第漆歩・大災害+129Days 其の肆
同志諸兄のキャラクターの御名前を、お借り致しました。
抜けは無いと思うのですが、ございましたら御免なさい(平身低頭)。
誤字を訂正致しました(2018.5.19)。
「此の場所は、幼い頃に過した……高速道路の下の公園に似ています」
「ほぅ?」
「私は幼い頃、いつもこんな感じの公園で遊んでいました。
貴方の言うように、もし此処が私の知っている場所であるならば、恐らく多分、あの公園だと思います。
同じ幼稚園に通っていた子や、小学校のクラスメイトは家でゲームをしたり習い事をしたり、塾に通ったりしていましたが……」
「ふむ」
「私はいつも、こんな感じの公園で日暮れまで過していました。
春は、いつも花を見ていました……タンポポが一番好きなんです、私。
英語だとダンデライン、フランス語でダンドリオンが変化したものなんですってね。
輪郭と色がライオンのタテガミに似ているからだと思ってましたけど、実際は、葉っぱのギザギザが“ライオンの歯”に似ているからだとか。
花言葉は“愛の神託”“神託”“真心の愛”など。
日本だと花占いは、花弁を一枚一枚千切ってしますけど、ヨーロッパではタンポポの綿毛を一息で吹き飛ばせるかどうかで行うそうですね。
綿毛が飛んで行く様子から“別離”も、花言葉でしたっけ。
そう言えば、ヨーロッパでは葉っぱを食べたりするって聞いた時に、私も摘んで食べてみましたけど……苦くて吐き出した事があります。
昔に読んだ本で、タンポポはイエス・キリストが磔刑されている宗教画によく描かれているので、受難の象徴でもあるとか。
其れを知ってから、私は益々タンポポが好きになりました。
あんなに小さな花なのに、気がつけば何処にでも咲いているありふれた花なのに、こんなにも沢山の意味や物語を抱えているだなんて。
走り去る車のタイヤで無残にも踏み躙られようと、アスファルトの割れ目から一生懸命花を咲かせる小さな花。
何て健気で強くて、しぶといんだろう、って」
「桜はどうなん?」
「桜は嫌いです」
「…………」
「だって残酷じゃないですか」
「残酷?」
「そうです、残酷な花です。
蕾が膨らみだした頃から人々の期待感を刺激し、咲いたら咲いたでありとあらゆるモノを覆い隠しますよね。
そして二週間くらいでパッと散って、覆い隠していたありとあらゆるモノをあからさまにします。
出来れば一生見たくないモノなんかも、一度は美しい花で全部隠しておきながら、直ぐに明らかにしてしまう。
しかも、散った花弁が汚らしい地面を彩るのも束の間の事。
気がついたら泥まみれになり、コンクリートに貼りつき醜悪な様を晒します。
葉が繁れば大量の毛虫を呼び込み、葉が散ればゴミの製造機になってしまいますし。
葉が散り終われば枯れ木も同然、随分とみすぼらしい姿を晒してしまいますよね?
恐ろしいくらいに美しく咲くのはホンの一時、それはまるで子供の頃に思い描く夢のようで、思春期に抱く儚い理想のようで。
其れ以外の期間はずっと惨い現実を見せつける、それが桜ですもの……どうしたら好きになれると言うのです?
残酷な花を好きだと言う人は、残酷な人だと私は思います。
……日本って残酷な人が多い国ですよね?
