第弐歩・大災害+23Days 其の参
今回も長くなりそうなので、今回は分割しました。
色々と訂正致しました。(2014.08.18)
更に加筆修正致しました。(2015.02.17)
「それで、賢者殿。……ちょいとお尋ねしますけど、此処は何処ですのん?」
「此処か。……そうよのぅ、|<忘れ去られた書物の湖>かの?」
レオ丸の視界の片隅にノイズが走り、現在地を示す欄の<NO DATA>が<忘れ去られた書物の湖>に取って代わる。
「<ミラルレイク>って、……嘘やろ?」
「ふむ、ばれてしもうたか。此処は何処でも無い場所よの。されど、我輩が居る処は常に<ミラルレイク>である。……元の名前は何であったかの?」
「何処でも無い場所ねぇ?」
「凡その位置は、汝の想像の通り|<神聖北嶺(モン・サン=ノール)>の|<教宝殿(シャトー・ド・トレゾール>の遥か地下になるかの」
「秘密の地下施設でっか。冥府や黄泉比良坂やのうて良かった!」
「どちらかと言えば、“マヨヒガ”のようなモノかの?」
視界の片隅に再びノイズが走り、<忘れ去られた書物の湖>の文字が消えて、<万書の桃源郷>に取って代わった。
「“マヨヒガ”とか“桃源郷”って……。こいつぁ、早目に退散した方が良さそうな場所やな」
レオ丸は、右手の人差し指を軽く動かし、ステータス画面を確認する。
大きく減じたMPのパラメータゲージが、微動だにしていない。
時間に比例して回復していくはずやのに、回復する気配が全然無いって事は、この空間の時間が止まっているって事か?
……流石は意味不明で住所不定な“桃源郷”、昔話の通りやね。
それにしても此処もあの爺さんも、実在証明を内容通知で叩きつけて来るとはなぁ、いやはや恐れ入谷の鬼子母神やな。
何が、“香りづけの文章”やねん?
鼻がひん曲がりそうなくらいに、プンプン臭うやんけ!
顎に手を遣り、小声で呟きながら思案するレオ丸。
「何をしておるか、其処の迷い子よ。ついて来るが良い」
いつの間にやら、ジェレド=ガンは向こうの壁際に移動していた。
先ほどまでは存在していなかった出口が、壁に開いている。
淡い光を放つ壁に、突如現れた真っ暗な戸口へと姿を消す、ジェレド=ガン。
レオ丸は眉根に皺を寄せ、背後に控えるアマミYとアンWに囁いた。
「どうやら暫くは、あの爺の掌で踊らなしゃあないようや。
御免やけど、二人ともワシが頼むまでは、絶対に手ぇ出さんといてな」
アマミYは、ベールの下の口をへの字に曲げて頷き、両手の爪を収めた。
アンWは、刀の柄から手を離すと、目をキラキラさせる。
「踊ってもいいの?」
「え~~~っと、……後でな?」
苦笑いと溜息を同時に漏らしたレオ丸は、鞄を探ってMP回復用のポーションを立て続けに二本飲み干すや、踵を返してスタスタと歩き出した。
ジェレド=ガンの後を追い、躊躇無く戸口へと足を踏み入れる。
レオ丸の履いている<飛天の雲上靴>は、安全靴よりも頑丈に作られているが特殊な加工がなされた鞣革で出来ているため、靴底はスニーカーよりも柔らかく感じられるものだった。
例え尖った砂利だらけの道でも、熱砂の砂漠でも足裏を傷める事はないが、名前が示すような空を駆けられるようには、出来ていない。
「うそ~~~~~~ん!」
戸口の向こう側に、床は存在していなかった。
DOWN、DOWN、DOWN。
<神聖北嶺>の山道から飛ばされた大空間から、更に光の無い闇の虚空に放り出されたレオ丸は自分が今、どのような状態にあるのか全く判らなくなってしまう。
前後不覚どころか、上下左右すら判別不能。
感覚が麻痺し、落ちているのか昇っているのかさえ判らない状態の、レオ丸。
理解出来たのは、霧状になったアマミYが傍に寄り添ってくれている事と、アンWの逞しい六本の腕に抱きかかえられている事だけ。
不思議な国にでも到着するまでは、落ち続けるんかね?
