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***
しんしんと雪の降る、静かな月夜。
『こんな冬の夜に、どうしてお前のような子供が一人でこんな場所を歩いている?』
積もる雪に僅かだけの痕跡を残し歩く私に、その人はそう問いかけた。
それが不思議で首を傾げる。
今まで私を見た人間は誰もかれもが嫌悪の表情を向けて去って行ったのに。
『何故だ?』
答えない私にその人はどうしても答えが気になるのか、もう一度問いを発した。
何故かなんて、そんなもの決まっている。
『私は独りだから』
行くあてなどない。帰る場所などない。
私は私が何者なのかすらわからず、ただ呼吸を続けているだけだ。
『独り………そうか、独りか』
少し驚いたようにその紫の瞳を見開いたその人は感慨深げに呟いて、ふんわり笑った。
それがとてもあたたかいような気がして不思議だった。
『お前と同じ、私も独りだ。
……私と来ないかい?独りと独りが集まれば、孤独も少しは和らぐものだ』
おかしな問いだった。
どうして私にそんなことを言うのか、どうしてこうも嬉しそうに微笑んでいるのか。
けれどやはりどうしてか、それは私にとってとてもあたたかく甘美で魅力的な誘いだった。
こくりと、小さく確かに頷いた私を見て、その人は笑みを深めた。
それを見れば私の選択は間違っていないように感じた。
『お前に名はあるかい?』
こちらへ手を差し出しながらその人が問う。
名はあった。こうして私が私として意志を、感情をもつときから当たり前のように私の中に存在していた一つの音。
『玲湶』
『玲湶、か。いい名だ。では玲湶、おいで』
声に促されるようにしてとった私よりも大きな手は私と同じく冷えていたけれど、それでもとてもあたたかいもののように感じた。
***
「玲湶、ボンヤリと考え込んで、どうした?」
斜め後ろからかかった声にはっとして振り向く。
そこに立つ人の姿にどうしても表情がゆるんだ。
「祠苑様。――貴方に拾われた時の事を思い出していたんです。
ちょうど今朝夢に見たばかりで、懐かしくて」
あの時と同じく彼はその紫の瞳を少し見開いて、次いでふんわり微笑む。
朱祠苑様。私を拾って育ててくれた人。
私にあたたかさを教えてくれた人。
あれから数年が経って私は祠苑様の義理の妹という関係までもらって、朱玲湶になった。
朱家当主であるこの人の、家族に。
「そうか。懐かしい事だ。
今はお前もこんなに大きくなって、年月が経つのは早いものなのだと実感する」
祠苑様がとても年より臭いことを言うから、私はつい笑ってしまった。
「ふふっ、そうは言っても祠苑様、まだあれから数年しか経っていません」
「少し年寄り染みてしまったか?」
「はい」
「なら気を付けるとしよう。私はまだまだ若い兄でいたいからな」
そうは言っても実際祠苑様は全然若い。
今19歳の私と10歳差のはずだから、29歳。
けれどその容姿端麗な様から20代前半に間違えられることもしばしばだ。
「祠苑様にはまだまだそんな心配は必要ありません」
「それは嬉しい事を聞いた。――さて、そろそろ時間か。
私は事前の準備があるからもう出るが、玲湶はどうする?」
その誘いには首を横に振っておいた。
私もそろそろ出なければならず目的地も一緒ではあるけれど、祠苑様と共に行けば大分早く到着してしまう。
遅刻は問題外だがあまり早すぎても仕方がないだろう。
そうかと笑って了解してくれた彼を見送るためその背を追って庭に出る。
小さいが美しく手入れされたそこでこちらを振り返った彼は心もち心配そうな顔をした。
「では私は行くが、気を付けて来るように」
告げられた内容に少し呆れる。
確かに祠苑様よりは年下ではあるが、私とてもう成人した大人。
そんな心配をされるのは流石に納得がいなかい。
「祠苑様、心配は無用です。私はもう19ですよ?」
「だがいつまでたっても妹が心配な事には変わりは無い」
「………大丈夫、です」
その台詞は狡い。
妹扱いが嬉しいやら恥ずかしいやらで、文句も言えなくなってしまう。
そんな私に彼は笑った。
「そうか。では玲湶、あちらでは話していた通りに」