私が“桜が好きじゃない”と言うと、“お前はおかしい”“お前は間違っている”“桜が嫌いなら日本から出て行け”……様々な罵倒をぶつけられました。
だから私は、桜が嫌いだと言わないようにしました。
言えば罵られるのですから。
私はタンポポが好きです」
女性の薄い唇から紡がれた言葉の一つ一つが、小さな綿帽子のような白い光の粒となる。
レオ丸の目には其れが、掃除の行き届かぬ部屋に舞う綿埃のようにも見えた。
フワリフワリと宙を漂う無数の光の粒は、刻一刻と増えて行く。
やがて、世界を彩る赤い色も青い色も、他のありとあらゆる色さえも全て白く塗り潰してしまった。
白色ではなく、空虚で空白な世界の中で女性の横顔を眺めている事に、暫く気づかなかったレオ丸は、己の足下すら何もない事に気づく。
そして。
二人は虚無に飲み込まれた。
clink clink clink clink clink clink clink………………。
作務衣姿にショルダーバッグを斜め掛けしたレオ丸は、自分達以外に人影が皆無の街角に立っていた。
眉間に皺を寄せ、眉尻を下げたレオ丸の隣に居る女性は口元以外に、表情はない。
肩を並べ、揃って見詰める先には何処にでもあるようで何処にもないような、何の変哲もないオフィス群が広がっていた。
どちらともなく最初の一歩を踏み出し、急ぐでもないスピードで歩き出すレオ丸と女性。
「普通、こんなトコをこんな風に歩いとったら、前の人の靴を踏むか、擦違う人の手ェやら鞄やらにバンバン当たるんやけどなー」
「夜中を過ぎて二時頃になれば、今みたいに歩けますよ」
「そんな時間帯、ワシは寝てるわ……オッサンの夜は日付変更線までやさかいに」
「ああ、貴方は昼間のお仕事ですものね……」
徐々に、女性の歩くスピードが心持ち落ち始めた。
「地元の中学校から公立の高校へ進学して、自宅から通学するのが難しい距離の短大に行って、卒業したらフリーターになりました。
バイトに行くのは夕方で、帰宅するのは深夜と早朝の間でしたから、通勤はいつも自転車を使っていました。
出勤時は兎も角、帰宅する時はいつもこんな風景の中を通ってましたよ、毎日毎日。
違いがあるとすれば、明るいか暗いかだけですね。
勿論、此方の方が暗いですよ」
「……どーゆーこっちゃ?
今みたいな……例え御日さんが出てへんでも空が真っ白で、全面的に蛍光灯っぽくても昼日中の方が明るいやろうが?」
「明るさは主観によるもので、客観的評価ではありません。
私の中では夜中の世界はとても明るい世界でしたよ」
「せやけど、女一人で行動するには危険やろうに」
「明るい世界だと、危険は見つけ易いんですよ。
昏い世界だと、何処に危険が潜んで居るのか判りませんからね」
何処か遠くの方に眼差しを送りながら、ひっそりと微笑む女性から視線を逸らすレオ丸。
「同じ世界を見とっても、自分とワシとでは違うモンを感じとっとるんやな。
……まぁ当たり前か」
レオ丸が立ち止まっても、女性はトボトボと歩き続ける。
徒労感が漂う歩みではあるが、途方に暮れた姿ではない其の後姿。
「ワシはワシで、自分は自分。
生まれも育ちも何もかもが違うんやもん、黒いカラスが白く見えたりする事もあるやろうさ」
再び歩き出したレオ丸の前方の風景が霞み、見えない渦を描き出す。
そして、先に消えた女性に僅かに遅れて、レオ丸の全身も白い闇に飲み込まれてしまった。
clink clink clink clink clink clink clink………………。
作務衣姿にショルダーバッグを斜め掛けしたレオ丸は、自分達以外に人影が皆無の場所に立っていた。