レオ丸は、昔に学校の英語の授業で習った文を思い出しながら、その柔らかく豊かな懐に安心して身を委ねた。
「思ったより遅かったの、何処よりか来る者よ」
天井の片隅から降ってきたレオ丸主従に、目も向けずに嘯くジェレド=ガン。
高い天井を持つ講堂を思わせる空間は、天井を支える数多くの巨大な書架により、迷路のように区切られていた。
書架から零れ落ち、床のあちこちで山をなしている、無数の書物と巻物。
視界の及ばない薄暗がりの、奥の奥の方まで本が溢れている。
巨大な書斎の真ん中に据えられた小さな机の上には、羽ペンの刺さったインク壷と小さなランプ。
その頼りない灯りで、ジェレド=ガンはトランクケースほどの大きな本を紐解いていた。
レオ丸は、本の山の上に無様に寝転がりながら、その姿と室内を呆けた目で見つめる。
「……不思議の国じゃあ、おまへんでしたか、やっぱ」
「何を寝惚けておるのかの?」
「ワシには或る意味、夢の国かもしれんけどな」
素早く下に回り込んで、墜落時のクッション代わりになってくれたアンWの上から、名残惜しそうに起き上がったレオ丸は、早々に人型へと姿を変じたアマミYの手を借りて、本の山から床に降り立つ。
「おおきにな、アンWちゃん!」
「もう踊っても、いい?」
「ああ、エエよ。……せやけど、本を傷つけんように、気をつけてな」
「判った!」
本の山を豪快に崩しながら立ち上がったアンWは、床に散らばる書物類を無造作に蹴散らして、舞台を確保しようとする。
「判ってへんやん……」
そう呟いたレオ丸は、散乱する書物類の片付けをアマミYに頼んだ。
アマミYは一瞬だけ、口を嫌そうに歪めたが、直ぐに体を黒い霧に変えて床に広がる。
広がった黒い霧は直ぐに集約して一つの塊となり、部屋の隅へと転がるように移動。
黒い塊が過ぎた後の床は、掃き清められたように塵一つ落ちていなかった。
部屋の隅の書架の手前まで転がるや、黒い塊は人型となる。
ドサドサッと出来上がった新たな本の山、その上で腰掛けたままドレスの裾を払うアマミYは、レオ丸の耳朶にだけ届くよう溜息を漏らす。
続いてレオ丸の鼓膜を刺激したのは、騒がしい金属音であった。
両の耳からぶら下がり揺れる、豪華なシャンデリアの如きイヤリング。
上体をくねらせる度に、小さな髑髏を数珠繋ぎにしたネックレスが豊かな胸の上で跳ね、幾つもの宝飾品をぶら下げたチェーンが括れた腰で派手な音を立てる。
大袈裟にステップを踏む毎に、両足首のアンクレットが細かくリズムを刻み、ブレスレットとアームレットを填めた六本腕が指の先までくねくねと波打つ。
喜色満面で踊るアンWの全身が奏でる、ジャラジャラガシャガシャという騒音が、書架に埋め込まれた本の壁に吸収され、生まれた端から消えていく。
「……気まま過ぎる従者達で、すんまへん」
本に視線を落としたままのジェレド=ガンは、レオ丸の謝罪に体を震わせた。
