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第漆歩・大災害+129Days 其の壱

 今回は、時系列が幾度も前後しますので、読み難いかもしれませぬ。

 後、御読み戴く前に画像検索で「ヘネラル・カレーラ」をお調べ戴きますれば、より宜しいかと存じます。

 誤字を訂正致しました。(2017.12.30)

「……私には……シロエ様が必要なの……」


 か細い声でそう懇請する女性に対し、怜悧な顔をした女性はこめかみに青筋を薄っすらと浮かべた。


「皆と相談の上で御返答申し上げます」


 切々と己の要求を訴えかける女性に対し、無責任を顔に貼りつけた男性は顎を摩りながら答える。


「善処しまっさ」


 <Plant hwyaden>のギルマスが眠りに就くのを見届けずに部屋を退出した二人は、廊下に出るや否や揃って肩を竦めた。


「どーしたもんやろねー」

「どうしたもこうしたもないでしょう」

「どーしたらエエと思う?」

「どうしようもありませんね、私には」

「ありゃま、連れない事で」

「私は此れからアキバに戻りますので、後は宜しくお願い致します。

 いつものように、宜しいようになされば宜しいかと。

 護衛の二人は置いて行きますから、身辺から離さないようにして下さいね」

「おおきに……まぁワシは<Plant hwyaden>の人間と違うし、ワシに出来る事は善処出来そうなヤツに押しつけて頬っ被りする事くらいやねー」

「餅は餅屋、ですか?」

「ワシみたいな余所者なんか放っといて、最初から餅屋に発注しといてくれりゃあエエのに」

「ソレが出来ないから、私達が態々呼ばれたのでしょう?」

「例え相手がやっかいな性格しとるとはゆーても彼女からすりゃアイツは部下やねんから、命令すりゃエエだけやのに。

 上申(ボトムアップ)がし辛い組織は機構的に欠陥ありやが、上意下達(トップダウン)が出来ひん組織も機能的に欠陥なんと違うかなー」

「だからこそ、上位互換的対応(エスカレーション)を望んだじゃないですか?

 まぁか弱い女性の頼みなんですし、叶えて差し上げたら如何ですか?」

「はっはー、そないに怖い顔で恐ろしい声を出されたら、粗相をしてしまいそーになるなー」


 和気藹々と漫才に興じる男女は、其のまま廊下の奥へと歩いて行き、丁字の行き当たりでハイタッチをして別れた。

 女性は己が果たすべき役割のある東の方へと、旅立って行く。

 男性は己の遣りたくない事を本来あるべき処へ押しつけるべく、直ぐ傍の部屋へノックもせずに入室する。

 そして。

 男性は実に嬉しくない形で、“求めよ然れば与えられん”を体感させられたのであった。

 求めたのは、積極的に係わりたくない面倒事を引き受けて貰う事。

 其の対価として与えられたのは、迷惑この上ない肩書きと無限に連なる書類の山だったのだから。



「そんで、どーなってん?」

「私が賛成を表明した事で、インティクスは消極的黙認と相成りました」

「黙認の代価になんぼ払ったん?」

「私が実行している権限の一部ですが」

「なるへそ」

「予算案策定を手放したのは痛いですが、まぁ仕方ありません」

「と、ゆーても予算案策定に関わる人員は全て自分の息がかかったモンばかりやろーし、会計監査権も予算案実行に関わる諸々も手放してへんのやろ?

