第漆歩・大災害+124Days 其の弐
今回から<Plant hwyaden>の表記を、ルビ無しの<Plant hwyaden>にさせて戴きます。
理由は、特にありませんので悪しからず宜しからず(平身低頭)。
一部を訂正させて戴きました(2017.10.28)。
「“十人委員会”?」
「ええ、<中央執行委員会>のままでも悪くないかと思いますが、愛嬌がなさ過ぎるのではないかという意見がありましたのでね。
<Plant hwyaden>を改革するに当たり、もう少し馴染まれ易い名称に変えてもよいのでは、とね」
険のある若い女性の声と、冷笑を含んだようにしか聞こえない男性の声が、ガランとした室内に響き渡る。
広々とした其処は元々、斎宮家が謁見の間として使用していた部屋であった。
神聖皇国ウェストランデにおいて祭祀を司る斎宮家とは、ウェストランデ皇王朝の精神を継承している。
少なくともそう標榜し、周囲は其れを承認していた。
故に斎宮家が所有していた豪奢な屋敷は、其れなりの格式に見合った外見をしており、内装もまた贅と数寄を凝らしたものとなっている。
床面積は、八コースある二十五メートルのプールよりも一回りほど大きく、天井までの高さは六メートルほどか。
展示物に配慮した美術館のように、照明は明る過ぎず暗過ぎず。
四方の壁は、古代ギリシャ人の衣装を思わせるゆったりとした襞があしらわれている、漆喰塗りだ。
溝が彫り込まれた細身の柱の頭頂部には、コリント式のようにアザミに似た葉が装飾として象られている。
部屋の四方には、精緻な柄が意匠された樽を凌駕する大きさの花瓶が飾られ、色鮮やかな生花が溢れんばかりに活けられていた。
上座は、床面より五十センチほど高い舞台となっており、金銀で象嵌されたキングサイズベッドのような寝椅子が置かれている。
其処に、メイド服を着た三人と一人の執事服姿の計四名の冒険者に傅かせ、大地人の騎士一名を侍らせた一人の女性がしどけなく寝そべっていた。
<Plant hwyaden>のギルドマスター、濡羽だ。
儚げな面立ちをしながら、気だるげな様子で定まらぬ視線を宙に彷徨わせている。
一万人を超す構成員のトップに君臨する女王は、欠伸こそ洩らさぬものの退屈頻りであると、其の表情が物語っていた。
此の場で行われている議論に加わる素振りも見せぬギルマスを見上げた其の瞳に、侮蔑の色を僅かに浮かべたインティクスが、徐に背筋を伸ばす。
彼女が座す椅子は、山岳都市イコマが租界として冒険者に提供されるまで、濡羽が居る段上の中央に設えられていた、玉座であった。
全体的に小振りではあるが、フォンテーヌブロー宮殿にて初代フランス皇帝が座していた物に瓜二つの椅子に腰かけるインティクスは、まるで自分が此の部屋の主であるかのように、権高な態度を崩そうともしない。
大袈裟な作りではない低めの背もたれに身を預ける事もなく、鉄柱でも飲み込んだかのような正しい姿勢で、自分と対面する位置に座る<施療神官>を睨みつけた。
短めで整えられていない紫色のウルフカットの前髪から覗く、フレームのない眼鏡越しに放たれた冷ややかな視線を平然と受け止めるゼルデュス。
上座と下座とを半ばする辺りに、旧日本軍の現地司令部にて師団長が執務室で使用していたような飾り気のない椅子に腰かけたゼルデュスは、薄っすらと口の端に笑みを浮かべた。
「無学な者には判らないでしょうから一応説明させて戴きますが、“十人委員会”とは共和政ローマにおいて最初に制定された組織です。
プレブス、所謂“平民階級”と日本では訳されていますが、彼ら“平民”が財力をつけ政治的立場を要求した事を契機とし、設置なされた政治機関です。
国政を取り仕切る権限が付与された後は、法の制定や訴訟の裁定を執行し、祭儀や公有地に関する事も所管しておりました。
共和制ローマが帝政ローマとなり、蛮族と新興宗教と其の他様々な要因で瓦解し、東西に分かれた後に東の帝国から独立したヴェネツィア共和国にても、同様の意思決定機関が元首の下で国家運営を行っておりました。
十四世紀の初頭、当時の元首であるグラデニーゴによって組織された時は、協和国内で起こる反乱に対処するための特別委員会でしたが、独自の予算と会計を持つに至り、常設機関となります。
其の権限は、反乱や反国家的な謀議などの国家の平和を乱すあらゆる行為に対応する事だけではなく重大裁判も取り扱うように、時代と共にドンドンと拡大します。
大雑把に言えば、“秘密の厳守と迅速な決定を要する諸問題”と“厳正に審議すべき重大裁判”が主な職掌となります」
「長々と説明お疲れ様だ事。
“六歳の子供に説明出来なければ、理解したとは言えない”と言ったのは誰だったかしら?
