第漆歩・大災害+114Days 其の壱
はい、お待たせしました!
どーにかこーにか形になりました、いえ、しました。
どないな形かは定かじゃありませんが……。
今からざっと24時間くらい前の事を回想してみんとて、するなり。
一人の下人っぽい身形のワシは、羅生門とは似ても似つかへんアオニ離宮の閉ざされた内大門の下で人を待っとった。
広い門の下には、このワシの外に人間は誰も居らん。
ただ、所々塗装の剥げた大きな円柱の蝶番に、腹を膨らませた蟋蟀っぽい形状の黄色い虫が一匹留まっとる。
ふと、一個の萎びた檸檬を連想した。
途端に、口ん中に何とも苦酸っぱい唾が湧き、得体の知れん不吉な塊がワシの心を圧縮し出しよる。
焦燥感とゆーか、嫌悪感とゆーか、渋々参加した宴席で呑み慣れへん酒を呑まされた後に最悪な宿酔みたいな感じの。
いっその事、洋酒屋さんに1トン爆弾を仕掛けてトンズラしたったら溜飲が下がってスッキリするんやも?
……いや、ワシの鈍足じゃドカンと破裂する際に巻き込まれるんがオチやな。
「……何を独りボッチで黄昏てるんですか?」
「此処で自分の身包み剥いでトンズラこいたら、漆黒の闇ん中の影みたいに消え失せ行方知れず……になれるかなぁってな?」
「行き着く先は大神殿になりますが、其れでも良ければ」
「ああ、そーか……此処は<赤封火狐の砦>の影響圏とは違うんやったなぁ」
「ええ、ミナミの影響圏内です」
「何とも残念な事実を教えてくれて有難う」
「どう致しまして」
「ほいで、ワシを呼び出した理由は何やねん?」
「漸く件の物が完成しましたので、其の検分をお願いしようかと」
「へぇー?」
そんな感じで、いつの間にやら湧いて出とったゼルデュスが内大門の扉の一方に片手を押し当てれば、其の掌の周囲が一瞬だけ青白く輝いた。
すると、蝶番の油分も万全やったんか、扉は軋み一つ立てずにスッと開く。
そしてスタスタと進む背中を眺めながら歩くんは、如何にも中世ヨーロッパっぽく仕立てられた区画の中。
整然と敷き詰められた石畳の其の先には、ヒョロっとした尖塔を屋上に設けた石造りの建物が行くての百メートル先くらいを塞いどる。
高さは五階建て、尖塔の形状はチェスのルークの駒みたいやった。
因みにワシらが闊歩しとる道幅を目算すりゃ、平均的な二車線道路くらいかね?
道の左右に隙間なく立ち並びまするは、何とも無機質な石造り四階建ての建造物。
……コレくらいの道幅で視界が妨げられると、頭で了解しとる以上に圧迫感を与えられてしまうなぁ。
高層建築やないから空が開けているんで、直線で切り取られた青空は目に優しい。
……心には優しいないけどな。
だもんで。
宿舎として利用させてもろうとる<紫暮廷文庫>が、見渡す限り広々とした明るく鮮やかな緑地に囲まれててホンマ良かったわ。
今回、初めてこっちに踏み込んだけど、人工的に過ぎる内宮区よりは管理緑地であっても外宮区の方がエエねぇ。
しかし、石壁ってのはホンマ愛想も素っ気もないなー。
オリャンタイタンボ遺跡を探索中やったら、また別の感慨が浮かぶんやもしれへんが。
感じるんは圧迫感のみで、しかも一度意識してしまえば延々と自覚してしまうのが難儀やわ。
真っ直ぐ伸びる石畳の道が、長く感じたり短く感じたりと、まじまじ見とったら遠近感が狂ってきよる。
まるで、キリコ御大の『街の神秘と憂鬱』に迷い込んだ気分。
其の辺の路地から輪っかを転がして遊ぶ少女が、今にも飛び出して来そうやね?
