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比翼連理  作者: 美羽
管鮑の交わり
4/22

3

とは言ったものの、緊張することに変わりはなかった。

水面に映り込む硬い表情の自分。

取りあえず手合せを行うと柳栄様に言われたから結い上げた銀髪とこちらを見つめる菫の瞳、おろしたての朱と紺のグラデーションが美しい官衣。

……一応、武官には見えるはずだ。


城仕えをする官吏に対する服装の規定は、実はあまりない。

だらしなくなり過ぎない事、華美になりすぎないこと、そして官衣を必ず着用すること。この三つだ。

現在この国には他大陸から伝わってきた服と元々国の伝統的な服とが存在している。

紅国独自の服装を華装、伝わってきたものを洋装と呼ぶのだが、簡単に違いを言うなら動きやすさだろうか。

華装は袖が広がっていて、裾も大抵地に引きずる程長い。

対して洋装は身体にそうラインのものが多く、なによりズボンがあるから裾を踏むことはないのだ。


【官衣】はそれを身に纏う者の所属と位階を表す外衣だ。

文官のものには華装の、武官のものには洋装のデザインが用いられている。

また文官は袖の袂の長さで位階を表すのに対し、武官は丈の長さでそれを表すため高位の武官であるほど官衣の丈は長くなる。

とは言ってもそれが戦闘の邪魔になっては本末転倒もいいところなので常識的な長さであるが。

そして更に細かく正確な役職を表すために官衣になされているのが左胸から裾先にかけて、左半身を覆う刺繍。

刺繍と官衣の袂、あるいは裾丈の長さにより官吏は互いの役職を知ることができ、また組織としても統制がとれるようになる仕組みである。


「ごめん、待たせたね。少しバタバタしてて」


柳栄様の声と気配に、私は禁城を囲う堀の水から目をそらした。

目に映った彼はまるで戦いの後の様に汗をかいていて、更に台風にでも遭ったかのようにその金髪と衣服が乱れているが、一体どうしたのだろうか。


「……いえ、私が早く来すぎてしまっただけですから」


気にはなったけれどともかくそう言っておく。

そうすれば柳栄様もまるで普段通りのまま明るい笑みを浮かべた。

やっぱり触れなくてよかった事らしい。


「そう言ってもらえると助かるな。

それと、朱の官衣似合ってるよ。玲湶、ようこそ軍へ」


「……ありがとうございます」


私は一応の軍師付き補佐官であるため、官衣の裾は太腿の辺りまでを覆う。

刺繍も軍師を表す銀にその補佐官であることを示す黒が添えられている。

そして五大家は色々と他とは扱いが違う点が見られるが、それは官衣においても同様だった。

基本的には官衣は生地の色が濃紺なのだが、五大家の官衣はその姓が表す色と濃紺をグラデーションになるように染めて作られるのだ。

従って元は捨て子とは言え朱家に数えられる私の官衣は上部分が朱、裾へ向かう程それが濃くなり最後には濃紺になる。

そして李家の柳栄様の官衣は白に近い薄桃から濃紺になり、刺繍は最高位を表す金、裾は文官のように踝の辺りまであるものだ。


「あはは、微妙そうな顔だね」


「嬉しくはあるんですが…」


「君はそういう子だよね。まっすぐで」


「勿体ないお言葉です」


「またまた、謙遜しちゃって」


柳栄様には苦笑を返しておいた。

既にこの手の話は何度もしている。

実際彼もすぐに諦めて困ったように微笑んだ。


「玲湶は遠慮し過ぎだと思うけどな。

まあ俺には口出しできることじゃ無いからここら辺で止めておくよ。まあ、追々ね。

ともかく行こうか。少し話し込んじゃったし」


「そうですね。軍師をお待たせするわけにはいきません」


「……あー、そう、だね」


私としては当然のことを言ったまでだが、何故か柳栄様はそっと青の瞳をそらした。

一体どうしたのだろう。

けれどそう言えば軍師付き補佐官に任命されたと祠苑様に報告した時も一瞬微妙な顔をされた。

あの時は私に勤まる仕事なのか心配してくれたのだろうと思ったけど、もしかして違うのだろうか。


「まあ、それについても追々ね……まずは施設の案内をするよ」


そう言って歩き出した柳栄様に上手くはぐらかされた気もするが、今問い詰めるのも無礼だし時間を浪費してしまう。

なので一先ずはその背に続いて歩き出したのだが、一体軍師に何があると言うのだろうか。


「俺達武官が主に詰めるのは外朝の西に位置する武殿。

昨日式が行われた正殿を挟んで反対の東側には省がおかれてる文殿があるね」


外朝のつくりは意外と大雑把で、四つの建物しか存在しない。

まずは昨日も訪れた【正殿】。

ここは朝議や式典のための場所で、それ以外の用途では使われることのない大きな建物だ。

そしてその奥にある【紅殿】。

ここは国主が宰相と共に詰め、様々な事案の最終的な決済が行われる。

その東側に位置するのが【文殿】で、文官が働く場所。

省の三部がおかれ、ここで紅殿に届けられる書類が作成されていく。

最後に西側にあるのが【武殿】。

私が働くことになる職場だ。


「文殿なんかは色々な部署が置かれていたり、所々に書庫だとかがあるせいか迷いやすいけど、こっちは単純な造りだからそんな心配もないと思うよ。

基本的に武器庫と会議のための室に一般武官の休憩所と、後は俺とか君の上官の私室が用意されてる。

夜勤のための部屋もあるかな。

玲湶は軍師付きだから殆ど軍師室にいることになると思うけど」


「その事なのですが、柳栄将軍」


各所を回りながら説明してくれるその背にどうしても聞きたいことがあって呼びかければ、再び柳栄様は微妙な顔をした。


「……うーん、玲湶にそう呼ばれるのは慣れないなぁ。

と言うか相変わらず公私混同しないね、君は」


「職場ですから、流石に。

慣れていただきたいと申し上げるしか」


外朝では上司に対して基本的に階級又は敬称で呼ぶのが常だ。

けれど階級で呼ぶ方が敬称よりも上下関係がはっきりとつくし、何より私自身が普段のような甘えた感覚で接することのないようにそう呼びたい。


「実際そんなにきっちりしてる人は珍しいと思うよ?

