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第……歩・天秤祭-3Days

 さて唐突に思われるかもしれませんが、レオ丸の物語は今回で終幕となりまする。

 長らくの御愛顧、誠にありがとうございました。

 御読み下さいました、皆様に山よりも深く海よりも高く宇宙が爆発するくらいの、感謝を!

 脱字・誤表記を訂正致しました(2018.10.07)。

 <エルダー・テイル>の世界設定は言わずと知れた、半分の地球(ハーフガイア)である。

 その極東にある弧状列島ヤマトには、プレイヤータウンと称される特殊な街が五ヶ所あった。

 成立した順に言えば、アキバ、ミナミ、ススキノ、ナカス、シブヤ。

 東京・大阪・札幌・福岡そして東京の、一部地域を縮小化したそれらの街の中には“冒険者”と呼ばれる特殊な種族が居住している。

 そもそも、冒険者とは在来種でないのは誰もが知るところ。

 “此の世界(セルデシア)”における長い歴史上で、僅か二百四十年ほど前に現れた新参の種族であった。

 然様な外来種は冒険者だけではない。

 時を遡る事約三百年前、何処からか招来された<緑小鬼(ゴブリン)>を含めた“亜人”達も又、外来種であった。

 冒険者も亜人も、本来は存在してはならない種族。

 言い換えれば、“此の世界(セルデシア)”の生態系に対して、実に宜しくない影響を及ぼす存在なのである。

 地球史上においても外来種とは、変え難い固有の生態系を作り上げてきた在来種を脅かす存在として、度々議論の俎上に上げられていた。

 外来種のもたらす悪影響は生態系の破壊のみならず、在来固有種との交雑による遺伝子汚染を起こし、土地の地場産業へ深刻なダメージを与え、新たな病巣ともなるからだ。

 実に多様ではあるが、一部の例外を除けば限定された生活圏で生存するのが、真っ当な自然界における生物の不文律である。

 一部の例外とは、渡り鳥や回遊魚などの定期的に生活圏を変更する生物の事。

 其れらは通常、外来種とは呼称されない。

 つまり外来種とは自然発生的ではなく、人為的要因により故意に移植された生物の事である。

 人為的要因を詳らかにすれば、意図せぬ過失と浅薄な算段に集約されるだろう。

 意図せぬ過失とは説明するまでもなく、うっかりミス、であった。

 浅薄な算段を解釈すれば、目先の利益に執着するあまりに長期的視野を欠いた行為、と言い換えても良いのやもしれない。

 総括すれば。

 外来種とは一利はあろうとも、概ね百害の元なのだ。

 移植もしくは移住先に配慮する事なく無造作にのさばり続ければ、何れは特定外来種に指定され、駆除の対象となるだろう。

 では、誰が駆除するのか?

 考えるまでもなく其れは、“此の世界(セルデシア)”だ。

 “此の世界(セルデシア)”の見えざる意志が、異物として無法な外来種を排除しにかかるだろう。

 或いは、もしかしたら。

 清濁の濁りと断定し、呑み込みにかかるのかもしれない。

 “此の世界(セルデシア)”の生態系の一部分とする為に。

 そうなった時、冒険者は今まで通りの“冒険者”のままで居られるのだろうか?

