」
「な、何ですか?」
「ワシが、ジブショー廃砦から此処まで来たんは、別に暇やからやおまへん。
ちゃーんと、目的があっての事ですねん。
もし、宜しければ、樹里殿が造営なされておられます御宮さんを、参拝させてもらえまへんやろか?」
「……遥拝で宜しければ」
「何卒、社殿にて参拝させて戴きたく願い上げます」
レオ丸は煙管を懐に仕舞うや腰を折り、両手を前で揃えて深々と頭を下げた。
その真摯な姿に、樹里は即答を避ける。
「……判りました。神域にお入りになられる事を、許可しましょう」
樹里が、了承の旨を厳かに告げたのは、暫くしての事であった。
「おおきに、神祇官殿には不入の禁を解いて戴き、厚く御礼申し上げます」
漸く頭を上げたレオ丸は、改めて深く一礼をした。
ハチマンの町とニオの水海との間に、小さいながら険峻な山がある。
ゾーンとしては<ハチマンの町>の範囲内に含まれる其の山には、以前までは名前がつけられていなかった。
だが、その中腹に細やかなお社が造営されて以来、ハチマンの町で暮らす大地人は誇らしげに、周辺の町の住人は少し羨ましそうに、<お社の山>と呼び馴らわしている。
ハチマンの町に入る前に、各人はそれぞれの馬を野へと帰す。
徒歩になるなり、大地人の人々が樹里に話しかけ頭を下げるために時間はかかったが、どうにかハチマンの町を通過し終えた一行は、<お社の山>の麓へと到った。
麓には、頑丈な煉瓦造りの館が建てられている。
館の玄関脇には、お世辞にも上手とは言えない筆文字で、“社務所”と記された看板が掲げられていた。
山への入り口は、その直ぐ傍に開いている。
「此処って、秀次公のお城があったトコでしたよな?」
「そうですね、元の世界ならば“八幡山城”があった処です」
「それはそれは、南無南無」
「此処には、秀次公の御霊はおられませんけど?」
「以前、京都の木屋町にある墓所にお参りした事がありまして、あまりの侘しさに胸を衝かれた思いがしましたんやわ。
……そういや、彼って結構な美少年ですなぁ?」
「別に彼を、不破万作に擬した扱いはしてませんよ」
『年輪の書』を抱えたジェレド=ガンを背負うアグニを見ながら、レオ丸はヘラヘラと軽口を叩く。
澄まし顔でその軽口を受け流した樹里は、簡単に整備がなされた細い山道へ、一礼してからさっさと歩き出した。
レオ丸達も一礼をしてから、その後を追って山道に踏み込む。
ヤマシナ・エリアでは感じられなかった木の香りと土の臭い、生きている土地が醸し出す生気に包まれている事に、レオ丸は安堵した。
「主殿」
「お、起きたか、アマミYさんや」
それは山道が、それほど大きくはない木製の鳥居を境界として、石段へと姿を変えた処での事。
襟元から聞こえてきた契約従者の流麗な声に、レオ丸は石段まで後数歩の処で立ち止まる。
謎の声の登場に、樹里とアグニは微かに身構えた。
玄翁だけは、気にした素振りすら見せない。
「此れより先、わっちには“障り”がありんす」
「ほ? ちょい待ってや」
<精密鑑定>スキルを発動させたレオ丸は、周辺環境を精査する。
レオ丸のステータス画面に、<解析結果>の小さなウインドウが開いた。
“結界構成アイテム稼働中。永続的強制排除バリア発動中”
「ああ、なるほどな。そりゃ、アマミYさんにはキツイわな。
……ほんなら、暫くどっかに身を隠して大人しくしときよし」
「そうしなんす」
幽とも聞こえぬ音を立てて、レオ丸の着用する布鎧<中将蓮糸織翡色地衣>の襟元から黒い霧が湧き出し、塊となって木々の中に紛れて消えて行った。
「な、何ですか今のは!」
樹里が発した疑問に、非難の色が混じる。
「すんまへん。ワシの契約従者が、此処らに張られてる結界を嫌いましたんや」