俺なんかも祠苑や軍師は名前呼び捨てだし」


「私は新人ですから」


「はいはい。じゃあ頑張って俺が慣れるよ。

仕事の外では今まで通り呼んでくれるんだろうしね」


「はい。それは勿論です。

それで軍師付き補佐官というのは、具体的にどの様なことをすればいいのですか?」


私は本当にただの新人だ。

そんな私が出来ることなど、ただの雑用程度しか考え付かない。

勿論最初はどこに配属されてもそうなのだろうが、やはりきちんと役に立つ事ができるのか不安なのだ。

昨日の陽峻もこんな気持ちだったのだろう。


「そっか、その説明をしてなかったね。

基本的に俺が玲湶に補佐官としてやって欲しいのは軍師の護衛だ」


「護衛、ですか……?」


「そう。不思議に思うのも無理はないけど、軍師は天術はすごいのに武術の才能は笑える程無くてね。

その知略は並ぶ者がいないし、唯一の軍師たりえる存在だと俺も祠苑も思ってる。

でも戦場に連れていくとやっぱり少し不安なんだ。

天術での対応にも限界があるし、天術が使えない場面だってある。

あと、意外と軍師って仕事がいっぱいでさ。

いつも大変そうだからそれを手伝える人間が欲しかったというのもあるかな。

でも殆どの武官はあんまりそういう事に向いてないって言うか……脳筋だから」


それらを補うために私が配属された、と言うことか。

確かに私は武術の腕は人並みに立つと自負しているし、その逆に天術の方はさっぱりだ。

そして一応科挙に及第する程度には知識もある。

ある意味柳栄様からしてみればこれ以上ない適役だったのかもしれない。


「それと最後の理由としては、君に戦術的な知識と上に立つ者の心構え的なものを身に付けてもらおうと思って」


「戦術と心構え、ですか?」


「うん、将来的にね。

やっぱり将軍位をもらうなら必要でしょ?」


「………申し訳ありませんが、おっしゃる意味が」


将軍位をもらうとは、どういう意味なのだろう。

いや、言葉通りに受けとれば理解はできるが、もしかしたら私の知らない裏の意味があって隠語のような感覚で使われているのかもしれない。

きっとそうに決まっている。


「いや、玲湶俺の後任にどうかなーって」


「務まりません」


「そんな事ないよ?

今のところ玲湶より強い武官はいないんだ。

つまり君が一番俺に近い」


「柳栄将軍が退く時期には私も同様に体が衰えている筈ですから、あり得ません」


その頃にはきっと別に腕の立つ武官がいるはずだ。

大体こんな、女で捨て子で天術もまともに使えない人間を将軍に推すなどありえない。

……そう言えば柳栄様は私と同じで天術が使えないのだった。

別に柳栄様を馬鹿にしたわけでは無いのだが、少し気をつけよう。

そんな風に思考がそれそうになった時を狙っているのか偶然なのかは分からないが、彼は余裕の反論を目の前に持ち出した。


「そうでもないよ?