 何が痛いやら、ワシにゃさっぱり判らんなー」

「いえいえ、蜂の一刺しをいつされるのかと、ヒヤヒヤものですよ」

「其の代わり、相手のお嬢ちゃんは濡羽嬢ってな後ろ盾を一時的にしろ喪失する事になるんやし、そっちの方がよっぽど重症やと思うけどなー」

「其れは向こうの都合で、こっちの都合じゃありませんから」

「向こうの不都合は、こっちの好都合やろーに」

「さてそんな訳ですから、善は急げと古人が申されたように、本日よりギルマスの東方御幸の準備を始めます。

 私は其の調整に忙殺されますので、引き続き代行職をお願い致します」

「ああ、エエよ……其の代わり、ボチボチお役御免にしてくれへんか?」

「……いいでしょう」



 公式設定におけるミナミの街のギルド会館は、地上十階地下三階である。

 一階には、全ての冒険者が利用出来る、“銀行”と呼ばれる受付があった。

 冒険の戦利品である金貨やアイテムを預けたところで、金利が付加される事はないものの二十四時間いつでも預けられ、いつでも引き出す事が出来る便利な施設であった。

 何故ならば、預けている限り絶対に紛失も喪失も盗難にも遭わないのだから。

 フロアの九割を占める“銀行”は、ギルドに関する手続きを取り扱う部門も併設している。

 因みに残る一割は、冒険者達が歓談する為のホールとなっていた。

 二階から上と地下の三つの階層は全て、大小様々な個室に区分されている。

 最大面積の部屋は百人までならば収容出来るが、其のような部屋はそれほど多くはない。

 故に所属員が多いギルドは、部屋を複数借り受けねばならぬが、数に限りがある為に占有には限度があった。

 一ギルドにつき何室まで、といった厳密なルールはないものの、暗黙の取り決めとして五部屋以内に抑える事となっている。

 詰まり、千人を超えるギルドは全員を収容するだけのスペースをギルド会館内に確保するのが不可能な為、別途にギルド所有の施設が必要となるのだが、其れは致し方なき事であった。



「学士には随分と働いてもらいましたし、そろそろ三下り半を発行するのも仕方ありませんね」

「せやろ」

「此れ以上、必要以上に過剰に働いてもらっては、面倒な事になりそうですし」

「……そーなん?」

「ゲーム時代の交友関係、<大災害>以降の人間関係、どちらも侮れぬものがありますから」

「自分も其の一人やけどね」

「感謝の辞を述べるべきでしょうか? 其れとも苦情を訴えるべきでしょうか?」

「どっちでもエエし、両方でも構へんで」

「では両方を」



 飛行系の騎乗用モンスターに跨り山岳都市イコマを夜明け前に出立した一行は、一時間と経たぬ内にミナミの街へと到る。

 ミナミの街の最寄りの入り口は、<東の青大門>だ。

 山の端から白々と照らす朝日を背に受けながら高さ数メートルの大門を潜る者は、一行以外には存在しない。

 ゲーマーとは本来、夜明けと共に行動するといった規則正しい生活が苦手な者達が多く、其の習性は冒険者となった現在であったとて抜けきれぬのやもしれないが、其れにしても街中の人影はかなり少なかった。

 冒険者相手の商売を主とする大地人達が、ちらほらと見受けられるぐらい。

 絵に描いたような閑散とした風景であるのには、実は訳があった。

 ミナミの街をホームとする<Plant hwyaden>メンバーの半分以上が、ホームを留守にしているからである。

 留守にしている最大の理由は、メンバーの十分の一近くが参加しているナカス遠征であった。

 ナカルナードに率いられた遠征軍以外にも、ゼルデュスが認可した様々な事業に携わる者達や、カズ彦が指揮する広範囲の領域警備に従事する者達など。

 特にゼルデュスが承認した周辺の生態系探査に関しては、内政局環境調査研究所が大張り切りとなり、代表の号令一下、勇躍ミナミを飛び出して行った。

 但し、四十名弱の所属員達では手が足らないために、与えられた予算の増額分をを発注クエストの報奨金に回すなどで、無聊を託っていた冒険者達を搔き集めての探査事業である。

 そうして街からは、時間を持て余した冒険者は一掃されたのだった。

 また、街中に居なければ出来ない事をする者は、屋内に篭って昼夜逆転した生活をしていたりもする。

 結果として今、ミナミの街の屋外における人口密度は極端に低下しているのだ。

 更に日の出直後の時間帯である。

 目覚めて直ぐの街中を闊歩する冒険者は、ほぼ皆無であるのも致し方ないと言えた。

 誰かに見咎められる事もなく、まぁ其のために態々早立ちをしたのであったが、ギルド会館の入り口に到着した一行は、其処で待ち受けていた“案内人”の後ろで一列となり、受付の裏側へと進んだ。