其処は人影のみならず建物すらない場所。
あるのは只、無造作に積み上げられたモニターだけだった。
液晶タイプの薄型は、A4サイズの物から一人で持ち上げるには難渋しそうな大型の物まで。
今はもう見かける事がほとんどないブラウン管タイプを見止めたレオ丸は、奇異さよりも懐かしさを感じ、思わず笑み零れた。
積み上げられたモニターの山は、低いものはレオ丸の腰くらいまでだが、高いものは二階建ての住宅と同程度のものまで。
モニターが置かれていないのは、二人が居る二十畳ほどの空間のみである。
三百六十度、見渡す限りの全てがモニターに囲まれている状況に、レオ丸は既視感を覚えた。
何かのアニメか映画で観たような風景に首を捻るレオ丸を余所にして、腰を下ろした女性はモニターの一つに手を伸ばす
何処からか鈍い音がした。
其の音は、使い込んだ機械が通電する時に発する音とそっくりである。
続けて、所謂“砂嵐”の音が二人の耳に木霊した。
耳障りな雑音は足下から、頭上から、目の前から、遥か彼方から、直ぐ傍から、次々と発せられる。
其れでいて耳を覆いたくなるほどの雑音でもない事に、レオ丸は呻吟を止めて腕を組む。
不意に目の前のモニターが光を点した事に女性は、びくりと身を竦ませ軽く仰け反った。
光は赤色青色緑色と目まぐるしく変転した後、二人には御馴染みの画像を映し出す。
『 ELDER TALES 』
レオ丸と女性が毎日毎晩のように目にしていた、翼を広げたコウモリのようにも見えるタイトルロゴが、其のモニターを彩っていた。
いつしか耳障りな雑音は消え去り、何とも安っぽい電子音が奏でられている。
軽快に流れ出したBGMは、レオ丸が約二十年前に聞いたものと全く同じであった。
「どうしましょうか?」
女性の指さす先では、九文字のアルファベットが明滅している。
『 GAME START 』
「……押すしかないやろうな」
「押しても良いんでしょうか」
「ほな、ワシが換わりに押そか?」
「いえ……私が押します」
恐る恐るといった風に、女性の指がモニターに触れた。
其の途端。
二人の周囲にあるありとあらゆるモニターが一斉に点るや、『 ELDER TALES 』の文字を消し、オープニング映像を流し始める。
場にはそぐわない明るく賑やかなBGMは、当然ながらどれも同じでありながら少し違っていた。
『エルダー・テイル』はアップデートを幾度も繰り返す中で、音源や映像の刷新が何度か行われヴィジュアルを重視するようになって行く。
粗い画素数のブラウン管タイプのモニターが最新の物を映し出せば、ドット数の少ない初期の映像を有機ELの大画面が流していた。
古い物が新しい物を、新しい物が古い物を。
違和感よりも居心地の悪さを感じてしまう、ちぐはぐな映像に取り囲まれ困惑する二人の足下が、不意に鮮やかな光を放ち出した。
モニターの山の一つに飛び乗ったレオ丸は、床一面がモニターであった事に今更ながらに気づく。
立ちはだかる巨大なモンスターに、怯む事なくシールドを立てて咆える、<守護戦士>。
太刀を抜き放ち、牙を剥くモンスターに恐れる事なく斬りかかる、<武士>。
拳骨と蹴り、鍛え上げた肉体のみを武器としてモンスターと対峙する、<武闘家>。
ヒラリヒラリと宙を駆けながら、クロスボウで続けざまにモンスターを撃ち抜く、暗殺者。
両手に構えた鋭利な剣で、モンスターを華麗に切り裂く、<盗剣士>。
携えた楽器が生み出す無数の音符で、モンスターや仲間達に多彩な効果をもたらす、<吟遊詩人>。
時には仲間の傷を癒し、時には自ら武器を持ってモンスターと戦う、<施療神官>。
