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第漆歩・大災害+129Days 其の伍

 三ヶ月もの間、更新が滞りまして誠に申し訳ございませんでした。

 漸く、御目汚しが提供出来まする。

 誤表記を訂正致しました(2018.09.04)。

「そら、当たり前やがな」


 此の世界(セルデシア)における、レオ丸という一個人の存在を否定するが如き女性の発言は、まるで呪詛のようであった。

 しかしレオ丸は、女性の申しようを蚊に刺されたほどの痛痒でしかないように、僅かに首を竦めただけで軽くいなす。

 序で、懐から取り出した<彩雲の煙管>をひょいと咥えたレオ丸は、憮然と憫諒の中間くらいの表情で五色の煙を真っ白な天へと吐き出した。


「まぁそないに(いき)り立たんと腰落ち着けて、メニュー作成の茶ぁの一杯でもしばいたらどないや?

 今更ながらやが余りの味気なさに、気分が一新するさかいに」


揺蕩う煙を頭上に浮かべながら、口の端をほんの少し下方へと曲げるレオ丸。

 侮蔑の表情を隠そうともせず、女性はモニターの一つに腰を下ろして足を組み、そっぽを向いた。


「処で自分は、“ナッシュ均衡”って言葉を知っとる?」


 女性は、質問に回答する気が無いような雰囲気を醸し出しているが、レオ丸は気にせず言葉を重ねる。


「“ゲーム理論”の一つやねんけどね。

 あ、“ゲーム理論”ってのは此の世のありとあらゆる事柄で、複数の主体性のあるモンが下す意思決定上の問題とか、行動の相互依存的状況を数学的に研究する学問なんやそうやけどね。

 第二次大戦中に数学者のノイマン博士と、経済学者のモルゲンシュテルン博士がアメリカで結実させた理論で、経済活動を考察するのに使われる必須の理論やわなぁ。

 さて、話を戻して“ナッシュ均衡”やけど。

 ざっくりとした説明をするとな、“プレイヤー同士が協力せぇへんで、各自が其々の利得を相対的にガッツリいけるんちゃうかってな選択した場合に現れる解”の事やねんて。

 プレイヤーは自己の利益を最優先とするんが当たり前やけど、当たり前を当たり前に行ったらどーなるかってヤツの有名な例えが、“囚人のジレンマ”やな。

 “囚人のジレンマ”……大災害で流されて此の世界(セルデシア)の虜囚となって早何か月か。

 囚われ先がゼンダ城なら古典文学になるんやろーが、生憎様でワシらの幽閉先はゼロとイチが理となるドットの世界や。

 そんな世界で、全てのプレイヤーが互いに合理的な選択が出来る筈などあらへんし、このゲームの解がまともである訳がないやん?

 利得の配分がベラボーに効率的で、もう此れ以上は何処のどいつも損せぇへんかわりに得にもならへんってな状態……“パレート効率的”なんざ夢のまた夢。

 もし其れが達成出来たら、ノーベル賞もんと違うかな?

 ってな与太をほざいていたら、あの世からノーベル御大が現れて、ダイナマイトで吹っ飛ばされても文句は言えへんけどな!

 さてさて、お嬢さん。

 何故にワシが判ったような判らんような……ほとんど理解せずに覚えてる事をダラダラとくっちゃべっただけやけど……理論をお為ごかしに開陳したかとゆーよやな、理由は一つしかあらへん」


 レオ丸は、何処から持ち出したのかも定かではない自信に満ちた、不敵な笑いを浮かべた。


「あんたの八つ当たりを煙に巻く為や」


 盛大に五色の煙を吐き出したレオ丸は、恭しい手つきで<彩雲の煙管>を懐へと仕舞い直す。


「ワシはシロエ君とやらやない、そんなん自分に指摘されんでも承知してるで。

 ワシは生まれて此の方ワシのままやし、死ぬまでズーッとワシのままや。

 恐らく死んだ後も、ワシはワシのままである筈や」


 ワシがワシでなくなるとしたら……、と言い止した後の言葉を腹の内に仕舞い込んで口を噤む、レオ丸。

 ファンタジーなワンダーライフを力づくで謳歌し、傍若無人の看板をサンドイッチマンのように前後にぶら下げたと言われても否定出来ないレオ丸であったが、其れでもTPOの何たるかは知っている。

