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さて、柳栄様、矜牙軍師と共に武殿前の広場までやって来たのだが…
新人武官が明日から出仕するというだけで、現在武官として登用されている者達は当然のように武殿にいるのだという事をものの見事に忘れていた。
武殿を案内されている時にもちらちらと視線は感じていたのだ。
その時は柳栄様の説明や覚えなければならない室への道順で頭がいっぱいだったからあまり気にはしていなかったけれど、今は違う。
柳栄様に無理矢理引っ張ってこられた矜牙軍師を筆頭に、私と私の正面に立つ柳栄様を取り囲む人間の数はかなりのものだった。
そもそも軍の最上位である二人と一緒にいるだけで目立つのだ。
そして私の纏う官衣の色と刺繍が、周囲にどのような影響を与えるかについても失念していたとしか言い様がない。
軍師の室から訓練用の広場へ行くためには長い回廊を通る。
その道程を将軍が軍師を半ば引き摺りながら、見たことのない軍師補佐という官衣を纏った私のような若い五大家の娘と歩くのだ。
一目見た者は大抵首を捻り、どういうことかと噂する。
それが軍内に回った結果、この衆人環視の下での柳栄様との手合わせに至ってしまったのだろう。
「うーん、何だか大事になったね。
俺はいいけど、玲湶としてはやりにくいかな?」
「誰のせいだ、馬鹿者。
俺まで同類に見られるのは御免だぞ」
「酷いなー。そもそも矜牙が大人しく着いて来てくれてればもう少しマシだったかもしれないのに」
判定役をつとめてくれるらしい(柳栄様に無理矢理やらされているとも言うかもしれないが)矜牙軍師と柳栄様の会話を苦笑しながら見守る。
こうなってしまっては仕方がないから、観衆については別にどうでもいいのだ。
それに好奇の視線にも、ひそひそと囁き合う声にも慣れている。
特にそれで私がどうと思うことも今更なかった。
ただ軍師に怒られることは出来るなら少しでも避けたい。
たぶんこれから先、私が補佐として使えるようになるまで怒られるのだろうし。
「……お前は緊張感というものがないのか」
ただ結局苦笑しているところを見とがめられ、そう言われてしまった。
緊張はこう見えて常時しているのだが、それが他者に伝わらないのはいいことだろう。
それは私よりも武術に秀でた柳栄様や、長く傍にいた祠苑様には悟られてしまうものだけれど。
「柳栄様との手合せは何度か経験がありますから、少し気がゆるんでいるのかもしれません」
「何度か手合せを…?」
「そうだよ。だって玲湶、祠苑の妹だもん。
家に遊びに行ったときとかに稽古つけてあげてたんだ。
まあ最近は科挙の勉強に力を入れてたから全然だったけど。
確かその間に天具を新調したんだよね?」
「はい。柳栄将軍にお見せするのはこれが初めてになりますね」
普段は装飾品の形をとり、必要な時にだけ武器の形をとるものを【天具】という。
その素材となるのが【天石】と呼ばれるそれ自体が不思議な力を持つ輝石で、それに専門の職人が丁寧に天術をかけることで完成する品だ。
また天具にもその完成度や加工の工程でランクがあり、高価で作ることのできる職人すら数えるほどしか存在しない特級品から、安価で大量生産がなされている三級品まで、その種類は様々。
私のものも柳栄様のものも特級品で、私は腕輪、柳栄様は耳環の形をとっている。
「三叉槍と申します」
手首をおおう腕輪に手をかける。
そうすれば銀の幅広のそれに埋め込まれた天石から私の身の丈を超す槍が顕現した。
私の天具【三叉槍】。
武挙及第の祝いにと、朱家筆頭門下である藤、紫の両家当主から贈られた大切な品だ。
「へぇ、槍なんて意外だな。玲湶は接近戦が得意なのに」
「そうかもしれません。ですが槍が不得手というわけではありませんので」
「そうだね。君は大概の武器は扱えるから。
……何だか秘密がありそうで、楽しみだな。
ともかく始めてみようか。これ以上野次馬が増えるのも嫌だしね」
楽しそうに笑う柳栄様も耳元へと手をやって、そこから剣を顕現させた。
彼の天具、【斬空】だ。
