第漆歩・大災害+126Days
お待たせばかりで誠に申し訳ございません(平身低頭)。
今回は「主役でない者の愚痴」ですので、愚痴っぽい内容となっております。
ぼたもち様にも一言、御礼と謝罪とを(平身低頭)。
ギルドタワーをギルド会館に訂正致しました(2017.12.01)。
朝食の献立は、一汁二菜であった。
割烹着姿の<家事幽霊>が御櫃から茶碗に装った炊き立ての御飯をレオ丸は一口頬張り、川魚を具とした汁物で流し込む。
鮎に似た魚の骨を炙り蜆に似た淡水性の貝類と共に煮込んで取った出汁を、塩で味を調えただけの潮汁もどきだが、澄んだ汁は銀舎利のほんのりとした甘さをやや際立たせた。
用意された御膳には、鶏のような鳥類が産み落とした卵を使った玉子焼きに、ホウレン草っぽい菜っ葉のおひたしが載っている。
箸は忙しなく動くものの、はしたない咀嚼音がレオ丸の口元から洩れる事はない。
御飯と汁物が其々一回ずつ御代わりを要求し、全てを平らげたレオ丸は箸を揃えて置き、御馳走様でしたと手を合わせた。
「ああ、美味しかった!」
湯飲みを傾けゴクゴクと喉を鳴らしたレオ丸は、空になった湯飲みを甲斐甲斐しく給仕役を務めていた契約従者に突きつける。
「……コイツは何て飲み物や、タエKさん?」
「オレンジホイップですが、旦那様?」
「うん、大量のホイップクリームの下から甘酸っぱい柑橘系ジュースが出て来たからそーちゃうかなって思ったけれどや」
「御気に召されたのなら何よりです」
「…………御気に召すかい、何で“オレンジホイップ”やねん!
折角の和食の余韻が台無しやないか!」
「旦那様、其のような事を申されては立派な味覚音痴にはなれませぬよ。
……処で、何故に味覚音痴の事をアメリカンと申すのでしょう?」
「大昔からそーゆー決まりになっとるから気にすんな。
其れよりも次からは、普通の御茶か抹茶にしてくれるか?」
「マテ茶、で宜しいのですか?」
「抹茶や抹茶!」
「マテ茶は真っ茶色の飲み物だと……」
「お水でエエわ……」
「旦那様の御意のままに」
シレッとした顔で一礼し御膳を片付ける契約従者に、レオ丸はコメカミを揉み解す事で抗議の意を示す。
同時に吐かれた甘い香りの溜息も、タエKには馬耳東風であったが。
有能で融通無碍な<家事幽霊>の背に、諦め色の吐息をついたレオ丸は、食卓に残されていた容器から爪楊枝を一本取り出し咥えた。
チッチッチと歯茎の隙間を隅々まで穿り、食器を片付け戻って来たタエKが淹れてくれた渋い番茶で口中をゆすぎ、飲み干す。
小さくゲップを吐き、中年男性の正しき食後の作法を無事に勤め上げたレオ丸は、首をコキコキと鳴らしながら足を投げ出し、食休みの姿勢となった。
「……何処でフラッグを……立てたんかなー」
両手で頭を抱え、嫌々と駄々っ子のように首を振るレオ丸。
凡そ一時間後。
レオ丸は別の部屋で別の机に両肘をつきながら、同じポーズを取っていた。
背後にある巨大なガラス戸を開けてバルコニーへと出れば、清清しい空気を胸一杯に吸い込み鬱屈を吐き出す事も出来るのかもしれないが。
生憎、今日の天気はダウナー気分が増しそうな、どんよりとした曇り空であった。
「……何本のフラッグを……立てたんかなー」
「十本以上、百本以下じゃないですか?」
「……具体的な数字は言わんといてな、不覚にも泣いてしまいそーになるさかい」
「では言わない代わりに、此方の書類をお願いします」
「……泣いてもエエかな?」
「Just as you like,but……It does not decrease the work」
「さよか」
突っ伏して狸寝入りを決めたい気持ちに心惹かれつつ、レオ丸は傍らで秘書然として立っているイントロンを見上げた。
通常ならば見上げる必然性はないのだが、レオ丸が頬杖の台にしている机には書類が山脈を為しているので、見上げねば何も見えないのだから仕方がない。
一枚一枚数えるよりも、計量器で目方を計った方が早そうな量の書類を載せてもびくともせぬ巨大な執務机の本来の持ち主は、ゼルデュスである。
故に、ウンザリした顔のレオ丸が居る此の部屋も勿論、ゼルデュスが執務室に使用している部屋だった。
「大体よー、可笑しいと思わへんのか?