 排除されるかもしれない、併呑されるかもしれない。

 どちらの不確定未来になるのかは全て、“此の世界(セルデシア)”の意向次第なのだ。


 ってな事は百も承知、やけどね。


 彼は、五色の煙を燻らせながら、何とはなしに空を見上げる。

 見上げた大空は、イワシ雲に覆われていた。

 此れが日本の空であれば、秋の移動性高気圧を要因とするもので、半日もしたら雨がそぼ降り出すだろう。

 シトシトと天が泣き出せば、前にも後ろにも人家の見えぬ道筋を暢気に旅するレオ丸も、雨宿り先を求めて右往左往とせねばならぬ。

 雨降る夜道をブラブラと旅できるほど、彼は暢気者ではなかった。

 しかし此処は、地球に似て非なる世界だ。

 果たして気象に関する因果が全て、地球と同じかどうかは判らない。

 “此の世界(セルデシア)”に飛ばされてから以降、毎日欠かさず空を見上げては記録ではなく、記憶をしていた。

 一度覚えた事は終生忘れる事のない、サブ職“学者”の技能を使ってである。

 彼の脳内には<大災害>が発生してから今日までの、百数十日分の天候データが保管されているが、当然ながら気象予報士ではない身だ。

 蓄積されたデータを元に日本の気象と照合し、検証する事など出来はしない。

 あくまでも、覚えているだけであった。

 故に視界に広がるイワシ雲が、どういう意味を持つのかなどさっぱり判らないでいる。


「主殿、何を思うているでありんす?」

「せやねぇ」


 一旦、口を閉ざした彼は、襟元から発せられた問いへの答えに四行詩を吟じた。


「“愚かしい者ども 知恵の結晶を求めては

  大空のめぐる中で くさぐさの論を立てた

  だがついに 宇宙の謎には達せず

  しばし戯言して やがて眠りこけた!”」

「主殿が寝言を申すは、眠ってようが起きてようがいつもの事でありんしょうに」

「“地を固め 天の巡りを始めたお前は

  何という痛恨を 哀れな胸にあたえたのか?

  紅玉の唇や 蘭麝の黒髪をどれだけ

  地の底の小筥(こばこ)に入れたのか?”」

「オマル・ハイヤーム、『ルバイヤート』にて」

「ザッツライト♪」


 彼は、跨る家族(ファミリア)のタテガミを優しく撫でる。

 火星の軌道と木星の軌道の間で輪を連ねる小惑星帯(アステロイドベルト)の内、キュベレー族に属する小惑星の一つに名を捧げられた、セルジューク朝ペルシアの偉大なる詩人の編んだ言葉を啄ばんだ家長に対し、襟元に潜む者は溜息を洩らした。

 いつもと変わらぬ家長の有り様を、呆れたように、安堵したように。


「御主人の戯言には、一々付き合いきれないっチャ」


 ふわぁ、と家長の頭上で小柄な家族(ファミリア)がいつものように欠伸を洩らし、序でに尾をユラユラとさせた。


「♪ Åber heidschi bumbeidschi, schlåf långe,

   es is jå dein Muatter ausgånga;

   sie is jå ausgånga und kimmt neamer hoam

   und låßt dås kloan Biabele gånz alloan!

   Åber heidschi bumbeidschi bum bum,

   åber heidschi bumbeidschi bum bum.♪」


 何の前触れもなく歌い出したのは、随伴する家族(ファミリア)が小脇に抱えた生首である。

 頭上からの辛辣な言葉には耳を閉ざしたものの、流麗な声が奏でる緩やかなリズムには彼も素直に耳を傾けた。

 同じ子守唄を歌うなら、穏やかならざる歌詞のチロル地方ではなく、ウェールズ地方の子守唄にして欲しいなぁ、などと思ったりしていたが。

 ウダウダと他愛のない会話をしながら、グダグダとした空気を醸しながらの旅。

 詰まり、いつも通りの日常であった。


 彼がミナミの街から行動を共にして来た者達と別れたのは、十数日も前の事。

 親しい間柄である彼女と、<ハイランダーの廃園>で負った死に戻りのペナルティから回復した後も、<プレアデスの古苑>で彼女と丸一日を過ごす。

 何をするでもない穏やかな二十四時間は、彼が“此の世界(セルデシア)”に来てから初めて味わう、緊張と弛緩に満ちたものであった。

 其れは、彼女も同じである。

 まるで中学生の頃に戻ったかの如き、何とも面映い時間を心ゆくまで堪能した後、二人は再会を約して別れの言葉を口にした。


「ほなね~♪」

「では、アキバで」


 天空へと舞い上がり、一路東の空へと飛び去って行く一頭の<鷲獅子(グリフォン)>を見送ってから、手にしたのは足下に転がっていた小さな枝。

 地面に立て、そっと手を離す。


「北、か」


 そして、徐に歩き出した。

 いつものように、いつものように。

 日暮れ前には夜営の準備をし、家族(ファミリア)の手料理で腹を満たし、家族(ファミリア)の歌を聞きながら眠りに就き、朝日を浴びて目を覚ます。

 ささやかな朝食を済ましたら、家族(ファミリア)の背に揺られながらの気侭な旅の続きだ。

 一定のリズムの揺れに身を任せながら、彼は<プレアデスの古苑>で彼女から聞かされた話を脳裏で反芻する。


 来月……と言っても判りませんよね。

 最近、アキバで新しいアイテムが作られましてね、ちょっとしたブームになっているんですよ。

 コレがそれです。

 笑っちゃうような、アイテムでしょう?