将軍位を賜った人間は早めにそれを次代に任せて陛下の直属になるんだ。

そこで護衛をしつつ、後任に助言したりとかする仕組み。

前将軍が死んでからとか、かなり老いてから退任すると後任の教育が上手くいかないからね」


……反論できない。

だが私でなくともいいはずだ。

そもそも私がその地位にみあう人間なのかさえまだ分かっていないのに。


「まあまだ俺の中でのボンヤリした考えだから、気にしないで。

本当はこういうの、武官が浮き足だったり変に自信を持ったりするから伝えちゃ駄目なんだけど、玲湶はそんな反応間違ってもしないからつい言っちゃった」


……つい、でこんな頭と胃が痛くなるような発言をしないで欲しい。


「でも前任、つまり今の陛下の護衛の方がそろそろ年でね。

だから少なくとも数年の間に俺の後任を決めたいなと思ってるんだ」


「……そう、ですか」


にっこり笑う顔にゾッとした。

今まで感じたことはなかったけれど、柳栄様は案外色々と計算しているのかもしれない。

私が曖昧に頷いただけで満足したのか、彼は再び前を向いて説明を続けた。


「武殿の外の設備としてはここから少し離れた位置にある厩と、武殿正面にある広場かな。

鍛練はいつもその広場で最低でも朝と夕刻の二回やることになってる。

広場の傍には休憩用の四阿も用意されているから、結構色々便利だよ。

――とまあ、武殿の説明はこんな感じかな。

後は軍内の位階についてだけど、玲湶はもう分かってるよね?」


「はい。最上位に将軍、そこから軍師、佐官、尉官と続きます。

補佐官は補佐する上官の二つ下の階級となりますから、私の場合は大佐の下、中佐の上の位階ですね」


【佐官】は大佐、中佐、少佐。

【尉官】は大尉、少尉という風に小さく分けられる仕組みだった筈だ。


「うん、さすが玲湶。その通りだよ。

じゃあもう説明もバッチリだし、軍師に会いに行こうか」


「もう、ですか?……いえ、そうですね。参ります」


説明が終わってしまったのなら仕方がない。

私の心の準備など上官にとっては些事だ。

そんな言い訳は許されないのだから、甘えないようにしなければ。


「心の準備が整ってないなら少し待つよ?」


柳栄様はそう言って笑ってくれるが、やはり甘えるべきではない。


「いえ、問題ありません」


「顔が固くなってるけどね。

まあ玲湶がそう言うなら行こうか。

あ、室の位置の確認を忘れないでね。

君が一番よく使う場所になる筈だから」


「はい」


……そう言えば、軍師の事となると皆揃って微妙な顔をしていたが、あれは結局何だったのだろう。

それを聞こうかと口を開きかけ、けれど柳栄様の足が止まったことですぐに閉じる。

彼はまた微妙な顔をしながら私を振り返った。


「ここが軍師のための室だよ。

えっと、昨日も少し言ったけどあいつは少し気難しいやつなんだ。

だからたぶん玲湶は色々と大変だと思う。

でも玲湶がすごくいい子だって少ししたらあいつも気づく筈だから、最初のうちは酷いことされてもあいつのこと嫌いにならないでやって欲しいんだ」


「は、はぁ………?」