何でワシが、内政局局長代理役やねん?
御存知、御周知の通りワシはソロプレイヤーで、<Plant hwyaden>所属やないんやけどな?
どう考えてもアカの他人に重要ポジションを任せるやなんて、可笑し過ぎるやろーが?」
「可笑しいと思いますよ、私も。
……でも仕方ないじゃないですか……誰も局長の代理が出来ないのですから」
「何でや?
一万年と二千年前から……やのーて、一万二千人以上の所属員が居るんやから十人でも二十人でも対象者が居るやろーに」
「先ず対象者を選定するだけの時間がありません」
「<ウメシン・ダンジョン・トライアル>運営本部に居った、アイク嬢ちゃんやストレンジ君やマーク=ロウ君とかは、どーやのん?」
「彼らは彼らで、内政局の重要部門の長として役割がありますから」
「ほな、自分はどないや?
<スザクモンの鬼祭り>対策本部とかの臨時組織を手足にしたら、大丈夫なんと違うん?」
「<鬼祭対>のメンバーは既に元の部署に戻ってますし、其れより何より私はそんな器じゃないですよ」
「せやかて自分もでっかいギルドの頭張ってたやん」
「桁が二つ違いますよ」
溜息で書類の山を吹き飛ばそうと試みるレオ丸の鼻先に、人差し指を突きつけるイントロン。
「はっきり言わせて貰えば、“責任を伴う面倒な仕事”など誰もしたくはないのですよ!」
「……実も蓋もぶっ飛ばすよーな、ぶっちゃけやなー」
「其れじゃ思いのままにぶっちゃけさせて戴かせて貰います。
私は元の現実じゃ、高麗橋にある中の下くらいの薬剤問屋に勤める、しがないサラリーマンです。
趣味は子供の頃から変わらずずっと、ゲームです。
私が『エルダー・テイル』を始めたのは、ゲームが好きだからです。
此の十年余りずーっと『エルダー・テイル』をし続けてきたのは、楽しく遊びたいからです。
<甲殻機動隊>を結成したのも、其れが遊ぶに最適な方法だったからです。
生産活動よりもクエスト攻略の方が好きだったんで、仲間を募り作戦を練り堅実な手段で確実に達成する事を幾度となく繰り返していたら、いつの間にか大所帯になっていました。
とは言っても、たかだか百数十人。
ですが……百数十人も、です。
他のギルド同様、ご他聞に洩れずウチのギルドも数名のパーティを基本単位としたモノでした。
少人数グループを主任が束ね、数名の主任を係長が束ね、数人の係長を課長が束ね、数人の課長を部長が束ね、といった実に標準的な会社組織モデルです。
詰まり、モニター見詰めてチャットで遣り取りしていた頃、私が直に接していたのは部長待遇以上の幹部連だけでした。
処がこっちでは、百数十名の者達と密接に付き合わねばならなくなってしまった。
私は公立高校に通っていた頃、弱小卓球部の部長をしていました。
部員数十二名の内、五名が幽霊部員でした。
面白くもありましたが、辛くもありました。
大学でも卓球は続けましたが、属していたのは適当な活動しかしていない同好会です。
運良く親のコネで今の会社に入社出来、其れなりに仕事をこなしていたら其れなりに昇進し、三十手前で総務部の係長代理の肩書きを与えられました。
部下は主任二人の、平が七名です。
……宜しいですか。
そんな私が、百数十名の総責任者ですよ。
冗談は良子さんですよ、土台無理な話でしょうが?