マモーの島を探索中の怪盗ルパンのお孫さんも、こないな気分やったんかなー。
なーんて事を思いながら歩けば直ぐに、ゴールへ到着。
ゼルデュスが、鈍色の金属性ノッカーを握り扉にゴンゴンと打ちつけりゃ、重たい音が石壁に反響しよる。
思わず目を閉じ、耳の穴に指突っ込んでビリビリする鼓膜の辺りを揉み解してたら、耳障りな軋みが。
ゆっくりと瞼を開けば、扉も開いとった。
んで、其処に一人のヒョロリとしたヒューマンが、何処か頼りなさそうに立っている。
「お待ちしておりました」
聴覚が回復したばかりの耳じゃ絶妙に聞き取り辛いお出迎えの言葉を発し、頭を下げる青年。
彼もまた御他聞に洩れず、<Plant hwyaden>に所属しとる冒険者で、名前は……DiceK×3と書いて“三振ダイス”君か……。
全てがゲームやった頃に、噂だけは聞いた事のある、クセの強いプレイヤーやったよなぁ……確か。
前衛で攻撃職としては最適な<盗剣士>やねんけど、彼は戦闘には積極的やなくて後方支援を専らとするプレイが特徴的……やったっけ?
何せ、メイン職はLv.70でサブ職はlv.90ってアンバランスさ。
フィールドへ出かける事は稀やったそーで、もし見かけたら其の日はラッキーデイになると噂が立つほどの出不精冒険者とか何とか。
彼も<大災害>に巻き込まれとったんやなぁ、……何ともお気の毒に。
そーんな、生産系プレイヤー界隈では知る人ぞ知る引き篭もりの達人が、わざわざ玄関口でのお出迎えとは……。
「ゼルデュスって、お偉いさんやってんなー」
「そうですが、何か?」
「いや、別に」
「では少し黙っていて下さい」
何とも心温まる嘉賞に満ちた対話に眉ひとつ動かさなかった青年は、徐に右手を伸ばして半身に構え、無言でワシらを中へと誘う。
目だけを動かせば、視界に映る建物は特に変哲のない……いや、開けられた扉も観音開きの窓の戸も分厚いやな。
ついっと手を伸ばし裏拳で軽く叩きゃ、何とも鈍い響きと手応え。
「此処は元々、此の街唯一の工房だったようです。
とある貴族の趣味が高じて作らせた、実にささやかな施設ではありますけどね」
「ルイ十六世陛下の錠前部屋みたいな?」
「さてどうでしょうか、ベルサイユ宮殿にどのような設備があったのか存じませんので」
「奇遇やな、ワシも知らんわ」
「なるほど」
「しかし、アオニ離宮にワシ以外の住人が居ったとは露知らず。
早うに教えてくれとったら、挨拶代わりに泉州か今治のタオルの一本でも持って来たのに、水臭いなぁ」
「どうして私が何の益もなく、学士の交友関係を豊かにしなくちゃならないのです?」
「ほら、“情けは人の為ならず 情けは人の情けなりけり”とか何とか、ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス帝か誰かが言うてたやん?」
「駄法螺もほどほどに」
まるで味のしなくなったガムをゴミ箱に履き捨てるような丁寧さで其の一言を口にしたゼルデュスは、スタコラさっさと建物の中へと歩を進めよった。
ほなまぁワシも、御邪魔しまんにゃわ。
……………………うわぉ。
入った瞬間に味わった衝撃を、如何に表現すべきか!?