自然を味方にし、精霊の力を借りながら使う類稀な魔法で、仲間を助けモンスターを挫く、<森呪遣い>。
モンスターの猛威から仲間を救うべく呪文を唱え、美しい援護の方陣を展開する、<神祇官>。
燃え盛る火炎弾や、凍てつく氷結の光線でモンスターにダメージを与える、<妖術師>。
幾多のモンスターを虚空から呼び出し、仲間として共に戦う、<召喚術師>。
戦場の真っ只中で、己よりも仲間の攻撃と防御を魔法で以って全力で支援する、<付与術師>。
ぎこちない動きの簡略な映像で、美しく洗練されたグラフィックで、幾種類もの『エルダー・テイル』のオープニングがモニターと、床一面に映し出された。
懐かしくもあり、見慣れたモノでもある其れらに、二人は目を奪われる。
BGMが鳴り止みモニターは再び無音となるも、オープニングが終っても映像は続いていた。
あるモニターは、何処かの暗い森の中を警戒しながら進むパーティを映している。
別のモニターは、鷲獅子に跨り空を舞う冒険者を映していた。
プレイヤータウンと思しき街で買い物に興ずる何気ない日常を、陽の照りつける砂漠の廃墟で休憩する時間を、荒れ狂う嵐の海で波に揉まれる姿を、緑に侵食された街を舞台に戦う姿を、モニターの山は映す。
床一面には、二人の知っている戦闘シーンと知らない戦闘シーンが、映し出されていた。
『コボルト王の憂鬱』『神託の天塔』『ヘイロースの九大監獄』『死霊が原』『善きものの迷宮』『美姫の紅玉酒』『朽ちた勲』『ゴブリン王の戴冠』、『スザクモンの鬼祭り』などなど。
『エルダー・テイル』がシステム更新する毎に追加されたレイドコンテンツの、華々しい戦闘シーンが床一面で繰り広げられていた。
数え上げるのも難しい人数の冒険者達と、一々数えるのが不可能なほどのモンスター達が火花を散らし、HPメーターを削り合っている。
武を競い、智を巡らせ、レイド制覇という勝利を目指す、レオ丸の知らない冒険者達。
だが、レオ丸の良く知る冒険者達の顔が、其の端々に現れ出る。
レオ丸は、伊達に古兵と呼ばれてはおらず、無駄に古兵だとは言われていない。
其の証拠が、フレンド・リストである。
プレイヤーとして長年ゲームに親しみ、時には耽溺したりもしたレオ丸のフレンド・リストには、膨大な冒険者の名前が記録されていた。
地下深き大神殿で、鬱蒼とした密林の奥で、砂塵吹き荒れる荒野で、雲すら見下ろす塔の最上階で、溶岩がうねる火山の外輪で、揺れ動く氷山の上で、ぬかるんだ泥濘の中で。
知遇の輪に名を連ねる者達が刀を振るい、魔法杖を頭上に翳し、楯と鎧を頼みとして、戦う姿が映し出されていた。
カナミが、カズ彦が、ナカルナードが、ゼルデュスが、エンクルマが、ヘルメスが、ユーリアスが、バイカルが、エルヴィンが、葉月が、赤羽が、カズミが、リエが、タケヒコが、朝霧が、早苗が、桜童子が、ヤエが、ユウタが……。
その他多くの友人達が、モニターの中でレオ丸と共に戦っている。
最前線で拳に物を言わせて敵を殴り倒す者。
銘付きの槍を振り回して、敵を薙ぎ払う者。
一撃必殺の魔法を放ち、敵を打ち倒す者。
防御魔法を駆使し、敵の攻撃を防ぎ切る者。
支援魔法で、仲間の行動をベターからベストに引き上げる者。
レオ丸の家族も負けてはいない。
眼光で敵の行動を阻害しては、鋼鉄の矢で蜂の巣にする<蛇目鬼女>。
<誘歌妖鳥>は、空中から一撃離脱を繰り返す。
鋼よりも強靭な糸を吐き出しては、敵を絡め取る<煉獄の毒蜘蛛>。
<金瞳黒猫>が、レオ丸のMPが枯渇せぬように目を光らせる。
暴風の如き轟く咆哮で敵を圧倒しては、片っ端から駆逐する<獅子女>。
<吸血鬼妃>は自在に姿を変えて敵を惑わし、音もなく背後から痛打を与える。