「はい」
「戻りは一緒に帰ろう」
「……はい」
帰る。そんな些細な言葉が嬉しくてつい笑みが浮かぶ。
祠苑様はどうしてか眩しそうに私を見つめて、いってくると言って手をかざした。
そこに光が集まり瞬く間に体を包んで、一瞬の後には祠苑様の姿はどこにも見当たらなくなっている。
天術による空間の移動だ。案外面倒くさがりな彼はこれをよく利用している。
【天術】。それは古から存在し続ける不思議な術のこと。
人には【天威】という力が生まれながらに備わっており、その力を用いて天術を行使する。
天威の高さは基本的に個人差があるが、例外的に王族だけは必ず高い天威を持って生まれてくるとされていた。昔からその力で国を守っていたそうだ。
天威の高さや性質に応じて使うことの出来る天術は制限されてくるが、祠苑様は天術の扱いが上手く天威自体は人並みだが大抵のものなら使用できる。
私などは天威は高い方であるというのにそちらの適性が全くと言っていい程無いのか、天術だけはからきしだが。
それもあって先程祠苑様は遠まわしに一緒に行かないかと誘ってくれたのだ。
「……さて、私ももう行かないと」
天術が使えない私の場合、移動は誰かの術に頼るか徒歩か、もしくは馬だ。
けれど私と祠苑様が暮らすこの邸は王都の中心部にほど近い場所にあって人の往来も激しい。
そんななかで馬を走らせるのも気が引けるため、緊急の場合を除いてその手段を使うことはなかった。
だから必然的に私の移動手段は徒歩一択となり、目的地に時間通り着くためにはもう出なければならない。
「禁城までは、確か二十分程だったかな」
あまり気が乗らないからゆっくり行こう。
そう決めて、私はともかく戸締りをしようと一度室内に戻った。
この国、【紅国】にはある制度がある。
【科挙】というもので、城に仕える文官を登用するための試験だ。
随分昔にはこの制度がなく、城仕えは皆貴族の出の者と決まっていたそうだが、汚職や杜撰な管理、そして貴族の選民思考に繋がるということでこの制度を作ったらしい。
本当に実力のあるものだけが文官として政治に関わることができ、貴賤を問わず誰にでも機会が与えられる。
科挙を始めてすぐは混乱が大きく大した変化は見られなかったらしいが、それも今では平民の官吏の増加などから変わってきていると言えるだろう。
ただし身分を問わないということはそれだけ科挙を受けるものは多くなり、その分倍率も上がるということ。
城仕えは安定した職業だから人気も高かった。
だからこの国の人間はこぞって科挙を受けることとなり、それに従って試験内容もどんどん難しいものになっていったらしい。
そしてその超難関である科挙に及第した者――【進士】と呼ばれる未来の新人文官達は今日この日禁城の外朝に建つ式典専用の建物【正殿】に集められ、国王からありがたい言葉を聞くことになっている。
―――何故こんなにも詳しいかというと、私もその集められた一人だからだ。
「――では、今代の状元、榜眼、探花を発表する。
名を呼ばれた者は速やかに前へ出るように」
【状元】、【榜眼】、【探花】というのは及第者百名(及第者は毎年百人に限られる)の中で上位三位までに入った特に優秀な者のこと。
科挙の最中に知り合った私の友人もそれに当てはまる。
榜眼が次席、探花が三席。そして主席である状元が……
「状元、陸陽峻」
「はい」
私の友人、陽峻である。
遠くからでもその緑の瞳が喜びで輝いているのが分かった。
私もできればそれをもっと近くで見たかったのだが、残念ながら叶わないので遠くから見守るだけで我慢している。
後で会えるのだし、自慢ではないが目は良い方だ。
「榜眼、朱玲湶」
「…………」
応える声はない。当然だ、当の本人にその気がないのだから。
決めていた事だったが、それでも正直いたたまれなかった。
必死で息を殺し(とは言っても会場には百人の進士とそれ以外に国王、宰相、将軍の三人、式典の進行係や護衛兵などたくさんいるため気づかれることはまずないだろうが)目をそらす。
「玲湶、朱玲湶はいないのか?」
名を読み上げる役を担っている高齢の官吏がしつこく名を呼ぶ。
さっさと諦めてくれないだろうか。