 故に口を真一文字に引き結んだのだ。

 何故なら目の前で、女性が悄然と泣き崩れているのだから。

 嗚咽を漏らしながら忍び泣く女性を見下ろしながら、レオ丸は足を組んで頬杖をつく。

 脳内では幾通りもの慰めのセリフが渦巻くが、其れを言うべきかどうかは思案の分かれ目。

 結局の処、レオ丸は何も言わぬ事に決めたのは逡巡をし始めてから、凡そ十分後の事であった。

 レオ丸にとっては無限にも思える、果たして其れが数分なのか数十分なのかさえも知れぬ時間が過ぎた頃、漸く女性は俯いたままでいる事を止める。

 そして元の現実でも此の世界セルデシアでもレオ丸には出来ぬ事、長い前髪を鬱陶しそうに掻き揚げた。


「落ち着いたんか?」

「御蔭様で」

「そいつぁ重畳……さて、それじゃ」


 モニターの山から腰を上げたレオ丸は、尻をパンパンと叩いて地上へと降り立つ。


「ボチボチとココからおサラバしようやおまへんか」


 其の瞬間。

 レオ丸の視界は、真っ白な闇に閉ざされた。



「皆様長の旅路誠に御疲れ様でございましたさぞかし良き悪夢に耽溺出来ました事と存じまする案内人としては皆様の陰鬱な御目覚めに立ち会えまして喜び一入にございます」

「……喧嘩売っとんのか?」


 最悪な体験をした、としか記憶していないレオ丸が脊髄反射でツッコミを入れるも、いつものようなキレはない。

 其れも其の筈、レオ丸を含む冒険者全員が泥酔した日の翌朝のような状態であったからだ。

 控え目に表現しても死屍累々としか言えぬ船旅は、まるでペスト患者を乗船させた移民船のような有様。


「さてさて改めて申すまでもございませぬが此処は御魂が安息を得て浄化され再び生を宿し地上へと舞い戻る為の場所にて」


 うめき声が垂れ流される甲板上で、一人端然と佇む者は平坦な表情をしていた。


「故に皆様方には此処からの速やかな退出を御願い致したく存ずる次第でございます」


 倒れ伏す冒険者たちの中で、いち早く正気を取り戻していたレオ丸が、どうにかこうにか上半身を起こして周囲を見渡せば、知らぬ内に状況が激変している。

 船が一回りどころか遥かにスケールダウンし、細長くなっていたのだ。

 乳白色の天空の下、真珠色の水面に波紋を描かず進む其の船は、数多の動物の番いを乗船させられる巨大な箱舟だった面影など、何処にもない。

 レオ丸達の知らぬ間に、十人も乗船すれば過積載となりそうな手漕ぎ舟となっていたのである。

 水の都の水路に浮かぶゴンドラよりもみすぼらしくとも、競技用カッターよりは安定感がありそうな船の舳先に立つのは、がっしりとした竿を握る一人の船頭。

 全体的に灰色の靄で覆われたように見える船頭は、まるで黄泉路へと誘う渡し守の如き雰囲気を纏っていた。

 レオ丸が常にかけている淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)越しで注視しても、モザイクの如き靄は船頭の全身から除去される事はない。

 何か気の利いたシニカルジョークでも口に出来ればと、思考を巡らせようとするレオ丸であったが、覚醒しただけの頭ではウンともスンともならぬ。

 結局、昔話に出て来る洟垂れ小僧の如く、曖昧な表情で首を僅かに振るだけであった。

 “おっ父ぉー、おら腹が空いただ”と自己主張出来るだけ、洟垂れ小僧の方がマシかもしれなかったが。

 その間にも、喫水線の下がない艦船模型のジオラマを彷彿とさせながら、船は凹凸のない大理石の板の如き水面を疾走する。

 力強いスティックで一打された、アイスホッケーのパックのようにスルスルと。

 やがて、レオ丸以外の船客達が朦朧としたまま上体を起こすのと同時に、船は何処とも知れぬ岸辺へと辿り着いた。


「“御前は見知らぬ岸辺に上陸して食事をする事になる。

 そして、食事が終っても満足出来ずにテーブルまで食いつくすであろう。

 其の時、其の地に住居を求めよ。

 疲れていても、ふさわしい場所を探して館を建て、周りに堀を穿って土手を築け”」

「何でしゅら……其れは?」

「共和制ローマの末期に活躍した詩人の最後の作品の、一節やわ。

 “僕らは故里に、愛しい田園に別れを告げる。

  僕らは故郷(くに)を追われる”