正直そう言われてもよく分からない。

まだ会ってもいないわけだし、いまいち実感がわかないと言うか。

だが皆の微妙な顔の理由はその気難しさにあるのだろうか。

だとして軍師は私の直属の上官で、きっと私が一番迷惑をかける相手である。

そしてそんな彼が知略に長けた国一番の軍師だということは世間知らずの私でも知っていることだ。

それに柳栄様がこんなにも言葉をつくしているのだし、きっと、たぶん、いい人のはずだ。


「大丈夫です。私は所詮ふがいない新人なので、迷惑をかけてしまい軍師を苛立たせてしまうと思います。

それを考えれば冷たくされるようなことなどは当然とも思います。

そもそも軍師は歴代でも一番の知将と謳われている方ですから、きっと素晴らしい方だと思いますし」


「……うん、君のその素直さが眩しくて涙が出そうだよ」


柳栄様はわざとらしく涙を拭うふりをした。

これは、どう対応すればいいのか。


「でもまあ苛められたら言ってね!

俺が怒っとくから。じゃあ入ろうか」


「はい」


どうやら対応しなくてもよかったらしい。

ころりと表情を変えた柳栄様がさっさと戸に手をかける。

――瞬間、敵意を感じた。


「柳栄様!」


「あ、問題ないから気にしないで」


開いた戸口から突風――いや、暴風が襲う。

問題ない、と言われてもこれは問題あるのではないだろうか。

飛ばされたことで浮き上がった体を空中で回転させ壁を蹴って風の直撃位置から逃れれば、同じく反対方向によけた柳栄様から拍手をもらった。


「さすが玲湶。俺の見込んだ子だね。

ほら、見ただろあの動き。

他の武官なら風に押されて壁に体を打ち付けてるよ」


「五月蠅い。黙れ。

――よくも俺の前にもう一度顔を出せたな、柳栄」


風が収まり、室から涼やかな、けれど怒りを持った声が響いた。

柳栄様を呼び捨てる事ができ、かつこの室の中にいるということは…


「そりゃ出すよ。だって君の部下を君に、そして君を君の部下に紹介しないといけないからね。玲湶おいで」


手招きされて再び戸口に立つ。

今度は風――つまり天術は向けられなかった。

ただ代わりにチクチクとした怒気を感じるが。

というかかなりお怒りの様子だ。

それにもう一度、ということは柳栄様は一度軍師に会っているということで……もしや服と髪の乱れは先程の天術を事前に一度受けていたためだろうか。

……いや、まさか。流石にそれは無い、と信じたい。


「紹介するね。

紅国国軍軍師、緋矜牙(ヒ・キョウガ)。君の上官だ」


更に怒気が強まった気がした。


こちらを射るような凛とした赤の瞳と、胸程まである長い金の髪。

祠苑様の黒髪も男性にしては長い肩を越すものだが、彼はそれ以上だ。

それを横でゆったりと一つに結っている。

官衣はただの濃紺のものではなく――緋色、が入っているのだろうか。

そこに軍師を示す銀の刺繍がなされている。

だが五大家で緋家など聞いたことがなかった。

私が世間知らずというのもあるのだろうが、一体どういう身分なのだろう。


「……ふん、その女が俺の補佐官だと?

