名も無き物語
かつて栄華を極めていた城はいまやすっかり廃れ果て、戦場の最前線と成り果てている。
四方八方から砂煙や悲鳴が立ち込める中、大きく振りかざされた剣をロウは半身を捩ることで交わした。
ガツンと、相手の剣が固い石柱にぶつかるとすかさず骨だけで構成された身体の左胸――人間で例えるならばちょうど心臓だ。そこで赤黒く輝く魔石へと、ロウが剣を突き立てれば、スケルトンという名の魔物はカタカタと大きく顎骨を鳴らしバラバラと崩れ落ちた。同時に、ロウの剣先に残された魔石も輝きを無くして砕け散る。
こうなれば、もはやただの人骨でしかない。
当然だ。スケルトンという魔物は元はかつて人だったのだから。ロウは地面に転がる、持ち主を亡くした剣を一瞥した。その剣の柄には王国騎士に与えられるエンブレムが刻まれている。エンブレムからして、ロウが雇われた国と同じだった。
つい先日まで共にあったかもしれない。国元に送るくらいは出来るだろうが、それはロウが生きていれば、の話だ。
視線を外し、ロウは野晒しで苔の生えた階段を駆け上った。
そして眼下に広がる惨状に舌を打つ。
死屍累々。
魔物も人も折り重なるようにして事切れている。だが死んだ者に気をやるなど時間の無駄でしかない。ロウはざっと戦場に目を配る。前線で魔物と交戦していた一団の中に見覚えのある顔を捕らえた。怪我人を抱えているのか苦戦を強いられている。
ロウは声を張り上げた。
「ハロルド!!」
相手も交戦中だろう。聞こえているかは賭けに近かったが、ロウは構わずに続けた。
「魔王居城手前!!サーシャ!!」
伝わったようだ。
交戦する魔物の急所に矢が突き刺さるのを見届けて、ロウは地面に飛び降りた。
風を切って走り、道中の魔物の攻撃を交わして一撃で首を跳ねる。ざっと視界の開けた先で、先程苦戦を強いられていた一団に追いついた。
「! ロウ!?」
白い装束を赤黒く染め上げた少女が、ロウの姿に目を丸くした。その反応はこちらが返してやりたい。
「サーシャ!何でお前が前線にいやがるっ!?下がってろと言っただろうがっ……!」
「カナードが死にかけてたんです!!」
サーシャはくすんだ金色の髪を頬に貼り付かせて叫んだ。
戦場で回復役は要だ。初めは20人はいた治癒魔が使える魔法使いも激戦の末、もうこのサーシャをあわせて三人を残すのみとなった。
年の頃はロウより五つばかり年下の18。白魔法が得意ということで、防衛戦という名の死地に駆り出された哀れな少女である。可憐、という言葉が似合う容姿をしているが、これでいて中々どうして、肝が据わっている。ここまで生き残ってきたのだから、それに見合うだけの強さを秘めていたということだろう。
だからこそ、まだしばらく戦いが続く今、サーシャを欠くのは致命的だ。だから前線には出るなと命令していたが、現状は見ての通りだ。
ロウは口を閉じ、サーシャの隣で横たわる男を見下ろした。身体中に傷をつけている。先日見た時にはなかった、左肩から胸元にかけて切り裂かれた真新しい傷痕があった。これがサーシャの言う死にかけの理由だろう。既にこの傷をサーシャが塞ぎ血は止まっていたが、カナードから流れ出た血で地面がぐっしょりと色濃く濁っているのに気づき、ロウはカナードの傷が深いことを悟った。
サーシャが自身の身を危険に晒してカナードの傷を塞ぐことを優先した理由がロウにも理解出来る。
カナードは王国の住人であるサーシャと違い、ロウと同じく流れ者の傭兵だ。
戦場で暴れまわるカナードは戦狂いで、自分の怪我にも気付かないどころか頭に血が上ると敵味方の区別さえつかない厄介な奴である。厄介だが、戦力で換算すると兵士百人分の働きをこなすため、カナードも欠くことが出来ない。
疲弊しきっている今の現状では尚更に。
「ったく、これだから戦狂いは……」
サーシャを詰っても意味がない。
ロウは忍ばせていた増血剤と水の入ったボトルをサーシャに投げて寄越した。
「そいつを飲ませて寝かせとけ」
小さく頷いたサーシャが薬を噛み砕く。水を口に含んでカナードの顎を僅かに上向かせると流し込むように口づけたのを見届けて、ロウは
口を開いた。
「――そこの三人はそのままサーシャの護衛にあたれ。残りの奴らはアイツらの片付けだ」
「はっ」
短いが確かな返事。
ロウも頷くと、剣を構え直す。
王国軍直属の騎士が流れ者の傭兵に従うという光景は本来ならば有り得ないが、ここまで生き残っている彼等はちっぽけなプライドはとっくに棄てている。
前方から砂煙を上げながら魔物の集団が向かってくる。既に視認出来る距離まで近づいていた。
「残党がわらわらと。さっさと魔王を倒してくれよ、勇者様」
ぐっと剣の柄を握り締めると、ロウは敵陣へと突っ込んだ。
――今から一年ほど前の事だ。
かつて世界を支配していた魔王ゾークが、遥か東の地にて復活した。
その凶報がもたらされたのは、実に3日後。東の地を治めていた一国が魔王の手に堕ちてからだった。
さて、凶報が西の国に齎されたその時分、ロウが何をしていたのかと言えば、安宿の一室で路銀を数えながらこれからについて考えていた。
傭兵家業に身を置いていたが、正直なところロウは戦いに飽いていた。剣の腕を磨くのは好きだが、戦は好きではない。