どうして私がそんな苦労を背負い込まなきゃならないんです!?」
「そら、ギルマスなんやからしゃーないやん」
「ギルマス、ギルマス、ギルマス……ギルマスってそんなに偉いんですかね?
ギルドなんて、高がゲーマーという暇人の集まりでしょう?
ギルマスなんてのは、そんな暇人共の纏め役……世話係でしかありません。
遊びの範疇ならば兎も角、誰が好き好んでリアルで“責任”なんてものを取りたがります?
……ですから、法師には感謝してるんですよ、私も」
「へ?」
「初めてお会いしたヒラノキレ庄の霊園で、素晴らしいアイディアを教えてくれたじゃないですか?
“有志による、緊急避難的な災害対策連絡協議会の設立”というアイディアを。
“皆で手分けして役割分担した方が、合理的”と言われたし、“<冒険者>はイコール<自由人>、<自由人>とは自ら決断し自らその責任を取る事が出来る人”であるとも。
法師の言葉を聞いた時、私がどれだけ安堵した事か!
一人で背負い込まなくても済む、近しい仲間達とだけで苦労を抱え込まなくても済む!
他のギルドと大同団結すれば責任は分散され、特定の一個人で何もかもをとしなくても良い!」
「一は全、全は一……いや、大一大万大吉の変形かな?」
レオ丸が無造作に放った一言が、熱く語っていたイントロンの表情を一瞬で曇らせる。
「そんな大それたものじゃないですよ。
<Plant hwyaden>に参加するまでの間、私がどんな思いでギルマスを勤めていたと思いますか?
“義務感”?“責任感”?“使命感”?“優越感”?……どれだと思いますか?」
「まさか“正義感”とか?」
「“恐怖感”ですよ」
肩を落とすイントロンに、レオ丸は口を噤むしかない。
「ギルマスとしてギルメンを統率するには信頼と実績が両輪ですが、補助輪は苦労と徒労です。
画面越にチャットで遣り取りするだけなら、有志だけで開くオフ会で顔を合わせるくらいならば、何て事はありません。
しかし<大災害>以降は、二十四時間ずーっと面付き合わせているんですよ。
ゲーマーなんて、多かれ少なかれコミュ症でしょう。
私も法師も、誰も彼もが。
コミュ症である事を自覚しているかしていないか、ソレを克服しているかどうじゃないか、違いは其の程度。
……まぁ今の世の中はゲーマーだけじゃなく、ほとんど誰もがコミュ症なのかもしれませんが。
でなければ、“KY”“自己中”“クレーマー”“モンスター”“忖度”などが流行語になったりしないでしょう。
さてそんなコミュ症である私が、百数十名のコミュ症のギルメン達に安全やら安心やらを保障しなければならない。
ギルマスの勤め、として。
何の罰ゲームですか? 拷問ですか? 此処は地獄ですか?
もしもギルマスとして“不甲斐ない”“頼むに足りない”と評価され、“失格”のレッテルを貼られたらどうなります?
待っているのは、壮絶な“制裁”か悲惨な“八つ当たり”です。
<大災害>と言う不条理で不具合な不運に巻き込まれた私達は、毎日が不都合の連続です。
誰も彼もが多大な不自由を強いられて、不満だらけの毎日です。
パンパンに膨れ上がった鬱屈が当たり一面に蔓延しています。
其れがいつ弾けるか? 爆発が連鎖しないか? 意図的な暴発が起こらないか?