寝言は寝てから言え。

俺にはそんなもの必要ないと何度言えばわかる」


私の観察する目線に気づいたのか、矜牙軍師は苛立たしげに眉間に皺を寄せた。

何と言うか……とても分かりやすい拒絶だ。


「そんな顔ばっかりしてると嫌われるよ?

この子は朱玲湶。今年の科挙で榜眼及第した才女で、武術の腕は俺のお墨付き。

しかも可愛い女の子だし、場が華やぐだろう?」


「知るか。だから何だ馬鹿者。俺には不要だ」


「駄目。これは将軍の決定なんだから、君は従う義務がある。

そうだよね、矜牙?」


軍師の眉間の皺が更に増えた。

忌々しそうに柳栄様を睨み付け、それが私に移る。


「……チッ、上官命令ならば仕方がない。

だが柳栄、俺は認めんからな」


「はいはい。それじゃあ玲湶、まずはお茶を出してもらっていいかい?

少し三人で仕事について話し合おう。

茶器はそこの棚にある筈だから」


「はい」


未だ刺々しい視線をどうにか気にしないように動く。

嫌われすぎて逆に傷つかないと言うか、何と言うか……不思議な心境だ。

恐らく軍師が私という存在を不要だと否定しているのではなく、あくまで補佐官を否定しているだけだからなのだろう。

それが敢えてなのか偶然なのかは分からないが、少なくとも今の時点で矜牙軍師に対して嫌悪感はなかった。


「どうぞ」


卓に茶を置き、すぐに自分のものを飲み下す。

少し熱いが、火傷をする程ではない。


「そんなことしなくても別にいいんだけどね。まあいただくよ。

あれ?矜牙、驚いた顔してるね。玲湶が優秀で感心した?」


「……馬鹿を言え。

認めていないとは言え、曲がりなりにも補佐官なのだからな。

毒味など当然のことだ」


「酷いなぁ。ごめんね玲湶、気難しくて」


「いえ、矜牙軍師の仰られていることは事実です。

先程説明を受けました折りに軍師の護衛の任も勤めると聞いた以上、当然の行動ですのでわざわざお褒めいただく程ではありません」


護衛、と言うからには敵の攻撃だけでなくこういった日々の些細なことにまで気を配ることが必要なはずだ。

矜牙軍師は補佐官を認めないと言った。

私の事を認めないと言った訳ではない(恐らく)。

ならば補佐官がどれだけ軍師にとって役立つかを示すことが出来れば、彼の意見は翻るということだ。

このまま軍師補佐としてやっていくためにも頑張らなければ。


「そんなに謙虚にしてなくてもいいのに。

まあ座りなよ玲湶。話をしよう」


「いえ、私は部下ですので同じ席につくわけには」


「……さっさと座れ。首が疲れるだろう。

それともお前は上官に始終自分を見上げさせると?」


「………では、お言葉に甘えさせていただきます」


いいのだろうか。

少し納得がいかないし、何だか申し訳ないけれど、上官命令では仕方がない。

それに矜牙軍師の目が痛かった。

あれは本気で面倒臭がっている目だったし。


「うーん、やっぱりいい組合わせじゃないか」


「どこをどう見たらそうなる。柳栄、お前の目は節穴か。

いいからさっさと話を始めろ。俺は忙しい」


「そりゃ全部だよ。でもそうだなぁ、じゃあまず何故君に補佐官が必要だと俺が判断したのかから話すね」


にっこり笑った柳栄様は、そのまま私に語ったものと全く同じ内容の話をした。

矜牙軍師の安全面に対する心配、仕事面での効率の上昇、私の将来に対する一先ずの準備。

それらを黙って全て聞いた矜牙軍師は顔をしかめた表情のまま茶を飲み干し、勢いよく卓へと置いた。


「話は分かった。確かにお前の言うことにも一理ある」


「でしょ?」


「だが」


軍師がギロリと視線を険しくさせて私と柳栄様を見た。

顔が整っているだけにものすごい迫力である。


「それでも俺には補佐など必要ない。

大体今年登用された新人など何の役にも立たんだろう。

武挙で主席だからと言って本当に護衛が務まるかなど分からん。

実戦で尻込みしたとして、ただ邪魔になるだけだ。

それに科挙及第だから何だ。

それだけで本当に使える人間と思うなら、この国には実力があるのに本気を出していない屑ばかりいることになるが?