其処には、バルフォー=トゥルーデ砦将閣下が居てはった。
いや、……砦将閣下にめっちゃそっくりなブロンズ像が、ワシの目の前に毅然とした表情で立ってはる。
台座も含めりゃ五メートルくらいの、精悍で凛呼としとって威風堂々とした偉丈夫の写し身が、ワシを見下ろしてはった。
「鍾馗様……いや、毘沙門さんか?」
腹部に届くほどに伸ばされた顎鬚は美髯公のように整ってへんで放埓に跳ねまくっとる点と、長剣を片手で握り締めてる点は、鍾馗様と一緒。
せやけど、全身を覆う鎧姿ってのは鍾馗様とは違う。
何でかゆーと、鍾馗様は官服を着てはる……つまり文官やからや。
ポーズだけやと毘沙門天さんっぽいんやけど、三叉槍に似た形状の宝棒も掌サイズの宝塔もお持ちやないしなぁ。
「コレは、“誉れ高き騎士”の像です」
DiceK×3君が、ゴツゴツとした台座の輪郭を撫でながら、ボソボソと作品名を告げる。
名品、そうゆーしかない作品を見詰めるワシはポカンと阿呆みたいに口を開き、嘆息製造機と化してしもーた。
「レオ丸学士の提案された通り、で宜しいですか?」
ああ、そーやそーやった、ゼルデュスのゆーた通りや。
物言わぬ雄雄しき騎士が両足で踏みつけとる、<羅刹王の朱漆塗天衝脇立鬼神面形兜>と付属品を睨みながら、ワシは口中で呟く。
先日終了した<スザクモンの鬼祭り>でワシらが挙げた戦果の内で、最も物質として価値のあるんは何かとゆーたら?
間違いなしで、<羅刹王シュテルン>がドロップしくさりやがったこれら一連のアイテムや。
アイテムランクは、どれもこれも<幻想級>。
胴・佩楯・脛当・籠手・手甲、以上の五つのパーツで構成されとる<羅刹王の血染糸威悪鬼五枚胴具足>。
ソイツを全部装着した効果は、クリティカルダメージの七割減、魔法を含む全ての攻撃からの回避率が三割向上、問答無用で常時先制攻撃可能、物理的攻撃の命中率が四割向上、ってな優れもの。
目ん玉飛び出るくらいに防御力がアップするし、戦闘時に必ず先手が打てるってのは、ちょいと卑怯やよなぁ。
装着出来る職種の奴ら全員が欲しい、と思うにちまいない、ちまいない。
装着出来ひん職種の奴らかて、“譲渡不可”って制限がついてへんのやからレンタル料を荒稼ぎ出来るやろうし、個人的にオークションを開いて高額で売り捌いたら、もうウハウハや。
誰も彼もが欲しがる最高級品の防具アイテム……やねんけど、そうはドッコイほいさっさ。
エエ事尽くめで万々歳と行かずに、使用上の注意事項が多々ありよる。
全部を装備して戦闘すると、敵に与えたダメージと同等の経験値が逐次削られてしまうんやね。
詰まり時には、倒して得られる経験値以上の経験値を代償として失う場合が、多々あるって事やね。
だもんで過去の例では、胴と佩楯と脛当のセットと、籠手・手甲のセットの二分割にしてたっけなぁ。
胴廻り防具三点セットの効果は、クリティカルダメージの三割減と物理的攻撃回避率の二割向上。
手元の二点セットの効果は、初回の攻撃時のみ先制出来て、命中確率がちょいと良くなるんやったっけか。
因みに兜は……、よう憶えてへんけど何やかんやでプラス面が最高で、マイナス面が最低で酷かった。
コイツを誰に渡すべきか?
どでかいイベントが終った後、何が大変ってゆーたら戦利品の分配や。
普通ならば戦い済んで日が暮れて、の其の場でチームリーダーがチャチャッと分配して終了やねんけど。
其れがドルンバウムの戦いが始まってから此の方、激戦に次ぐ激戦でワシらは皆疲労困憊で休憩時間はなーんもする気が起こらず、ガーガー寝倒しとった。
結果として、掻き集められた戦利品は保管庫へと片っ端から放り込まれ、気がつきゃパンク寸前までに。
累積する一方で仕分けもされず、放ったらかしで迎えたんが最終日の最終決戦やった。
殺しまくって勝利の凱歌、殺され倒したが負けずに済んだ後、ワシらが得たのはささやかな達成感と背負いきれぬほどの精神的な疲弊、其れと莫大な金貨に多数のドロップアイテム。
数えるんも、嫌になるくらい!