戦場を縦横に駆け、馬上から無慈悲の白刃を振り下ろす<首無し騎士>。
<海魔竜魚>は、巨体から繰り出す破壊力抜群の攻撃で、敵を木っ端微塵にする。
六本の剣が巻き起こす斬撃で立ちはだかる敵を全て切り刻む、<暗黒天女>。
<喰人魔女>は、魔法攻撃をしつつ両手の鋭い爪で次々と敵を屠り続ける。
戦場に展開する味方全員に恩恵をもたらす光を放つ、<麒麟>。
雑魚モンスターは為す術もなく光の粒へとなり、ボスモンスターは断末魔の絶叫を上げて金貨とアイテムの山へと身を没する。
レオ丸と仲間達が勝利の凱歌を挙げれば、<家事幽霊>の用意した料理で宴会だった。
モニターの中ではアルコール度数の判らぬ酒で祝杯を上げ、モニターの外では咥えタバコを気にしながら、マグカップのコーヒーで乾杯をする。
其れがレオ丸の常の、勝利の儀式であった。
まるで走馬灯のように間断なく、レオ丸の記憶する冒険の記録が其処に映し出され、静かにフェードアウトする。
満面の笑みで流れ行く映像を眺めていたレオ丸の、<淨玻璃眼鏡>の端から一筋の雫が頬を伝い、ひっそりと落ちた。
「ああ、楽しかったな……ホンマに」
続いて映し出されたのは、レオ丸も参加した経験のある幾つものレイド戦であった。
視界の定まらぬ暴風雪の中で行われるコンテンツ、『キソ冬の陣』。
ヒトデのお化けのような姿をした“雪の女王”と、霜の巨人の軍団を相手にしての激戦の最中、冒険者達を背後から指揮し支援魔法で鼓舞する女性。
月のない夜に閉ざされた漆黒の森の中を舞台としたコンテンツ、『夜鴉は哭く』。
闇の狭間から、隙を突いて襲い来るモンスター達相手に苦戦する冒険者達の目となり、的確な指示を出して反撃の機会を狙う女性。
そして。
<付与術師>の価値を飛躍的に高めたコンテンツ、『人造天使計画』。
刻一刻と性能が変化する敵モンスターの存在は、其れまでのレイドコンテンツよりも数段厳密で、数倍過酷であった。
冒険者達のHPは幾らあっても足りず、繰り出す技に無駄が一つでもあれば攻略など絶対出来ぬ、無理ゲー・モードのコンテンツ。
運営側が遂に禁じ手を出したのかと多くのプレイヤーが思った難易度最強レベルの其のレイドを完全攻略したのは、僅か十名の冒険者達。
十二種類の職能の中で、最も人数が少ない<付与術師>職のトップランカーである彼らの尽力がなければ、コンテンツは永遠に攻略出来ぬ存在であったであろう。
だが彼ら十名は、芸術的な手腕で最大規模討伐隊の他八十六名を手足のように操り、緻密な計算で以って不可能を可能としたのである。
「ああ、シロエ様……」
床に身を投げ出し、大写しされている一人の冒険者に縋りつくように、両手を広げる女性。
淫靡な吐息を吐きながら身悶えする其の姿は、レオ丸には退廃的で陰惨なものに見えた。
男を雄に変えるべく、濫りに劣情感を煽り立てる様態であり、人の後ろ暗い処に爪を立てる行為でもある。
腹筋に力を込め、理性を総動員して僅かに目を背けたレオ丸の鼓膜に、トロリとした女性の濡れた声が滑り込んだ。
「二年前のあの日、シロエ様は私に申されたのです……“敬意を持てる”と」
画面には、インテリ風の眼鏡をかけたハーフアルヴの冒険者が、隣に居る狐尾族の冒険者に何事か話しかけるシーンが映されている。
「“ソロでやっているのに、良い腕をしている”とも」
話しかけられた狐尾族の冒険者は口篭り、恐縮した様子で肩を窄めて俯いていた。
「誰にも受け入れてもらえなかった、幼少期。
私の居場所は、誰も居ない場所にしかありませんでした。
誰も居ない場所って、探さないと見つからないって御存知ですか?