 とか何とか、『牧歌』的な歌も歌ったりしてるんやけどね」

「何処が牧歌的なのか判らないでしゅら」

「うん、せやろね」


 ワシも判らんし、と続けようとしたレオ丸の戯言が、背後からの衝撃で強制終了させられる。


「さっさと降りるざぁます」


 レオ丸の背中を容赦なく突き飛ばしたのは、<Plant hwyaden>の枢要にて侍る側近衆のトップであった。


「ああ、これは!」


 水面と比較すれば、やや灰色がかった砂浜で尻餅をついているレオ丸の横に降り立った青年は、感極まった声を上げる。

 そして腰に装着したダザネックの魔法鞄から、スケッチブックとペンを取り出して片目を瞑るも、直ぐに両目を閉じて首を左右に振る。


「とても綺麗な風景だとは思いますが、地図にするには記号が足りませんね」

「これは足りないって言うよりは、何も無いってのが正解じゃないかな?」


 舞台で華麗なステップを踏むように砂浜へ爪先をつけた青年が、レオ丸へ手を差し伸べた。

 おおきに、と言いながらレオ丸が立ち上がれば、一人を除く全員が丁度下船した処である。

 冥界を滔々と流れる大河の渡し守役に徹している風の人物、洞沌はボールペンで書いた線のように、真一文字に引き結んだ口の端だけで静かに微笑む。


「では皆様御機嫌よう」


 そして再び、真っ白い闇に包まれるレオ丸達。



 やがて、視界の通らぬ真っ白い闇を抜けると、其処は外つ国(とつくに)であった。

 視界の果てが明るくなった。

 何処とも知れぬ場所に冒険者達は立ち尽くして居た。

 纏まりなく群れる一行の端から一人の青年が立って来て、レオ丸の前で軽く腰を落した。

 一迅の風が足下に流れ込んだ。

 青年は胸一杯に空気を吸い込んで、近くへ囁くように。


「法師、法師」


 眉尻を下げてゆっくり首周りをマッサージしたレオ丸は、徐に鼻の頭を擦り、耳に小指を入れてかっぽじった。

 はてさて一体とレオ丸は外を眺めると、樵か猟師が使う小屋らしいバラックが遠目に見えるだけで、色づき始めた葉っぱの色が溢れんばかりで見渡す全てが呑まれていた。


「法師、お尋ねします、此処ら辺で安全地帯が何処にあるか、判ります?」

「“ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ”」

「……頭は大丈夫ですか?」

「いや、頭以外は大丈夫や」


 さて、とレオ丸は義士伝次郎の頭越しに目を凝らせば、頭上から注がれる陽光を遮断する暗さを擁する洞窟がある。

 <モータル・ホロウ>。

 約二ヵ月前に、アキバの冒険者と連れ立ってウロウロと散策した、レオ丸にとって既知の場所であった。

 元の現実であれば、静岡県富士宮市の中央部からやや北上した辺り、富士山からは十二キロほど離れた地点である。

 鎌倉幕府第二代将軍、源頼家が建仁三年の六月に配下の新田忠常に調査するよう命令した事が、『吾妻鏡』に記述されていた。

 是浅間大菩薩御在所、の地である。


「せやなぁ」


 レオ丸は、東の彼方に見える構造物のシルエットを指差した。


「あそこに見えとる<ハイランダーの廃園>なら、腰を落ち着けられる筈や」



 レオ丸がドッコイショと腰を下ろしたのは、朽ち果てた巨像の破片の一つである。

 1979年に放映されて以来、三十年以上の長きに亘り製作されているエポックメイキング作品の主役ロボット……とは似て非なる巨像は、下半身を喪失し、残存するのは上半身のみ。


「なぁ」

「何でしょう?」

「ワシらはどーやって此処に来たんやろう?」

「…………さぁ?」


 ユリユリ・ユートピアカツキーがしなやかな仕草で、レオ丸の問いかけに肩をひょいと竦めた。

 レオ丸の記憶は、ミナミのギルドタワーの地下で途切れている。

 覚えているのは、アキバからの潜入者の尋問をした後、ウェストランデの社会を裏で支える供贄一族の手引を得た、其れだけだ。

 ミナミから此処まで、如何なる手段で移動したのか?