「相変わらずの戦闘馬鹿だな、お前は。
では両名ともいいな?始めるぞ」
矜牙軍師が距離をとり、戦いの余波を受けないであろう位置から天術で火の玉を作り出す。
そしてそれを天に向けて飛ばした。
火の玉が破裂した音を合図に、私は地を蹴る。
私の長所は身軽さと素早さ、動体視力、そして持久力だ。
戦闘での相手の些細な動き、呼吸から次の動作を見極め、その行動の先をいく。
私はあまり筋力がないから重い一撃を繰り出すことはできないけれど、この能力をきちんと活かして戦うことが出来れば男にも負けることはない。
ただ、柳栄様は別なのだけれど。
「相変わらず、速いね!」
「対応されながら仰られましても、こちらとしては喜べません」
私の出せる最高の速度で何度かの撹乱、フェイントを入れた攻撃。
けれどそれに、柳栄様は簡単に対応する。
野生の勘だと本人は言っていたけれど、そんなものではない。
私の行動をきちんと予測、感知することは勿論、それを防ぐために最小限で身体を動かす。
動きを感知されたとして、私が柳栄様よりも速く動けばいいこと。
けれど彼のものと比べて、私の動きには無駄が多すぎるのだ。
柳栄様は身体が大きく、その分力はあるがスピードは普通の武官よりも少し速い程度。
それでも追い付かれてしまうのは、彼が最小限の動きしかしないから。
望む位置に、体勢にもっていくために必要な動きが何なのか、きちんと理解しているから。
それに比べ、私は自分の持つ速さに胡座をかき無駄な動作が多すぎる。
柳栄様に出会い、手合わせを重ねていくうちに段々と改善されはじめてはいたが、それでもまだ及ばない。
「槍は俺みたいな、接近戦相手だとやりにくいんじゃないかな?」
ぐん、と柳栄様が迫る。
そのまま横薙ぎに刃が駆ける。
それを跳んでかわし、私も槍を振り上げた。
「いえ、それ程でもありません。
貴方も知っておられる通り、私は女にしては身長がありますが、やはり男性と比べるとリーチが短すぎます。
それを補う点では適した武器かと」
「あぁ、そういう考え方もあるね。
でも攻撃をかわされると痛い筈だ」
確かに長いリーチは攻撃の後隙を生みやすい。
実際私も槍使いや薙刀使いを相手にするときにはそのタイミングを見計らって攻撃していた。
「おっしゃる通りです。
ですが私としても、何も考えていない訳ではありません」
避けられたことでざっくりと地に深く刺さった槍先。
私はまだ攻撃をよけた時のまま、空中だ。
そこに斜め方向から大剣での突きが襲う。
私自身使う手だ。対策を考えていない訳はない。
それは柳栄様とて分かっているのだろう。
私がこれにどう対処するのかだけを見極めるために放たれた突き。
その視線は私からそらされることは無い。
その要求に応えるため、槍に全体重をかけそのまま高跳びの要領で体勢を変え反対方向へ。
こうしてどこかへ槍先を刺してしまえば、それは身軽な私にとって足場の一つだ。
「なるほど。確かにそれは君にしか出来なさそうな芸当だし、ピッタリかもね」
着地の折に抜き取った槍の持ち手で上方からの斬撃に耐える。
普通なら折れてもおかしくはないが、私の天具とて特級品だ。
この程度で破損はあり得ない。
ギリ、と刃と柄が擦れる音が響く。
「光栄です」
「そんなに嬉しそうにしてるってことは、朱家関係?」
「はい。紫家、藤家当主から連名で頂きました。
武挙の祝いに、と。
ですから情けない戦いをするわけにはいきません」
これを使っている以上、朱家の名を背負っていると同義だ。
この朱の官衣も天具も、全てが私を受け入れてくれた朱家の温かさの表れ。
だから私は、それに恥じない存在でなければならない。
「あはは、気合い入ってるね。
こんなに素直でいい子なのに、矜牙ってば気難しいんだから」
「いえ、突然やってきた私のような者を信用し部下として使えという方が無理な話ですから」
「……うーん」
柳栄様は難しい顔をして長い足を振り上げた。
それを受けることはしない。
私の身体では押し負けてしまう。
後ろによけ再び距離をとる。
「本当にね、祠苑が心配するのもよくわかるっていうか…」
「え、祠苑様が…?」