更に今回の件に関して難儀なんが、<スザクモンの鬼祭り>に関わった人数が多過ぎるって事やった。
全てがゲームやった頃は、最大で九十六名までしか関われへんさかいに、まぁ何とかなったけど……今回は約千人や。
ちょっとでも参加したモンも含めた、全員の考課表を策定せなならん。
と同時に。
金貨の枚数を集計し、ドロップアイテムの価値を算定。
分配方法も決めなならんなぁ。
金銭価値優先で平たく分配するんが一番手っ取り早いんやけど、そんな共産主義的欠陥を実行したら<Plant hwyaden>崩壊への序曲、蟻の一穴になるさかいに、論外として。
考課表を元にした殊勲者ランキングを決めて最上位者から優先的にドロップアイテムを取得させ、金貨の総量の五分の一くらいを<Plant hwyaden>が収得し、残りを参加者全員で頭割りとか?
まぁ、ワシが決める事やないさかいに、不満が極力少ななる方向で取り纏めてもらえばエエわさ。
せやさかいに。
ゼルデュスとカズ彦君達は“どないせーっちゅーねん!”ってな事を叫んでたが、ワシは“ああ、大変やなぁ”と傍観しとった。
処がギッチョン、他人事やなかったんやなコレが。
評価対象者にはナゴヤの面々もさる事ながら、ワシ自身も含まれている。
ワシとしちゃ、大き目のレジ袋二つ分くらいの金貨と、小粋でいかしたアイテムを一つくらい貰えたらエエわ、って思うたんやけど。
ソレじゃあ、ちょいとバランスが取り辛いんやとか。
どーやら悪目立ちし過ぎたみたいやね。
そないにヤイヤイ言われなアカンほど何かやらかしたかなぁ?
……まぁエエか。
いや、良くないねん。
適正やなくとも、まぁこんな感じで納めとこか、ってな当たりで決着するまでにゃ、一ヶ月はかかりそーな事を、陰険眼鏡の野郎はほざきやがった。
んで、褒賞の分配が終了するまで此処に留まれ、とも。
アホかッ!!
一ヶ月もボケーッとしとったら、ナインテイルからバカ……もとい、ナカルナード達が帰って来てしまいよるやんけ!
……まぁアイツと気まずい思いで面突合せるんは、不本意であっても許容したってもエエ。
問題は、“達”の方や。
<スザクモンの鬼祭り>の後始末に関して、ナカルナードは何も言わへんやもしれへん、恐らく言わへんやろう。
自分がタッチしてへんイベントに口ばし突っ込むほどには、阿呆やないし、分別もあるからな。
せやけど、其の周辺はどないやろうか?
自分よりも弱いって思う者達、……レベルやなくて戦闘能力が低い者達が質の良いアイテムを所持しとる事に、戦闘系ギルド出身の奴ら全員が納得出来るんやろうか?
ワシが危惧したんは、そこやった。
<馬揃え>の準備中に、ワシが気懸かりアリと伝えるたらゼルデュス達も同じような懸念をしてくれよった。
考えるべきは、如何に問題を上手く先送りした上で、棚上げするか?
ない知恵絞って捻り出したアイディアは、今回のイベントで一番価値があるお宝アイテムを、シュテルンがドロップしやがったアイテムを冒険者の手の届かへん場所へ隠匿してしまえ、って事やった。
ソイツが、友好の証として<大地人>に押しつけてしまおう! 企画やってんけど……なぁ。
企画としては成功やと思ったのに、まさか受け取り拒否されてしまうとは!
当に、だーいどーんでーん返し!
ま、“ゴメンナサイ”されてしもーたら仕方ない。
急遽、窮余の一策を無理からに考案したんやけど。
“何ぞ記念品でも拵えて、ソレの一部にしてしもーたらどないや?”ってね。
差し出口した結果が、目の前のコレかぁ!