 紙に書かれた単なるカレンダーなんですから。

 ですが此のアイテムが……アイテムと言うよりは単なるグッズですけど、其れでも此のグッズがあるのと無いのとでは、全然違いますよね。

 アニメ柄の物、美しい装丁がされた物、数字の下に余白を大きく取った物と、皆が趣向を凝らした物を所持しています。

 何故、今頃になって作ったんでしょうね?

 どうして、誰も作ろうとしなかったんでしょうね?

 法師なら理由は直ぐに推察出来るでしょう?

 ええ、そうです。

 誰も思いつかなかったのではなく、思いつけなかった、思いつく余裕がなかったんでしょうね。

 <大災害>に巻き込まれて日常生活から切り離され、ゲームで良く知る異世界に飛ばされてからは、毎日が右往左往。

 やっと落ち着きを得たと思ったら、今度は新たな日常を脅かす<ゴブリン王の帰還>と<スザクモンの鬼祭り>が発生。

 私達は、“いつもの日常”を“当たり前”だと思って過していましたけど、<大災害>発生以降、“いつもの日常”って“当たり前”じゃないんだと思い知らされました。

 強制的に、暴力的な手段で。

 此のささやかなグッズは、“当たり前”だった“いつもの日常”を取り戻す為の重要なアイテムなんですよね。

 しかも其れだけじゃなく、もう一つの役割を持っています。

 来月、十月を見て下さい。

 丸で囲われた日が、三日間あるでしょう?

 アキバの生産系ギルド達が一致団結して主催する、<天秤祭>なるモノを大々的に挙行するんだそうです、其の三日間に。

 文化祭、学園祭、収穫祭、感謝祭、そんなお祭りをごちゃ混ぜにした、秩序あるバカ騒ぎをするんだそうですよ。

 もし……宜しければ……。

 はい!

 其れでは、其の日の其の頃に再び逢いましょう。


 ミナミの街を上空から見下ろせば、歪んだ楕円形をしている。

 実際の大阪の地理に照らし合わせると、梅田から難波に相応し、その距離は凡そ十kmになる。

 つまりハーフガイアならば、五kmでなければならない。

 処がそれだとミナミは、アキバよりも遥かに大きくなってしまう。

 其処で強引ながら、更に縮小化が行われる事となる。

 結果として南北約2.5km×東西約1.5kmのサイズに設定された、ミナミの街。

 一方、アキバの街を上空から見下ろせば、上下を逆さまにしたジョギングシューズのような形をしていた。

 東京都の地理に当て嵌めると、北は都道453号線まで、西は都道301号線まで、東は隅田川まで、南は神田川までである。

 南北約900m×東西約2.2kmの横長に設定された、弧状列島ヤマトに設けられた最初の“冒険者の街(ホームタウン)”だ。

 其の姿は、見る者全てに難攻不落の要塞であるとの印象しか与えない。

ミナミも同じように、グルリと廻らされた高い城壁に囲まれているが、どちらかと言えば開放的な雰囲気を備えていた。

 理由は、門の数である。

 四方八方に門を設えたミナミと、たった一つの門のみを構えたアキバ。

 だが内情は、唯一のギルドが全てを掌握する閉鎖された(ミナミ)と、多数のギルドによる共同運営で統治されている(アキバ)

 東西を代表する“冒険者の街(ホームタウン)”は、全てが相反していた。

 ミナミは、中央部少し上の辺りに横たわるセントラル大路が、街を南北の二つの地区に分断しており、其れは住民の貧富の差でもある。

 しかし、アキバには表立った形で貧富の差は見当たらない。

 寡頭制による政治体制と、階級制度による社会体制を導入した西の“冒険者の街(ホームタウン)”と異なり、合議制による民主主義的体制で政治と社会を整えようとする東の“冒険者の街(ホームタウン)”。