「あはは、気にしないで」
そう言われるが、心配とはどういうことだろう。
私は何か心配をかけてしまっているのだろうか。
「玲湶?聞いてる?」
どうすればいいのだろう。
もうきちんと武官にもなることができて、高い地位も頂けて、これから恩返しをしていこうと思っているのに心配をかけるなど意味がない。
どうすれば心配をかけずに済むのか。その問いは難解だ。
やはり武官といういかにも危なそうな仕事がいけないのだろうか。
武官は戦いを生業としているから、その分心配をかけてしまうのは仕方がない。
「玲湶?また色々と考え込んでるよね?」
……いや、けれどこの仕事は私が選んだものだ。
そもそも心配をかけてしまうのは私が弱いからで情けないから。
なら私がもっと強くなって、祠苑様が心配することのないような人間になればいい。
そうすればきっと立場ももっと上がって朱家の名も広がり、恩返しにも繋がっていくはず。
「……精進します」
「君はそういう子だよね…
俺も変な方向に火をつけちゃったな…祠苑に怒られそう……」
一度とった距離を再び詰めるために駆け、その途中で槍を投擲する。
けれど足は止めない。
「……?」
柳栄様は不審そうに眉をひそめながらも軽々と槍をよけた。
それで構わない。
元々彼にこんな攻撃が通るとは思っていなかった。
避けられ背後の地面に刺さるだけとなっていた三叉槍が光の粒子に変わり私の元へ。
歩みを止めずにいた私が柳栄様の攻撃の射程内に入った瞬間、光が再び物体としての形をとる。
「三叉槍という名は、槍だけを指している訳ではありません」
無手でも遠慮なく襲い来る刃に、左手で握る剣を。
そしてがら空きの胴へ、右手に握る剣を。
「……っ、と」
だが浅い。服と皮膚の表面を僅かに裂いたのみ。
それに身体をひねって攻撃を紙一重で避けた柳栄様から、お返しのように膝蹴りが迫る。
自ら後方に跳んで勢いは殺すことが出来たが、それでも一瞬表情が歪むのは隠せない。
少し、気が逸ってしまった。私の読み間違いだ。
「三叉っていうのは、三叉に分かれた槍先を表してるのかと思ってたけど……その天具には三つの使い道があると、そういうことか」
「はい。槍、双剣、爪で中距離、近距離とに対応する天具です」
「いくらしたんだろうね」
「………教えては、頂けませんでした」
そう、値段はどうしても教えてもらえなかった。
どちらの当主も貴女が扱うのだからそれなりのものは必要だと、そればかりで。
一つの天石に三つの武器の形態をつけさせるなんて、一体どれだけの技術が必要か。
考えただけでゾッとする。
けれど同時に朱家の者として認めてもらえているようで、とても嬉しく誇らしかったのも事実だ。
「あはは、流石朱家。
さて、そろそろ体も温まったその天具の秘密も知れたし、本番に入ろうか」
「はい。何事にも未だ拙い私ですが、将軍の胸をお借りいたします」
「はいはい、そんなに畏まらなくてもいいよ。――こい、玲湶」
「は」
再び三叉槍を槍の形態に戻し、私は強くそれを握り締め振りかぶった。
「……で?この状態はどうするつもりだ」
目の前にはこちらを睨む矜牙軍師。
ひんやりと冷気すら漂っている気がする。
「いやぁ、玲湶最近は科挙の勉強で忙しくてさ、長い間手合わせしてなかったからつい、テンションが上がっちゃって」
それに私の隣で同じく冷ややかな目線を向けられている柳栄様は弁解するけれど、それは結果的に軍師の額に青筋を浮かべるだけの結果となった。
「つい、で広場をこんな状態にする奴がどこにいる馬鹿者!」
手合わせでやはりと言うか当然と言うか、私は負けてしまった。
最低限見苦しくない戦いができたと思っているし、それに対して不満はない。
けれど私達の戦いの影響で訓練のための広場は傷だらけだった。
地面の至るところにある抉れた跡は私の槍。
切り裂かれた裂け目は柳栄様の剣。
どちらもかなり深くまた数が多いため、整備には時間がかかるだろう。
柳栄様と同じく私も夢中になってしまっていたので、言い訳のしようのない失態だ。
「まあまあ。それよりどうだった?
玲湶の実力、十分使えるでしょ?