貴方の今のダラダラとした冗長な説明が、六歳の子供にも理解してくれれば良いのだけれど」
「アインシュタインが此の場に居たら、きっとこうも言うだろうと私は思いますよ。
“神の前において、我々は平等に賢く、平等に愚かである”とね」
「あら、私を“賢い”と言ってくれたの?」
「ええ、“愚か”だとも言いましたが」
「……其れで、“十人委員会”とかを組織するメリットは何なの?」
「内部には判り易く、外部には判り難くするためです」
静かに淡々としたゼルデュスの言葉に、まるでシクシクと痛む虫歯を我慢するかの如く、あからさまに顔をしかめるインティクス。
「……説明も簡潔過ぎると判り難くなるようですね。
では、理解して貰い易いように少し補足致しましょう」
椅子の背もたれに身を預け上体を反らしたゼルデュスは、お腹の辺りで両手を合わせ指を絡ませる。
「御承知の通り、<Plant hwyaden>がギルドとして為すことは全て、我々<中央執行委員会>のメンバーが指示を出しています。
では、“我々”とは“誰と誰”なのでしょうか?
<中央執行委員会>のメンバーであるナカルナードは今、軍勢と呼んでも差支えのない規模の者共を引き連れて、西の方へ戦争と呼ぶにはおこがましい遠征に出かけています。
さて此れは、“誰”の命令だったのでしょう?
言い出しっぺは確か、ナカルナード本人だったと思いますが、彼にそれを言い出すように裏から焚きつけたのは、私と貴女ではありませんでしたかね。
表立っての私と貴女は其れを黙認し、濡羽は許可を出されました。
私が彼らを戦に追い立てたのは、其の方が色々と都合が良かったからですし、其の都合とはミナミの街を平穏にするためでした。
もし彼らがミナミの周辺でチンピラみたいに、クダを巻いたりオダを上げたりし続ければ風紀が乱れるだけでしたので、ね。
其れは、私達“内政局”の失点に繋がる……ですから一先ず用意が整うまで出かけてもらう事を望み、其のように行動させました。
貴女は何を目的として炊きつけて黙認したのか、濡羽の御意や如何に?
……と、問うても今では詮無い事ですので、さて置きましょう。
さて斯様な按配で、ナカルナードは出陣しました。
一体、誰の命令を奉戴して<Plant hwyaden>の御旗を掲げて征ったのでしょうね?」
ゼルデュスは其処で一旦口を閉ざし、室内に居る全員に己の吐いた説明が浸透しているのを確認するみたいな感じで、小さく肯いた。
「お判り戴けましたか?
此の事例に象徴されるように、<中央執行委員会>には明確な発令の源が存在していないのですよ。
籍を置く者が、己の発案をメンバーの幾人かに囁き、濡羽が“NO!”と言わなければ己の判断で事を行う。
果たしてコレが、一万数千人を統轄する機関の正しい在り方でしょうか、と私は考えました。
国防は<外征局>が、統治は<内政局>が、治安は<壬生狼>が、其れら全ての組織の上に君臨する濡羽の補佐として<官房>が。
現体制の穏やかな住み分け、言い換えれば“なあなあ”でも組織は維持出来るのかもしれませんが、命令系統がはっきりとしない組織は早晩、瓦解するでしょう。
歴史を顧みれば例は枚挙にいとまなし、です。
しかも、<中央執行委員会>の正式メンバーは全員で何名なのでしょうか?