 今のアキバは、未だに戦時下である。

 <スザクモンの鬼祭り>は期間限定イベントであったので、ミナミは既に戦後を迎えていたが、<ゴブリン王の帰還>は期間限定イベントではないからだ。

 <天秤祭>とは、大掛かりな慰安なのだろうと彼は理解した。

 先の長い戦いの最中にあるアキバの冒険者達にとって、其れはとても重要な催事であるとも。

 戦争などという非日常に心身を削られ続ける、戦争を知らない子供達である冒険者達。

 ただでさえ、碌でもない世界に放り込まれた身なのだ。

 気休めであれ何であれ、戦争から遠く離れた日常の中の“ハレの日”がなければ、肉体的な死を恐れぬ立場の冒険者達とて、精神的に死んでしまうに相違ない。

 人の心はとても脆く、些細な瑕疵で張り裂けてしまう事もあるのだから。

 希望もなく、安息もなく、生命活動のみを行う為だけに日々を過す、活ける屍と化すだろう。

 殺し殺される為だけに、人は生きているのか?

 どうして此の地獄で、生き続けねばならぬのか?

 当たり前のように人生を享受する事を、人が人らしく生きたいという希望を、ゴッソリと奪い去り、完膚なきまでに破壊してしまうのが、戦争の本当の恐ろしさだ。

 そんな恐ろしい戦争というものを、半ば強制的に体験させられたミナミの冒険者達は、唯一絶対のリーダーの指導の下に結集する事で、無気力から脱出する事を選択した。

 強圧的な命令に唯々諾々と従う事に、悦楽を見出す道を選んだのだ。

 思考を狭める事で閉塞感を打破し、新たな希望を獲得しようという指導層の意志に、身を委ねたのである。

 例え其れが、砂上の楼閣に限りなく近い夢想で幻想であろうとも、住めば都にしてやると決したのだった。

 では、アキバはどうであろうか?

 合議制とは、ほんの小さな意志であろうとも余す事なく集約出来る理想的なシステムではあるが、責任所在が曖昧になり易い意思決定方法とも言える。

 “皆で決めた”を“誰かが決めた”に転化した途端、個人の意志は雲散霧消し、無責任の塊となってしまう危険性があるからだ。

 誰もが積極的に責任を被る意欲を持たなければ、真の力を発動する事が出来ないのが民主的な方法論である。

 アキバの住民達は、暴君にも名君にも成れる素養を持つ冒険者が複数居たが為に、敢えて苦難の道を選んだのだろうか?

 レオ丸は、ふと考える。

 有力者達が早々に潰し合いをした結果、瞬間的に蠱毒の壷と化したミナミは幸せだったのだろうか、と。

 <Plant hwyadenプラント・フロウデン>という一匹の毒虫のみが生き残った、ミナミの街は最良の選択をしたのだろうか、とも。


「来年になってみんと、判らんなぁ」

「明日の事もとんと定かならぬに、何と気の早い主殿でありんす」

「御主人らしいっチャ」

「主様には我らには見えぬものが見えておいでであるのかと」

「まぁまぁ、マスターの旅はいつも

 ♪ Ob's stürmt oder schneit,

   Ob die Sonne uns lacht,

   Der Tag glühend heiß

   Oder eiskalt die Nacht.♪ なんですから」

「顔中埃まみれでも、士気高らかに、轟く我らの戦車、嵐の中を突き進む……ってか?