 受付業務を行う大地人、所謂<供贄(くにえ)>の者達しか利用しない通路は照明も乏しく、何処まで行けば奥に突き当たるのか不安すら覚えるほどに長々としている。

 しかし不安が何がしかの形となる前に、行き止まりが現れた。

 一行の行く手を塞ぐ飾り気のない扉を潜れば、其処にあるのは地下へと下るタイル張りの階段。

 夜光塗料で塗装されているかのように薄暗く光る階段は、人が擦違うのが難しいくらい幅が狭い。

 其れが十五段毎に折れ曲がっていた。

 複数人の足音が木霊する中を一つ二つと踊り場を指折り数え、九つ目を通過して更に十五段降りて平面に到る。

 どう考えても地下三階以上の深さにまで潜った先を塞いでいたのは、灰色の石壁に埋め込まれたモノリスの如き黒い石板の扉。

 軋み一つ立てず石板の扉を観音開きにした案内役は、文楽人形よりも感情の乏しい顔に形だけの笑みを浮かべ、一行を扉の向こう側へと誘う。

 設定上、ギルド会館にある筈のない地下“五階”へと。



「味方やけど愛してねー、ってか?」

「信用はしていますが信頼はしていません、が正解ですね」

「愛するよりも疑う方が容易いんが世の常人の常、やもんな。

 ソレはソレとして……ギルマス不在でホンマに大丈夫なんか?」

「十六世紀のポーランド・リトアニア共和国方式、です」

「ヤン・ザモイスキ大宰相閣下曰く、“Rex regnat et non gubernat”って事か」

「まぁ英国式、もしくは戦後の日本式、と言い換えても宜しいですが」

「“君臨すれども統治せず”……君臨してたら、後醍醐帝みたいに統治する間もなく崩壊してたかもしれへんけどね」

「丸投げも別に悪事ではない筈ですよ。

 大山巌元帥しかり、エリザベス一世しかり、劉邦しかり」

「自分は、児玉源太郎閣下でウォルシンガム卿で曹参でござい、ってか?

 そらまぁ、御山の大将は怠け者がエエんは古人曰くの絶対真理やもしれへんけどや、“有能”やないとアカンのやで。

 彼女はホンマに、有能なんか?」

「無能、だと言いたいので?」

「自分みたいに自ら“有能な働き者”ってな看板を体の前後にぶら下げたサンドイッチマンの目にゃ、どー映ってるんか知らんけど。

 無能な怠け者で日がな一日過ごしたい派のワシには、そないな風には見えへんのやけどな」



 扉の向こうにあったのは、無機質なホールのような部屋であった。

 四方の壁と天井は、まるで大理石の塊を刳り貫いたかのように繋ぎ目がなく、一体となった白色の石で出来ている。

 角らしいものがないつるりとした印象の室内における唯一の装飾は、床に敷かれている絨毯だけであった。

 数え切れぬ種類の綾糸で葡萄唐草模様が表現豊かに織り込まれた豪奢な其れは、ゴブラン織であろうか。

 されど“此の世界(セルデシア)”には、マルク・ド・コマン氏もフランソワ・ド・ラ・プランシュ氏も存在していない。

 であるならば、どれだけの手間をかけて織られたのか定かならぬ絨毯は、ゲーム的に如何にも其れらしい工芸品(アーティファクト)なのだろう。

 余りにも好対照な室内の様子に気を取られていた間に、扉は音もなく閉じられた。

 一行の最後に入ったのはレオ丸の、其の背後で。

 慌てて振り返ったレオ丸の目の前で、扉は一筋の線となり、壁に溶け込んで消えてしまった。

 手を伸ばし触れど、レオ丸の手には凹凸など全く感じられず、冷たく硬い石壁が其処にあるだけだ。

 部屋に居るのは、八人の冒険者のみ。

 案内役の姿が此処に存在しない事に、室内に取り残された者達に戦慄が走った。



「さて、其れはどうでしょうか?」

「叡智を結集して、皆が手を携えて、<大災害>から脱出して元の現実に戻ろう!