そもそも今から将軍候補などと吹聴して回って、軍内でどんな悪影響が起きるか想像するだけで笑えてくるな。

古参、中堅の武官、そしてこれと同じ新人からも目の敵にされるぞ」


「すごい喋ったね」


「……真面目に聞いていたのかお前は」


「聞いてたよ」


「お前はいつもそれだな……

それにお前も、何を黙って聞いている」


「私、ですか?」


不満そうに睨まれて、何か粗相をしただろうかと考えるが、残念ながら何も思い浮かばなかった。

補佐官の件は仕方のない事なので除外だ。


「少しは悔しそうにするとか怒りを露にするとか、あるだろう。

ここまでコケにされて何も思わないのか?」


言われて考えてみる。

軍師の言葉を聞いて私がどう思ったか。


「そうですね、感動いたしました」


「……お前も俺の話を聞いていたか?」


まるで珍獣でも見るような目で見つめられ自信を持って頷く。

勿論全て聞いていた。その上で思ったことだ。


「いくつもの可能性を考えた上で、起こりうるかもしれない未来を予想するのは先見の明がなければ出来ないことですから。

私はそういったものの考え方が出来ない人間なので、やはり尊敬します。

それに矜牙軍師のおっしゃったことは全て私自身が不安に思っていることですので、起こりえないとは限りません。

人というものは絶対に起こらないことを恐れたりはしない生き物ですから」


「………」


私なりの意見を伝えれば、軍師は変なものを見るような顔をした。

そして恐らくだが絶句している。


「あはは、玲湶にしてやられたね。

言ったでしょ、すごくいい子だって。

じゃあまあ矜牙の不満……と言うか、心配な事を一つずつ減らしていこうか。

今日はそのためにわざわざ玲湶を他の新人よりも一日早く出仕させたんだから」


至極楽しそうに笑う柳栄様にとって、この程度のことは予想済みらしい。

昨晩の祠苑様の表情もこれを予見してのことだったのだろうか。

だとしたらお二人とも流石だ。


「……何を言っている。俺は忙しいと言っただろう」


「はいはい、それは後で玲湶が手伝ってくれるから大丈夫だよ。

まずは実力の話だっけ?よし、広場に行こうか。

玲湶、武器は持って来たかな?――あ、片付け悪いね」


「はい、携帯しております」


中身のなくなった茶器は回収して元の棚付近に置いておけばいいだろう。

後で洗っておくことを忘れない様にしなければ。


「おいこら、柳栄離せ!

……おい、お前も!仮にも補佐官だと言うのなら助けたらどうだ!?」


官衣の首元を引っ張られ引き摺られる矜牙軍師から(軍師は身長が低めのようで、目算だが恐らく私と数センチしか変わらないだろう。ちなみに柳栄様はかなりの長身だ)そう注意を受けるが、私としては謝罪しか出来ない状況だ。何故なら。


「申し訳ありません。柳栄将軍がなされていることですから、私は軍師より将軍の行動を優先させなければなりませんので」


軍師より将軍の方が位が高い。

相反する命令を受けた時には位が高い方のそれを優先させるものと、武官の規定には書かれている。


「あはは、玲湶は真面目だからね。

よっぽど親しくなって信頼関係を築かない限り、玲湶が俺より君の命令を優先することはないよ」


「………お前達、後で覚えていろ。

このことは忘れんからな」


今にも天術を発動させそうな程に不機嫌な矜牙軍師に対して、申し訳なさは募るばかりだ。





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