人口減少って言われてますけど、其れは恐らく田舎の話で、都会は今でも人で溢れています。
だから何処に行っても人だらけで……でも子供の行動範囲なんて知れていますから、ちっとも見つからなくて。
私は毎日、人が居ない場所を探して彷徨っていました。
探して探して探して探して探して探したのに全然見つからなくて……気づいたら思春期を迎えていました。
人間はいつまでも子供じゃいられませんよね?
そこで私は、考え方を変えてみました。
人が居ない場所が見つからないなら、誰かに私の居場所を作ってもらおう、と」
ユラリと上半身を起こした女性は、白目と黒目が反転したような媚びた瞳でレオ丸を見詰める。
「人類の半分強は男性……男性って素晴らしいですよね。
女子中学生ってだけで、女子高生ってだけで、私に居場所を提供してくれるんですから。
男性って……馬鹿ですよね。
女子中学生ってだけで、女子高生ってだけで、私に居場所を提供してくれるんですから。
制服を着ているだけで、私みたいな女に居場所を提供してくれるんですから、ねぇ?
御蔭で、思春期の私は居場所を探さなくてもよくなりました。
夕暮れの、夜更けの、繁華街で立っているだけで、馬鹿な男達が愚かな私に居場所を提供してくれましたから。
……男達は、どうして私に居場所を提供してくれたんでしょうか?
其れは、私が女子中学生で、女子高生だったからです。
しかも……居場所だけではなくお金も提供してくれました。
高校を卒業した後、私は提供してもらったお金で自活を始めました。
まぁ其れ以前から、自活していたんですけどね、半ばは。
学生時代に、昼の仕事よりも夜の仕事の方が稼げるのを知りましたから、私は昼夜逆転の生活をしていました。
……『エルダー・テイル』に出会うまでは」
しどけない姿で座る女性の下では、インテリ風の眼鏡をかけたハーフアルヴの冒険者が、隣に居る狐尾族の冒険者に何事か話しかけるシーンが、何度も何度もリピートしていた。
「『エルダー・テイル』に出会った切欠は、夜の街で出遭ったゲームオタクでした。
ガリガリの私の五倍はありそうな太ったオタクが嬉しそうに、本当に嬉しそうに語ったんですよ、“コレで、人生が変わる”と。
……人生なんて、そう易々と変わるものじゃないでしょう?
貧乏な家に生まれてしまったら生涯、困窮したまま終えるのが人生でしょう?
愛情を受けずに育ったら一生涯、愛情が何かを知らずに過すものでしょうが?
奇跡とやらが起きない限り、人は生まれつき神様か他の何かに与えられたレールの上を、漫然と走り続けるものでしょう?
もしも、レールを逸脱したら……脱線事故を起こして人生が其処で終るだけでしょう?
脱線事故が自損なのか、誰かを巻き込む事件になるのかは、其の時の状況次第でしかない。
脱線しなくても、終点に辿り着いた時にブレーキをかけられなければ、やはり大事故になるのが人生でしょう?
結果良ければ全て良し、って言うじゃないですか?
大方の人生は主観でトントンなのだと思います、可もなく不可もなく何事もなくで。
だのに、体臭だけでなく吐く息も臭いゲームオタクは、ニヤニヤしながら夢見心地で私に言ったのです。
“人生を変えるのは自分自身の努力だけ、神様に祈るくらいならゼロとイチの羅列を制覇しろ”って。
……何を言ってるんだろう、馬鹿じゃなかろうかと思いましたよ。
神様に祈ったって何が変わるって言うんです?