毎日毎日、朝起きてから夜寝るまで……寝ていても悪夢にうなされない日などありませんでした。
個人的感想ですが、ギルマスをしている者は私と似たような心理状況じゃないですかね。
どれだけ仲良しグループであろうとも、ギルドは組織ですしギルマスは権威を伴った権力者です、命令権限を保有しているんですから。
ですが権威を喪失すれば、権力者の階級は最下層となります。
そして、あっという間に吊るし上げられ、最適なダーツの的となるでしょうね。
しかも有難い事に……此の場合の有難いはギルメンにとってですが、<冒険者>は死にません。
死んでも死んでも何度でも、復活出来ます。
詰まり、罪悪感が麻痺するまで何度でも何度でも“やり過ぎてしまった、あらあら又、死んじゃった”が出来るんですよね。
だからこそ、私は<Plant hwyaden>に参加する事を即断しました。
……何度も殺されたくはありませんから」
「反対意見はでーへんかったん?」
「ありませんでしたね……何故なら皆が“不安感”を矢鱈滅多ら抱え込んでいましたから。
アキバが<円卓>を結成するに至った状況も、我々と同じだったんじゃないですかね?」
「色々と方向性が違うよーやけどねー」
「Yes,Completely different。
向こうは責任を分散し曖昧とする方便として、合議制を採用し続けています。
参加するギルドのほとんどが社会人をギルマスとしていますから、ソレも一つの“大人の智恵”ってヤツなんでしょうね」
「ソレを肯んじ得ないモンは、参加を辞退して……序でにアキバを退去しよったってな」
「<Silver Sword>、通称<銀剣>。
ギルマスは学生でしたね……“大人の事情”が飲み込めないお年頃なんでしょう。
若いって素晴らしいですね」
「斯くて彼らはワルシャワを脱しスイスを目指した……いや、エッゾか」
「何の例えです、其れは?」
「イアン・セレイラー、ってロンドン生まれの作家さんが記した今から百年くらい前の物語やわ。
と、ゆーても本邦未翻訳やから、ワシもザックリとした内容しか知らんけどなー。
さてさて、『THE SILVER SWORD』の少年達はナチスと戦火から逃れようとしたけど、<シルバーソード>の青少年達は何から脱しようとしたんやろーな」
「承服出来ない“現実”からの逃走なんじゃないですか。
責任や義務よりも権利を主張出来るのが、学生の特権らしいですから。
処が、権利を振り翳す前に粛々と義務を果たさなければならないのが社会人の悲しい定めです。
思うが侭に行き当たりばったりで行動して、後は野となれ山となれ……とはまいりません。
……そう言えば、法師も“社会人”の一員でしたよね?」
「ワシは社会人やけど会社人やない、自営業とゆーなの不自由業やけど、其れが何か?」
「I see……話を戻しましょう」
先ほどまでの熱量はなくなったものの、イントロンの舌は変わらず快調のようであった。
「“責任”という見えない重荷を背負い込んだ……今から考えれば“そう思い込んでいた”のかもしれませんが、私は喜んで“有志による、緊急避難的な災害対策連絡協議会”に参加しました。
そして日を置かず、其の緩やかな紐帯は『ウメシン・ダンジョン・トライアル』運営本部に名を変えました。
コレも、法師の発案でしたよね。
イベントを成功させた事により運営本部は、より強固な連携へと成り代わりました。
其れからどれくらい後でしたか……私達の前に一人の救世主が降臨したのです」
「濡羽嬢か?」
「Exactly」
不意に、採光を自然光に頼っていた部屋が暗くなる。
PLASH! PLASH!