「DiceK×3君、エエもん造ってくれて有難う」
「仕上げがまだですが……」
若きマイスターは俯き加減でボソボソと呟きつつも、ワシが差し出した右手を力強く握り締めてくれた。
「ほいで、ゼルデュスよ」
「何でしょう?」
「此方の“誉れ高き騎士”さんは、どちらへ安置するんや?」
「勿論、イコマの入り口です」
「西と東、どっち側の?」
「東側に決まってるじゃないですか」
「ふむ」
「<大地人>との友愛の証なのですから」
「ああ、そーゆー名目か」
「ええ、そういった名目です」
「なるほろ、そりゃあエエ考えや」
ゼルデュスの立場で出来る精一杯の鎮魂の志の表明やわな、……バルフォー閣下は泉下で異議を申し立てはるんやもしれへんが。
慰霊碑、忠魂碑といった祈念の碑は、事績を後世に残すための記念碑でもあるんやし。
只の墓標を設置するよりは、あざといくらいにあからさまなモンを建てた方が潔くてエエがな、とワシも賛意を示そう。
写実性に富んだ立体的な墓標と、踏みにじられた姿で無様な供物と化した幻想級アイテムに。
誰もが顔を背けたくなるよーな醜悪なフォルムも、収まるべき形に収まりゃ、代えって可笑しみを伴うオブジェと為り得る見本やね。
不細工と秀逸は、恐怖と滑稽ほどに紙一重なのやも?
ワシは口を真一文字に引き結び、<スザクモンの鬼祭り>で散華した英霊達の現身たる銅像へ黙祷する。
<スザクモンの鬼祭り>に参戦した冒険者達は、此の像を前にする度に今のワシみたいに頭を垂れるやろう。
参戦してない冒険者が、どないな態度で接するかは知らんけどな。
大地人達は、冒険者と似て非なる二つの態度を示すやろーて。
友誼や親愛と受け止めるんか、其れとも威嚇や牽制と受け止めるんか、の異なる二つの心持ちで、な。
敬意を姿勢で表そうとする者達と、別の性根で相対する者達を、バルフォー閣下は如何に御覧なされるのやら。
深々と腰を折ったままのワシの耳に、豪放な笑い声らしきものが聞こえたんは、きっと幻聴、風音を聞き違えた空耳の類やろーかなぁ?
ワシらは、工房という名の天岩戸に再び独り篭るDiceK×3君に別れを告げ、内宮区へと通じる扉を閉めた。
バルフォー閣下にそっくりな像が、ミナミの方へと通じる側の入り口やのーて、ヨシノへと到る街道の起点に設置され、除幕式を迎えるにゃもうちょいかかりそーやねー。
「何をなさってるんです?」
「え?」
扉をペタペタと触ってたワシは、眉間に皺を寄せたゼルデュスの面を小首を傾げつつ見上げる。
「登録された者しか、開錠出来ませんから」
「チッ、ケチ臭ぁ」
鼻でせせら嗤うゼルデュスと肩を並べ、再び歩き出すアオニ離宮の外宮区の芝生の上。
しかし改めて思うが、何とも勿体ないとしか言いようのない場所やなぁ、此処は。
何せ、住人が只の一人も居らへんのやから。
住人が居らへんが故に此処は、“街”でも“町”でもあらへん。
かとゆーて、廃墟でもない。
神代の時代の超技術、みたいな何かが施されている……ってな事なんやろーなぁ?
ワシの記憶じゃ、設定資料に記されていた特記事項は、
“イベント攻略に行き詰ったら、此処で何かのヒントが得られるかも?”
されど実際は何もヒントが得られへん、ってな<エルダー・テイル>の世界観を維持する小道具としてのみ存在する場所、やったもんなー。
全てがゲームでしかなかった頃は何とも雑な扱いなトコやったが、<大災害>後に訪れてみりゃソレはソレで其れなりに重要な場所やった! ってのには正直笑ったが。
<古都ヨシノ>と<宗教都市イセ>の政治的力学が産み出した空白地帯、イッツ・ア・アオニ離宮。
空白地帯は理念だけやのーて、実態としてもそーやった。
北京の紫禁城の約四分の一サイズ、500×400メートルの面積の中に建物は幾つもあるけれど、皇王朝時代ならいざ知らず、今じゃ使われる事もなく朽ちるにまかせ……いや、朽ちもせずにいつまでもあり続ける鬼城か。
広東省の東莞市にあった華南MALLみたいに蜘蛛の巣の一つでも張ってりゃ、可愛げもあるやもしれへんが、行き届いたお掃除魔法は塵一つ残しやしない。
新古品、ってヤツ?