軽い足取りで石段を登り、樹里の直ぐ下の段に立つと、レオ丸は軽く頭を下げる。
「しかし、中々の備えでんな。流石は神祇官殿の差配する、禁足不入の地。
見事なお手並みに、ほとほと感服致しました」
面白がるようなレオ丸の感想に、樹里は二の句が継げない。
「レオ丸学士の見た通り、樹里君は中々の腕の持ち主ですよ」
玄翁が、二人を追い越して先を進む。
「樹里君、レオ丸学士のやる事なす事に一々目くじらを立てていたら、烏の足跡がまたぞろ増えるぜ?」
「何ですって!」
揶揄を残してスタコラと石段を駆け上がる玄翁の後を、樹里が憤然とした足取りで追いかけた。
「烏の足跡、って何ですか?」
追いつき横に並んだアグニの問いに、レオ丸は至極神妙な口調で答えた。
「妙齢の女性に言うたら、鼻の骨が曲がるほど殴られても文句が言えない、禁断のキーワードやわ。
アグニ君は、間違っても口にしたらアカンで」
石段は、山の中腹で終着する。
ゴールに立つのは、二本の仮設の柱に支えられた、直径二メートルほどの茅の輪であった。
茅の輪の向こう側は、綺麗に均され整地され、玉砂利が敷き詰められた境内地。
その中央に、お社はあった。
「大地人の貴族が、イコマに建つ館を改築だか増築だかをするために用意していた建材が、ハチマンにありましてね。
それが突然にキャンセルされて、行き場を失っていたんですよ。
偶々それを手に入れる事が出来ましたので、僅かな期間で此処までの形にする事が出来ました。
あ、脇に吊るしてある梵鐘は、造営に尽力してくれた大工の棟梁が寄進してくれたもので、可笑しいとは思ったんですが断るのも失礼なので……」
左まわり・右まわり・左まわりと八の字に茅の輪を三回通って、作法通りに穢れ祓いをしたレオ丸を驚きの目で見ながら、言い訳するような早口で経緯を説明する、樹里。
しかし、その眼差しの先に立つレオ丸は、何かで串刺しにされたように、茅の輪を抜けた処で棒立ちとなっている。
「あの、……レオ丸さん?」
夢遊病患者の如く、不意にフラフラと歩き出したレオ丸に、樹里の声は微塵も届かない。
神社の本殿前へと至り、レオ丸は糸の切れた人形のように崩れ落ち、額づいた。
拍手も打たず、正式な拝礼もせず、ただ這い蹲って頭を地に擦りつけている。
長らくの旅を経て、聖地への巡礼を果たした敬虔な信者の如きその姿に、樹里も玄翁もアグニも沈黙を保つ。
かなりの時間が過ぎ去った。
静かに立ち尽くし見守る樹里達の、足元から伸びる影は長くなっている。
いつしか時刻は夕暮れ刻。
漸くにして、無言のままにレオ丸は立ち上がった。
その顔は、止め処なく溢れ出た涙で、グチャグチャになっている。
引きずるように足を動かし樹里の前に立つと、本殿へとしたように這い蹲り、再び額づいた。
「数々の無礼の段、平に平にお許しを……」
消え入るようなレオ丸の声に、樹里は背筋をビクッとさせ、オロオロと左右を見渡し助け舟を求めようとしたが。
左に立つアグニは、目を丸くしたまま押し黙っており、右に立つ玄翁には、“どうするんだ?”と問いたげな目で反対に見返される。
「ただ一言、許す、と言えば良いのではないのかの?」
打開策を提示したのは、アグニに背負われたままのジェレド=ガンだった。
「え、そ、そう言われても……」
「爺さんの言う通りにしないと、日が暮れてしまうぜ、樹里君」
樹里は、現実世界でも遭遇した事のない事態に周章狼狽するも、玄翁の言葉に覚悟を決めるしかないと悟らされる。
何度も深呼吸をして心を落ち着かせ、樹里は天を仰ぎ意を決した。
「ゆ、……許しゅ!」
「あ、噛んだ」、と笑いを噛み殺す玄翁を睨みつける樹里の顔は、夕日よりも先に真紅に染まっている。