ガラス戸を激しく叩き出す、大粒の雨。
「“新しいギルドを作るので、参加して下さい”と、言われました」
「何とまぁ……恐ろしい台詞を臆面もなく」
「全くですね、と同意したい処ですが其の御言葉は確かに“福音”と言うべきものでした。
……今思い返してみれば、何故に私が其の御言葉を一も二もなく受け入れたのか不思議な気がしますが」
「若気の至り、勇み足やったって後悔しとるん?」
「No not at all……後悔なんかするはずないじゃないですか。
そう思ったのは私だけじゃないはずですよ、恐らくは。
でなければ……」
「<Plant hwyaden>がこないに短期間で巨大化せぇへん、ってか?」
手にしていたペンを机に放り出したレオ丸は、腰の魔法鞄から<鬼火打ちの石> を取り出し、派手に打ち合わせた。
呼び出された三体の<蒼き鬼火>が嬉しそうに、レオ丸の頭上でクルクルと円を描く。
「Yes, to be sure」
何処か頼りなげな青白い焔に照らされたイントロンの口元が、寝かせた弓のような陰影を深くした。
「まぁ色々と内幕を開けっ広げにしてくれたはエエけど、ワシが何でゼルデュスの代理をしてなアカンのかって理由は、未開封の袋綴じのまんまやで?」
「細かい理由を挙げれば両手両足の指を折り曲げても足らないかもしれませんが、大きな理由は一つだけです」
「ほー、聞かせてもらおか?」
「内政局長が“法師を代理に”と指名したからです」
「何じゃそりゃ?」
「推察するに……法師が“ソロ”だから、じゃないですか。
<Plant hwyaden>に属する誰かを代理に任命し、もし任命された者が恙なく代理を全うしたら、どうなります?」
「“わぁ、まるでコピーロボットがいるみたいだ♪”……とは、ならへんやろーな」
「“鳥人の星から来た宇宙人さん、有難う!”などとは申されないでしょう、絶対に」
「普通に考えりゃ、お払い箱の危機やわなぁ」
「内政局長と同じ事務処理及び決裁力を発揮出来るのならば、インティクスは喜んで其の者の後ろ盾になるでしょうね」
「せやろーな」
「最も、其のような人物は此処には居りませんが」
「せやろーか?」
「もし居ていたなら、とっくの昔に頭角を現し、顔も名も知れ渡っているはずです……<スザクモンの鬼祭り>の時に」
ガラス戸を叩く雨音がより強くなる。
「だが現れなかった……詰まり、居ないって事です。
さっきの話題に立ち戻りますが、内政局長が自らに任じておられる権限を行使したいと考える者など、今の<Plant hwyaden>には皆無です。
大風呂敷だけを担当出来るならまだしも、附帯条件として調整役を主たる職掌とする、ですよ。
そんな面倒臭い義務や責任など、誰がしたがるものですか。
内政局長のように、理解し難い趣向を有する変人でない限り」
「……ワシかて、やりたないで」
「内政局長と似たような考えを持ち、似たような判断基準で決裁し、其れでいて逆らう事が出来ない立場で、脅威とならない存在。
法師にしか出来ないのですよ、内政局長代理は」
“さぁどうぞ”とばかりに書類の山を押し出すイントロンに、レオ丸は天井を仰いで首をコキコキと鳴らした。
「“秋深き 隣は何を する人ぞ”……さっさと帰って来ぇへんかな、ゼルデュスの野郎め!」
「大分、ギルマスへの聴聞と説得に手間取っているようですね」
「そら、そーやろーな!」
「……事情を御存知なので?」
「さっき自分がゆーてたやん、誰かに頼りたい、自分独りで責任を背負い込みたない、って。
濡羽嬢は、独りで生きて行くにはちょいと厳しい“此の世界”で安全を確保するために、群れる事を求めた。
求めた群れの中での安全を確保するために、ギルマスになった。
ギルマスとしてギルドの安全を確保するために、他のギルドをM&Aしまくった。
そんで、気がついた。
一万人を超す冒険者に頼られ、責任を背負い込まされる存在になってしまった事を。
せやから思うたんと違うか、“誰かにすがりたい”ってな」
「That makes sense!」
「其れが何でアキバの人間なんかは知らんけど」