 サブ職<学者>の技能は、記憶する事にかけては他のサブ職よりも特化しているのだが、脳内を廻っても一片たりとて情報が残されていない。

 重層する記憶の一部がホワイトアウトしているような、何とも落ち着かない気持ちを抱くのはレオ丸だけではなかった。

 ユリユリも伝次郎も、他の者達も、外出先で自宅の戸締りをしたかどうかが判らなくなった者のように、振る舞いが(そぞ)ろである。


「……まぁ、エエか」


 思い出せない事に拘泥したとて何の益も無し、そう断じたレオ丸は視界にステータス画面を開き、指を宙で遊ばせた。

 まるで、半ば砂に埋もれた自由の女神像の前で途方に暮れる宇宙飛行士然とした、レオ丸。


「ボチボチですよ」


 ブツブツと呟きながら作業に没頭していたレオ丸の意識を、ユリユリの声が不意にノックする。

 警告を受け、手を止めたレオ丸が首をもたげると、ドッカドッカと地響きを伴う足音が聞こえて来た。


「お待たせ致しました、ユア・ハイネス」


 アフリカゾウの雄をカバのサイズに落とし込み、メガテリウムっぽく仕上げたようなモンスター、<小型地底魔象(レッサーベヒモス)>からヒラリと降り立つ、一人の冒険者。

 其の後ろに従う六頭の軍馬からも、冒険者達が下馬して同じ姿勢を取る。

 寸分の隙も無い身のこなしで膝を就く者達に、主人に代わり応対をするのは侍従達の筆頭たる者だ。


「御苦労ざぁます」


 ミルミルムーンの言葉に、冒険者達は軽く頭を下げるや一斉に立ち上がる。


「此れより先は我らが御案内致します」


 <ラディカル・ヒストリーズ>なるギルドタグを付けた者達は、全員がエルフであった。

 レオ丸は、エルフ率が飛躍的に高まった事に笑いのツボを微妙に刺激され、危うく噴出しそうになる。


「……まるでファンタジーやな」

「何を今更」

「五月蝿いざぁます!」


 横に立つユリユリも、微動だにせずに背後を叱責するミルミルムーンも又、エルフであった。

 他愛ない遣り取りが、厳粛な雰囲気を根元から崩しそうになるも、此の場に居る者達の中で唯一の君臨者たる存在が口を開けば、空気は元通りとなる。


「ヒポポタマス00(ダブルオー)、プリンツ高御産巣日、四四之921号、恋愛シルヴァー、銀河系珈琲公司、御新香入道、槐女御、皆御疲れ様」


 小首を傾げながら微笑む濡羽に、一人を除く全員が頭を垂れた。

 明後日の方向を向きながら、<彩雲の煙管>を燻らし出したレオ丸にも同じ言葉がかけられる。


「法師も御疲れ様でした」


 部外者(ソロ)へも等しく微笑みを進呈する、一万二千人以上の所属員(ギルメン)を統べる<Plant hwyaden>の総帥(ギルマス)


「不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。

 周与胡蝶、則必有分矣」

「此之謂物化、ってか」


 詠う様な囁きを締めたのは、切って捨てるような一言。


「元の現実であろうとも、“此の世界(セルデシア)”にあろうとも、“万物斉同”が真理であると、私は思います」

「自分の生き方は、単に消極的な“無為自然”やろう?

 時の流れに身を任せている、ってよりは、川の流れのようにダラダラと揺蕩うてるだけなんと違うか?

 ミレー画伯の『オフィーリア』みたいに、な」


 五色の煙を天に吐き出したレオ丸は、歪んだ笑いを口の端に浮かべた。


「ワシは、荘子御大や老子御大を否定はせぇへん。

 むしろ理想の有り様やと、そう思うとる。

 せやけど。

 其れを強要されるにゃらば、御免蒙るとしか言われへん。

 強制される“逍遥遊”の、何処に“自由”があるんや?