濡羽、貴女、ナカルナード、カズ彦、そして私の五名は確定メンバーだと言えます。
果たしてメンバーは、私達五名だけでしょうか?
他の者に尋ねてみれば、ミズファや、其処に居るロレイルの名を挙げる者も居り、此の場には居ませんがクオンの名を挙げる者も居ました。
<冒険者>のギルドの最高意志決定機関に、<大地人>が?
何をしているのかは幹部である私達しか知らぬクオンの名が挙げられたのは、常に貴女が連れ回しているからでしょうか?
其れならば、私を補佐してくれているイントロンの方が余程、幹部らしい行動をし、実力を発揮していると思いますがね?」
ゼルデュスが入り口付近の壁際に顔を向ければ、腕組みしながら壁にもたれて立つイントロンが軽く頭を下げて感謝の意を示す。
「我ら幹部には、誰が何のために誰の命令で其れを為すのか、は明確にすべきだと思います。
されど外部には“誰が何のために”を暈した方が良いとも思います。
全て為されるべき事は、幹部の意志によるものではなく、濡羽の意志で為されるのだとだけ示すべきでしょうから」
「命令系統をはっきりとさせる事と、ギルドの意思決定に関わる人間を確定させる事。
言われてみれば、確かに其の通り……現状はかなり曖昧過ぎるわね。
私の部下というポジションにありながら、私が帰還命令を発してもいないのに勝手に帰って来ている者もいるし。
……ミスハは一体、誰の命令で動いているのかしら?」
インティクスはゼルデュスのずっと後ろ、下座の壁を背にして立つ者達を憎々しげに睨みつけた。
「さて、誰だったかしら?」
名指しの嫌味を、ミスハは含み笑いでサラリと受け流す。
「お前は私の指示でアキバへ潜入し、諜報網を構築する任務についていたはずでしょう!
誰が、いつ、戻って来て良いと言ったの!」
「諜報網ならとっくの昔に構築したって、随分前に連絡したでしょうが?
子守と陰謀ごっこに忙し過ぎて聞き流してしまったの?
其れとも若年性健忘症?
あらあら其れは其れは可哀想に!」
壁から背を離したミスハは、一歩前に進んで仁王立ちのポーズを取った。
「可哀想だからもう一度、連絡して上げましょうか。
寄り合い所帯のアキバの街を運営する、寄り合い合議組織の<円卓会議>の主要ギルドである<海洋機構>と<D.D.D>、<第8商店街>と<ホネスティ>にも要員を送り込み済み。
一応<グランデール>や<アキバ新聞>なんかの中小ギルドにも送り込んだし、アキバだけじゃなくススキノやシブヤにも派遣してるわよ。
報告は、内政局調査部と外征局情報部の両方へ随時なされているはずだけど?」
「……何故其れが、私の元に報告されていないのかしら」
「だって、貴女の所に連絡しても分析出来ないでしょ?
諜報部門の人間を全部、外に出してしまっているのだもの。
貴女は知らないかもしれないけど、片田舎の地方新聞やタウン誌の編集部であっても、編集部を完全に空にするような事はしないのよ?
もし取材者全員が編集者を兼ねているのだとしたら、其れは全員が全員、有能である場合だけよ?
あるいは、一冊発行しただけで即座に潰れるくらい無能の集団か。
貴女は自分自身の事を、さぞかし有能だと思っているのかもしれないけど、私から見れば有能を装っているだけにしか見えないわ。
もし本当に有能ならば、<官房>が濡羽の補佐だけをしているはずがないもの。
部下を従えたいのならば、上司とは何ぞやをキチンと学んでからにしたらどうかしら?