「構わんよ、家族多き者よ。此処は静か過ぎる故、我輩には丁度良いと思えるがの」
堪えきれない笑いにより、言葉まで震えている。
「そう言うてもらえると、助かります」
「それにしても、初めて聞く陽気な律動よの、汝の従者の舞踊は?」
「<マハーヴェーダ亜大陸>、<竜国>出身のくせに<エイサー>とは、ワシもインド人も吃驚ですわ」
「<エイサー>と言うのか、その律動は?」
「ワシの記憶に、間違い無きゃですけど……」
「ふむ、新たな音曲の誕生よの。四十三番目の、新しき音曲かの!」
「四十三番目……って、何の事ですのん?」
「汝は知らぬのか?」
「はぁ、さっぱり」
机の前で所在無げに佇むレオ丸を、ジェレド=ガンは本から顔を上げて見た。
相変わらず笑っていない目が、スッと細められる。
「神々が、この世界の理を創造なされた時、音曲を四十二種と定められたのよ。
何故に“四十二”という数に決せられたのかは、我輩の研究の範疇外である故に明確な事は言えん。
諸説も数多あるが、未だ真実は判らんがの」
それは、アタルヴァ社がBGMを四十二曲しか作らなかったからやろ。
レオ丸は心の中で解答を呟いたが、口にはしなかった。
「それよりも、思慮浅き者よ。汝は今、愚にもつかぬ事を申したの?」
「へ? 何ぞ可笑しな事を言いましたかいな、ワシ?」
初めてジェレド=ガンの瞳が、嗤った。その瞳の色に、微かな狂気を感じ取るレオ丸。
「“この世”において、己の意思で以って存在を確定させておる全ての者共、我輩ら<大地人>や汝ら<冒険者>、<亜人間>と呼びならわされておる種族も含むがの、それら全ての者共は、<魂>と<魄>とで構成されておるのは、知っておるかの?」
「いや、全くの初耳ですけど?」
<亜人間>とは、一定の文化を維持し社会を形成するモンスター種族の事である。
イースタルからエッゾ地域に多く生息する、<緑小鬼>や<小牙竜鬼>。
ウェストランデ地域に多く出没する、<人食い鬼>や<灰斑犬鬼>。
フォーランド地域に多く蔓延る、<蜥蜴人>や<穴居鱗人>。
ナインテイル地域の多くで遭遇する、<醜豚鬼>。
そしてヤマト全域で広く見かけられる、<水棲緑鬼>や<蛙人間>など。
出現頻度をベースにすれば、かような形の大雑把な説明になるが、実際には厳密な棲息区分は無く、全ての種類がヤマトの何処ででも生活圏を作り活動している。
「亜人間も、ワシらと同じ<冒険者>や、大賢者殿と同じ<大地人>と、一緒の仕組みっちゅう事ですんか?」
「さよう。より正確に言えば全く同じではなく、あくまでも“似たようなモノ”であるだけだがの」
ジェレド=ガンの白く濁った瞳に、黄昏色の瞳孔が現れた。
それが爛々と輝くに連れ、レオ丸の肝は急速に冷えていく。
やってもうたかなぁ、……爺の変なスイッチを押してもうたかな?