他の武官も唖然とした顔してたし、もう指折りの実力者だよ!」
「お前、相変わらず人の話を聞かんな…」
軍師の体がふるふると震えている。勿論怒りでだ。
「だが、まあ……一応、実力の程は分かった。
正直俺には動きがよく見えなかったが、真っ青になった観客がすぐに鍛練に励むため立ち去るほどだ、使える、と言えなくもない」
はぁ、と気持ちを落ち着けるようにため息を吐いてから向けられた言葉に思わず目を見開いた。
少なくとも戦闘面での力は認めてもらえた、そういうことだろうか。
かなり光栄なことで顔がゆるみそうになる。
いや、何をニヤついているんだと言われてしまう。堪えなければ。
「もう、素直じゃないなぁ。
凄くて見えなかった。強いんだねって言えばいいのに」
「誰がそんな事を言うか。
それに俺は使えるかもしれないと言っただけだ。
そもそもこいつの役目は護衛と手伝いだろう。
護衛はともかく、軍師の仕事の手伝いが出来るとは限らん。
例え榜眼及第であってもな」
確かにそうだ。もうひと頑張りしなければならない。
深く頷き気合いを入れると、矜牙軍師はやはり変なものを見るような顔をした。
何か、おかしかっただろうか。
「はいはい。それじゃ、次は頭脳ね。君の室に戻ろうか」
だがそれも柳栄様の言葉に素早くそらされてしまう。
「待て馬鹿者。
この広場の惨状をどうするつもりだ」
「え?それはやっぱり矜牙が天術でパーっと」
「お前、こうなることも考えていたな…?」
再び軍師の眉間に皺がよった。
けれど流石にこの広範囲を天術で修復するのは負担が大きいのではないだろうか。
「いいじゃないか。
それにこのままだと玲湶の中の君は戦いのできない偉そうな軍師様で終わってしまいそうだしね。
君だってそれは嫌だろう?」
「ふん、別に構わん」
「いえ、そのようなことはありません」
………。
言葉がかぶってしまった。
申し訳ない気持ちで矜牙軍師を見つめる。
まさか上官の会話の邪魔をしてしまうとは。
けれど軍師に文句を言うような様子は見られず、私と目が合うと気まずげにそらされる。
そして何やら考え込むような顔で何度か首を振ると、じろりと柳栄様を睨んだ。
「……貸しだぞ」
「やった、流石矜牙!というより玲湶!!」
「私、ですか…?
いえあの、全て矜牙軍師のお力であり度量であると思うのですが」
何故自分が褒められているのかまったくもって分からない。
首を捻るも柳栄様はただ笑うだけで理由を話してはくれなかった。
「ふん、お前も少しはこいつの腰の低さを見習ったらどうだ柳栄」
「やだなぁ、そんな態度に戸惑って素直すぎる性格に動揺してるくせに。
そこに俺までそうなったら君は毎日のように動揺することになるよ?
想定外の出来事に弱いのは昔からだろう?」
「だ、ま、れ!!その減らない口を閉じろ。
――面倒だ、人目もないし、さっさと片付けるぞ」
そう言って矜牙軍師が傷だらけの大地を一瞥する。
驚いたことに、それだけで損傷を受けた部分が盛り上がり元のように平らな地面が広がっていく。
特に文言を唱えたりせずにこの広範囲を一度に修復するなんて、一体どれだけの天威を持ち、かつそれを扱う術に長けているのだろうか。
「あはは、どう、玲湶?うちの軍師すごいでしょ?」
「なっ、おい柳栄、黙れ!」
「はい、素晴らしいです…」
凄い。もう、それだけしか言えない。
自分でも語彙が足りていないと思うが、それだけ感動したし羨ましかった。
私は天威は高くても、それを天術として扱うことはできないから。
こんな風に自らの力を完全に自分の支配下に置いているなんて、柳栄様以外に尊敬する武人に初めて出会った。
それに柳栄様は私が努力すれば追いつけるかもしれない存在で、持つ力も同じ方向を向いているけれど、矜牙軍師は違う。
確かに、間違いなく、これは私が辿り着くことの出来ない遥か高みだ。
私とは全く異なる方向を向いた、強い力を持つ人。
私ではどうやっても手にすることができないであろうものを持つ人。
これを尊敬せずに、その力に感嘆せずにいられるだろうか。
「………くそ、室に戻るぞ!仕事がたまっているんだからな」
「はいはい、素直じゃないなぁ。玲湶、行こうか」
「はい!」
軍師付き補佐官に任命されて、私はとても幸運だったのかもしれない。