今の貴女に情報を上げても、どれが有用でどれが有益に利用出来るかも判らずに、全て箪笥の肥やしにしてしまいそうだもの。
少なくとも、内政局と外征局には其れを専門に行う部署がある。
例え素人の集まり、ヒヨッコ程度の分析能力しかなくてもね。
私は有能だから、折角講じた諜報網を無駄にしたくないの。
お判り戴けたかしら、<委員会>官房長殿?」
「私を馬鹿にするな!」
玉座を蹴倒して立ち上がったインティクスの怜悧な顔が、憤怒の色に染まる。
「<放蕩者の茶会>で全てを取り仕切っていた私の実績に、唾を吐くのかッ!」
「知らないわよ、リアルとゲームが別々だった頃の実績なんて。
私が知っているのは、<大災害>が起こってから此の方の、……全てが遊びじゃない現実になってからの事だけだもの」
インティクスの激高を、肩をヒョイと竦める事で受け流すミスハ。
「貴女の事で私が知っているのは、二点だけ。
濡羽を担ぎ上げ、<Plant hwyaden>という小さなギルドを立ち上げた事。
濡羽が其の類希な能力で以って大地人の有力者を手懐けた時に、傍に居たって事。
其れ以外に何かしたってのを、私は寡聞にして知らないけど。
ミナミの街の衛兵システムを手中に収められたのは、濡羽の手腕。
そんな“魔法”みたいな裏技に、皆は一筋の光明を見出した。
混迷する現状を打破する手段があるって事を、私達に示してくれたのだから。
だから私達は、挙って<Plant hwyaden>に参加する事を決めた。
そしてギルドは一気に拡大し、ミナミの街を全て呑み込んだ。
<Plant hwyaden>の第一歩目を、“此の世界”に刻みつける切欠を作った事は認めましょう。
確かに其れは貴女の手柄よ。
其れで……貴女は其の手柄を挙げた後、何を為したのかしら?
濡羽の威を借りて、あっちこっちに顔出してはギャアギャア喚き立てていただけじゃないの?
泥水啜る事を何かしたの?
這い蹲って血反吐を吐くような何かを成し遂げたの?
率先して汗水垂らさず、何処か遠くの方で御茶を啜っているだけの御身分に、誰が犬馬の労を厭わず働くというの?」
「其の辺にしといてやれ、ミスハ」
バタンと大きな音を立てて扉を開け放ち制止の一言を放ったのは、カズ彦。
しかめっ面で入室して来るや、誰に断るでもなくゼルデュスとインティクスの中間辺りに、持ち込んだ床机を置いて横向きに座る。
「濡羽、遅れてすまん」
大股を開いて腰かけたまま上座へ深々と一礼すると、カズ彦は全体を見渡すように首を振った。
「今日の会合は、<委員会>の有り様を定め直すものだと聞いている。
ならば、自発的な発言権が許されているのは、<委員会>に席を与えられた者だけだと私は理解しているが、相違ないか?」
カズ彦の問いかけを、ゼルデュスは無表情で、インティクスは顔を朱に染めたままで、どちらも無言で肯定する。
「では此の会合に……此の部屋で椅子に座る権利を有する者だけが発言し、其れ以外の者は問われた事だけを簡潔に答申すべきだ。
そうでなければ、話し合いは正しく進まん。
参考人や聴衆は無用な口を閉ざすべきだろうと思うが、どうだ?」
眉間に皺を寄せ鋭い眼光を放つカズ彦を見て、ミスハは溜息をついて大人しく引き下がった。
共に元の位置へと戻るミスハと、其の横で微動だにせぬ人物へそっと目礼を送ってから、襟元を整え姿勢を正すカズ彦。
「改めて此の場に居る全員に、大切な会合に遅れた事を詫びる。
自供した内容が余りに曖昧過ぎて、取調べが思いの外に手間取ってしまった」
「何が判りました?」
「政治的、宗教的、思想的な信条ではなさそうだ。
盗んだバイクで走り回るような、愉快犯未満の跳ねっ返りだな、アイツらは。
だが、其れにしては……」
「其れにしては?」
「用意周到だったのが気に食わん。
俺達<壬生狼>は、貴様から伝えられた事前情報を元に警戒網を張っていた。
万全だった、とは決して胸を張れるものではなかったにしても、其の場の乗りで集まった急造の有象無象に出し抜かれるほどの穴はなかったはずだ。
処が一部の者達に、イコマの裾野まで侵入を許してしまった。
まぁ、ミスハの機転でソイツらも撃退出来たのは僥倖だった……と言っていいのかどうかは知らんが。
奴ら、<冒険者>の事はキッチリと落とし前をつけさせて貰うので安心してくれ。
失態の尻拭いは自分でするからな。
其れよりも気に食わんのは、今回の事に<大地人>が加担していたって事だ。
誰か知っていたら教えてくれないか、<山賊>を用意したのは誰か?