これだから頭の固い老人は困る。
いないと言っているのに(私としては沈黙で示しているつもりなのだから)何故そう諦めが悪い。
それにつられてか周囲も五月蠅くなり、先に前に進み出ていた陽峻も振り返って周囲を見回している。
そしてその目としっかり目線があった。
……気まずくなって即座にそれをそらす。
こうなると予め分かっていれば、私だって榜眼及第などしなかったのに。
この国で成人とみなされ科挙を受ける資格を得られるのは17。
私が初めて科挙を受けたのは今年のことだから、二年待ったことになる。
普通は成人してすぐに科挙を受けるものらしいが。
実際初めて行った試験の会場には今年成人したばかりなのだろう、僅かに幼さを残した者から腰の曲がった老人まで様々だったからそれも嘘ではないようだ。
この場に集まっている進士も老いも若いも様々だし。
科挙の一発及第は難しいから、そうして少しでも回数を多く受験して及第のチャンスを得ようという気持ちは私にもわかる。
けれど私の場合どうしても一発及第したかったから、わざわざ二年待って必ず及第出来ると自信を持てるようになってから科挙に挑んだ。
私は自慢ではないが、紅国の最有力貴族である【五大家】の出身だ。
紅国にはいくつか貴族が存在するが、その中でも五大家は別格。
【赤】、【朱】、【茜】、【鴾】、【李】という建国当初から紅王家に仕え、国名である【紅】にあやかった姓を与えられた五つの一族である。
そして五大家の中でも序列というものがあり、その表す色が濃いほどに権力も大きくなっていく。
我が朱家は序列第二位、しかし一位の赤家が少し前にある不祥事を起こしたため今は力を失っており、実質上の五大家筆頭である。
そして力が大きければ大きい程周囲に弱みを見せる訳にはいかず。
祠苑様も朱家門下の当主陣もそんなことは気にせずともいいと言ってくれたけれど、私が朱家の名に泥を塗るわけにはいかないのだ。
私という存在を受け入れてくれた彼等が大切だからこそ。
式典も終わり、出席していた進士達も続々と正殿を出て行く。
位の高い王や官吏達は既に立ち去った後なので、皆一気に緊張のとれた顔つきをしていた。
さて私の探し人はどこだろうと探している間に、正にその彼の声が聞こえて振り向く。
「玲湶さん、すっぽかしましたね」
「……実際に式典には出ているから、すっぽかした訳じゃない」
私の言い逃れに陽峻はため息を吐いた。
どうやら呆れられているらしい。
陸陽峻。私の友人で、今年の科挙状元及第者。
彼と出会ったのは科挙を受けるために城を訪れたその日だ。
科挙はその試験日の数週間前から受験者を城へ集め、専用の房へ住まわせる。
遠方から受験する者への配慮と不正行為を防ぐためなのだが、その房が隣同士だったのが仲良くなった切欠だった。
数週間も共同生活をしていれば自然と仲も深まる。
それに同じ年齢でやはり科挙初受験ともなれば、同志を見つけたような嬉しさで親近感もグッと増すというものだ。
今ではお互い心を許せる親友同士。ちなみに彼の敬語は癖らしい。
「同じことですよ。何で名前を呼ばれて出てこないんですか。
おかげで俺と探花の人の間はスカスカでした」
「ごめん……でも仕方なかったんだ。
上位三人があんな風に前に出て国王直々に言葉をもらうだなんて知らなかった」
勉学は全て祠苑様に直接手ほどきを受けた。
だから科挙に第二席で及第できたのはそれを余すことなく発揮できたということで、そしてそれを周囲にも示すことができたということだから誇らしくはある。
けれどそれとこれとは話が別だ。
「結構有名な話なんですけど……なんだか玲湶さんなら知らないというのも納得します」
それは少し失礼ではないだろうか。
陽峻には私が朱家の者だというのは話している。
と言うか名を名乗った時点でそれは皆に筒抜けのことだ。
五大家の姓は本家以外名乗れないことになっている。
五大家は傍流や門下の一族を多数抱えているが、そのどれもが五大家とは異なる姓を名乗らなければならない。
それ程に五大家の力は絶大だから。
そしてそれが原因なのかは知らないが、私はどうも世間ずれしているらしいと陽峻に早々にバレてしまった。
「それはもういいだろう?