レオ丸は、ほんの少し肩を竦めてから机の前にゆっくりと膝を曲げて座り込むと、椅子を跳ね飛ばさんばかりの勢いで、ジェレド=ガンは立ち上がった。
中肉中背のレオ丸より、一回りは小さい体躯を持て余すように机の周りを歩き出す。
「我輩が、<魔法>について学ぼうと思うた端緒はの……」
老人の昔語りに、正座をしたまま大人しく傾聴するレオ丸。
最初は、少しだけウンザリした表情をしていたが、やがて身を乗り出して相槌を打つようになる。
専門用語だらけの高説の大半は理解出来なかったが、考え方と発想は実に興味深いものであったからだ。
「“魂は陽にして天に帰し、魄は陰にして地に帰す。魂魄共に精気にして、散ずれば再び相集むる事能わず”」
「<大地人>に関しては、正にその通り。実に簡潔に纏めたものよの、我輩の考えを」
「いや単に、チュー・シーって人の言葉を引用しただけですねん」
朱子の思想の一端を要約して述べたレオ丸は、別の宗教的思想を開陳する。
「エジプトやのうて……<王家の神殿都市>では遥か昔から、人とは<カー><バー><肉体><影><名前>で構成されると言うてまんなぁ。
因みに<カー>とは、“永遠に受け継がれる命”。<バー>は、“個人が有する魂”の事でして」
「ほうほう」
いつの間にか、立場が入れ替わっていた。
聞き役であったはずのレオ丸が立ち上がると、歩き回りながらウロ覚えの知識を譫言のように垂れ流す。
椅子に腰掛けた直したジェレド=ガンが、机に広げられていた巨大な書物の余白へと、それらを一言一句違える事無く猛然と記していった。
余白が無くなればページを捲り、要点や疑問点には注釈を入れ、解釈を付記する。
喋り過ぎて喉に渇きを覚えた頃、漸くレオ丸の独演会は終了した。
「感謝するぞ、未知なる事象を知る者よ。これで我輩の<魂魄理論>がまた一歩、先へ進むというものよ!」
椅子に座ったままのジェレド=ガンが背筋を伸ばし、頭を垂れた。
「<魂魄理論>、でっか?」
「さよう! <冒険者>の復活する仕組みと、<亜人間>が再生する仕組みを解き明かす理論よ!」
「ワシの無駄知識が、大賢者殿の理論構築のお役に立てたんなら、誠に幸甚ですわ。
……それよりも、教えて欲しい事が一つ、おますねんけど?」
「何かの?」
「愚にもつかぬ事、って何の事でしたん?」
「ほ? 斯様な知識を有しながら、まだ気づいておらなんだのか?」
頭を上げて椅子に踏ん反り返ったジェレド=ガンは、呆れたような声色で言い放った。
「流石は、我輩と同じ<召喚術師>と思うたに、汝は真に未熟者よの!
答えを述べる前に尋ねるが、汝はモンスターとの間にて従者契約を結ぶ際に、何と申しておるのかの?」
「契約する時の文言でっか? ……ええっと何やったかな。……黄昏よりも昏き……は違うし!
いつも定型登録をポチッと実行してただけやしな……」
「覚えておらんのか?」
「……あっ! せや!」
レオ丸はステータス画面を展開し、ショートカットキー一覧を広げる。
探すものは直ぐに見つかった。
指を伸ばして虚空を叩き、探しもののウィンドウを視界に開く。
それは、ゲームを始めた頃に徹夜して考えた、レオ丸謹製の召喚契約呪文であった。
「敬って四方四維下上、十方世界の諸神に曰す。我此処に清浄の証しを建て給う。眼前の鬼魅よ善知識と転じ、降伏して我が眷属と為り給え。我清浄の証しを建てるが故に、此処に盟を約し給う。善知識と転ずれば、我が命、我が魂を分ち与えるもの也。願わくは我言に帰命し、宜しく方便に従い給え。天蓬天蓬急急如律令 勅勅勅。
……素で言うと、何とも恥ずかしい文言やなぁ。
二十代のワシ、土下座して今のワシに謝れ!」
頭を抱えて転げ回るレオ丸に、ジェレド=ガンは冷ややかな視線を投げかけた。
「ほれ、答えを言うておるではないか? 命と魂を分け与える、との」
頭から両手を離し、床から上体を起こしたレオ丸は、天啓を受けたような顔をする。
「命と魂を分け与えるとは、つまり“個人情報”と“記憶”を共有するって事!
契約したモンスター達は、ワシ自身の出力端末でもあるって事か!」
レオ丸は勢いよく振り返って、従者契約をしたモンスター達を視界におさめた。
<暗黒天女>のアンWは、未だ飽きずに踊り狂っている。
<吸血鬼妃>のアマミYは、本の山の上でだらしなく居眠りしていた。
椅子に踏ん反り返ったままのジェレド=ガンに視線を戻すと、レオ丸は重々しい声で呟いた。
「うそーん」
しなければいけない事、はさて置いて投稿致します。
御同輩、御同好の志の皆様のお話は、誠に面白く励みになりまする。
私ももっと頑張らねば!