誰が奴らを引き入れたのか、ってのをな?」
『エルダー・テイル』の設定上、冒険者が討伐出来る対象は敵対属性が付加された<亜人>を含む、“モンスター”である。
しかし“モンスター”のカテゴリーに含まれながら、所謂“魔物”や<亜人>ではない存在があった。
バンディット、<海賊>、<盗賊>が其れである。
<賊>という語で一纏めにされる討伐対象の実態は、無法を働く武装した<大地人>であった。
彼らは、倒せば経験値とアイテムなどを得る事が出来る討伐対象であるが、倒さなくても経験値とアイテムを得る方法があるのは、プレイヤー間では有名な話である。
話し合いをして武装を解除する事が出来れば、討伐と同じ行為と見做されるからだった。
武装を解除すれば、バンディットは大地人の狩人に、パイレートは大地人の船乗りに、ラバーは大地人の村人に名称とステータスが変更される。
詰まり、シーフと名付けられた“モンスター”とは、“対話”が出来るのだ。
似たような存在として、<蛮族>がいる。
対話が出来るならば、交渉が出来ても何ら不思議はない。
そして『エルダー・テイル』に導入されたレイドコンテンツ内の幾つかのシナリオにおいて、シーフやバーバリアンと交渉する事によって得られる隠しアイテムが存在するのだ。
プレイヤーの知識として、敵対属性がある討伐対象であっても必ず倒さなければならぬ相手ではない。
ましてや、<大災害>発生以降、全てがゲームでしかなかった頃とは、大きく常識が書き換えられてしまっているのだから。
以前ならば決められた“会話”しか出来なかった、NPCでしかなかった<大地人>と普通に日常会話が出来る、今の“此の世界”。
シーフと“会話”し、交渉出来ないはずがないのだ。
「ゼルデュスに心当たりはないか?」
「さて、さっぱりですが」
「インティクスは、どうだ?」
「知る訳ないじゃないの!」
「本当か?」
「当たり前でしょうッ!」
「……其の“当たり前”ってのが通用しない事態だから、訊ねているんだが。
まぁ、捕まえた馬鹿共を今少し丁寧に締め上げりゃ、判る事かもしれないが」
目を閉じて考え込むカズ彦、無表情を装うゼルデュス、未だ怒りの収まらぬインティクス。
殺伐とした三竦みが生み出した奇妙で粗雑な空気が、室内を隈なく支配する。
不意に、其の空気が破られた。
「濡羽様から、仰せがあるざぁます」
段上から凛とした声を発したのは、美しく執事服を着こなした女性のエルフ、<中央執行委員会>官房内侍司上臈の肩書きを持つミルミルムーン。
「皆様御静粛にするざぁます」
語尾の所為で命令とも要請ともつかぬミルミルムーンの一言に続き、上段から零れたのは蚊の鳴くようなか細い声であった。
「……十席、……<十席会議>にしたら……」
静まり返った室内に、濡羽の発言がトロリと落ちる。
床に広がり揮発した濡羽の言葉は、室内に居る全ての者の耳にジワジワと浸み込んだ。
「<十席会議>……悪くないわね」
いつの間にか平静さを取り戻していたインティクスが、段上に一礼をしてから両手を腰に当てて振り返る。
「今此の時を以って<中央執行委員会>は解散し、新たに<十席会議>を<Plant hwyaden>の最高意志決定機関とします。
異議は認めません」
「異議はありませんが……」
律儀にも、今更感がなきにしもあらずであったが、ゼルデュスが右手を上げて発言を求めた。
「異議でなければ、不服かしら?」
「いや、不服でもない……質問ですよ」
インティクスと段上との両方を眼鏡のグラスに映しながら、ゼルデュスが立ち上がる。
「<十席会議>と言う限りには、席順があるのでしょうか?