 何とも勇ましいけど、好んでしたくはない旅路やねぇ」


 一行の現在地を元の現実で示せば、山梨県を脱した東京都の西部辺り。

 もう後半日も甲州街道を東へ東へと歩けば、多摩川に到るだろう。

 今の現実では、大地人の集落であるオットプリンチペ庄とサニーノ庄の中間付近となる。

 森の中に敷設された石畳は、全面的に雑草に覆われ苔()しており、保守点検の手が行き届かぬありさまではあったが、馬車が通行するに難渋するほどではなかった。

 況してや、馬よりも安定感のある四足の家族(ファミリア)の背に身を預けながら、自分達しか存在せぬ森閑とした空間に意識を溶け込ませる。

 まるで幽体離脱したかのように、高みから見下ろす鳥瞰の視点と、細部を仔細に見上げる虫瞰と、其れまでと其れからを見詰める魚瞰とで、己の立ち位置を観察した。


 何処を何処まで行っても、何処で何をしていようと、ワシはワシでしかないんやなぁ。


 彼は、口角を僅かに引き攣らせた。

 現実逃避をすべき時は、恐れず怯まず逃避する生き方は、そうそう変わるものではなく変えられるものでもない。

 逃避とは、自己防衛本能そのものなのだからだ。

 襟元と頭上と前方と隣で、わぁわぁとさんざめく家族(ファミリア)達の輪から身を引いた家長は、再び思考の海へと意識を沈めた。

 無理に無理を重ねれば直ぐに限界が訪れる、其れは常に世の真理であり、道理でもある。

 アキバの統治機構である<円卓会議>は、悲鳴を上げ始めた現況から脱却する為に、<天秤祭>なるイベントを必要としたのだろう。

 そう、新たなイベントを。

 ゲームを運営する側ではなく、ゲームに参加する側が独断で行うイベントでもって。

 たった一つの門戸を精一杯に開いて風を呼び込み、澱み出した街の空気の入れ替えを図ったに違いない。

 アキバの街の南端に架かる外界との唯一の接点、ブリッジ・オールエイジス。

 アキバを利用する冒険者の、起点であり終点である重厚な石橋を通して、雰囲気の一新を試みようとしているのだろう。

 そこまで考えた処で、ふと彼の思考が足踏みした。


 って事は、<ウメシン・ダンジョン・トライアル>もそうやったんかな?

 アレがミナミの閉塞感に風穴を開けて、其の大穴を<Plant hwyaden>が埋めたって事なんか?