 そんならワシは、己で選び取ったデカルト御大の“人知”と、御手々繋いで夜道を行くわいな。

 ……例え其れが、不自由で窮屈であろうともな」

「無礼者ざぁま……」


 ミルミルムーンが発した怒声は、スッと上げられた濡羽の右手に止められる。


「……やはり法師は、あの“御方”とは違いますね」

「“天上天下唯我独尊”やもん、当たり前や。

 ワシはワシであって、ワシをワシと呼べるワシは、ワシやない“彼”とは全く別モンや。

 そんなん、当たり前やろう?

 自分の中で“彼”の存在が尊いのと同じように……かどうかは知らんけど、ワシの中では自我を持つ者は全て尊い存在や。

 其のカテゴリーの中にゃあ当然、ワシ自身も含まれとるさかいに。

 せやけど……や」


 <彩雲の煙管>を懐に仕舞ったレオ丸は、自分を見下ろす相手を僅かに睨め上げた。


「自分に“私”はあるんかな?」


 先に視線を外したのは、濡羽。

 至って自然な動作で踵を返すや、配下の者達へ密やかな声で命を下す。


「参ります」



 <ハイランダーの廃園>から立ち去る人影が消え失せるまで見詰め続けたレオ丸が、首筋を揉みながら地面に吐息を落としたのは、其れから五分後の事であった。


「此れで、御仕舞いですか?」

「ああ、多分な」


 何処か名残惜しそうなユリユリの問いに、レオ丸は草臥れきった声で回答する。


「では、Большой кругと致しましょうか」


 ユリユリが、腰に佩いていた二本の剣。

 其れが宙に銀色の軌跡を刻み、鮮やかな火花を散らした。


「あれ、どーゆー事?」


 頭上に疑問符を浮かべたレオ丸の前で、<暗殺者(アサシン)>のエルフは狐尾族の<武士(サムライ)>と鍔迫り合いをしている。


「てっきりワシを殺す役目は、ユリユリ君の方やと思うててんけどな。

 まさか、伝次郎君やったとは」

「伝次郎だけじゃないでしゅら」

「みたいだぜ」


 始祖之樹ムジカが振り下ろそうとしていた幅広の円月刀を、強力ミナモトの蕨手刀が受け止めた。


「誰が敵で」

「誰が味方やら」


 喜多方赤太夫が放った攻撃魔法を防ぎ止めたのは、唐獅子牡丹MOCHIMOCHIの張った障壁である。

 レオ丸の周囲では、三つの闘争が行われていた。

 <暗殺者>と<武士>が、<武士>同士が、<妖術師(ソーサラー)>と<森呪遣い(ドルイド)>が、惜しげもなく技能を尽くしている。

 其の真っ只中で、戦闘を他人事としながら腕組みをし、云々と呻吟するレオ丸。


「ミスハさんの部下でワシの護衛役やった伝次郎君と、ムジカさんが刺客?

 インティクスの部下である赤太夫さんが襲撃するんは、理解の範疇やけど。

 んで、ゼルデュスの部下であるユリユリ君とMOCHIMOCHI君が、ワシを守って戦うとる。

 インティクスの部下である、ミナモト君と一緒に」


 答えの見つからぬレオ丸が、悪魔に取り憑かれた少女のように首をグルグルと回していると、答えは直ぐに開陳された。


「拙者は元より、官房長閣下の狗にござる」

「私もでしゅら」

「はーい、アタイもー♪」

「Яは局長の命令でして、法師を害する者を排除せよと」

「僕も同じく」

「俺は先日、<壬生狼>に鞍替えしたって事ですぜ」

「ああ、其れなら合点! 合点! 合点! やわ」


 廃墟を背景に繰り広げられる超人的な戦いを暢気に眺めていたレオ丸は、不意に首を右へと廻らせる。


「ほんなら、自分は誰の命令で動いとんの?」

「そりゃあ勿論」


 蓮の花弁に良く似た刃が、レオ丸の心臓を深々と貫いた。


「私自身の意志で、ですとも」


 光の粒子となり、一人の冒険者の姿が消失する。

 後には、<淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>が転がっているだけであった。







「はぁ~~~、やれやれ……死ぬかと思った」


 レオ丸が目覚めたのは、直径が三百メートルほどの花園である。

 今が盛りと咲き誇っているのは、真っ白い犬百合(ドギー・リリー)