其れともアキバの<円卓会議>みたいに、横並びという事でしょうか?
そもそも、席次を与えられるメンバーはどう選出するのです?
濡羽に御存念がありますれば、是非ともお聞かせ戴きたく」
「……其れは……適当に……」
「私達で選出すれば良いだけじゃないの、此の場に居る者だけで」
「ナカルナードの意見は聞かなくていいのか?」
「カズ彦も判っているでしょうに……アイツに聞くだけ無駄だって事を」
「まぁ此の場に居ない者の事を、とやかく言っても仕方ないでしょう。
残念ですが、彼には事後承諾して貰うとしますか」
「それじゃ、全員異議なし、ね。
メンバーについては……そうね、後日改めて決めれば良いんじゃないかしら?
其々、考える事があるでしょうから」
「俺はミナミに戻ってする事があるんで、メンバー選考は任せる」
「あら其れじゃ、カズ彦の席に別の誰かが座る事になるかもしれないわよ」
「別に構わないが。
席があろうとなかろうと、俺がすべき事に変わりはないからな」
「……冗談よ。
濡羽様と私は当然として、貴方達二人とナカルナードは当確だから、安心してくれて良いわよ」
「御礼を言うべき話ですか?」
「どちらでも好きなように」
「身のない応酬を未だ続けるなら、俺は先に失礼する」
「遅れて来たクセに、愛想のない事」
「会議室に篭って指図するだけの立場と違って、現場の人間はする事だらけで時間が惜しいんでな」
「あらまぁ、忙しくて結構な事……其れじゃ今日は此の辺で散会に……」
上座へ型通りの一礼をしてから退出しようとするカズ彦と、蹴倒した椅子を起こそうと腰を屈めたインティクス。
そんな二人の動きが、何の前触れもなく段上から届いた声により一瞬で硬直した。
思いがけぬ単語……名前が、元<放蕩者の茶会>に名を連ねていたカズ彦とインティクスの耳朶を打ったからだ。
「はて……シロエとは……確か<円卓会議>の発起人でしたか。
彼の者は、アキバの住人ですが……何故に濡羽は其の名前を口にされたのでしょうか?」
「……シロエ……シロ様が必要なのです……」
「ほう……此れはまた奇妙な事を仰る。
私は情報でしか存じませんが……其の者はどうしても必要な……」
「濡羽様、本日の会合は終了致しました!
御退席下さいますよう願わしく」
「十席もあるんだから……」
「どうか、御退席を!」
平面から発せられた疑念と高みから述べられた所望をバッサリと断ち切ったインティクスは、全方位を睥睨する。
「ミルミルムーン、濡羽様は大変お疲れの御様子。
速やかに御寝所までお連れあそばすように……急ぎなさい」
執事姿の傍仕えに促され、メイド二人に左右の手を引かれた濡羽は、段上の脇に設けられた戸口から室外へと連れ出された。
足下に侍っていたロレイルも、飼い主を追いかける忠犬の如くに其の後姿を追う。
そして段上は、誰も居なくなった。
無人の段上をチラリと見遣ったインティクスは、口元を微かに歪め舌打ちをする。
「ではまた……次回は遅れないように」
誰よりも最初に立ち去るつもりが、濡羽やインティクス達に先を越されてしまった事に、口を屁の字に曲げて抗議の溜息を洩らすカズ彦。
何となく弛緩した雰囲気が、室内を包み込む。
「……ちょいとエエかいな?」
そんな緊張感が薄れた空気を掻き分け、下座の一番奥から弾んだ足取りで前にしゃしゃり出て来たのは、レオ丸であった。
倒れたままのインティクスの専用席を起こし、部屋の中ほどまで動かしてから前後を逆にして我が物顔で座るや、背もたれに両手を置いて顎を乗せるレオ丸。
「……主要キャストって指名してくれた割りには、ワシの台詞が台本に一言も書かれてへんかったんは、何でやねん?