 うん、理念は素晴らしい。

 其のためにゃ、バラバラのギルドに所属しているよりも、命令系統が統一された一つのギルドに全員が加入するんが最も効率エエやろう。

 せやけどな……どーにも、胡散臭さを感じてしまうんよな。

 果たして、濡羽なる冒険者は信用出来るんやろーか?」



 数瞬の後。

 “ふう”と、誰かが吐息を洩らした。

 元の現実ならば難波の代名詞でもある百貨店、今の現実ではミナミの街の中核として聳えるギルド会館の、有り得ない階層の存在しない筈の部屋。

 其処に閉じ込められてしまった冒険者達は、其の些細な呼吸音で緊張感から脱する。

 ジタバタしても仕方ないと軽く達観したレオ丸は、入り口が消滅した壁へ背を預け、だらしなく足を伸ばしながら座り込む。

 其の無作法に、糊の効いた執事服を隙なく着こなした女性のエルフが嗜めようとしたが、仕える主が同じようにへたり込むように腰を下ろし、足を崩した事で口を真一文字に結ぶ。

 咎める者が居なくなった事で、他の者達も思い思いの姿勢で寛ぎだした。

 例え緊張状態にあらずとも油断さえしなければ、どうとでもなる。

 <大災害>発生以降、様々な経験を否が応でも積まされた彼ら冒険者達は、適度な息抜きの方法を自然と身につけていたのだった。



「信用ですか」

「お題目みたいな理念過ぎて、何か信用出来ひんのよな」

「理由を具体的にどうぞ」

「下がバラバラやのに統制しようとしてへんねんもん。

 結集させる努力もしたやろーけど、こんだけ組織がデカくなった今じゃ努力せんでもほとんどのモンが長いモノに巻かれよーとするやろ。

 折角、濡れ手で粟を握り締められる状態に持ち込めたのに……持ち込んだ途端に全て丸投げでほったらかしやん?

 元の現実に戻るための方針やら指針やらをキチンと示して、有能な怠け者である事を証明してくれたら納得出来んのやけど」

「ならば御自分の眼で確かめられては如何です?」

「……どーゆー事や?」

「契約を破棄するのではなく、“新たな契約”に更新しませんか?」

「ふん、ワシに何をさせたいんや、自分?」

「私の名代として、アキバまでの道案内役として、ギルマスの東方御幸に同行して下さい。

 無事に送り届けて下さったなら契約完了、というのは如何でしょうか?」

「其の新規契約とやらで、未だ効力を発しとる今の契約におけるワシの要求分は一体どんくらい保護されんねん?」

「全て保護させて戴きますよ」

「“反故”やのーて?」

「ええ“保護”です、何なら“保持”と言い変えましょうか?

 ……とは申しましても、学士の要求分の内で大半は有名無実となってしまってますが」

「気がついたら赤羽学士らも、自分らの一味になっとるんやもんなー」

「仕方ないと思いますよ、“神聖にして侵すべからざる場所”所謂“アジール”とやらを確保したとて、其処だけで人は生きていけませんからね。

 人の生存圏と生活圏は重複しても、同一ではありませんから」

「……契約を結んだ時点じゃ、<Plant hwyaden>が此処までデカいギルドになるとは思ってへんかったんよなぁ。

 昭和六十一年の衆参同日選で与党大勝、三百議席確保くらいにはなるかもしれへん、とは思ったりもしたけど。

 まさか戦時下の翼賛体制か、大陸の全人代みたいにまで発展するとはなぁ!