私が世間知らずなのは自覚してる。
それより陽峻、配属先はどこだった?」
これが私が式典で名を呼ばれたとしても断固として前に出なかった理由である。
本来科挙に及第した者はこれから二ヶ月の間用意されている進士期間――要はその者が本当に文官として働くことが出来るのか、そうだとしてどんな仕事に向いているのかを現場で実際に確認する期間をおいて、配属先が決められていく。
しかし第三席までの上位及第者は進士の時点からある程度就く役職が決められてしまうのだ。
そこに至るまでの努力に対する報奨なのだとか。
まったく厄介な制度を作ってくれたものだ。
もう生きてはいない先人に文句を言ったとして無駄な事ではあると分かってはいるが。
ともかくそんな風に国王直々に配属先を告げられ後戻りできなくなってからでは遅い。
だからいくら名前を呼ばれても気まずい思いをしても罪悪感を感じても、私は前に出る気は無かった。
祠苑様に相談したらこうするといいと言われたし、間違いはないはずだ。
「配属先、ですか…」
陽峻は全問正解で及第して、それは十二年ぶりの快挙だ。
そして歴史を紐解いてみてもそんなことを成し遂げたのはたった二人。
そんな彼にはきっとかなり上位の役職が用意されているだろうに、何故か陽峻の顔色は悪かった。
一体どうしたのだろうかと首を傾げていると諦めたようにため息を吐いて答えがもたらされる。
「宰相補佐です」
「……宰相補佐?
…………ごめん、宰相って、宰相で合っているかな?」
「合ってます。やっぱり玲湶さんもおかしいと思いますよね?
確かに状元ですからまあまあの地位を宛がわれるとは思っていましたけど……最初から最高官位の補佐だなんて、無理に決まってると思いませんか!?
それに宰相は王の隣にいらっしゃったので少しお顔を拝見しましたけど……何だか、怖そうです。
いや、素晴らしい方だと尊敬はしているんですよ?
打ち出す政策はどれも民の為にと心を砕かれていますし、あの方が宰相になられてから朝廷内の汚職が一気に減ったと聞きます。
でもだからこそ、そんな方の下につくのが俺なんかでいいのか……!」
これは相当混乱しているようだ。
すごく饒舌になっている。
でも正直、混乱しているのは私も同じで。
「玲湶。こんな所にいたのか」
「あ……祠苑様」
だから慣れ親しんだ気配に声をかけられるまで気づかなかった。
最悪のタイミングだ。
陽峻が何者かと顔を上げ、その後声を失ったのが分かる。
もう少し遅く来てくれればいいのにと私が思うのも仕方がないと思う。
せめて、陽峻に説明してから。
それにしても私を世間知らずと言う割に私の義兄の役職を知らないなんて、陽峻も人の事を言えないじゃないか。
「えっと、陽峻。話したことがあったと思うんだが――私の義理の兄で、祠苑様。
現宰相位についているんだけど、さっきの口ぶりといい今のその表情といい……知らなかった、みたいだね」
「………知り、ませんでした」
答える彼の声はかなりか細くて、反省した。
祠苑様はこの国の宰相だ。
科挙で登用する【文官】が国の政を司る【省】の役人として働く者。
その最高位に国の【宰相】――つまり祠苑様が立ちその全てを束ね、その下に【財部】、【法部】、【人部】の長官がつく。
更に三つの【部】が細かなものへと枝分かれしていき、国と国主の助けとなる仕組みになっている。
つまり祠苑様は国で二番目の地位を持っていると言っても過言ではないということ。
私が式典の前から自分が榜眼及第だということを知っていて、かつ祠苑様に式典でどうすればいいかを相談したのはそういった理由からだ。
宰相には全体への発表の前に及第者の目録が渡されるし、宰相である彼から国王陛下へは事前の断りを入れてもらっている。
本当なら式典のすっぽかしは厳罰ものだ。
「玲湶、彼が話していた友人かい?」
陽峻を不思議そうに見つめ、祠苑様は首を傾げている。
陽峻のことは友人が出来たのが嬉しくて、科挙から帰ったその日のうちに祠苑様に話していた。
それを覚えてくれていたようだ。
「はい。陸陽峻です。
今年の状元及第者で、祠苑様の補佐につくらしいですけど」
「……ああ、そう言えばそんな事を言っていたな」
これは忘れていたな。と言うか興味がなかったに違いない。
祠苑様はあまり周囲の者に関心を持たないから。
抗議の意味を込めて少し睨めば、祠苑様は苦笑して陽峻に視線を移した。
「陽峻、と言ったか」
声をかけられて、陽峻は一気に姿勢を正した。
これは相当緊張している。
「っ、はい。陸陽峻です」
「そうか。……玲湶と仲良くしてやって欲しい。
これには友人と呼べるような親しい同年代の者がいなかったから」
「し、祠苑様、それはいいんです!」
何が楽しくてそんな事を知らされなければならないのだ。
そもそもは陽峻の事を話していたのであって、そこに繋がる意味が分からない。
けれどどうしてかその言葉で陽峻の緊張はある程度まで解けたようで、ぎこちないながらも微笑が表情に浮かぶ。
「いえ、むしろ俺からお願いしたいくらいです」
「そうか」
「祠苑様!陽峻も、それは別に今はいいだろう!