目の前に鎮座する書類を一枚取り上げ、内容にざっと目を通すなり鼻に皺を寄せるレオ丸。
「却下」
書類の申請者は、内政局環境調査研究所代表、蟲愛ずる奇知姫。
申請内容は、“研究を主目的としたモンスター動物園の建設”だった。
「そらまぁ、剥製も作れなきゃ、<歩く骸骨>の類でもなきゃ骨格標本も作れへんし、生体を囲い込むしかしょーがないんやろーけど」
「予算、人材……何よりも敷地の用意と安全対策が」
「動物園をふれあいパーク規模まで縮小した計画案なら“要検討”に分類したってもエエけどな……“此の世界”自体が『野生の王国』みたいなもんやねんし」
「わっちは見世物になんぞなりたくはないでありんす」
「安心しとき」
襟元からの囁きに、レオ丸は笑みを作る。
「ワシかて家族を檻に放り込む趣味はあらへんし。
自分らは、“Skeleton in the closet”やないんやもん」
レオ丸は、そう嘯きながら機械的な動作で書類に注意点を余さず書き込み、“承認”“要検討”“却下”と三つの山に別け直していく。
紙の上をペンが滑る音と、二種類の溜息と、強い雨音だけが支配する室内。
やがて其処に、新たな音が加わった。
ガラス戸を揺らすほどの激しい風の音である。
「もしかして、コレって台風なんと違うか?」
「“此の世界”に台風があるんでしょうか」
「ほら、ゲームん時にフィールドの状況がアクションに対して行動補正を発生させる事がある、ってのがあったやん。
風が強けりゃ弓矢や投擲武器の命中精度が下がる、とか。
雨が降ってたら手持ちのアイテムを落とし易くなる、とか。
雪が積もってたら移動距離や回避行動にペナルティが発生する、とか。
悪天候による不明瞭な視界で無作為の遭遇戦が起こったり、気温の高い低いでHPの消耗や回復に影響が出る、とか。
日中と夜間、好天と荒天で戦闘状況が変異するってのがあったんやから、“気象”は当然あって然るべし、と違うか?
“鶏頭ノ マダイトケナキ 野分かな”バーイ、正岡子規御大。
“此の世界”に鶏頭があるんかどーかは、知らんけど」
「……ゴールデンウィークの最中に<大災害>に巻き込まれ、気がつけば台風シーズンですか」
「“たえず紅葉、青苔の地。
たえず紅葉、青苔の地。
またこれ涼風暮れゆく空に。
雨うちそそぐ夜嵐の。
ものすさまじき山陰に月待つほどのうたた寝に。
片敷く袖も露深し。
夢ばし覚ましたもうなよ、夢ばし覚まし、たもうなよ”」
『紅葉狩』の一節を呟きながら、億劫そうに書類仕事を続けるレオ丸。
「“旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る”ってな具合にだけは、なりたくないもんやねぇ」
「既にそうなってるんじゃないですか、私達は?」
「their finest hour」
「最良の時間、ですか?」
「“其れ故、私達は此の責務に備え、其れを担わねばならないのです。
もし大英帝国が此の後、千年間存在したとしても、振り返って『此れこそが彼らの最良の時間であった』と言われるように”。
1940年六月、英国下院にて時の首相のチャーチル氏が行った演説の、一節や。
演説の四日前にナチスドイツはパリ市に入城、演説の一週間後にボルドーへ退避してた政府首班のペタン大統領は正式に降伏。
所謂“フランスの戦い”の終演と“イギリスの戦い”の開演を告げた、チャーチル氏の名演説の一つやねー。
夢と現の狭間の今が“最良の時間”かどうかは、知らんけどな」
レオ丸は、精査し終えた一枚の書類を所定の山の上へと載せた。
「承認」
書類の申請者は、内政局探査部部長、唐獅子牡丹MOCHIMOCHI。
申請内容は、“ウェストランデ圏内の地図の作成及び、主要な大地人街・村落に定点観測拠点を主目的とした出張所の設置”である。
「公営放送局のテレビ番組の御蔭か、地形の特殊性に興味を持つヤツも多いやろーし、人手を集めるにゃ困らへんやろーし。
イベントやら何やらで外へ出る奴らのために、無料休憩所兼観光案内所は幾つも作る予定やねんから、機能を一つ二つ追加したかて問題ないやろーさ」