 野党やら抵抗勢力やらまで全部丸っと併呑するって、幾ら何でもちょいと卑怯(チート)過ぎひんか」

「ソレが、ミナミの街の趨勢であり、ギルマスの力量である……そう理解は出来ませんか?」

「……せやから、胡散臭いってゆーんよ。

 ほいでや、自分はどないな代替案でハチマンの既得権益を保証してくれるんや?」

「カズ彦の下に入ってもらいます。

 そしてオーディアを含む<ニオの水海>の警備を担当してもらいましょう」

「<壬生狼>の一員になるって事か?」

「いえ、下請けの外郭団体としてです。

 昨日、<黒色旋風猟兵団《シュヴァルツ・ヴィルヴェルヴィント・イェガー》>を<壬生狼>のメンバーにしたでしょう?

 此れ以上、<壬生狼>の一次戦力を増大させるのは……」

「カズ彦君の負担になるしな……ソレでエエやろう、ナゴヤ闘技場と同様の扱いって事で」

「……処で学士は“不確実性プールの原理”をご存知ですか?」

「確か、流通における卸売業の介在の根拠を論じた原理、とか何とか」

「もしかして学士は、人材を有機的に流通させる事で人材の墓場(デッドストック)を失くそうとされているのでは、と思いましてね」

「そないに大それた人物に見えるか、ワシが?」

「全然見えませんね……失礼しました」

「其の物言いの方が失礼やろーが」



 正確に時を刻み知らせる機械のない世界の、時の移ろいが判断し辛い閉鎖された空間で、幾ばくかの時を過す冒険者達。

 胡坐では落ち着いて座れぬ性質のレオ丸は、<彩雲の煙管>を咥えながら正座で寛いでいる。

 だが<淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>で視線を隠しつつ、一行の最上位者にして最重要人物である“彼女”をじっくりと観察していた。

 気の抜けた吐息で、室内に充満していた緊張感を一瞬にして解きほぐしてしまった、其の女性を。



「……契約内容に気を取られとって昨日聞き忘れてたんやけど、シロエ君とやらにエライ御執心の彼女さんは、どないな方法でアキバまで行くつもりなん?」

「ああ、そう言えば……私も聞いておりませんでした」

「徒歩で行くんか、騎獣で行くんか、空を飛ぶんか、海を渡るんか……何れにしても<Plant hwyaden>の看板ぶら提げたままやと、井伊の赤備えよりも目立ってしゃーないで?」