自分らだけ発声で、ワシ一人だけ無声ってのは、納得行かへんな」
「田舎芝居も舞台は舞台……観客が居なければ舞台は成立しませんし。
そう考えれば、観客も立派なキャストですよ、学士」
「自分がゆーてる“キャスト”って、物言わぬ玩具の“ダイキャスト”の事なんと違うか?」
「学士の強心臓は確かに、“超合金”かもしれませんね」
“さて”、とゼルデュスは眼鏡の奥以外を綻ばせた。
「何か判りましたか、学士?」
「鉛と錫と亜鉛が詰まってるだけの盆暗なワシに、判らんもんが判るはずなかろーが」
「出来れば、俺が抱えた問題を解決するアドバイスがあると嬉しいんですけどね、レオ丸さん」
部屋を出るタイミングを逃したカズ彦が、苦笑いを浮かべながら床机を前の方へ引き出して、億劫そうに座り直す。
「え?
そっちの方はついさっき、答えが出てたやん」
「……どういう事です?」
「自分が質した通りにゼルデュスとインティクスの……二人の合作って事なんと違うん、なぁゼルデュスよ?」
「ええ、其の通りです。
私が跳ねっ返り共に計画を吹き込み、炊きつけました」
「そんで“かしこ”のお嬢ちゃんの耳に入るように情報を密かに流した、って事なんやろう?」
「ええ其の通りです」
「何故、そんな厄介な事をした?」
薄ら笑いのゼルデュスとヘラヘラしているレオ丸を呆れた眼差しで眺めてから、カズ彦は天を仰いだ。
「ぶっちゃけたら、ちっちゃい派閥争いって事やろ?」
「ぶっちゃけられたら、そういう事です」
「説明して貰えませんか?」
「えっとねー……ゼルデュスってな、今<Plant hwyaden>で一番いきり倒しとるゼッコーチョー男やんか。
ゲーム時代には無名もエエとこやったいけすかん面した野郎がスルスルと、俗世権力の頂点に立ってるんやね、コレが。
ナカスに連れてって貰えんかったヤンチャ坊主共からしたら、何かムカツクしイチビったろーって思うんは仕方ないやろーさ。
……ナカルナードが選ばんかったって事は、元々問題アリアリのスカポンタンやったに違いないわ。
そーんなゴンタクレでも、群れたら結構面倒臭い奴らにランクアップしてしまう。
だもんで、ゼルデュスが主催する大地人との交流イベントを挙行するってのを公に告知して、こっそりと警備体制の詳細を洩らしたんやろう。
バカ共でもソレなりに知恵が廻るやろうし、ロケット花火か爆竹を打ち込むみたいに魔法の一発でもイベント会場に咬ましたら面白いで、って囁いたんやろ。
例えカンシャク玉の一つでも厳粛な儀式の場で炸裂させる事が出来りゃ、ゼルデュスの顔に泥を塗れる絶好のチャンスやで、ってのも付加すりゃ完璧やね。
ほいで、奴らがある程度纏まった所で、そいつらの事を……」
「インティクスに売った、と?」
「正確にゆーたら、彼女が偶然に知った事になるように、遠まわしな情報漏洩にはかなり苦心したと思うけどな」
「ええ、本当に苦労しましたよ」
「調子こいとるゼルデュスにケチをつける機会を得たインティクスは、自分の手下も多少は動員したやろう。
序でに。
濡羽の名を出しゃ盲目に随うロレイル君か、騎士団の事を軽んじる執政公爵家に連なる大地人貴族の誰かさんをも巻き込んだに違いないわ。
元大地人のバンディット共に渡りをつけるにゃ、大地人にさせるんが一番やさかいになー。
こうして、賑やかなパリピー達がイコマの周辺にワラワラと集いました、とさ」
「企画立案は私でしたので、イントロン達と<壬生狼>とで全員を鎮圧すれば、インティクスの経歴に派手なバッテンマークをつけれると思ったんですがねぇ」
「ワシが何気なく連絡した事で、ミスハさんが独自判断で無断帰国してしもーた」
「全くの誤算でした。
学士が大人しくしていてくれれば、ドサクサに紛れて学士の首を差し出す事で、私は少しだけ失点する事に成功する……予定だったのですが」
「インティクスが大量失点、ゼルデュスが最少失点、カズ彦が得点を大いに稼いで全体的にプラマイゼロ……になる計略を、一人負け予定者のワシが台なしにしちゃったって事みたいやねんわ」
「仕方なく、除幕式に出席させる予定であったミズファに用事を申しつけてオーディアに送り出し、ミスハに近衛府の騎士団の代理を依頼しました。
其れで誤魔化せると思ったのですが、インティクスに寸前で計略を見破られました。
彼女は手下を速やかに全部引かせたので、大神殿送りにする事は適いませんでした……全く残念な事です」
「ミスハさんとイントロン君の部下の……伝次郎君とムジカさんとユリユリ君達が退治したんは、最初から処分予定の面々とインティクスが切り捨てた余剰品やったって事や。
って事で、カズ彦君が何ぼ大神殿で蘇ったアホ共を締め上げても、裏はさっぱり掴めへんさかいに。
あいつらは、自分達で計画立てて運悪くしくじった……程度にしか思ってへんはずやから」
「……何てこった」
「本当に、気に食わない話でしょ?