そう思いつつ先を歩く二人の後を来た時と同じように半歩離れた位置で追った。
閑話:ある将軍の心の呟き
ああもう、本当に矜牙は素直じゃないなあ。
本当に呆れる。どこの子供だよ、その態度。
玲湶と手合せしている間、最初の方は矜牙の反応を窺っていたけど(途中からは流石に無理。よそ見してたらやられちゃうからね)、あんぐり口を開けて驚きを露にしていたくせに。
……まあ普通はびっくりするか。
玲湶みたいな華奢で綺麗な女の子がありえない動きして俺と対等に戦ってるんだから。
事前に俺と同じくらい強いとか、目下の次期将軍候補とかあれ程言ったのに、全然信じてなかったんだろうな。
それに戦いが終わってからも絶対滅茶苦茶感心してたのにそれ言わないでまあまあ使える、っていう感想、どうかと思う。
しかもそんなこと言いながら自分の発言を肯定するような頑張りに満ちた表情でうんうん頷く玲湶に絶句してたし。
あれは面白かった。玲湶が矜牙の部下になったらあんな光景が毎日見られるんだもん、楽しみでならない。
それに、戦えない偉そうな上司になるって俺が言って、それに玲湶が間髪入れずに否定を返した時の反応。
吃驚して、ちょっと嬉しくなって、いやいやでもでも、これは上官に対するお世辞で胡麻擂りなんだって自分に言い聞かせていたの、まるわかり。
玲湶はそんな矜牙を不思議そうに見てた。
まあ玲湶はある意味箱入り娘だから、矜牙の【事情】を知らないのも無理はないし。
その事を知った時にも、矜牙驚くんだろうなぁ。これは絶対見逃せない。
そうそう、見逃せないと言えば矜牙が天術を使った時の玲湶の表情。―――を見る、矜牙の居心地悪そうな顔。もう本当、傑作。
今日この時点でこれだけ味わっただろうに、どうして玲湶の素直さと言うか真っ直ぐさに一々動揺するかな。
まああんなキラキラした顔で見られたらしょうがないかもしれないけれど。
でも玲湶の気持ち、俺はわかる。
俺も彼女と同じ、いや、彼女以上に天術が扱えないから。
天術は武官になるならある程度は使えるのが常識で、だから天術が苦手な人間はそれに劣等感を抱く。
そんな俺達にとって、矜牙の力は正に憧れだ。
自分達が絶対に持てない力。それを完璧に自らのものとする意志。
そういうのに、どうしても焦がれる。
俺も玲湶も、それがどんなものであれ【力】を欲しているから。
結局のところ戦闘馬鹿と言われればそこまでなんだけど、ね。
武術は努力でどうにかなる部分もあるけど、天術はそうじゃない。
だから羨ましくて憧れて焦がれて惹きつけられてしまう。
……まあ何が言いたいかって言うと、二人はいい上司と部下になりそうだってこと。
矜牙は意地っ張りで排他的で、でも柔軟な思考を持ち天術に長けている。
玲湶は素直で人当たりもよく、でも色々と我慢をしがちで武術に秀でている。
いい感じにお互いをサポートできそうだよね?
うん、やっぱり俺の目に狂いは無かったみたいだ。
これでこの後玲湶の頭脳を見せつけてやれば今日の所は無事終了。
後は二人でやっていくうちに、意地っ張りな矜牙が段々目に見えて玲湶を認めていくだろうしね。
え?頭脳を認めさせることに関して心配はしていないのかって?…だって、玲湶だよ?
祠苑から聞いただけで、俺も詳しい事まで知っている訳じゃないけれど、彼女は【朱家に認められる】人間だ。
五大家はその名に対する誇りから、いつだって完璧を求めている。
特に五大家の中でも力が強い程それが顕著で、赤家が堕ちた今、筆頭である朱家のそれはどれだけのものか。
いくら当主である祠苑が認めたと言っても、それだけで養子として、何より門下のものではなく【朱】姓を与えられるはずがないんだ。
きっと血が滲むほどの努力をして、玲湶はあの場所に立っている。
彼女が三叉槍を朱家筆頭門下の二家から贈られたことだって、それだけのものを玲湶が持っていて、彼女が【朱家に相応しい】という証だ。
そんな彼女が、そもそもこんなところで躓くはずがないんだよ。
もしそうであったなら、玲湶は【朱玲湶】になんてなれていないんだから。
そして何より、彼女の育て親が誰だか、矜牙は分かっているのかな?
あの腹黒で歴代最良であり最恐と謳われる宰相閣下にその知識を惜しみなく与えられて溺愛されて、それで矜牙のお眼鏡に適わないはずがないじゃないか。