 せやったとしたら…………何だかなー。


「どうしたでありんす?」


 襟元からの気遣う声に、彼は反射的に肩を竦めた。


「暗中模索で事を為したら因果応報でしてん、ってな事実に今更ながらに気がついてなぁ、汗顔の至りを苦汁と共に味わってる最中やねん」

「支離滅裂だっチャ」

「確か、平常運転などと申すとか」


 頭上と前方からの芳しくない評価で意識が遠のきかけたが、襟元からの鋭い声を耳朶にした事で、彼は正気を取り戻す。

 いつの間にか、小さな影がチラチラと視界の中で舞っていた。

 宙に八の字を描くのは、安全第一で旅する為に広く放たれていた家族(ファミリア)の一片である。


「主殿、前方に異変がありんす」

「異変って?」

原住の怪物(モンスター)が居るでありんす……其れと」

「其れと?」

「襲われそうな距離に、原住民のキャラバン隊が」

「モンスターの種類は判るか?」

「大きなトカゲでありんす」

「どんくらい大きいん?」

「馬一頭なら、一口でありんしょう」

「ほな<角翼竜(ドラゴン)>の類かいな?」

「角も翼もありんせん」

「って事は……<原始怪獣(リドザウルス)>の可能性が大やな。

 ワシの記憶が確かなら、レベルは40そこそこで、パーティーランクやった筈やんなぁ」


 束の間、口篭るも、フッと息を吐くや口の端を大きく吊り上げた。


「ほなまぁ、何とかなるか」


 徐に両手を広げた彼は、右手の親指と人差し指をピンと伸ばす。


「皆、行ってらっしゃい!」


 襟元から闇が這い出るや、一瞬にして無数の小さな影の群れと化した。


「こっちでありんす」


 先の一片も、膨らんだ影のうねりの一部となって一緒に飛んで行く。


「御主人様の仰せのままに」


 背後から一つの影が、そう言いながらズルリと這い出た。


「ご主人さん、あたいの剣舞を見逃さないでね」


 足下から新たな影が出現し、其々の手が握る剣の切っ先を天に突き上げる。


「♪ Ah ! ça ira, ça ira, ça ira

   Le peuple en ce jour sans cesse répète,♪」


 併走していた影が、フランス革命時に盛んに歌われた勇ましい歌を口遊みつつ、鬱蒼と木々の繁る森へと疾駆して行った。


「ワシらはボチボチと行こうか」

「急がないっチャ?」

「急いだ処でワシは大活劇が苦手やさかいなぁ」

「御主人は戦闘の足手纏いだからだっチャ」

「正鵠を滅多突きにする時は、気をつけなアカンでホンマ。

 やった方は峰打ちのつもりでも、殺られた方は頭蓋骨陥没やさかいに」

「ウチは嘘がつけない性格だっチャ」

「美徳も過ぎれば不徳の至りやで」

「主様」

「はいな」

「確りと御掴まりあれ」


 不意に身を低くした家族(ファミリア)が、僅かな予備動作で左手の茂みへと大きく跳躍する。

 間を置かずに、反対側の森の中から飛び出して来た電柱数本を束ねたような太さの尾が、周囲の木々を一振りで薙ぎ倒した。

 樹木が圧し折れる音よりも派手な雄叫びが、容赦なく空気を振るわせる。

 やがて、荒れ狂う尾の持ち主が、更に十数本の木を木っ端微塵に砕きながら街道上へと現れ出でた。

 片目と喉に鋼の矢を生やした怪物がまたもや雄叫びを上げるも、最前とは違いかなり苦しげなのは、右の前足を斬り捨てられたばかりだからだ。

 棹立ちとなってから、もんどりを打って地に倒れ伏す巨大な爬虫類。

 彼の推察通り、リドザウルスである。

 全長約四十メートル、胴体サイズ凡そ電車一両分ある巨体がもがく度に、体長と同じ長さの太くて長い尻尾も荒れ狂った。


「……どないしょっか?」

「こうします」


 やや途方に暮れた感じの口元から無理矢理に現れ出でた影が、彼の発した疑問への答えを吐き出す。

 解答は、真っ白い糸であった。

 新たに姿を見せた家族(ファミリア)が次から次に紡ぐ、鋼よりも強靭な糸に絡め取られるリドザウルスの尾。

 くすんだ緑色の鱗がどんどんと白い糸で覆われていくにつれて、巨体の動きが鈍くなる。

 其処へ、茂みから現れるなり其々の得意技でダメージを与える家族(ファミリア)達。

 リドザウルスは群がる敵へ何とか抗おうとするも、削られる一方のHPを止める事が出来ない。

 振り下ろされる白刃、間断なく放たれる鋼の矢。

 切り裂かれ、打ち抜かれ、傷口が増える毎に追加ダメージが与えられる。

 レベル40クラスのモンスターの中では、最高値のHPを蓄えているリドザウルスであったが、些か相手が悪過ぎた。

 彼の家族(ファミリア)達も、以前は似たようなレベルであったのだが、様々な経験を積む事で強化されていたからである。


 全てがゲームであった頃、モンスターがレベルアップするなど起こりえなかった。

 大地人も同じく初期設定のままで、特殊アイテムを装備するなどしなければレベルが変動する事態など発生しない。

 何故ならば。

 ゲームを運営する大元が、ゲームに其のような設定をしていなかったからだ。

 処が、全てが現実となった今では、レベルアップするのである。

 “此の世界(セルデシア)”では、冒険者以外の存在も経験値を得る事でレベルアップするのだ。

 アキバの意思決定が、弧状列島ヤマトの東北地域で湧き出した無数の<緑小鬼(ゴブリン)>を退治すべく腐心している理由の一つが、当にそれであった。

 万が一にも、比較的にザコ扱いされる程度のゴブリンが、レベルアップする事のないように事態の終息を図らなければ。

 もしもレベルアップしてしまったら、想定外の災禍を引き起こす可能性が生まれるやもしれない、然様な事態だけは、何としても阻止しなければ。

 <円卓会議>がややもすれば強引とも言われかねぬ決断で以って、ゴブリン掃討を最優先事項としているのは、あり得る仮想未来を今其処にある危機とせぬ為であった。

 しかしまさか、モンスターがレベルアップするとは!