何より、戦で傭兵はただの数合わせであり捨て駒に過ぎず、たった金貨2枚のために命を懸けるのは余程腕と運に自信がある奴か言葉通り命知らずな者、そして貧しい者だけ――ロウは、後者である。貧しい村の出身で村は資源もなく、土地も痩せており、採れる作物といえば栄養価の低い麦くらいなもの。しかし、それも王国の兵士に税として搾り取られ残るのも僅か。村は困窮し、1日を生きるのにも困る程だ。
その村を、ロウは15の頃に飛び出した。このまま村に留まっていても村が豊かにならないと常々感じていたのもあったが、8つの頃に両親を亡くしたロウを引き取り育ててくれた村長が村の為にと一人娘を貴族に売ると知ったからだ。
一人娘――リディアは恩のある村長の娘であり、家族のようなもので、特別な、女だ。
貴族に買われた女がどのような扱いを受けるのか、解らないほどロウは子供ではなく、あの好色そうな脂ぎった男がリディアに触れるのだと想像すると堪らなく不快だった。
再三、自分が戻るまでリディアを売るのはやめてくれ、と村長に頼み村を飛び出し金を稼いだ。思い起こせば、その場で首をはねられても文句は言えぬほど強引な手段だった。
その結果、リディアがいまも村で慎ましく暮らしているため手段はどうであれロウは満足している。
定期的に金を村に届けていたが、目的の金額まであと僅かだ。目標の額が溜まったらロウは村に戻るつもりだった。
最後の仕事がとんだ大仕事になるとも知らず――。
オークの頭に躊躇なく剣を突き刺し、ロウは眼前を睨んだ。魔物の群は静かに魔王城へと戻って行く。
――妙だ。
「ロウ」
「ハロルドか」
2mほどの高さのある柱から飛び降り、軽やかに着地した男がロウを静かに呼んだ。青磁色の髪を後ろで一つに括りつけ、機能性に優れた衣服に身を包んだアーチャーだ。
手には樹齢100年の樹木から作り出された一級品の弓矢。当然、弓の腕も同等の頼れる仲間だ。
ハロルドもまた鋭い目で眼前を見据えていた。
「奴ら、また死体を持ち帰った」
「……ああ、俺もそこが引っかかる。死霊使いは魔王城に入る前に勇者が倒した筈だ」
唯一死体を操る術を持った死霊使いが倒されたのを、二人は見た。魔王の配下でも群を抜いて強い四天王の相手は、みな勇者一行が引き受けている。当然と言えば当然だが、レベルが違った。
あの優男がどうすればあんな動きが出来るのか不思議なくらい滅茶苦茶な戦法で、しかし確実に敵にダメージを与えていた。
激戦の末散った死霊使いに、勇者が何故か訝しむような顔をしていたのが小骨のように喉に引っかかっていたが、戦いに追われ考える暇がなかった。
だが、何度か死体を持ち帰る魔物の姿に疑惑は確信に変わる。
「生きてやがるってことか……っ」
言い難い気持ちがせり上がり、奥歯をきつく噛む。
「どうする?奴は魔王城の中だろう。頻繁に襲ってくるのからして、近い。勇者は既に魔王城の奥まで進んだろうから、気付いても引き返すのは無理だろうな」
「……乗り込むしかねぇな」
ハロルドが「正気か?」とロウに問う。その口元が緩やかな孤を描いているのに気づき、ロウはハロルドも乗り込む気だったのだと解った。
「これ以上の持久戦が続けばもたん。救援を期待したいところだが――」
遠くから伝令!と叫ぶ声が聞こえてきた。
「勇者が魔王を倒すまで何としても持ちこたえよ!……救援は送れぬ、との事です」
「ほらな」
ロウは肩を竦めて、笑ってみせた。
**
「しょ、正気ですか!?」
サーシャが悲痛に満ちた声をあげた。
ロウとハロルドが同時に頷くと、サーシャは丸々と目を見開いてへなへなと座り込んだ。
「無茶ですよっ!あの死霊使いもまたアンデッドなんです、四天王の強さを私たち見たじゃないですか!?なのに物理的な攻撃が効きにくい相手に二人でどうやって……」
「女神の洗礼を受けた矢が五本余っている」
ハロルドが取り出した白銀の矢は聖なる光を宿し淡く輝いていた。サーシャはそれを見やり、でもそれだけじゃあと呟く。
「弱点も解ってる」
ロウが勇者と死霊使いの戦いを思い浮かべて言った。
「あの魔石ですよね?でもあれはかなりの強度です。禍々しい魔力を帯びています。光の戦士たる勇者様ならともかく二人は近寄るのも危険を伴います」
「解ってる。だからといって放っておけん。このままだとジワジワと死ぬだけだ。体力もあるうちに乗り込む方が勝機がある。奴が表に出てこないのは、勇者から負った手傷が癒えてない可能性も高いことだしな」
出るまでもない、なんて思われてるんじゃ……と後ろ向きな事をサーシャは呟いた。そう思う気持ちは解らないでもないが、いまそれをあえて言うサーシャに苛立つ。思っていたよりも自分は疲れているな、とロウは思った。
「次に敵が城から出てきた時に、突入する。お前、ライトが使えただろう?目眩ましに使う」
サーシャは少しの間黙っていたが、二人の意志が変わらないことを悟って頷いた。
「カナードはどうだ?」
「大丈夫です。顔色も良いし」
固い岩を枕にしてぐっすりと眠っているカナードを見やって頷く。ハロルドが言った。
「目が覚めたらこき使ってやるんだな」
「頼まなくても飛び込んでいきそうですけど……」
眠るカナードを見下ろしながら、サーシャが苦笑した。
決戦は、もうまもなくだ。