「偽装されるので問題ありません」

「あ、さよか」



 其の女性の名は、レオ丸の視界には“ダリエラ”と表示されていた。

 うねるように腰まで伸ばした長い黒髪、意志の強そうな紅い唇とは対照的な磨いた黒曜石のような瞳は憂いを帯びて伏し目がち。

 冠状の帽子を被り、両肩を覆うノーマンディーケープ付の黒いコート姿を見れば、清楚な淑女と形容したくなる出で立ちだ。

 美人である、とレオ丸も思う。

 発する声も美しい、とも。

 だからこそ、レオ丸は警戒警報を脳内でずっと発令し続けていた。

 ステータスを確認すれば<大地人>であると表示される彼女は、其の秀麗にして優美な肢体の全てが、嘘偽りで出来ているのだからだ。

 彼女の本当の名は、濡羽。

 見かけもステータス情報も全て、濡羽が<大災害>以降に取得した<口伝>によるスキルで作り上げた、虚構なのだ。

 本性は、<付与術師(エンチャンター)>クラスの冒険者で、レベルは91、サブ職は<娼姫>である。

 <大災害>直後の僅かな期間でミナミの街の根幹を掌握し、<Plant hwyaden>を巨大なギルドに仕立て上げてミナミの街を内外から支配した、女王陛下。

 其の手腕は、白雪姫の継母も裸足で逃げ出すほど。

 稀代の魔女である、とレオ丸は認識していた。

 内面は情緒不安定な年頃の女性かもしれないが、得体の知れぬ何かを、“魔性”のような何かを身に宿した、理解不能の存在だとも。

 一般的な表現で言う処の“魔性の女”ならば狂わせるのは僅かな人数でしかないし、性的な意味合いでしかない。

だが彼女の魔性は多くの人間を惑わせるのだ、宗教指導者のように。


「“事鬼道 能惑衆”」

「何か申されましたか?」


 傍で控えていた義士伝次郎が眼を細めて小声で訊ねるのに、レオ丸は軽く首を振り、五色の煙を吐き出す事で場を紛らわせた。


「うんにゃ、別に……単に『魏書東夷伝倭人条』が頭を掠めただけやさかい」

「可笑しな人でしゅら、法師は」


 同じく傍で跪く始祖之樹ムジカが、うふふと小さく笑う。


「せやね、可笑しいやね……ホンマに」

「何がしか気にかかる事でも?」

「強いてゆーたら徹頭徹尾、全部やな」


 レオ丸の声が更に一オクターブ低くなったのには、理由があった。

 ゼルデュスが問い合わせても、濡羽は“今は言えません”“当日になれば判ります”の二言しか述べず、移動手段について口を噤んだからだ。

 そして、今日。

 出立の直前に “ギルド会館へ”とだけ言うや、再び黙秘権を行使する。

 其れではと一行が勇んで出発し、到着すればステータス情報を隠蔽する何がしかの仕掛けを施した謎の“案内役”が、謎の部屋へと一行を誘い込み、姿を消したのだ。

 此れで可笑しいと思わないのは余程の鈍感か、濡羽へ全幅の信頼を寄せる盲目的な忠誠厚き者だけであろう。

 其のどちらでもないレオ丸は、<淨玻璃眼鏡(モーリオン・ゴーグル)>で目元を隠しているのを幸いに、これ見よがしに濡羽を直視し続けているのだった。


 Squeal! Squeal!


 突如、レオ丸の居る場所から最も遠い壁が甲高く軋み、外側へと観音開きに開く。


「皆様、お待たせ致し誠に相済まぬ事でございます」


 真っ暗な向こう側にて、傀儡めいた不自然な挙動で一礼する“案内役”。


「準備万端、整えさせて戴きました」


 するりと立ち上がるギルマスの動作に合わせて、ギルメン達が一斉に立ち上がる。

 レオ丸は、能面のように強張らせた顔の下半分に引き攣れた糸みたいな笑みを刻みつつ、一番最後に腰を上げた。


「では、此方へと御来駕願わしく」


 闇の中へ身を翻す“案内役”の後ろに続く、冒険者一行。

 瞬時にブラックアウトしたレオ丸達の視界だったが、次の瞬間には鮮やかな青と白のコントラストに占められる。

 視界の下方は僅かに泡立ち、白濁した水流が滔々と流れる川面。

 上方は、無数の曲線が層を為す断面で出来上がった、形容し難い有様の天井。

 其処には、パタゴニアとチリではヘネラル・カレーラと呼ばれアルゼンチンではブエノス・アイレスと称される南米三ヶ国に跨る湖の中に存在する、世にも稀な大理石洞窟にそっくりな光景が広がっていた。