 ゲームの『エルダー・テイル』においても、稀にずば抜けた能力を持ったモンスターが出現する時がある。

 パラメーターの針が振り切れたかのような個体種の事を、プレイヤー達は“鬼まる”や“特異点”などと呼んでいた。

 多分きっと些細なバグなのだろう、と思いながら。

 しかしながらそうではなく、理由があっての事だったのだと一部の冒険者達は気づいてしまった。

 詳細は定かではないが一定の条件が整った時、冒険者ではない者達も経験値を蓄積させ、レベルや能力を向上させるのだ、と。

 気づいた内の一人が彼であった。

 仮説が定説なのか妄言なのかは、検証すれば一目瞭然となる。

 故に彼は、ミナミを離れて一人旅に出た頃から密かに検証を始めた。

 確証を得たのは暫く後、<万書の桃源郷(ビブロス・ユートピア)>で隠遁生活を送っていた大地人の賢者と対話した時である。


 <大災害>以降、多くの経験を積んだ事でレベルアップを果たした家族(ファミリア)達は、巨大なモンスターに臆する事なく立ち向かう。

 持って生まれた個々の特性を活かし、最大の攻撃力を叩きつけたかと思えば、いつの間に会得したのか、隙のない連携プレイで最高のダメージを生じさせた。

 バラエティに富んだ家族(ファミリア)達の一方的な攻勢に、家長としては驚くやら呆れるやら。

 心境を円グラフにすれば、97%の満足感に3%の複雑な感情だった。

 戦闘中であるにも関わらず、半ば傍観者の立場で居る彼の目の前で、リドザウルスが断末魔の悲鳴を上げる。

 巨体が光の粒子と化し、大きめのゴミ袋一つ分の金貨と僅かなアイテムだけを残して消え去れば、家族(ファミリア)達が勝利の雄叫びを吼えた。


「“That's my family Kay, that's not me.”」


 人間臭くハイタッチを交わす家族(ファミリア)達を見る家長の口から無意識に零れ出たのは、コルレオーネ家の跡継ぎが恋人に言い放った台詞である。


「主殿」

「ああ、御疲れ様やったね」


 寄って集って敵を嬲り殺しにした家族(ファミリア)達の長女格が、意気揚々と家長の襟元に収まった。


「主殿の眷属(ファミリア)なれば、敗北などという恥ずかしき行為は出来ぬでありんす」

「ウチらは御主人と違って、“恥の多い生涯を送って来ました”とは言いたくないっチャ」

「ホンに、連敗街道を突き進む主殿の生活というものが、わっちらには見当つかないでありんす」


 頭上と襟元から散々な評価をされた彼は絶句し、助けを求めようと首を廻らすも、他の家族(ファミリア)達はふいっと目を逸らす。


「私達の知っている主様は、とても素直で、よく気がきいて、あれで恥ずかしい事さえしなければ、いいえ、なされても、……神様みたいな存在でありますゆえに」


 最後の希望である次女格の家族(ファミリア)の、フォローにならぬフォローを受け、ガックリと肩を落とす家長が一人。


「処で主殿」

「……まだ言い足りひんの?」

「あちらに居る者共は如何するでありんす?」


 襟元からにゅっと伸びた二本の手が、彼の首を森の奥へと向けさせれば、視界の中央に映るのは街道へと合流する一本の枝道。

 其処に三台の馬車が停車しており、十人ほどの人影が戦々恐々と寄り添っている。


「被害は?」

「被害が出る前に、わっちらが屠ったでありんす」

「そいつぁ、重畳」


 家族(ファミリア)の背から降りた彼は、両手を広げて敵意がない事を示しながら、ゆっくりとしたスキップで馬車の方へと歩み寄った。


「ワシが、いつ生まれたのかなんて誰も知りまへん。

 暗い音の無い世界で、一つの細胞が分かれて増えていき、三つどころやない沢山の生き物が生まれたそうな、知らんけど。

 ワシらは勿論、大地人やおまへん。

 又、動物でもあらへんし、況してやモンスターでも亜人でもあらしまへん。

 せやけど、その人間離れした体の中には、正義の血が隠されている……んやと思いまっせ、多分きっと。

 そないな生き物、其れは人間になれへんかった妖怪……やのうて冒険者でおま」