 クルリと丸まった犬の尾にそっくりな青い葉が、サヤサヤと吹き渡る微風に揺れていた。

 元の現実には存在せぬ花々に囲まれながら、レオ丸は目を細めながら天を仰ぐ。

 其の耳に、サクサクと草叢を踏む足音が一つ届いた。


「直の目で初めて見る、“此の世界(セルデシア)”は如何ですか?」

「せやなぁ、眩しいな……其れに……」


 首の位置を元に戻したレオ丸は、近づいて来る人物を目を細めて見詰める。


「めっちゃ、美しいわ」

「其れは良うございました」

“此の世界(セルデシア)”と違うで……自分の事やで」

「……其れはどうも」


 レオ丸の傍に腰を下ろしたミスハが、手にしていた物をレオ丸に差し出した。


「……お忘れ物ですよ」

「ああ、おおきに」


 『エルダー・テイル』の四番目の拡張パック<Maze War>において、弧状列島ヤマトに第三のプレイヤー・タウン<ススキノ>が誕生する。

 併せて、追加されたレイドコンテンツの一つに『善きものの迷宮』があった。

 同じく追加されたレイドコンテンツの『紫苑の迷宮市』、『あの空に虹を』、『消えた無敵艦隊』、『天空の竜騎士』に比べ、格段に人気の薄いシナリオである。

 其の理由は、PvPコンテンツとして新たに追加された『悪しきものの迷宮』をプレイした者にしか攻略が出来ぬのに、シナリオの雰囲気が仄々(ほのぼの)系であったからだ。

 しかも、仄々としたシナリオであれば、特殊レイドコンテンツである『ハンドメイドメイズ』の方が出来は良かったからである。

 当時としては殺伐の極限であったシナリオの後に、出来が今一つな仄々系を誰が好んでプレイしたがるであろうか?

 結果として、散々な評価を受けた『善きものの迷宮』は、不人気コンテンツの代名詞となってしまう。

 故に、古参プレイヤー達の中でもクリアした者はほとんどいない。

 其の数少ないプレイヤーの一人が、レオ丸であり、ミスハであったのだ。

 『善きものの迷宮』が内包する幾つかのシナリオの、舞台の一つが<ハイランダーの廃園>と此処、<プレアデスの古苑>である。

 シナリオの途上、<ハイランダーの廃園>でHPが尽きた者は、自動的に<プレアデスの古苑>で復活するのだ。

 一定時間の拘束と重要アイテムの喪失、というペナルティー付きでだが。


「……此方の都合も考えずに連絡して来たと思ったら、“ワシを助けると思って、殺してくれへんか”って、全く!!」

「御免やで、いつも以上に行き当たりばったりの、出たトコ勝負やったんやから」

「いつも以上って、いつも通りの事でしょうが」

「そら、そーやねんけど。

 せやけど、あの場でミスハさん以外の誰かに殺されとったら、難儀な事になってたやろーし」

「だからと言って、“私”に“貴方”を殺させるだなんて!」

「堪忍、堪忍やで。

 今のワシにとって、安心して命を委ねられるんは、ミスハさんだけやねんもん」

「もう二度と絶対に、こんな事をさせないで下さいよ!

 もし、また、同じ事を口にしたら……本気で殺しますからね」

「そいつぁ、勘弁!」


 <淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>を手にしたまま、バッタリと花園に倒れ込んだレオ丸。

 其の頭を両手で持ち上げたミスハは、己の膝の上にソッと下す。


「……此処での拘束時間って、どんくらいやったっけ?」

「確か、半日だったかと」

「……脚、痺れへんか?」

「痺れる前に蹴飛ばしますから、御安心を」

「そいつぁ良かった」


 それっきり会話は途絶え、穏やかな秋風の揺らす草花の音だけが世界にあった。

 静かな、静かな、二人っきりの時間のみが。


 ZZZZZZZZZZZZ……。


 ミスハが耳を塞ぎたくなるほどの鼾を、レオ丸が寝汚く掻き出すまでは。

 広げ過ぎた大風呂敷為らぬ、へんてこな世界を如何に片付けるか?

 濡羽の性格をどうすれば把握出来るのか?

 成功したやら、失敗だったのやら。

 それと、当方をお気に入り登録して下さった、高見結様、yosino129様、シーヴァ様、星川亮司様、沢庵和尚様、カバ太様、柊焔珠様、皆様に感謝を。

 お名前だけですが、登場させて戴きましたので、悪しからず宜しからず御寛恕を(平身低頭)。

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