 現地の言葉で“カピーヤ・デ・マルモル”と言う、氷河の侵食により誕生した乳白色と濃淡様々な青色で染められた洞窟を、そっくり模倣したかにしか見えぬ異世界の異界。

 思いがけぬ絶景に、あんぐりと口を開け言葉を失くして見入る事しか出来ぬ冒険者達。

 阿呆面を晒すレオ丸の口元から、<彩雲の煙管>がポトリと落ちた。

 不意に発せられた金属質の異音に、一行は夢から覚めたような表情となる。


「未踏禁足の<オーケアノス運河>へ、ようこそお出で下さいました」


 被っていたフードを払い、暗褐色の頭髪を撫でつけてから慇懃に腰を折る“案内人”。


「私は、霜亦(そうえき)と申します。

 供贄の一族の一人として、ミナミの街にて皆様の冒険の下支えをさせて戴いておる者です、宜しくお見知りおきを。

 ……処で、濡羽様がお越しであると聞いておりましたが、どちらに居られますので?」


 カクカクと首を動かす霜亦の前に、ダリエラが進み出た。


「お出迎え有難う」


 耳鳴りに似た朧げな音をさせて偽装を解いた濡羽が、嫣然と微笑む。


「御無沙汰でございます、濡羽様。

 麗しき御尊顔を拝し、誠に恐悦至極に存じます」


 深々と頭を垂れる霜亦に、濡羽の笑みが居心地悪そうに硬くなった。


「面を上げなさい」

「御言葉忝く」


 作り物めいた<大地人>と虚飾を纏った<冒険者>の実のない応酬を見せられ、うんざりとした気分に陥るレオ丸。


「霜亦殿、濡羽様を何処へと案内なされるのざぁます?」


 ギルマスの一歩前に歩み出た執事服の冒険者、ミルミルムーンが尖った声で訊ねれば、霜亦は其の場で背を伸ばし、無音で流れている幻想的な川の上流へ目線を送る。


「暫し御足労下さいますように」



 霜亦を先頭にした一行は小半時以上、足場の悪い河岸を歩き続けた。

 滑りやすい水際を、軽やかな足取りで進むユリユリ・ユートピアカツキー。

 ズボンを履いたミルミルムーンも、危なげなく進む。

 野外活動にはやや不向きなメイド服姿の魔法ノ麻姑娘々は、恐る恐るといった感じであった。

 其の二人の侍女役の間に居るのは、身長が二メートルに達する筋骨隆々の大男である。

 <中央執行委員会>官房付親衛従士長の任に就く、<武闘家(モンク)>のDD&TTだ。

 大柄なヒューマンと言うよりは、小柄な<野巨人(ワイルドジャイアント)>と評しても差支えなさそうな体型の割りには、理知的で端正な顔立ちをしている。

 緑色のボディースーツを着ているために、どことなく米国コミックの巨漢ヒーローのコスプレイヤーのようであったが。

 其の背中には、折りたたみ式ながらクッションの効いた椅子が備えつけられ、彼が守るべき対象が座っている。

 濡羽は、靴の爪先を濡らす代わりにブラブラとさせながら、物珍しそうに奇妙な風景を楽しんでいた。


「郊外の小高い丘に登ってみて下さい。

 眼下に町があって、川が流れて、道が伸びていて……。

 遠くに目をやれば、其処には山と森が見えます」

「いや確かに、川は流れとるけど……。

 圧迫感の塊みたいに重たそうな岩の天井と、道なき道と、山のように盛り上がった起伏、ワシには其れしか見えへんけど?」


 最前から時々立ち止まり、A3サイズの画帳にサラサラとペンを走らせていた<中央執行委員会>内政局で探査部部長を務める猫人族の青年に、レオ丸は戸惑いのチャチャをいれる。