あんまりしつこく薦めるので、まぁ一回くらいはやってみても良いかと思って始めたんですけどね。
ソフトもPCもゲームオタクがプレゼントしてくれたんで、初期投資がタダだったという理由もありますけどね。
始めた当初は、在り来たりなゲームだなって思いました。
<守護戦士>に<武士>に<武闘家>に<妖術師>は、全然でしたね。
私、人に攻撃される事はあっても攻撃などした事ないですし、誰かに守られた事も守った事も、ありませんから。
暗殺者と<盗剣士>は少しだけ惹かれるものがありました、……ですが少し悪目立ちし過ぎですよね、あのクラスは。
<吟遊詩人>はチャラチャラしてますし、自己陶酔の極みで正直言ってダサいですよね。
<施療神官>や<森呪遣い>や<神祇官>は反吐が出ます、何が“癒し”ですか、馬鹿馬鹿しい。
ああ、そうそう。
<召喚術師>は論外です。
自分を安全圏に置きながら使役モンスターを酷使するだなんて、チンピラを顎で使う卑劣な兄貴分そのものなんですもの……そう思いませんか?」
レオ丸を見詰める女性の瞳が、侮蔑の色に染まる。
「其の点、<付与術師>は違いますよね。
パーティ編成をする際に、居ても居なくてもどちらでも良い存在でありながら、ゲームを進める上では必要とされるクラス。
<付与術師>が居なければ、レイドコンテンツを完全攻略するのは不可能ですからね。
ゲームオタクが言っていたように努力すれば……レベルを上げ技術を高めれば、私の方から求めなくても私の居場所が出来るんですよ。
其れに、もし失敗したとしてもリセットすれば良いだけですから、ね。
安易な気持ちで何とかなるだろうと、所詮はゲームなのだし、そう思ってたんですが。
やり直してみたら、気づかされてしまいました、……『エルダー・テイル』の奥深さっていうのに。
現実で努力しても、其れが正しい努力だと思ってしていても、必ず報われるだなんてあり得ないでしょう?
でも、ゲームだとあり得るんですよね。
正しい努力をする方法が、本屋に行けば攻略本として大っぴらに売られていますし、ネットで検索すれば最短距離で目標へと到達する手段が氾濫していますし。
素人大歓迎を謳うギルドに加盟しては利用させて貰い、利用価値がなくなれば脱退して、其れを幾つか繰り返しました。
後腐れのない海外のギルドで、ですけどね。
全く、自動翻訳機能様様ですよね。
レベルが五十を超えたくらいから拠点を海外から日本に、一先ずはアキバに移しました。
……でも、馴染めなくて。
直ぐにススキノへ引っ越しました……半年後にはナカスへと移動しましたけどね。
何処へ行っても、やっぱり居心地が悪くて。
そんな時です……シロエ様が、私を認めて下さったのです」
女性は再び床に身を沈め、画面に映された男性冒険者の顔を愛おしそうに撫で摩る。
「私、結構頑張ったんですよ海外でも国内でも。
“それくらい出来ないのか?”と言われるのが、怖かったからです。
そんな風に言われたら、私はまた、居場所をなくしてしまいますもの。
だから頑張って頑張って、そうならないように頑張りました。
でも何処へ行っても“それくらい出来て当たり前だろう”としか言われませんでした。
“スゴイですね”と言われた事はありますよ、……ですが“素晴らしい”と言われた事は一度もありませんでした。
思い返せば、私の人生の中で他人に褒められた事ってなかったように思います。
“えらいねぇ”“賢いねぇ”“上手だねぇ”“よく頑張ったねぇ”……そんな言葉、かけてもらった記憶はありません。
“何で出来ない?”“努力が足りない!”“もっと頑張れ”なら、幾らでも言われましたけどね。
貴方はどうです?
私みたいな経験はないでしょう?
頑張っているのに“頑張っていない”と言われ続ける人生など、想像もつかないでしょう?