それと……祠苑様、陽峻は私の友人なんです。
補佐だからと言ってあまり虐めないで下さいね?」
「……一応覚えておこう」
間があった。しかも返ってきた返事は一応。何だか心配だ。
仕事をしている祠苑様は冷酷非道と恐れられているくらい容赦がなく、かつ人使いが荒いらしい。
私はそんな所を見たことがないから実感がわかないけれど。
「その、頑張ります。どうぞこき使って下さい!」
そして陽峻はそんな思う壺な発言を……
「なかなか気概はあるようだ。
まあまずは進士期間だろう。
そこで使えない様ならば私はこの話は断るつもりなのだから」
いくら上位及第者だからと言って、無条件に高官になれるわけでは無い。
その人間が実際に役に立つのかどうかを見極めるために進士期間があるのだから、いくら国王直々の言葉でも、その間大きな失敗や問題行動を起こさなければの話だ。
尤も上位及第できた人間がそんなことをするのも有り得ない事で、歴史的にも約束された地位を取り上げられた上位及第者の話は聞いたことがないが。
けれど祠苑様がその判定をするとなると………かなりの辛口になりそうで、少し不安だ。
第三者から話を聞く限り、かなり厳しく仕事にあたっているらしいし。
この台詞も何だか現実味があると言うか。
「はい!」
でも陽峻は嬉しそうだからいいのかもしれない。
少し心配だけど、私が気を揉んでも仕方のない事だ。
それに陽峻はとても頭がよくていい人だから、きっと祠苑様も気に入るに違いない。
「……そうだ、陽峻。これから家に来ない?
この後お祝いを兼ねて少し奮発した食事をすることになっているんだ」
それはかなりの妙案に思えた。
未来の上司部下の関係が今から少しは良好になるかもしれないし、きっと今日の朱家には他にも来客がある。
この繋がりがこれから陽峻の役に立つかもしれない。
利用しているようで悪いけれど、使えるものは色々と使ってしまった方がいいと本人も言っていたから怒ったりはしないはずだ。
何より今日は一応めでたい日なのだし。
「え、いや、悪いです。
家族水入らずでそういうことはするものでしょうし…」
「いや、構わない。家にはよく人が来るからいつもの事だ。
それに玲湶の友人ならば喜んで招待したいと思うのが家族というものだろう」
やはり祠苑様にも咎められたりはしなかった。
と言っても彼に怒られるようなことは殆どないのだが。
「ですが…」
「あ、もしかしてご家族と予定が?」
なら諦めないといけない。
こちらが家族水入らずを邪魔してしまうことになるのだし。
けれどそれには陽峻は首を振った。
「いえ、そういう予定はありません。
家は商いをしているので、忙しくて昼は構われませんから」
「なら、断る理由はないということだ」
「え」
ぐい、と些か強引にだが陽峻の手を引く。
ちらりと祠苑様に目線を送れば、わかっていると頷いてくれた。
そのまま彼の掌に淡い光が宿り私達まで包み込むような大きさに膨らんでいく。
「えぇぇぇぇぇえぇ!?」
陽峻の叫び声は聞こえないふりをした。