 己で作った地図に指を這わせ、夢を見るような表情で柔らかく微笑む冒険者の名は、唐獅子牡丹MOCHIMOCHI。

 見える限りの情景を克明に描き止めている技量は、スキル頼みだけで為しえるものではない。

 スキルを、使いこなしていればこその作業であった。

 右手に握るは、全十二色ながら握り方の力加減を僅かに変えるだけで容易に塗り分けが出来る筆記アイテム、<桜COUP-P絵筆>。

 左手で抱えるは、描いたものに陰影をつければ立体画像を浮かび上がらせる事が出来る画帳アイテム、<箱庭の写真館>。


「其の風景を絵にして、其処に地名を記したものを、僕達は“地図”と呼ぶんですよ」

「……ブラボー」


 圧倒的な画力で世界を紙面に縮小再現する唐獅子牡丹MOCHIMOCHIの姿は、レオ丸の目には眩しく映った。

 実に正しい、<冒険者>のあるべき姿勢の一つとして。

 クラス十二種のメイン職を己の日常として何不自由なく過す者は、<大災害>発生直後から今日までの間で随分と増えた。

 百パーセントとまではいかなくとも、九割は超えているだろう。

 全てがゲームでしかなかった頃のアバター達を、現実の自分達と同一視する事で<冒険者>に成りきれなければ生きていけないのだから当然であり、必然である。

 だが、<サブ職>という主要元素まで自家薬籠中の物としているのは、全体の半数に達しているかどうかだろう、とレオ丸は考えていた。

 <サブ職>とは、概ねひと括りで説明されるが其の実態は二つのグループに別けられている。

 <生産系サブ職>と称されるグループと、<ロールプレイ系サブ職>と称されるグループとに。

 <鍛冶屋><裁縫師><細工師><調剤師><料理人><木工職人>などを代表とする、<生産系サブ職>は<大災害>発生に関わりなく、需要が常にあった。

 一方、<会計士><交易商人><吸血鬼><追跡者><ちんどん屋>などが属する<ロールプレイ系サブ職>は、<大災害>発生以前は単なるネタでしかない。

 『学問のすゝめ』にて述べられている“学問”を基として差別化された、“実学”と“虚学”のようなものと言えた。

 “実学”とは実生活に役立つ学問の事であり、腹の足しになる学問と言い換える事が出来る。

 “虚学”とは其の真逆となり、腹の足しにならない学問の事であった。

 福澤諭吉の言説によれば、学問とは世の役に立つ実践的なものを専らとすべきものである。

 唐獅子牡丹MOCHIMOCHIの<サブ職>である<地図屋>は、<生産系サブ職>の一つであり、“此の世界(セルデシア)”における“実学”だ。

 レオ丸の<サブ職>である<学者>は、<ロールプレイ系サブ職>の内にあり、“此の世界(セルデシア)”では“虚学”に分類された。

 せやけど、とレオ丸は考える。

 学問に虚実の差などあらへんのやないか、と。

 どれだけ実践的であろうと、ソレを自分だけの楽しみにしてしまっては何にもならない。

 ポケットの中で忘れ去られた、飴玉のように。

 学問とは己を高めるのと同時に世に発信する事で、初めて学問としての役割を持つものなのだ。

 決して飴玉であった何かになど、してはならぬとレオ丸は思っている。

 であればこそ、唐獅子牡丹MOCHIMOCHIの在り方は賞賛すべきものであった。

 彼だけではなく、“此の世界(セルデシア)”で出会った者達の多くがスキルに胡坐を掻く事なく、真剣に成り切っ(ロールプレイし)ている事をレオ丸は嬉しく思うのだ。

 例えソレが、現実逃避の手段であろうとも、先の判らぬ今を生きて行くため必要に迫られてであろうとも。

 レオ丸とて<学者>のスキルを随所で活かし、幾度も危機を回避してきたのだから。


「“為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり”」

「また独り言でしゅら?」


 レオ丸の呟きに、始祖之樹ムジカが反応する。


「“僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る”……やと、ちょいとド厚かましいかなぁ、ってな。

 別にワシは第一人者でも先達でもあらへんし、時々道なき道を不安だらけで暗中模索しとるだけやねんし」

「リーダーの命令は、“目を離さないで守る事をせよ”でしゅら。

 法師が“一人立ち”するまでちゃんと守るので、安心するでしゅら」

「おおきに、頼んまっさ」


 ふんすと鼻息荒く胸を張る、小柄な<武士(サムライ)>。

 一行の殿(しんがり)を務めていたもう一人の<武士>は、其の役目を放棄して唐獅子牡丹MOCHIMOCHIの描く地図に夢中となっている。

 頼もしき楽しき同行者の姿に自然と笑み零れたレオ丸は、呪文のように詩の最後を口遊んだ。


「Because of this distant journey,for this distant journey」

 今回も時間がかかってしまいました。

 御免なさいです。

 年内にもう一話くらい投稿出来るように頑張るですよ、予定は未定ですが(平身低頭)。

 そして。

 でぃあん様に感謝を♪ 壬生一郎様とぼたもち様に最敬礼を。

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