平然と辟易を行ったり来たりするレオ丸の執務態度を皮肉な眼差しで眺めるイントロンの鼓膜が、暴風雨以外の荒々しい音を拾った。
「どうやら、法師の本日のお勤めは終了のようです」
やがて、大きな音と共に開かれる扉。
「他人の部屋に入る時はノックぐらいするんが礼儀やで、ゼルデュス」
「此処は、私の部屋ですが!?」
「ワシにとっては他人の部屋や。
ほいで、説得は出来たんかいな?」
「全く話になりませんよ!」
「せやろな」
執務机近くのソファーにゼルデュスが憤然とした様子で座れば、ガラス戸の外で雷鳴が轟く。
「お空も自分もお冠とは、ああ桑原桑原」
「其れで如何なされるのですか?」
いつの間に用意したのか、たっぷりのコーヒーを淹れたカップを上司に差し出しながら、イントロンが興味津々に問いかけた。
「あそこまで強情な……いえ、御意志が強固であられるとは、全く以って予想外でした。
インティクスも、匙を纏めて十本は投げそうな感じですよ」
カズ彦が申請した、“<黒色旋風猟兵団《シュヴァルツ・ヴィルヴェルヴィント・イェガー》>と<壬生狼>の統合案”と、“<壬生狼>と大地人騎士団による統合運用するための教練実施計画”を“承認”したレオ丸は、斜め四十五度に首を傾げる。
「何で“御意”ってゆーたらアカンのや?」
真横から投げつけられた疑問に、ゼルデュスは軽く咽た。
「げほ……其れは当たり前でしょうが!」
「いやいや、何で当たり前なん?」
「……何が仰りたいんです?」
「ギルマスが不在で、自分が困る事があるんかな? ってな」
「立場上、ギルマスの不在は非常に困りますね」
「まぁ幹部としては、そうゆーしかないわな」
書類をあらかた決裁し終えたレオ丸は椅子から立ち上がるや、直線距離で二メートル弱を歩き、ゼルデュスの横に腰かける。
そして、先ほどイントロンに開陳した濡羽の心理状態に関する考察を、今一度静かな口調で語った。
「深く考える事を放棄したモンは、今を緩―い部活の何ちゃって合宿程度に思っているんかもしれん。
立場上、考えざるを得ないモンは、研修旅行程度には思っているやろうなぁ。
ほな、そんな者達を取り纏める権限を有するモンは、どない思っているやろうかな?
……自分はどうや、ゼルデュス?」
「……アスピリンが欲しいですね」
「マクレーン刑事でさえ映画の三作目で、度重なるトラブルにアスピリンを片時も離せんかったやろう?
まぁアメリカ人が呑みまくるんは、禁酒法と大恐慌による社会的ストレスから逃れたい人々が服用しまくって以来の、伝統みたいやけどねー」
「アスピリンエイジ、ですか」
「ストレスに溺れた人間は、藁だろーがアスピリンだろーが、縋るし頼るんと違うか?」
「シロエ……とやらが精神安定剤になると?」
「精神安定に何処まで効能があるかは知らんけど、頭痛を緩和するには有効だわな」
「上に戴くリーダーが、精神的不安定なのは確かに困りますね」
「救済を求める心からの悲鳴に聞こえたけどな、一昨日のアレは」
「一考の余地あり、ですか」
「其れにや」
ゼルデュスの方を振り返りもせずに、胸の内を覗き込んだような声色を出すレオ丸。
「親分元気で留守がエエ、って事もあるやろーて」
「……なるほど」
ハハハ、とゼルデュスが乾いた声で笑い出せば、ケケケ、とレオ丸が調子の外れた音階で唱和する。
激しくなる一方の風雨と轟く雷鳴が五月蝿いくらいの室内で、何故に二人の笑い声がはっきりと聞き取れるのだろうかと、イントロンは首を捻るだけであった。
其れから、凡そ七十二時間後の事。
レオ丸は、ミナミの街に聳えるギルド会館を見上げて悄然としていた。
「斯くて、振り出しに戻る……ってか……」
何故に<Plant hwyaden>は結成されたか、僅かな間で巨大化出来たのか、って考察を盛り込んでみましたが、別にコレが正解だとは思っておりませんです。
因みに<第漆歩>のテーマソングは、『デュラララ!!』第二期OP「コンプリケイション」(歌/ROOKiEZ is PUNK'D)と『東京喰種』OP「unravel」(歌/凛として時雨)だったりします。