……人の行動を勝手に予定表へ書き込んで、其の通りに動かそうとするなんて。
もしカズ彦がゼルデュスのすかした面にグーパンチを叩き込みたいと思うのなら、私が四肢をナイフで床に縫いつける手伝いをして上げるわよ」
いつの間にかレオ丸の背後に移動していたミスハが、これ見よがしに刃物をチラつかせる。
「どうか穏便に」
少し困り顔のイントロンがゼルデュスの真後ろに立つと、其の横に位置したユリユリが楽しそうな表情で腰に差す獲物の柄に利き手を添えた。
「……レオ丸さんは、ゼルデュスの計略にいつ気づいたんです?」
「ミスハさんがこっちに戻って来た時かなぁ。
ああ、ワシって狙われてるんかもしれへんなー、って何となくやけどねー。
ほいで此処に来る道すがらでミスハさんに懇々と説教されて、ああやっぱりそっかー、って思った処やわ。
……此処でのワシは邪魔者以外の何者でもない、ってな事をつくづくと実感させられたんよ」
「其れは、至極当然でしょう。
学士は<Plant hwyaden>の仲間ではなく、ウェストランデ圏内に混入した異物でしかないのですから。
気づかなければ兎も角、見つかってしまった異物は排除するのが当然じゃありませんか?」
「出来たら力尽くで卓袱台返しをしたいくらいに、何ともガッカリな現実やね、ホンマ……」
うんざりした顔のレオ丸の左右に控える伝次郎とムジカが、直ぐに抜刀出来るような体勢で正面を睨みつける。
再度、険悪な雰囲気が満ちた室内であったが、幸いながら其れ以上の刃傷沙汰に発展する事はなかった。
閉められる事なく開けっ放しであった扉を、誰かがノックしたからである。
「失礼するアルヨ」
訪う声に室内全員が注視すれば、其処に居たのは先ほどまで濡羽の傍に居たメイドの一人であった。
チャイナドレス風にアレンジされたメイド服姿のハーフアルブ、魔法ノ麻姑娘々という名の冒険者が恭しく一礼する。
「レオ丸様に於かれましては、御足労願いたいの事アルヨ」
「へ、ワシ?」
「ミスハ様も御一緒に、と濡羽様が申されたのアルヨ」
「私も?」
「お二人だけ来て欲しい、と申されたのアルヨ」
麻姑娘々の可愛らしい声は、レオ丸の耳には何故か、無性に不安を掻き立てる無限音階のように聞こえたのだった。
今回も中途半端な会話劇でありました。
ゼルデュスの計略が穴だらけ過ぎで、破綻してるんと違うかな?って思ったりもしますんで、後日改訂するやもしれません。
もし、良き提言がございますれば、お教え下さいませ♪
さて、まこ様に於かれましては大変不服かと存じますが、平に御容赦を。
キャラデータは活動報告にてさせて戴きますです、御免なさい(平身低頭)。