「有難き幸せ」
そんなやり取りを余所に、レオ丸は深々と叩頭した。
「ああ、吃驚した!」
本殿の庇の下にへたり込んだ樹里は、膝に顔を埋めて嘆息する。
そして恨めし気な眼差しを、本殿前の玉砂利の上に威儀を整え正座する、憑き物が落ちたような顔のレオ丸に送った。
「何で、あんな事を、したんですか?」
「え? あんな事って?」
顔を綺麗に清め、手拭いを懐に仕舞ったレオ丸は、まるで何事もなかったように尋ね返す。
「泣きながら、土下座をした事ですよ!」
「ああ、それか」
レオ丸は涼しい顔をして、樹里とその背後に建つ本殿を見やる。
「マジで、感動したからですわ」
「感動?」
「はいな。こないに立派な社殿を態々拵えはった、樹里殿の其の御心に」
立ち上がり、レオ丸はその場で円を描くように歩き出した。
「“人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる”ってのは、新約聖書のマタイ伝にある言葉。
『申命記』って書物からの引用らしいですけど。
“神の口から出る一つ一つの言葉で生きる”ってのはどういう意味かと考えたなら、其れは“信仰”って言葉に置き換える事が出来る、とワシは思います。
ほな、“信仰”ってのは、何なんやろって考えたら?
其れは“心の拠り所”、ではないやろか?」
まさか神社の境内で、如何にも坊主なキャラの口から、聖書の言葉が飛び出すとは!
ツッコミどころ満載のシチュエーションに、またもやポカンと口を開けてレオ丸を見つめる、樹里達。
「“人はパンのみに生きるに非ず”と、誤用されているけど、本来は“衣食足りたとて、人は人として存在し得るのか?”って問いかける言葉やと、ワシは思う。
人が人として生きるためには、心の拠り所が絶対に必要やとワシは思うねん。
心の拠り所ってのを更に言い換えれば、手を合わせて伏し拝み、誠心誠意からの感謝の意を、捧げられる対象かな。
神様だろうが、仏様だろうが、稲尾様だろうが、生きてる人だろうが、死んでる人であろうが、対象は別に何でも構わへん。
大切に、大切に、伏し拝みたいもの。大事に、大事に、守りたいもの……」
レオ丸の足が、ゼンマイが切れたように止まった。
「守りたいもの、守りたいもの……」
再び動き出したレオ丸の足が、今度は樹里の前で止まる。
片膝ついて頭を下げるレオ丸に、今度は何事かと樹里は身構えた。
「な、何ですか!?」
レオ丸は顔を上げ、真剣な声音で言上する。
「神祇官の樹里殿に、お願いしたき事が二つござ候。
一つは、純粋なお願いにて。
ワシにも、この神域を鎮護するための結界を、張らせてもらえまへんやろか?」
「え? 結界? 何で?」
「今張られてはるのんよりも、より強力なのをグルリと山裾から」
「出来るんですか、そんな事が!」
樹里は神域を定めるに当たり、一帯を取り囲むようにして<退魔の朱御柱>を四方に打ち込み、モンスター除け野獣除けの結界を張っていた。
更にメイン職である<神祇官>の特性を活かし、結界を強化する魔法も密かに施している。
だが、<退魔の朱御柱>の数に限りがあった事、結界の範囲を広げれば広げるほど、費やさなければならないMPが膨大なものとなるため、現状の範囲で留めていた。
それを、レオ丸は数倍の規模で行うという。
「<神祇官>や<森呪遣い>でもない、<召喚術師>でしかない貴方が!?」
「お疑いは至極御尤も。
されど此の世界の魔法は、仕組みと法則さえ理解してさえいれば、マジックユーザー系以外でも使えますねんで。
例えばワシみたいな、……サブ職<学者>とかでもね」
自信たっぷりに言い切るレオ丸に、樹里は疑わしい目を向けた。
まだまだ、続きまする。