 広げていた右手を胸の前で折り、左手を腰に添えて僅かに上体を屈める。

 未だ警戒心を解かぬ大地人達に対し、彼は朗らかな声で語りかけた。

 すると、大地人の中から一人の子供がトコトコと進み出て、彼の前で立ち止まる。


「貴方は誰?」


 そして小首を傾げながら、出し抜けに問いかけた。


「ワシか?」


 舞台の上でカーテンコールを浴びる役者のような姿勢を崩さぬまま、彼は心底楽しそうな笑みを浮かべる。


「さぁ始めるでありんすよ」

「イケイケ、ゴーゴー!」

「だっチャ」

「やかましいなぁ、もう!」


 家族(ファミリア)達の冷やかしを一喝で黙らせ、咳払いで雰囲気を整え直そうとした彼は、勢い余って咳き込んでしまった。


「大丈夫?」


 モンスターに囲まれながら失態を繰り返す其の姿に、警戒心を解いた大地人達がゾロゾロと集って来る。


「ほな、やり直し(テイク・ツー)で」


 漸く咳を収めた彼は徐に威儀を正し、先ほどの粗相などなかったかのように恭しい仕草で頭を下げた。


「時は最近、所は此の辺。

 性根すら歪む果てしなき夢中へ、愛すべき家族(ファミリア)と駆けるこの男。

 多分“此の世界(セルデシア)”最強の<召喚術師(サモナー)>であり楽天家、西武蔵坊レオ丸。

 せやけど人はワシを、<幻獣の主(ビーストテイマー)>と呼ぶ!」


 レオ丸の自信たっぷりで装飾過剰な自己紹介に気圧されたのか、口を真一文字に結んで静まり返る大地人達。

 だが一人、臆さぬ者が居た。


「そうなの?」


 疑念ではなく、素朴な疑問を口にする子供に対し、レオ丸の家族(ファミリア)達は一斉に首を左右に振る。


 嘘でありんす、と言ったのはレオ丸の襟元から現れ出た、<吸血鬼妃(エルジェベト)>。

 嘘だっチャ、と言ったのはレオ丸の頭上で顔を顰める、<金瞳黒猫(グルマルキン)>。

 主様の申す真実が事実であるとは断言出来ませぬゆえ、と言ったのはレオ丸の背後で控える、<獅子女(スフィンクス)>。

 ノーコメントで、と言葉を濁したのは尾をモジモジとさせながら俯く、<蛇目鬼女(メデューサ)>。

 嘘ついたから針千本飲―ますー、と歌い出したのは小脇に生首を抱えた、<首無し騎士(デュラハン)>。

 其の歌にあわせて、奇妙なステップで踊り出したのは、<暗黒天女(カーリー)>。

 周囲の事など気に止めず、退屈そうにボーっと空を見上げているのは、<煉獄の毒蜘蛛(アラクネー)>。


「嘘ちゃうわ!!」


 とある森の中、殷々と虚しく抗議の叫びを響き渡らせたのは、レオ丸。


 いつものように、いつものように。


                     Fin.

 今回で物語を終らせる事は、去年くらいから考えておりました。

 途中、行き過ぎた所もございましたが、タイトルの通りにウェストランデ圏内だけで終始しようと。

 アキバに到着してからのアレコレは、

「或未品」様の御作を代理で啓上させて戴いた、『剣呑天秤祭 ザ・アキバ・タイブレイク』(https://ncode.syosetu.com/n4581dj/)と、

「いちぼなんてもういい。」様の御作、『ある毒使いの死』(https://ncode.syosetu.com/n3984cb/)を御読み下さいますれば幸甚にて。

 さて、改めて皆様に感謝を。

 特に六人の方々に。

 山本ヤマネ様と犬塚惇平(犬派店主)様の御作がなければ、私は二次創作を書く事はなかったでしょう。

 リアルでも知遇と交誼を得ました、読んでいるだけの人様・佐竹三郎様・或未品様。御三人様が居られなければ、生来面倒臭がりで飽きっぽい私は、物語を完結させる事なく、放り出していたに違いありません。

 そして何よりも。

 此の素晴らしく面白く楽しい『ログ・ホライズン』ワールドを世に現して下さいました、橙乃ままれ様。

 Thanks Friends♪ Thanks Everybody♪

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