「ああ、そうだ」
<紫暮廷文庫>の目前で足を止めたゼルデュスが、さも今気づいたようなわざとらしさで此方へ首を廻らせよった。
「明日もまた、お付き合い戴きますので」
「ええーっ! もうエエやろ? 充分やろ?」
「いえいえ、今少し学士の時間をお裾分けさせてもらいますよ」
シレッとそう言いつつ、ゼルデュスが懐から取り出して広げたのは、ワシの書名が書き込まれた一通の書類。
“一つ、ゼルデュスに格別の用が生じた際には、西武蔵坊レオ丸は万難を排除して一致協力する。”
そう記された、契約書やった。
「ほいで今回の“格別の用”って、何やねん?」
「今、濡羽達がヨシノで執政公爵家と交渉をしているのは御存知ですよね?」
「ああ、ワシには関係ない事やけどな!」
「其の交渉後、の事で相談があるのですよ」
「そんなん、念話で充分やろーが」
「……ナゴヤから来た彼らは、まだミナミに居るのでしたっけ?」
「そーみたいやねー」
<馬揃え>の直後、ゼルデュスの要請に不承不承ながら従い居場所を変えてから、ワシはYatter=Mermo朝臣君達とは顔を合わせちゃいない。
<赤封火狐の砦>で、慌しいお別れをして以来ズーッと。
昨夜、念話で軽く話したが、もう何日かは<ミナミの街>をブラブラと遊覧するってゆーとった。
<ナゴヤ闘技場>へと帰還するんは、一週間後くらいになりそうな按配やったっけ。
って事は?
“人質”達が自主的に“解放”されるまでは、ワシは此処に居らんとアカンって事かい。
其の契約書は、<ハチマン>の事に関してのモンで<ナゴヤ>は関係ないやろう!
……と、世に憚る事なく成層圏に届くくらいの大声で主張したいんやが、ねぇ?
不明にして不覚にも、あやふやな条項の所為でそうは問屋がナッシングやな、畜生め!
コレも身から出た侘び寂び、自縄自縛のブーメランってか?
ワシが僅か数秒で了解した事を見透かしたように、ゼルデュスはやれやれと呆れたような溜息を洩らしよった。
「学士も随分と物分りが良くなられたようで、安堵しましたよ。
ほら、私は穏便で臆病な性格でしょう?
物騒な言葉も行いも私は大嫌いな性質ですから、平穏無事に事が済むならば私は其れ相応の努力をしますし、使えるモノは何でも使いますよ」
そう言われたら、<淨玻璃眼鏡>の下で白目を剥いたワシは、唖然と開いた口から見えないエクトプラズムを吐き出すしかする事がねーやな。
「鶏肋、でもか?」
「帯に短し襷に長し、ならば雑巾にすれば良いだけの事ですから」
「ワンガリ・マータイ女史さんも、さぞや天国でお喜びの事やろーな、地球じゃ普及せんかったけど、地球やない世界で広めようと努力するモンが居るってな」
「では、また明日」
口の端を歪め鼻に皺を寄せたワシに手を振ると、ゼルデュスは笛を一吹きした後に、大空の住人と相成りよった。
大きく翼を羽ばたかせた<鷲獅子>は、古都ヨシノのある方へと飛び退って行く。
達者じゃないよーになー、無事に到着するんじゃねーぞー。
其れから二十三時間と三十分後に念話をして来た陰険眼鏡の要請に従い、ワシはアオニ離宮の<紫暮廷文庫>を後にしたって訳や。
ああ、すまじきものは宮仕え、凄まじきものは人の性ってな!
今回は、前回の補填みたいなお話ですので、ちょいと短めで。
実際には、長々としちゃったんで、分割した前半なのですけどね?