私は、頑張っている。
誰も認めてくれなかったけど、私は私の頑張りを知っていますから、私は私を褒め続けました。
レベルが七十を超えたくらいから、だったでしょうか……段々と私を賞賛する人がチラホラと現れました。
まぁ当然ですよね。
国内で十万人近く居る『エルダー・テイル』ユーザーの中で、<付与術師>で高レベルのプレイヤーなど百人かそこらしか、居ないのですから。
とは言っても、何を今更って思いましたけどね。
私よりランキング上位者が居るのですから、私よりも其方を賞賛すべきでしょう、って思いましたし。
レベルの低い者に賞賛されても、嬉しくありませんでした。
私がどれだけ頑張っているのかを、理解してくれているとは思いませんでしたし。
処で……」
女性は俯きながら、背後へと問いかけた。
「<大災害>が起きた後、貴方は絶望しましたか?」
一旦、天を仰いでから、レオ丸は正面へと答える。
「そりゃあ、まぁ」
すると、ほっそりとした肩を小刻みに震わし、女性は心底楽しそうに笑い出した。
「くふふふふふふ……絶望しましたか、そうですか貴方も絶望したんですか」
女性の笑声は、いつしか嬌声へと変ずる。
「馬鹿ですねぇ、ホントに馬鹿ですねぇ。
どうして絶望などするんですか?
日々の生活の中で、ちっちゃな希望などを抱いているから簡単に絶望してしまうんですよ。
希望など抱かずに生活していれば、絶望する事などなかったのに。
私は皆が絶望している間に、行動しました。
絶望している馬鹿なプレイヤーを集めて、<Plant hwyaden>を作り上げました。
日本の現実では居場所を作る事は出来ませんでしたが、弧状列島ヤマトの現実では<Plant hwyaden>という居場所を、いとも簡単に作り上げる事が出来ました。
どうしてでしょう?
其れは……絶望している馬鹿が幾らでも其の辺にいたからです。
もし<大災害>発生時にアキバに居たら……アキバに居れたのなら、こんな手間な事はせずとも良かったのですけどね。
直ぐさまにシロエ様を探し出して、お傍に侍る事が出来たのに。
相変わらず私は運がない。
千載一遇のチャンスを逃してしまったようなものですからね。
でも諦めませんでしたよ、私。
自分の身を……自分の居場所を作る為に、私は<Plant hwyaden>を結成しました。
シロエ様をお迎えする為に、私は<Plant hwyaden>を結成しました。
……私の事を馬鹿だと、愚かで哀れな女だと思いますか?
もし、そう思われたとしたら……そう思った貴方こそ馬鹿で愚かで哀れですよ。
私みたいな出来損ないに利用され、顎で使われる立場となっているのですからね、貴方は」
徐々に持ち上がった女性の細い首がグルリと半回転するのを見て、寒気に襲われたレオ丸の表情が瞬時に凍りつく。
「私を惨めだと思っていたでしょう、貴方は?
馬鹿ですねぇ、ホントに。
御自分の方がマシだと、高を括っていたのでしょう、貴方は?
愚かですねぇ、ホントに。
そうやっていつもいつも人を見下しているから、簡単に足下を掬われたりするんですよ。
貴方も他の人と一緒、浅はかな考えで侮り、些細な事で絶望する、ホントに間抜けな人。
だから私は、貴方を<Plant hwyaden>に誘わなかったんですよ。
貴方は自分の意志で<Plant hwyaden>に入らなかったんじゃない、私が貴方を<Plant hwyaden>に入れなかったんですよ。
だって貴方はケチでチンケな、しがない<召喚術師>でしかないでしょう?」
女性は、闇よりも昏い真っ黒な目を大きく見開いた。
「貴方は……シロエ様じゃ、ないんですもの」
ナカルナード氏、ゼルデュス氏、ジェレド=ガン氏の三名は、然程悩まずにスラスラと描写出来ましたし、勝手に喋ってくれたのですが。
彼女は実に手強い。中々口を開いてくれませんでした。
いやはや、お待たせ致しました(平身低頭)。